光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

夏休みの絵日記

2008-06-11 19:01:50 | 散策
  暑い一日で、雨も降りそうで今にも雷もなる。しかし、その気配はあるが、雷の音はしないで、北風が強くなる。北風に当たる、北風が入るようにする、その空気の動きに心地よさを感じる。なんとなく、夏休みという言葉が思い浮かぶが、それも子供のときのもので、時代も違う。大体、塾通いなどなかった。

  セミは鳴いていたかも知れない。クマゼミの鳴き声が聞こえないか。子供はそんなことは考えないだろう。それでも、まわりの、少し歳の上の人に、これはクマゼミだと教えてもらう。それが自分でも取れるようになる。なったかどうか、そのときのことは覚えがない。虫籠にセミやら、バッタはいた。カブトムシもいたような気がする。クワガタはどうか、これはなかった。

  朝に、風もあまりにないときにアジサイの花を見て、ここにカマキリの一匹もいてもおかしくないが、それがいない。カマキリの卵というのも、こうゆうものは大人になって知るものだろうが、それも見たしここにもあった。その卵からウジャウジャ、カマキリの子供が出て来て大行進を始める、それは、ない。その卵から、カマキリが出て来た、としよう。それを気にしてはいたがなかなか最後まで見続ける、ことはむつかしく、途中で気にもしなくなる。気にしなくても、その辺りのアジサイに、それから植物の葉にカマキリはいたし、これ以外にマメコガネなどもいて、こうゆうものも大人になって知るものだ、とあらためて思う。

  絵日記というと楽しいかどうか、まったくこれも学校の宿題だからなー。こんなものをやるのが好きでという人にもあまりにお目にかかったことはない。絵日記であるから、まずは、絵があって、それから文字もある。さらに毎日書かないといけない。これが問題である。そんなこと子供だから出来るわけがない。絵日記が好きで、という人がいても不思議ではない。また、今でも絵日記をやっている、そうゆう方がおられるだろう。素晴らしいことである。子供のときはしかし、どうもこの絵日記というものも、さっさと仕上げてと、そうゆう感じでやったような、あるいはまとめて1週間書く。先に、あるいは後から、それをやった気がするが、それくらいでちょうどいいような気がするが、今時の学校の宿題に、絵日記があるかそこはわからない。

  几帳面でないといけない面もある。ある程度歳を重ねると忘却の原理が激しく働いて、その本の少し前のことを忘れている。さすがに、まだご飯を食べたかどうか、それは覚えているがさて何を食べたか、一日前の夕食はほとんどが忘れている。朝は、決まっているし、昼も。だから夕方しか、特に気にする記憶はないがそれを忘れる。自分の名前を忘れるかというと、これはまだない。でも住所はというと必ず紙に書いたものを、いざというときには用意する。そうゆうことをやっているだけ、まだましかも知れない。
  朝から晩までいろいろなことがあって、ほとんどは忘れてもいいことであるがやはり覚えておかないと、というものはある。これを紙に、あるいは手帳に、それから5年日記に書く。これで済む時代は終わった。手紙なども、もしかしたらその文面を残しておいたほうがいい、そうゆうものがあるかも知れない。何か重要な書類を書く、一生懸命になって書く。汗だくになって、さらに電子計算機を使って念には念を入れて、間違いがないか確かめる。それで、最後はその紙を封筒かに入れる。この瞬間もドキドキする。入れてから、あれが大丈夫だったか、そうゆうことを思い出す。これは、神経質といわれなくても、今の時代を生きていると、自分も信用できないなど思うこともあるから、これがおかしいとまではいえないだろう。

  最後に、こうゆうものをデジで撮れば、少なくとも2、3回はボタンを押して、それから、なんなら出来たファイルをPCへコピして、それがちゃんとしたファイルになっていることを確認して、書類を封筒に入れる、これくらいやっておいてちょうどいい。なんなら、プリンタで書面として打ち出しておく。これが安全かな。それをしまうのも、忘れてはいけないし、わかるようにしないといけない。
  信用が崩れてゆく時代に、やらなければいけないことは、あるいはこれをやっておけばまずは一安心というものは、絵日記以外にもあるようである。
  いつだったか、この書類のコピというのを、カメ→プリという方式でだがやった。それから、しばらくしてあることを思い出した。これがまた問題になるのか、ふと思い返すとその、カメ→コピ→プリ、保存ということをやっていないことに気が付いた。判明したのである。しかし、中身は空だが封筒が残っていてその裏にどうにか、やったことがわかる、そうゆうものが書かれていて、読み直してホッとした。これなども、カメ→プリをやっておくべきであった。

  夏休みの絵日記はまーほどほどですむようであるが、これからは記憶が飛んでゆく時代であって、なるべくいろいろな方法でやったことを残すようにしないと、と思うが、無論これもいつに記憶から飛んでゆくか、わからない。


  虫もいないな、と思いつつそれでも花を見たりする。そこにも何かがいる。しかし、こっちのほうが大物かも知れない。




  壁だかに、黒いものが止まっていて、しばらくして、これはホタルガに近い感じもして、多分蛾であろう、と思った。
  調べてみると、「マダラガ」科の「ブドウスカシクロバ」というものに似ているようである。大きさもほどほどであって、しかしこのようなものがいるのが少し不思議。
  ホタルガは、何度か見たが、去年も見たような気がする。しかし、回数は少ない。





  ヒメジョオンには、その白い花の上に、まだらの、甲虫か、あるいは、カメムシかも、というものがいる。しかし、わからない。




  よく動き回って、その顔を見るのもむつかしい。

ハナショウブの季節

2008-06-11 16:07:42 | 植物・花(夏)
  お昼のニュースで、ハナショウブの映像が画面に賑やかに流れた。
  
  たしか、このハナショウブは身近にもあったはず。
  道から少し離れて、それだからあまり目立たないが、
  その分新鮮というか、しっとりと咲いているようである。

  白色のものが出ていて、これがかなりいいようである。




  いうことなしですね。撮りかたには問題がありそうだが。




  目移りする。これも、よさそう。あれも、よさそう。




  仲良く、並んで。



  
  蕾もまだ多く、これからも、まだまだ咲きそうで、
  しかし今日の花は、今が一番美しいように思える。

散り行く花

2008-06-11 07:04:03 | 散策
  朝のお天気、曇り。西の空はかなり靄がかかってる。もうすぐに雨かという感じ。風は、まだない。穏やか。アメダスの6時の気温18.9℃。気圧は、1008.3hPa。室温22℃。

  眠っては夢をみて起きて、ということを繰り返す。鳥の鳴き声が、子守唄にはならず、しゃくである。起きても、いつもの寝ぼけまなこ。
  雨ではない、でも、地面は濡れている。そう思ったが、それほどでもない。ガクアジサイの、「ヤマ」かも、花が、中央の小さな花が咲き始める。もう少し雨が降ればと思うが、地面の下には十分な水分がもしかしたらあるのかも。この辺りは、むつかしいところ。葉っぱはぴんぴんしている、日が当たる時間も限られる。よって、ダメージというのは少ない。アジサイは、花はやはり日照りが続くとだめで、しかし葉っぱは元気な感じが普通。しかし、やはり雨の植物であると思う。

  次は、ツユクサ、しかし花はまだ。名のとおりのようだ。
  ヒメジョオンが、極近くに1本あって、花が5、6個咲いてこれをじろじろ見てみる。花は、ハルジオンと大して変わらない。でも、全体の感じは違う。蕾が垂れる垂れないの違いもあるが、やはり咲く時期、花全体の様子が違う。でも、来年になるとまた、間違ったりするだろう。ヒメジョオンはそんなにたくさんはまだ出て来ない。ハルジオンのほうが圧倒的に多いが、この花はもうおしまいである。他の空き地とかでは、ヒメジョオンは、ハルジオンと同じようにかなり密に咲いているが、やはりヒメジオンより少ない、そうゆう気もする。
  小さな、甲虫がいる。大きさは、5mmはない。この虫はありとあらゆるところにいるような、そうゆう幻想を与える。先ほど見たヒメジョオンの花にもいた。

  それから、ヒゲナデだが、この花も茎の下側が、ちょうど土から出始める辺りが大いに変色し始めている。その横から、いくつかの茎が出て来ていて、このままほっといていいのかよくわからない。もうだめというものある。花も完全に終わって後はどうなるか、ここのところをしっかりと見ておきたい。
  まだ小さいヒゲナデの実生を見る。葉っぱが白くなっている、これは、なんだかまだはっきりしないが、結構よくある現象。それが少し大きくなったもので、また出始めた。なんだが葉の表面をかじられているようで、微生物にやられている感じもする。まさか、あの小さな甲虫がかじっているわけでもないだろう。

  花一つの話しだが、なんだかややこしくて、難儀なことも多いようだ。それにやけに細かいレベルでの話しだ。眼鏡を取って花を見て、その見ている先は、指先くらいの広さ。ちょっとこの目には疲れる。でも、まだよくわからない小さな文字を見るよりはましか。