光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ヒメジョオンの咲き誇り

2008-06-27 18:49:49 | 散策
  今日は付いてなかった。
  お寺での珍事はもう書いた。なんで、あんな妙な人にあったのか。大体その人が、誰であるか、わかったものでもない。
  お金のことにはかなり気を付けている。何かを支払う。そのものは別に別個にして、そのお釣りも計算しておく。そうゆう風にして少しでも間違いを減らすようにしないといけない。あー、何で計算が合わないのだろう。あとで、悩みたくない。もっともこうゆうことをやるのは限られてはいるが。その計算を間違っていて、まったく、それで相手の方にご迷惑をかけることになった。やんわりと、うん千円ですよね、と「さとされる」ように言われて、目の前に置いてある自分のメモを見返した。あれまー、やっぱ計算機でやらんとアカンか。

  そのことは、問題にはならなかったが、はてさて買い物を済ませてさっきまでぶら下げていた傘が、ないことに気が付いた。複数のことをやると必ず何かを忘れたり間違えたりする。あれ、買い物をしていて傘をどこかに立てて、そのままか。しかし探してもわからなく、ようやくその前にいった、酒屋さん!、あそこにその傘を忘れた可能性がある、そうゆうことに気が付いた。お金の計算になると、注意がゆくがそれ以外のことはころっと忘れる。まったくよく出来ている。やっぱり傘は、そこに立ててあって、お店の人に一言いって、ようやく一安心。これも、原因は、と考えたくなるが、傘はやっぱり忘れる。忘れ傘。

  ハルジオンはもう見かけない。それはさっさと刈られて、なくなったわけではなく、もうこの花は終わりである。それで、変わりでもないと思うが、ヒメジョオンが咲いている。これが咲いている場所はやはり空き地が多く、庭に咲かせる方は少なそうだ。空き地のヒメジョオンも、刈られるものは刈られて、残り少ない。それでも、ある場所では、この花が繁茂している。こうゆうところが残っている。
  ここのヒメジョオンは、それほど数は多くなく、ハルジオンの枯れたものが、まだ残っている。それゆえ、そんなに出て来ないのかも知れない。このヒメジョオンが、今頃ちょうど見ごろになっている感じがする。少し雨も足らない。また、日照も足らないと思う。梅雨空であるから当たり前かも知れないが、それより気温がさほど上がった日が少ないような気もして。これも曖昧だが、今も、ヒメジョオンは咲いていて、これがちょうど逆三角形の形に花が広がり咲いていて、見ていて不思議である。花の一番上が一直線にそろっているところがいいみたいである。 

  相変わらず、テントウムシはいる。ナナホシテントウだが、ナミテントウ、黒い斑点が二つのもの、も見かけた。アリマキのいるその植物の周りを少し探ると、何とサナギに近いものが一つあった。テントウのサナギは去年も見ていてこれも妙なものだが、幼虫よりは見よいもののようだ。その他にも、幼虫をいくつか見ることも出来る。去年はもう少し広い、田んぼのようなところで、あちこちに幼虫やらサナギを見かけた。それが、ちょうど真夏であって、あとから暑さで体がおかしくなったことを思い出した。今年は、まださほど暑くなく、テントウのいくつかを見ることが出来るが、さすがにもう飽きてきた、といえないこともない。
  それでも、やっぱりテントウムシはほどほどにかわいく、また蚊のように吸血しない。この虫はいないよりいた方がやはりいい。




  ここに咲いている、ガク(ヤマ)アジサイも、見ごろは過ぎたようで、少しあっさりし過ぎている。もう少し粘ってくれると思っていた。この後の変化はかなり長いが地味。




  これも、ここのアジサイ。色の淡さがいい、そうゆうことにしておく。いったいいつからここに咲いているのか。




  エビの尻尾に似ているこの花が膨らんで来た。これもあちこちにある。
 
  蜘蛛も相変わらず多いので、




  何に見えるかなー。

夕空、夏至も過ぎた。

2008-06-27 16:17:10 | 散策
  近くにお寺がある。たびたび、そこに行っている。
  花の写真なども撮っている。もう、3年はそうゆうことをやっている。
  そこで、しばらく花を見て、さて出口に向かおうとするとき、

  知らない、ご高齢の人に呼び止められた。と言うよりは、
  叱責されているようである。
  「ここで、何をしている云々」、それ以上は書くこともないが、
  後から考えるが、よほど腹の虫のいどころが悪かったのかな。

  お寺には入り口がある。大体その入り口は開いている。これまでもたびたび
  ここ以外のたくさんお寺に、入り口から入り、お金が必要なら支払い、
  それで、何事もなく帰って来た。どうも、
  お寺に入っていて、怒られたという経験はなかったと思うが、
  それにしても、びっくり。

  大空、夕日。夏至も過ぎた。太陽はこれから高度を下げてゆく。




  6月25日の夕刻。  
  迫力のある、そうゆう夕空があって、雲の流れが光で輝いている。




  ポッカリ、穴のようなものが開いて、その向こうは青空と、白い雲がある。
  こちらは、爽やかで、透明。

  鬱々とした日々が続くが、これを見て少し元気になれそう。  

ヒゲナデシコのタネ

2008-06-27 07:05:36 | 散策
  朝のお天気、曇り。風はほとんどない。どんより、梅雨空である。アメダスの6時の気温、19.3℃。気象庁のアメダスのページが出ないので、気圧は不明。室温、21℃。今出ました、気圧は、1011.3hPa。

  売店には、色々な文房具が売られている。きのう行っていた病院。文房具は、もうこんなもの要らない、と思う時期からこれが目に付くようになった。ただし、なかなかこれを買う、特定のこれ、というところまではいかない。
  時間が流れるように、文房具を右から左へと、少し古いかな、眺めた。ほどほどのものが置かれていて、これなら右から左へ、一点ずつ買うことが出来そうで、しかしやはりその行為は止めた。それで、何にも買わないでそこを立ち去ろうと思ったが、ボールペンと、カラーファイル(クリアーファイルとかも言われるようだ)を求めた。ボールペンは一気に増えたことになる。カラーファイルは、こんなもの使うときがあるか、少し疑問だ。いざというときに、これは必要だろう、そうゆうものをもっとしっかりと眺めておくべきであった。しかし、あるものの常に正反対に位置するものをしっかりと見るというのも、バランスを取るためには必要だ、など勝手なこと思う。

  ヒゲナデシコの花はもう終わりで、タネらしきものも見える。それで、花のところを切り取った。最初のものは、新聞紙の上で乾かしてあるが、まだゆすったりはしていない。二度目、きのうは、新聞紙を地面の下において、一気に3つも、花のかたまりを切り取った。どう切るのがいいかわからないが、花の下には葉っぱはない、という状態にした。この花を新聞紙に包んで、まずは上に持ち上げ、下に付いたと思う泥を落とすため、パチパチ、あるいはパタパタ、新聞紙をたたいてみたら、泥はどうなったか知らないが、そのあとその新聞紙を開いてみると、もうタネはその折目のところに、2、30個、こんなになかったか、溜まっていて、それはやはりゴマの大きさで、しかし厚みはなく、ぺらぺらのタネで色は真っ黒だった。

  なかなかうまくいった。ちょっとニコニコする。花を育てているかたは、やっぱりタネを取ることをやるのだろう。ヒマワリなどは、出来そうな気がする。そのほかタネから育てることの出来る植物は多い。さらにこうゆうものはどっかから飛んで来てもいいと思う。例えば、コスモス。それから、セキチクなども、飛んで来てもいいはず。しかし、そうゆうものはここには咲いていないし、これまでも咲かなかった。植えて、しばらく咲いたが、それはなくなった、というものはあるが。
 
  この、ヒゲナデのタネ、はたして芽が出るか、これは濡れたティッシュペーパに播けば、すぐに確認出来るはず。しかし、地面というと播くところがない。残っている、大きいのはもうダメだが、横から出て来たヒゲナデがある。これを大きくすることが出来るかこっちに関心はうつる。