光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

間違いと、勘違いの続くこと

2009-10-31 18:48:49 | 散策
  朝、今日は土曜日だが、近くのお医者さんは、午前中はやっているはずで、電話でも
たしかめて、出かけた。それで、ことは済んだけど、最後に、看護師さんが、いつもインフル
エンザの注射をなさっていますが、ことしはどうしますか、と言われて、はたと何のことか
と思った。母はたしかに、今の言葉でいう季節性のインフルエンザの予防接種はしていたので、
しかしその案内も来ていないよなと思って、新しい、ではなかった、新型インフルエンザの
案内は来ていますが、季節性の、というか従来のものは来ていません、と言うと、

  看護師さんも、変だと思ったのだろう、まだ、新型のほうの案内はいっていないはず
で、今手元にあるのは季節性のものです、と念を押すようにおっしゃった。そうか、半信
半疑であるが、すぐに返って調べますと答え、そこを退いた。当然とというか、医療従事者
である看護師さんの言われることに間違いなく、それは高齢者インフルエンザの、案内の
案内で、新型の「し」の字もなかった。まったく、こんな勘違いもするのか、と思うが、
このところそうゆうのが続いているし、珍しくはない。
  ただ、高齢者インフルエンザという言葉から、どうしても新型のワクチンだろう、という
勘が働いたというか、来るのは新型のインフルエンザのワクチンの案内に違いないという、
思い込みというのが強くあった。その割りに、医療従事者のワクチンの接種というのがようやく
始まるというのも、たしかに妙だったが、ただ「高齢者」とあるので、予約だろうという
思い込みも、それが新型に違いないという、勘違いを確実にさせた。
  もっとも、この高齢者のインフルエンザ・ワクチンの案内というのはきょねんも来ている。
しかし、今はどうしても新型ありきで、そのことも忘れて、新型のワクチンは打ったけれど、
従来型のものはどうするのかなど、より反対のことをまた考えていたりもした。まったく
持って、どうなっているのか、というのは私のことである。
  偶然か、いや幸いであるが、看護師さんの一言で、勘違いがわかり、安堵するという
か、それはそれでよかったが、それよりここに、新型インフルエンザの案内が来た、とか
書いたことが思い出された。あーまた間違ったことを書いた、そうゆう嫌な思いもする。
この辺りはしかしどうしても出てしまう話題ではないか。

  間違いというと、この秋も早々、中秋の名月は満月とか書いて、きっとすばらしい満月が
見えるとか書いた。ところが、国立天文台の暦のページを見ると、名月と、満月はずれて
いることがわかって、そういえば昔もこのことを書いたと思い出した。わかっていないとは
このこと。旧暦にしろ、名月と決めるのは多分、暦であって、当然そのときは満月とは限らず、
ではなかったときもあったはずなのである。そう暦と、月の満ち欠けがぴたり揃うはずはない。
旧暦にしろ、満月とは限らないのでは、とも思った。なんだか、はずれたことを書いて
いるかも知れない。
  年賀状の発売日というのもおかしく、これは「年賀はがき」が正しいだろう。この年賀
はがきについても、たしか、9月か10月の初めに、発売になるとか、書いたように思う。
発売の前に、各地の郵便局に配送しないといけない。それが始まったというニュースのようだ。
で、実際の年賀はがきの発売日も私は間違えて、一日早く行ったのである。頭の中では、
もう発売されている、と思い込んでいたのだ。

  まーもっと他にも、勘違いとか、思い違いとか、完全な誤りというのもあるだろう。
そうなると、これも困ったものだが、どうにか、インフルエンザに関して、現在のところ、
高齢者の、季節性のインフルエンザの案内というのは、されていてすでに、そのワクチン
の接種も行なわれているというのは、たしかである。
  いろいろ、申し訳ないことを書いてしまった。ここでお詫びの一言も書かないと
いけない。

  いろいろ、様々な、秋の光景。




  時間がたってしまった。お寺の鐘撞き台のあるところ。その続きである。




  赤い葉、それと丸みのある種子が空中に飛び出る木がある。




  青空、らしいものが写り、イチョウと、サザンカの、ツバキかもしれない、
  花が咲く。




  地面に這いつくばるように、咲く花はダリアか、菊か。




  薄く赤みのある菊。




  マリーゴールドの花に埋もれて、なぜか紫の花が咲く。




  サルビアの赤い花。新しく、花の上に、花が咲くようで、同じ色の連続で
  ある。

紅葉漸近線

2009-10-31 16:27:46 | 植物・花(秋)
  寒気の入る前の暖かさ。
  暖かい日が続いている。部屋の中は結構熱気がこもっている。

  外を歩いていても、涼しさはなく、秋も中盤で涼しさが
  消えたようだ。しかし、暖かいときがあれば、涼しいときを
  通り越して、凍る日が来る。身も財布も凍る日が。

  今日は、さほど気温は上がっていない。
  アメダスの3時までの最高気温は、21.9℃である。きのうは
  25℃まで上がった。いずれにしろ、暖かく、「暑いね」という
  言葉さえ、聞こえた。

  紅葉前線は、まだないようなので、ここは漸近線である。




  10月29日の、朝日。若干濁りのある空。太陽も真っ白でなく
  黄金色に染まる。




  10月30日、きのうの朝の太陽。同じように、靄がある空。太陽は
  黄金色に輝くが、それに近い色というのが正確か。




  カエデ。上から見るカエデで、反射光で見ている。暗めである。
  でも赤いものもある。カエデの紅葉も始まっている。




  よくわからない木で、この葉は黄色くなる。この後、赤くなるか
  どうか。




  3枚目のカエデを下から見上げると、このようになって見える。
  透過光の成分が多い。赤い色も、光にかざすと色を変える。




  カエデの透過光。上のものは、光がもやっと全体を包んでいたが
  それも消えると、ほぼ透過光ばかりになるようで、下の方に、やけに赤い
  葉がある。




  4枚目の、黄色い葉の、辺り。日が当たって、さてどうゆう光が見えて
  いるか。これはむつかしい。
  これを見るとカボチャを思い出す。またキカラスウリもこのような色に
  変わりつつある。同じような、紅葉の色は、他にもある。

柿はなくなって、カラスウリは残る

2009-10-31 06:48:48 | 散策





  朝のお天気は、晴れ。ほぼ快晴で、また靄のようなものもこの2、3日のままで、これが濃くなっている気配は、ない。特有の、煙のようなもの、これがときに悪臭を誘う。まったく、と思う。風は弱いか、ない。穏やかなお天気。アメダスの6時の気温、12.5℃。気圧は、1023.8hPa、湿度は86%。室温は、18℃。

  朝は、まだ暗く、またしばらくすると、明るくなる。10月も終り。残りの2ヶ月もすぐに終わりそうで、だんだんと時間のたち方も異なるように思えるが、大体さほど嫌な時間でもない限り、時間を気にすることもない。小学生のころは一日が長かったとか思うのも、これも錯覚かなにかではないか。
  だから今でもなにかを待ったりするとき、それが2、3分でもやけに長く感じる。待つのは大体面白くない。待ったところで、いいこともない。でも、これが待ち遠しいものであれば、「待った?」とか聞かれても、「いいえ」とかいう。長いようで、短く、早いようで遅い。そうゆうものかも知れない。一回転して、朝の瞑想は終わった。

  日が出て来た。6時38分で、もう少し早い時間に、太陽の頭はその先を、剱岳の右から出したはず。このところ、3日間、まったく同じ景色がある。違うと思ったのは、柿。柿の実が一つ、残っていて、いずれなくなると思うが長くあった。先ほど見ていたら、その一つがない。枝が揺れていたが、そのときになくなったのではなく、多少は時間がかかった。やたら、ヒヨドリが飛ぶが、その最後の柿もたぶんヒヨドリが食べた。
  もう片方の柿の木に、カラスウリが絡まって、今はその実が一部柿の色から真っ赤なトマトの色に変わりつつある。これが蔓にまっすぐ何個かぶら下がる。魚の釣り方にも同じような仕掛けがあった。そういえばそうだ。この柿の木に、オナガが止まったが、結局柿の実もカラスウリも食べていない。カラスウリを食べる生き物は今はいないようで、一部しかし穴が開いている。

  写真は、ピラカンサの赤。

花の表、チョウの翅の表。

2009-10-30 18:48:18 | 虫、その他
  お天気は、晴れから曇り。朝書いた、明日は日の出が見えないかもというのは、誤り
で、明日も晴れの予報。勘違いというのと、いい加減書いているというのが重なった。なんだか
お天気はくずれそうな気がしたので、ついついいつもの癖で、適当に書いてしまう。適度な
適当さだといいようで、はずれるとだめ。申しわけないと思う。

  表とか裏が気になる、ということは滅多にない。それで地球の表はずっと表のようで、裏は
ない。表が永久に続くようなでしかし面積では限りがある。半分無限のようなものがあって、
しかし面積は有界。いけどもいけどもどこにもたどり着かない、そうゆう悪夢はある。現実に、
地球は大きすぎて、どこかへ簡単に行けるかというと、そうでもない。チョウとか、トンボは
海を渡るというが、鳥だとかだとこれはわかりやすい。ときどき、船に、島に立ち寄って
休憩する。プカプカ浮かぶものにこっそりと着地して、そこで一休み。人の場合はそうは
ゆかない。だから、いけどもとなる。限られていてもそうなのである。
  表か裏か、というとどうか。衣服に表と裏があって、よく今でも肌着の場合は間違えて
それでいいな、と思ったりもする。思わぬところが流行につながる。もっとも詳しくは
わからず、清潔感でいうと、裏を着るのはありだなとか、これ以上の話しは止める。

  人の体というのも、表しかないようで、実際どうだろうか。体といっても、ただの丸い
物体ではない。きれいに言うとこれはドーナッツのようになっているといった方がいいらしく、
例えばお腹の表面とお腹の中の、胃の表面はつながっている。それゆえ、体の表を見て、
その続きである内臓も、どの程度のものか、判断が出来るともいう。
  わかりやすい、表も裏もないものだと、メビウスの環があって、これは人の体とは似ても
似つかないようだ。平面での話しだが、これが三次元でもあるという。いろいろむつかしい
ことを考える人は昔からいる。とてもついていけない。せいぜい、お腹の中の消化器、
というか、器官と体の表がつながっているというのがわかる程度である。

  花はどうか、なんだかこれもわからない構造がある。虫を食べる植物などもどうなって
いるのか、動物と同じかとも考えたりする。で、一般的に、花を見ると、花弁の表も裏も、
さほど気にせずにこの花はきれいとか、花弁は美しく、また姿もいいとかいう。葉っぱは
というと、これもややこしい例があるというのを読んだこともあるが、もう忘れた。
なかなか見てすぐ、葉の表も裏もわからない。表しかない、といわれてもなー。
  で、花も虫も同じようなものだと考えていると、あるところは違う。動物とか、植物
とかでなく、花の表と裏はあまり言わないと思うが。チョウの場合だと、これがある。
チョウの翅、一番花弁に見た目が近い、には、表と裏がある。よく間違えるが、どこかに
止まっているとすると、それはチョウの肢が地面なり花なり、葉なりに付いていないと
いけないが、肢の反対方向、一般的には上から見るのが、チョウの翅の表で、その反対が裏で
ある。だから、チョウがある花に止まって、それを横から見ると、翅を閉じる場合、
チョウの翅の裏を見ることになる。

  チョウの翅の裏・表があまりに違うときがあって、これがチョウ探しの面白みでも
あるが、これを人に当てはめようとかいう気はない。ただし、チョウの翅というと、
閉じたり開いたりする。花もそうだが、そう簡単にそうゆうことは起きない。逆にチョウだと
閉じたら閉じっぱなしということも多い。また開くかと思うとそうでもない。これはチョウの
魅力で、しかしイライラするのも事実である。まさしくストレスのもとのようで、まったく
疲れる。



  息抜きという言葉を耳にする。きょうも息抜きは出来ないなー。




  もも色花の、花マップ。小さい花で、二度くらい出たかも知れない。台風にも
  持ちこたえて、小さな花が咲く。




  いくらでも、大きくなりそうで、ならない。この花の裏側はどうなって
  いるか。考えたことはなかった。何も入りそうになく、小さなチョウか
  蟻くらいだろうか。




  端っこの方へと、目線を動かす。




  見かけない、花でしかし目を引いた。




  色濃い葉。匂いもよかったといっても他にも花はあって、わからない。
  この花の裏側は、大体表と同じではないか。


  シジミチョウ、ようやくファイルに。



  アジサイの葉に止まっている。この状態で、この位置で見ているのが
  チョウの翅の表側。色は黒く、後の翅、後翅に丸い斑紋が並ぶ。




  翅を開きそうで、開かない。ちっと遠い、きわどい姿勢で、ひっくり返りそう。




  恐らく、普通の、ヤマトシジミで、翅は黒くこの色もなかなか魅力的。それと
  斑点。なかなかシジミチョウにも会う機会がなく、ここは諦めが肝心かと
  思ったりもする。

中空の、あるいは、目の前にある秋の色

2009-10-30 16:19:56 | 植物・花(秋)
  明日は、寒くなるというのは、勘違いのようで、
  間違いでした。明日も暖かく、いいお天気のようで

  寒くなるのは、11月2日の月曜、3日の火曜あたり。
  もしかしたら雪、が舞う。高いところは、雪。
  11月は、寒いお天気で始まりそう。

  秋の色、ひねもす秋で、きのうは地面のすぐ上辺り、の秋の色。
  今日は目の前か、ちょっと上の方。中空。手は届きそうにない。
  そうゆうところの秋の色。


  


  その一、よく出る葉っぱ。




  その二。ただの枝だけど、なんか秋らしさがある。大きめの画像で表示。




  なんだ、柿の葉か、という感じで、でも中空。これに手が出せるのは
  鳥くらい。




  これは放置田か、の田んぼの辺り。秋の雑草。




  一枚目と同じ。だけど、この木の葉は、何度見てもいいと思う。




  ヤツデの、花の咲き始め。折りたたまれている。




  実の位置は、サザンカの木にある。で、サザンカの実。ツバキより
  小さく、でも負けない渋さ?があるかも。 


寒そうで、そうでもない、朝

2009-10-30 06:46:30 | 散策




  朝のお天気は、晴れ。靄のある、晴れの空で、今は雲は少ない。朝の早い時間の方が、雲は多かった。月もそれに隠れた。風はほとんどなく、また穏やか。体感気温は、寒い。アメダスの6時の気温、14.1℃、気圧は1023.1hPa、湿度は80%。ちなみに、風は南西から3mとある。室温は、17℃。

  10月の、ここに書いている、室温を見ると、順調に下がっているようで、でもその差は、せいぜい3℃くらい。これから、15℃を下回り、さらに10℃、一桁となるのはわかっているが、なぜか今日は、布団の中にいても少し寒かった。きっと外の気温も下がっているだろう、と思うのも当然だが。が、アメダスによると、14℃はある。午前1時から、14℃台。人の感じるものは違う。

  外を見てもさほど何かがあるという時期でもなくなるというか、中途半端な時期で、寒くなるとしかし、これはかなわん、寒がりにとって朝はきつい。それで、TVで気象情報を見る。いよいよ、北海道の平地でも雪、というから、この今日の晴れのお天気も、大切に思える。もう明日からしぐれるだろう。いよいよ、本格的に寒さが到来する。鼻水も垂れてくるというもの。
 
  去来するもの。灯油、これはもう買ってある。灯油ヒータも使っているが、これの油もちゃんと入れておかないといけない。送風用の、ファンの網の掃除もしないといけない。風呂掃除もこれもやらないといけなく、まー溜めておくと、やらないといけないことは一気に増える。腰が痛いとか言いつつ、自分でサボってきたが、いよいよ「つけ」が回る。

  きのうと同じように、剱岳の右側からもう朝日は完全に出てしまった。あっさりと、まあるいと思える太陽は出た。この太陽明日はたぶん出ない。その後に、雪マークも出るかも知れない。

  写真:0601編成、その二。行き先の表示に、日本語も出ていた。

枯れゆく花、サザンカは咲く

2009-10-29 18:51:17 | 散策
  気温が高いというと、この反動は必ずありそうで、それも予報を見て聞いて、そうだった
と思ったりもする。作用があれば、反作用がある。そうゆうことを習った記憶があるが、一体
何のことだといぶかしく昔は思った。そんな繊細なことを感じるわけがない。この辺りが、
何かを分ける時間の始まりのようで、具体的な出来事がないと、簡単にその真理を理解できない
という現実。
  他に幅を利かせるのが保存されるものがあるというもので、これも何のことかわからん
なーというのがずっと長い間思っていたこと。ご飯を食べれば無くなるし、お小遣いだって、
お年玉だってなくなってしまう。その代わりに、何かを手元に置いたところで、それも
食べれば無くなるもので、またものであっても、ただただものであり続ける。何の役にも
たたない。等価の交換ではないではないか。商売というのはうまいこと出来ている。しかし
痛手というのを片方は負うわけだから、何が保存されるものがあるか、という理屈になって、
保存がどうのというのは、やっぱりわけわからん、ということになってしまう。
  対称性という言葉もよく聞く。何を対象にするか、というのもあるが、世の中には、
いろいろと、利益だとか、損得勘定とか、また儲けた、損したとかいう、勘定が私もそうだが、
やっぱり流行していて、利益を求めるなかれ、などいう人のことは、信用できないとかも
あるし、そう言いながら、それがご利益につながったりもするから、もともと矛盾に陥り
やすい。もっとも、言葉のあやとか、あるいは単純に命題がどうのではなくて、感情的にも、
あるいは人道的にもこれはやはり正しいと思えるものはあるし、大体そうゆうものは、
まずはニュースにもならないし、表面に出ることもない。名もなく、生まれ出て、名も知れず
なくなってゆく。
  しかしこれでは、伝えるということも出来ず、文言でも残らずで、どうしたことか、
真実で、真理のあり方は、むつかしい。

  いろいろ錯綜するものがある。何をいまさらという感じである。

  それで頭が痛い。物理的に痛いので、高気圧か、気温が高いせいか、あるいはそれ以外の
何かの疾病かと思うが、こうゆうこともなかったとはいえない。もう少しして、これにも
慣れると、どうにかおさまったと言うことにもなるが。頭痛のタネは小さくなることは
あっても、なくなることは無さそうで、例えばブログ、書き込みのネタみたいなことを、私も
考えることがあって、これもおかしなことだ、と思う。何もさほど悩むようなことでもない
だろう。その通り。どっちだというと、お金を注ぎ込んでいる。これが傑作で、あれこれ
自分で理由を作ったりもするが、それが結局は、このブログのためだったりもする。その通り
なのであって、また
  どこに出かけるか、これは少しオーバで、さてどこの辺りに何があるだろうか、考え
たりもするから、自分もおかしいと思う。それゆえ、頭も痛く目も疲れるので、これは
病気である。まったく、これを直すのは簡単そうで、そうでもない。

  サザンカの花というのがある。昔は、ほとんど気にせず、それよりもツバキの方が
わかっていたつもりで、これの方が自分の中では、知っているというものだった。サザンカは、
歌ではあったという程度で、歌から花を思い出すことはない。そのサザンカがこの辺りでは
結構多い。これに気が付くのも時間がかかって、あるときにこの辺りはサザンカだらけだ、
と思うに至った。何しろ、ここのいえにもあるからで、それを長く知らなかった理由というと、
一つは、その花を一々見なっかった、ということに尽きる。昔は、たしかに植物園とかに
行った。しかし、サザンカの花を見にという考えというか意思はなかった。大体、花との
付き合いの程度がわかるというものだが、今はどちらかというとそれを「探す」から、これも
人はいかにも簡単に変わってしまうことを示していないか。
  これも、もう少し何かないか、考えてみると、最近は虫、その中でもチョウがいない。
いないと書くとまたおかしいから少なくなった。少なくなって、逆に増えているものもある
が、少なくともファイルになるチョウは少ないかいない。

  いっときの出来事が夢のようにも思われる。シジミチョウがある、セセリチョウはあまり
追いかけなかった、それからタテハチョウ。いいチョウに巡り会えたというのが幸運だった。
そのチョウも今は、それこそ「かする」こともなく、たしかに今日も、ツマグロヒョウモンは
最後の力を振り絞って飛んでいた。でも、やっぱり近寄ると、本能的に逃げるのである。

  自然界の、掟というもの。それに、保存されるものがあり、また対称的なものもある。
春が来てチョウが咲き乱れて、秋が来て、サザンカが咲く。サザンカは、冬も咲き続ける
はずだから、この花こそ、雪の降るそうゆう地域のための花だと思える。この花、咲かない
木から咲き始めたりもする。サザンカは、何か保存されるものがあり、また対称となるべく
生き物もいるのだろう。それは何か、まー今はそれを急いで知ることもない。





  離れて見ていると、まるでサルスベリの色、咲き方も同じだと思った。
  これを近づいて見ると、ようやくサザンカとわかったようなで、逆光である。




  最初のものも、露光を+補正している。




  同じようなところ、をどれが一番感じよく、サザンカが出ているか、
  並べてみた。押しなべてきれいな花が揃っている。




  横から見たところ。




  サザンカは長持ちもする。この花、個体もかなり前から咲いて、咲いては
  散りをすでに繰り返しているようである。




  全体の様子。盛んであることがわかる。




  これは朝の光での、サザンカ。

朝の闇の、落ち葉を照らす

2009-10-29 16:20:05 | 植物・花(秋)
  今日もいいお天気で、どっちだというと 
  暖かく、気温は高めのようで、風は北風。
  その風がゆるく、太陽と、空気の暖かさが勝った
  感じがした。もっとも、日中の時間だけだけど。

  カサコソ、枯れ葉が散るし、また色付く葉も散る。
  その色は、今は枯れ葉色が多く、カエデの赤は少ない。
  枯れ葉は木の下に隠れるものもあって、朝の時間
  その隠れるような、木の下の枯れ葉に日が当たる
  ところが目に入った。

  こうゆうときくらいしか、枯れ葉も映えないかも知れない。





  ツツジの木の下。というと、ネコの目より低いかも知れない。
  そこに光が入ってくる。一部、ファインダも見ないで
  カメさんを下げて、撮ることにもなる。




  その二。




  その三。




  その四。緑は生きている植物。




  その五。ようやく、赤い実が写っている。これは紅葉と
  いうことで。モチノキの赤い実かも知れない。




  ヒメヒオウギズイセンも、緑薄く、一部茶色くなっている。




  赤い実をもう一度。

晴れのお天気で、冬の足音

2009-10-29 06:40:09 | 散策




  朝のお天気は、晴れ。きのうと大体同じ。空の靄の様子は少し薄めで、ほどほどに放射冷却。冷え込んでいる。びっしりと、植物に、露。朝の空は結構、赤く、しかし山の稜線は見えている。風はほとんどなし。鳥の囀り。アメダスの6時の気温、10.4℃、気圧は、1025.8hPa、湿度は91%。室温は、16℃。

  低気圧だと、騒がれる。1025.8hPaはかなり、高い気圧。頭が重く感じられる。そうゆうことはない。低気圧のほうが影響が大きい。どっちだろうか。頭から風が吹き出ている、というのが高気圧で、頭に風が吹き込むのが低気圧だ?が、どっちにしてもいいことはない。もともと、低気圧があれば必ず、高気圧もある。

  北アルプス、立山連峰の上が真っ赤、というと大げさで、橙色かオレンジ色に染まる。先ほどから、それを見ているが、今頃、6時33分、剱岳の右側から、太陽が顔を出した。これはまるで、初日を見るようで、感動的。

  あっさりと、太陽は出た。朝は暗い、今は明るい。この変化が大きい。

  写真:0600形の、0601編成。回送車両である。先頭の方の「行き先」で、
  そうあった。

青い朝日があって、橙色の夕日が沈む

2009-10-28 18:44:33 | 散策
  今日のほうが、きのうよりいいお天気で、朝だけなんだかモヤモヤしたものがあったが、
それがあったからか、輪郭のある朝日が残る。はるかに透明な朝は日がまぶしくて、それこそ
それを眺めることも出来ないが、あるい程度靄もあると、落ち着いた朝がある。このほうが
気分的に楽で、もしももっと澄み切っていると、早々朝の太陽、日の出の様子を撮るとなるが、
これも癖のようなもので、いらないときがやがて来るはずだが、太陽の位置だけは、なるほど
と思えるところにある記憶が残る。
  夕刻の時間が早く知らぬ間に日が傾いている。でもまだこの日をときどきあるいは毎日、
晴れなら眺めていてそれが雲の向こうにあったり、またすでに建物の向こうに沈んでいたり
する。日の入りの時刻がやけに早く感じられるのがこれからで、夜長の秋でなんだか電気代が
もったいない気もする。

  傘が見つかった。無くなったと思ったものが出てくるのは嬉しい。まったくどうしたもの
だ。さほどぼけてもいなかったかと思うが、何を考えていたか。冬の衣装でなく、いつも着て
いるYシャツだが、それのストックがあったはずと、開けることのない、場所のある場所に
傘はあった。こんなところに傘がある。昔は知っていたが、今は季節に関係ないものも、
出しっぱなし。すると押入れとか物置を開けたりということは減る。だから、その場所に
何が入っていようが、必要なものは出してあるから事足りる。でも、もうそこに傘をしまう
という気もない、私だけど、

  痴呆症状とまではいかないが、しかし確実に認知症の症状も進行していると思われる母が、
また書けないものもあるが、昔の記憶が、記憶こそが頭にあるのか、傘をそこにしまったので
ある。それで、いつもの傘どこにやったと聞いてもまずは、知りません、としか返事は返って
来ない。でも、そこに傘をしまうのは母しかいないはずで、そうでないとお化けがいること
になる。  
  これも、Yシャツを出しておかないとそれこそ忘れてしまう、という私の記憶がよみがえった
からかどうか、わからないが、いえの中のことも、いろいろやらないと、忘れてしまう。
それから無意識に何かをどこかにやる。こうゆうことも、これから日常のことになる。もう
なっているだろう。

  日ごろ、日記のようなものを書いているが、だんだんと字がひどくなる。残っている、
父の字などは、つい最近までは昔のままで、それを見ただけで誰が書いたかわかる。母の
字も、最近は字もあまり書かなく、また当然年賀状も書かないが、その字を見ると母の書いた
字だというのはわかる。それに比べて自分の字というのは自分で書いて、これは自分の字だと
思うが、判別出来ない。昔から
  例えば何かの作文をしないといけないとき、一枚目だけきれいに書こうとする。するだけ
だが、しかし俄然二枚目から、ぐちゃぐちゃになった。こうゆうものはずいぶんと昔からの
ようで、自分でもそのことを認識している。いつというと、中学ころからかも知れず、何で
こうなるのか不思議以外のなにものでもない。姉の字など、まったく中学のころと同じだ。
考えられないが、たしかにこれは姉の字だとか思う。

  そうゆう状況で、いざ何か書類を書かないといけない。単純簡単、簡潔でも非常に緊張
する。で、間違えるわけ。これが昔から付きまとう。気を抜けと思うが、もっとひどくなる。
慣れが必要だ、で練習する。筆跡というのがある。本物か偽もんか、これで判別が出来ると
いう。それはたしかにあるが、これは一体何の言葉かというのが問題になるだろう。
  紙の日記というのも、あまり書くことがないときは、それこそスペースが余る。しかし、
傘を無くしたという「しょうもない事件」とか、今日は朝から頭が重いという日に限ってやたら
長く書くことになる。これも不思議だが、大体詳しく、ここが痛い、原因はいくつかあるが、
ストレス以外だと、これは気温が高いからだとか、とんでもないことを書いている。さっさ
と止めればいいときに、長々下らぬことを書く。やっぱりおかしい。馬鹿げている。

  それで、傘が見つかったということから、ぐたぐた長くなったが、やっぱり傘が見つかって
も頭は重いし、それゆえ、またぐたぐたと書いたりする。肝心なことを忘れているようだ。明日は

  年賀状の発売日だ。





  朝の光景。ダイナミックな変化、というと、写真ではへこんでしまうときが
  ある。空の様子や、また青空の輝きなどは、実際の空が一番。




  その二。




  その三。




  その四。光がつぶれてしまって、となると、これはホワイトホール。




  橙色の、夕日がもしかして、雲に白い雲にすでに隠れている。
  オレンジ色かも知れない。




  その二。




  その三。




  かなり透明な、夕方の空。西の方角。