光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

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雪が降るかも知れない

2008-03-31 18:53:35 | 散策
  犬に、吠えられた。そこには、ワンちゃんはいなかったはずだが。
  一人目のワンをいつものように見かける、眠っている。今日は少し寒い。偶然日が出ているが、寒くないか。少し、心配。チラッとこちらを見た。二人目のワンは、上半身は起き上がっていて、こちらを見ているのかどうかわからない。いずれにしろ、元気でいるようでそれに越したことはない。そこで、
  しばらくして突如、吠えられたのであって、やっぱりびくっと来た。静かなところだし、ワンちゃんもいるはずもない。その方を見る。こわそうというと、気の毒か。最近の犬は吠えない。このワンちゃんの吠え方は、かなり勢いがあって、響くものがある。きっと、これからしばらくは、この声に驚く人がいるだろう。もともとは、犬は吠えるものである。それを今忘れている。

  雪が降りそう、そんなばかな、この二つの予想が揺れている。もう雪が降っているところの方は、何を今頃と、思われるだろう。それより、その積雪の量に驚いておられるかも知れない。この辺りでも、山に近いところでは、雨が霙になり、さらに山に行くと、これ雪が降っている。この想像に難くはない。
  ラジオの音を再生してみる。どこどこの何町では、また雪の朝を迎えた。どこどこの道が雪で、それでそこを通るのに難儀している。JFNの女性キャスタさんが、メールを読む。この雪情報に違和感がないのは、そのキャスタさんが、雪の降るところにおられたからであって、そうでないと、そうするする、今ごろ東北で雪といわれて、気を付けてくださいね、など言えないものである。
  お昼のニュースで、まずは今頃この辺りの平地で雪は降らないが、その雪が舞うような感じを受けたのは、その予報をうろ覚えしているからか。それにしても、今頃雪かい、いやになってくる。

  雪より嫌なものが色々待ちかまえている。スーパにいって、最初にお店の人から出た言葉は、「これ明日から値上げ」。ピリッと来る。そうですか、少し肩を落とす感じである。まー、どうしようもないですね、そうゆう言葉しか出て来ない。それでも、やっぱり食べないといけないから、お金がかかっても、パンとか牛乳は買う。この辺り、かなり「鄙」であるから、お店もどんどんなくなる。店じまいをするところは、もうとっくにそれをしてしまって、しかしここのお店は、やってくれている。まことに、感謝をしないといけない。ありがたいのである。
  これを契機に、食べるものを減らすか、というより、この先の見通しの悪さに辟易して、もう食欲もさほどわかない気もする。これでも、国内で何か揉め事がある国と比べると、ましかも知れない。何だか知らないが、あちこちで、問題が起きているようで、これを聴いていると、あるいはTVで見ていると、この世も21世紀も決して安住の地ではなく、揉め事だらけの世界であるかのようである。しかし、
  それだから、列島の国が、安住の地かというと、そうでもなさそうで、この狭い島国でも、様々な問題が噴出し始めている。もともと、あったと言う見方も出来る。今頃、世界のあちこちで揉め事が起きているというのも、今だからあるわけではなく、昔からあって、それが顕著になってきただけと言う見方が、妥当だろう。報道は、それを表に今出している。

  食べ物の恨みは大きい。寒いと言う話しから、大きく飛躍してしまった。




  雨に打たれて、水滴を溜めるツバキの葉。このツバキ、ここのツバキで、余りによその方のものばかり出してきて、これはいけない。




  日当たりもよくなく、それでもここまで蕾を大きくしてきた。少し震えているのは、こちらの手の振動かな。

  切花というものがある。この最後はどうか。




  花の最後は、それでも美しい。この花、どこにあるかというと、ここなのである。
  この下は、草も生えていない、地面である。今年は、草も生えないのであって、その理由は何度も書いた。花の最後は、やはり自然に分解されてゆく、この地面の上が一番いいと思う。  
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あー、名前書き

2008-03-31 07:23:13 | 散策
  朝のお天気、小雨。冷たい雨。シトシトジトジト、雨が降る。梅雨のよう、寒いところは違うが。室温10℃、これでは、桜は咲かない。

  名前書き。何だか、懐かしいような、悲しいような。名前を書かないといけなくなる。歳を重ねるとこれをやらんといかん、そのようなことは想像もしなかった。
  名前書きというと、ここは、新入生のお母さんや、お父さんは、一所懸命にならざるを得ない。もう入学式も近い。その準備が大変で、目が回る。嬉しいようで、自分も磨かないと、と言うことで、なにか新しいものを買ってみたりする。これが楽しいうちはいい。あまりこれにかかわっていると、少ししんどくもなる。いつもの自分のスタイルを変えないことが大切だと思う。
  お姉さん、お兄さんもちょっと忙しい。これまで、幼稚園にいっていた、弟と妹のお世話をしないといけない。自分のときは全部お母さんがやってくれた。でも、今度は、自分がかわいい妹や弟のために、少しハッスルする。このいじらしさ。
  お姉さんは考える。まずは、名前書きをやる。お母さんは、パートの仕事もあって、忙しい。それに日々の洗濯もあれば、掃除もあって、さらにご飯の準備もある。したがって、弟の入学の準備は、全部姉であるワタクシの仕事。ここは、いいところを見せる。無邪気な弟が、はたして競争社会の学校で、うまくやっていけるか、思案もする。トイレの場所とか、それから安全な道とか、そうゆうものも教えないといけない。なかなか大変で、さらに、お姉さんはもう4年生で、そろそろお化粧のこと、それから衣服のこと、つまり自分のことにも気を使わないといけない。そうしないと、少し気になっている、B君が、振り向いてもくれなくなってしまうのではないか、心配なのである。こうして、名前書きから、色々な、社会の現象が想像される。
  
  高齢になる。歳をとる。するとやはり名前を書かないといけない。男であると、まずはパンツ。自分のとオヤジのと。これに区別が、自分以外付かなくなる。これは困ったことだ。シャツは、ガラモノ、色のものTシャツで何とか区別が付くが、パンツは似たり寄ったりだ。名前の頭文字を書く。マジックで、パンツに。こうなるとは、夢思わなかった。やがて、年月が流れた。
  なぜか、パンツに名前を書く必要はなくなった。何故かなら、オヤジさん、父のパンツは、布製の、洗えるものは、必要なくなった。父のものは、それは、吸湿性のある、吸水性のある、紙製に変わった。その後も人は変化するので、もはや何が起ころうが、そう簡単にはおどろかなくなるのに、時間はかからない。
  ただ、ズボンやらには、名前が、それとタオル、必要である。これは、ちょっとゆるいズボンであって、これがどこかへ消えてしまう。いいズボンであったが、ジャージの、それがどこかへいった。たぶん、父の行っている、介護施設へ、私のを持っていって、それが、そこでどこかへ行った、そうゆう可能性が一番高い。ここまで来ると、およそ衣服にすべて本人の名前を書いておかないと、介護の方も大変である。ただ、その作業は、毛糸のもの、色濃いものは、むつかしい。

  「後期高齢者医療制度」というのが、始まるそうだ。あすの4月1日から。ちょっと笑ってしまう。
  この保険証というのが、先日送られてきた。これが、4月から必要になるから、大切に取っておかないとだめだよ、と何度もある「血のつながりのある女性」に、高齢である、言う。どうも、そのことがわからないらしく、それを開いたようではあるが、中は見ていない。間接的に影響しそうなので、しょうがなく、新聞、チラシ、それから普段は読まない、役所の広報など読む。これは一体何のことなのか、さっぱりわからない。わかるのは、個人個人がお金を払うことで、それゆえこれまでの健康保険料より、高くなることである。これについても、何度もある女性に口酸っぱくいっているが、ポカーンとしている。それより、自分の趣味のことで頭が一杯のようだ。
  いよいよ明日から、その後期高齢者医療制度と言うのが始まるようであるが、どうも、このことに関して、これに該当する本人、何にも知らないし、興味もないし、何度話しをしても、老婆心からである、伝わらないのである。
  一体、お役人は何を考えているのだろう。これも、わからない。
  
  明日は4月1日、それだけは、私もわかっている。
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ハクモクレンは、開かない

2008-03-30 19:01:01 | 散策
  お昼も3時を過ぎたころから、再び雨になっている。朝は、太陽が顔を出した。それから、ほどほどのお天気であったが、いつの間にかシトシト雨になっていて、これは花冷えか、花梅雨かも知れない。花の時期であるが、梅雨のような感じの雨になっている。気温も、体感であるけれど、さほど上がっていない。肌寒いという言葉が、ぴったり。

  小さな蜘蛛の、その蜘蛛の巣に何かが引っかかっていて、よく見ると、それは蚊のようであった。小さいもの同士であるが、大人の蚊が、子供の蜘蛛の巣に引っかかっていて、もう動くこともない。その大きさを推し量る。3mmくらいであって、これは、小さな蜘蛛にとっては、かなり大きな獲物である。その小さな蜘蛛の姿は、寒いからか見えない。

  CCDかあるいは、撮像素子か、そのカメラの肝心なところにゴミがくっ付いていて、これは残念ながら、避けられないようで、それも素人が掃除をすると返って汚れることがわかっていたので、迷うことなくメーカに掃除を依頼した。一応、保証の期限内である。依頼して、それを送って到着までにかなり時間がかかるが、これもしょうがない。その後、予想より早く、カメラは戻ってきた。
  CCDの掃除とそれと、ファインダもかなり汚れが目立つので、その掃除も依頼した。で、戻って来たものを、のぞいてみる。ファインダのゴミというか、これはもう中に入っていったものは、どうしようもないのだろう。変化はなかった。肝心な、撮像素子に付いたゴミはというと、これを適当なお天気のときに、ほどほどの明るさの白い雲が出ているときに、f値を可能な限り変えて、それから、レンズの焦点距離も変えて、撮ってみたが、思いのほかきれいになっていて、これは掃除を依頼して、長い時間待った甲斐があったと思った。
  空には、よく見るとトンビが1羽飛んでいて、それが黒くは写ったが、それ以外には、黒いものはなく、また撮影したファイルにも、f18くらいまでは、ほぼ、その、小さなトンビの映像はあるものの、それ以外に明確な汚れはなかったようである。入念に掃除お願いしますと書いたのがよかったのかも知れない。私は、概ねそのものを最後まで、最後までというのは妙な表現であるが、もう十分使わせてもらったと思うまで使う気でいるので、この後もこの撮像素子の汚れの問題は付きまとうわけであるが、はてさて、この清掃に、送料以外に費用がかかることになったときに、どうするか。まだそんなこと悩むのは早い、そうかも知れない。
  このCCDの掃除を済ませて撮ったカメラの、ここに載せた最初のファイルが、今朝の太陽とそのまわりの様子である。


  雨が降るようなお天気が続くと、もう咲くか、今日は咲くかという、ハクモクレンの花が、ちょっとだけ白いものを見せてくれるが、やはり開かない。開いているのを見ることがまだない。ハクモクレンが一番早く咲いて、これに似ている、コブシの花も少ないがあるようで、この花もまだ咲かない。コブシにも風変わりなものがある。ハクモクレンというと、「モクレン」があるが、もともとは確か、紫色をしたものがモクレンで、シモクレンとも呼ばれていたと思う。紫の花のモクレンは少なめで、これが開いて「紫」の色がはなはだしく見えたときに、あー、モクレンの花があそこにあるとわかる感じである。




  一昨日の晴れた日の、ハクモクレン。蕾を覆っていたものも緑の色をして、いかにも植物という感じがするし、もう今にも花が咲きそう。




  拡大してみた。ハクモクレンには、晴れの強い太陽の光がよく似合う。これは、もう咲く、と思うのが普通だが、




  これは今日のもので、木は違うがやはり少し寒そうで咲いていない。上の写真のハクモクレンも、やはり咲いていない。

  なかなか咲かないハクモクレンであるが、そのうち咲くのは間違いない。ここは気長に待つしかない。  
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今朝の日の出と、幻日と

2008-03-30 09:40:00 | 星空・天体・宇宙
  2008年3月30日、今日の朝の、日の出の様子です。

  太陽が出て来るときに、ダンゴのようになっていました。
  二つになり、三つになりです。

  それから、「幻日」と呼ばれるものも見えていましたが、
  正確にこれが、幻日かどうか、これはわかりません。




  すでに、太陽は、稜線から出ているようですが、おぼろに雲がかかって
  はっきりはわかりません。




  稜線からは、出切ったようです。ダンゴか、ヒョウタンか。
  なかなか、面白いものです。



  若干無理があるようですが、ダンゴは三つ。
  真ん中が、本物の太陽のようで、上下は、これはお供のもの。

  それから、幻日。きれいに、環っかになると、ハロ(暈)。




  太陽とほぼ同じ高度に、左右に虹のように、きれいに分光された
  七色の可視光があります。これが、幻日だと思うのですが。
  上の方に伸びて、環になっているような気もします。
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今朝の朝日

2008-03-30 07:14:59 | 散策
  朝のお天気、晴れ。おぼろ雲が出ている。風は弱く穏やか。室温9.5℃。

  久しぶりに、朝日が出てくるところを眺める。すでにかなり明るいが、山の辺りを見ていると、するすると黄色い点が出て、それがヒョウタンのように、くねくねしながら少し伸びて、それから、すっぽりと山の稜線から太陽は離れた。先ほどから、左右に、ハロか、あるいは幻日と呼ばれているものが見えている。これも、このお天気であると、さほど珍しいものではないのかも知れない。

  パンの焼け具合を見ていると、一瞬ではあるが、モズが、窓の向こうに降りて、それからまたすぐにどこかへ飛んでいった。やっぱり人の目にすぐに気付くようだ。ここに来る、モズの、羽の色が今ひとつ足りない気がする。雌雄の問題もあるのだろうか。それよりも、毛の状態も栄養を反映していて、動物性のタンパクが足りないのかなど思う。
  冬場は、雪に覆われる。また、まわりの田んぼにはまだまだモズの餌になるような小動物は現われていない。殺虫剤などもかなり頻繁に撒かれるようであるから、虫の数も少ない。それから、トカゲやら、ヤモリやらモズの好きそうな、動物も見かけることは少ない。幸い、小さな森のようなところは、点在するので、そこで餌を食べているのだろうが、モズが生きてく環境というものも、だんだんなくなる一方のように思える。
  去年は、子供のモズが、同じTVアンテナに、成鳥のモズと止まっていた。5羽もいた。なかなかの眺め。今年はどうなるか。

  太陽は一気に高いところへ移動していった。
  幻日が、また少し濃くなっている。まあるく全部つながるようで、つながらない。今日はこれからは曇りのようだが、なにかいいことがありそうである。ウグイスも鳴いている。
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シトシト雨のあとの散歩道

2008-03-29 18:56:32 | 散策
  この2、3日、夜に雨が降り出して、お昼ころから、その雨も上がるという、いいような悪いような、そうゆうお天気が続いている。桜が、満開である。それで、早くもお花見。早くもではなく、ちょうどいいお花見になったようで、ここには人はたくさんおられたが、まだ、お昼の清楚感があったようだ。この時間から宴会を始めるのは、もしかしたら正しい、あるいは妥当な判断かも知れない。夕刻となると、少し冷えるし、あたりも暗くなる。
  暗くなった、そうゆう時刻の花見しか、花見の宴の話しだと、そうゆうものしか知らないが、夕刻から、それから夜になると、すでにかなり皆さん、盛り上がっていて、ここに始めて参加する人は、ちょっと驚くはずで、さんざん学生のときにも飲んでいた、という方も、会社社会のあり方に、戸惑う。お山の花見のことも、思い出としては面白いし、また、花見だなという気もするが、その実態はなかなかシビアで、もうそれに付いて書くこともなさそうである。

  この辺りの花、桜はどうか、先に書いておくと、これはファイルを見てという、寂しいものであるけれど、少し、赤いものが写っていて、これはたぶん桜の花の蕾だと確信した。したがって、雨も降り、それで気温が上がると、1週間はしないうちに、この辺りの桜も咲く気がして来た。
  もう少し前に戻ると、雨がときどき降っていた。そのときの、モズ(百舌鳥)はやはり、ぬれていて、その木の枝もしずくを蓄えていた。しばらくしてから、モズは、また同じ木の同じ位置あたりに止まった。モズの羽は乾いているようで、木の枝ももう雨にぬれてはいなかった。窓から見ていると、何度か同じ位置に、モズは止まり、ほんのわずかで、またどこかに飛んでいった。

  雨が止んでいるようで、これは気が楽である。遅れたスタートとなったが、いつもの道を歩く。歩く目的もあるが、今どきの風景もおさめておきたい。これには、雨があってもいい。何ともいい条件になった。寒いか、というと、これは冬の格好をすれば、ゆっくり歩いていても、寒さはもうひどくはない。
  キカラスウリという植物も、その名前はもうその実の状態を表わしていない。梅の木の枝に、その植物は纏い付き、クルクル巻き付き、今もその実はぶらさがっている。その梅の木の花が散り始めているが、ある時期からいくぶんそのぶら下がっている実の数は減った。だが、まだまだ、茶色の、茶色の色も変色して、灰色になっているものもあるが、その実はまだぶら下がっている。こんなに、長くキカラスウリは、ぶら下がっているものなのか、私は知らない。去年は、2月の終わりか、3月の初めに、観察していた、特定のものは落ちて、残っているものも、3月中には無くなったような気がするが、ここははっきりしない。ただ、3月もおしまいの今も、今年はキカラスウリはぶら下がっていて、観察しているものとしては、記録を更新している。もう、その実から出たような感じに見える梅の花も散ったというのに。

  シトシト降った雨は、いくらかは花に葉っぱに残っていて、これがときに有効に作用するときもあるようだ。花によっては、機械のほうがだまされるときがある。それで妙なものが出来上がる。むつかしいものである。きょうは、どちらかというと、その雨の水滴は、お化粧として、有効に作用したように思える。水分そのものがうまくはじけて、水滴として存在するのがよさそうである。

  ここのツバキは、なかなか美しい。花は押しなべて美しいものだけど、なかなかという形容を付けるなら、ここのツバキかも知れない。そのツバキのそばに寄って見ると、どうにか手の届きそうなところにその花はあった。




  何とも、うまく咲いている。特に、なにか書かないといけない、と言うこともない。少し、右側を向いていたので、そこのところだけ、ちょっと手探りであった。




  借景であって、道のほうから見るとこうゆう角度になっている。蕾も見えていて、この花がたくさん開くと、豪華絢爛な感じもする。

  花に加えて、きのうの夕刻の空気も澄んでいて、これを撮っていた。




  雲の形も、春と冬が同居している感じである。透明感があって、それだけからいうと、これは、真冬の空気の感じがする。そういえば、きのうから今日にかけて、花粉症の症状は、ほどほどであって、クシャミも鼻水も特にない。  
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モズ(百舌鳥)

2008-03-29 16:39:25 | 散策
  鳥の、モズ(百舌鳥)です。
  昔、「百舌鳥」と付くところに住んでいたので、この名前は
  なかなか忘れることも出来ないものです。

  よく見かけるのですが、しかしすぐに移動します。
  一度だけ、2羽一緒にいるのを見ました。春ですね。




  雨で、少ししょんぼり。ガラス越しに撮っています。窓を開けると、
  1、2秒ですっと遠くにいってしまいます。




  何か、怪しいものを察知したのか。このあと、後ろを見て
  すぐに音もたてず、移動していきました。  
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捨てなきゃよかったもの

2008-03-29 07:13:58 | 散策
  朝のお天気、小雨。ときに、雨の音がする。南西の風、これは、煙突の煙の動きから。地表の様子は、やけに静か。室温10℃。

  空気が雨で洗われたのか、夜の鼻ムズ、目ショボ、痒みは少なかった。ぐっすり眠っているようで、夢も見ているようで、目覚めはよくない。しばらく、じっとしている。10℃か、これは少し寒い。そういえば、最近灯油をヒータに入れていない。使っていないことはなく、やはり充填しないと。

  回りは、ゴミみたいなものしかないが、今までに、捨てなきゃよかったと思うものもあって、それらは本であったり、ものであったり、人間関係であったりで、しかしこうゆうものは、もうもどって来ないものだから、どうしようもないが。
  捨てなきゃよかったというのに、やっぱり本がある。本は、今も捨てたほうがよいものはかなりある、雑誌のものが多い。これはもう要らないものだが、重くて、運ぶのも難儀する。本箱というか、本を置く場所があればそこにしまう。そうゆうものはしかし自由に増やせるものでもない。
  買ったはいいが、こんなものはもう読めない、そう思って捨てた、こうゆう本の中に、捨てなきゃよかったというものがある。今思い出しても、捨てたのが残念で、それは時間とともに、人も変わるもので、こうゆうものはもう読まないという本を、読みたくなるときがある。まったく持って、世の中はうまく出来ている。

  これとちょっと違うが、これをどうしたらいいという問題がある。写真ファイルで、これがたまりに溜まった。もともと、ファイルでは意味がない。やっぱり、写真にしないといけない。しかし、まず見るのは、モニタであって、それもじっくり眺めて、という、昔のスタイルは通用しない。なんでもワシャワシャ撮れるから、撮れるだけ撮るが、その後の対応が大変で、一回モニタで見ることがあればいいほうで、コピして終わったというものも多い。これだけ増えると、もう写真ファイルもないに等しく、またこれから何かを選んで、写真にするという作業も面倒にもなってくる。
  新しいディスクを購入して、また溜め込むことの出来る態勢になっているが、それにしても、テラ(T)という接頭語の付く世界に近付こうとしている。これは困ったものだ。こうゆうものこそ、ばっさりと捨てる必要性があるように思える。それでしばらくして、あーあのファイル取っておけば良かったという思いに浸ることがあるのだろうか。

  ここの書き込みも、去年の夏ごろまでは、もう残すようなものでもないものは、定期的に削除していたが、その作業をやるのが、やけに面倒に思えてそれからばったり止めた。それゆえか、やけに数だけ増えて、もうどこに何を書いて、ということもわからない。上手な人は、さらっと書いて、また写真などもそんな数うちゃ当たるみたいなことはやらない。すると、捨ててしまおうという問題も起こらない。

  捨てて、残念という考えから、なんだか話しがぼけた。捨てなきゃよかったというものはある。身の回りにあるものの大部分は、捨てたほうがいいように思える。簡潔に書くと、こうなるようである。
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冷たい雨と風変わりなスイセン

2008-03-28 18:55:56 | 散策
  じわじわ、今頃になって、冷え込んでくると、電気ヒータの設定を強にしないと、寒いというかスースーする。これが、今ごろとしては普通の温度であって、これは気象協会の方もそうラジオでおっしゃっていた、それほどガタガタするものでもないけれど、実際のところ、足は冷えるし、体も冷たくなってくる。

  春というと、靄とか、霧とか、霞など言うが、いっとき騒がれた黄砂も収まっているようで、空が黄色い感じはない。また、昔でいうところのスモッグみたいなものも、見ている感じではない。3月の初めから、半ばは、これが気になっていた。このごろは、それも気にならないようなお天気だった、というと、そうかも知れない。常に、上空の空気は汚れているというものでも、ないらしい。
  この、空の濁りというか、汚染というものも、気になる人はかなり神経質になるようで私もその一人といわれると、そうですねということになる。
  最初に、有人飛行をして、宇宙から地球を眺めた方がおられるわけだが、「地球は青かった」というようなことを言われたように記憶している。「カモメ」というような言葉も、あったようだが、最初に宇宙から地球を眺めた方だったか、その辺が記憶が曖昧。いずれにしろ、その当時の地球は、宇宙から眺めると、かなりきれいで、また雲は白く、全体は青かった。それからかなりの年月がたって今があるわけだが、地球の夜に当たる部分はもう黒くはなく、かなりキラキラしているらしい。それで、まーお昼の地球というものもあるのだけれど、実際のところ、今の地球はどの程度美しいのか、ちょっと聞いてみたい気もする。
  また、地球は丸くはなくて、あるところから先は崖のようになっていて、その先はなにもない、そうゆうような地球というものもあったようだけど、この地球がある程度の大きさを持っていて、空も海も陸地も永遠に果てしなく続いているのではなかった、ということが明らかになって、これに少し驚くというか、失望するというか、現実はかなり小さいものであることを知って、少し気が重くなったという人もおられたようだ。子供の時など地球が大きかろうが、有限の小さな世界であろうが、そんなことはどうでもよかったが、やはりある程度大きくなると、今自分はどうゆうところにいるのか、気になるもので、また、この地球もただのちっちゃい星であることを知ると、さすがに能天気にもなれないのは、事実であろう。

  先ほど、少し強い雨が降ったあとである、西の空がきれいであって、これは、春ではなく、冬の透明な空だと思った。どこまでも透明で、雲さえも透明というか汚れのないものに思えてくる。こうゆう景色を見て、心を洗うのもなかなかいいものであって、寒さももう終わりなはずであるけれども、それなりに、なにか救われる感じもする。

  今年、何度かもうスイセンの花も見て、また遅い感じもあるが、そろそろほぼそのスイセンも、あちこちで満開になる気もするが、ちょっと変わったというか、見かけないものを、見た。このようなものも、あるのかという感じである。




  よく見かける、少し大型のスイセンで、うまい具合に花もほぼ真横を向いてくれている。




  それから、しばらくして、このようなスイセンに出会うことになる。咲き初めであるけれど、やはり1枚目のものとは少し違う。八重咲きかな。




  逆光になっているが、それゆえこのスイセンの感じはよくなった気がする。この、八重咲きのスイセンというのも、なかなか見ることはない。見たことはない、というのが、正直なところ。




  手前少し横から、光の当たっているもの。空も、透き通っているし、この花の色も、ほどよく濃くて、どちらかというとあっさり目に写るレンズであるが、この色の濃さは、空気も澄んでいるからと思いたくもなる。
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ひっそりと咲く、紫の花

2008-03-28 15:19:06 | 植物・花(春)
  日当たりのいいところに、今はツバキや、アジサイや、それから、
  ボケの花があるところがあって、いつもだとこれらの花を見て、まだ
  ツバキもボケも咲かない、それで、そこを通り過ぎる。が、
  なぜか、ふと紫色の小さな点が見えたようで、そちらに行ってみると
  地面に這うように、小さい、紫の色をした花が咲いていて、
  少しびっくりする。気が付かないくらい、ひっそりと
  咲いているのである。人知れず咲く花ともいえそう。




  5枚の花弁がきれいに揃っている。それに中央の付け根の辺りにも、
  5角形というか、星印というか、そうゆう模様?も見えて、これは不思議。




  少し、引いてみたところ。中央の緑の葉っぱに合焦していて、花は少し
  ぼやけている。


  ここは、ハナニラの花も、群れて咲くところでもあって、
  しかしまだ、そのハナニラの芽が出ている様子はないようである。
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