空を見上げると、曇り空で雨は降っていない。気温はかなり高く、Tシャツ一枚でも大丈夫な暖かさ、いや暑さがある。ちょっと前は、気温は22、23℃くらいで、涼しく考えてみると快適だったが、しかしもう一枚着ないとという、不安定なものもあった。快晴の空もあったし、風もそんなに吹かないのに、このお天気の変わりように、びっくりして、それをここに出したりもした。
少し前、午後4時ころに、梅雨入りの日の朝の様子を見ているが、白い雲が太陽で黄金色に輝いて、は言い過ぎ、大仰だが、それに近い感じもある空を見て、今日も梅雨入りはないと思った。しかし、先はまだあって、今日も朝は晴れていて、気温も上がってこれはもう書いたが、暑さはともかくとして、雨を想像するのはむつかしい。しかし、それが普通で、多分雨は降る、裏の裏の裏を読んだりもしたが、ただ、ひっくり返しただけだが、それでもやっぱり雨にはならない。こうゆうことは、
この辺りでは、大した問題ではない。こうゆういい方が正しいかどうかわからないが、雨が降っていないということに対して特に問題はないと思う。出来れば、もう少し雨が欲しいと思う。少しずつでも、ゆっくりと長く降って欲しい。大雨となると、これは困る。極、日常の揺れの範囲での話しをしていると思う。
大きな地震が起こって、これからの雨によっては土砂災害になる。二次災害が発生する。これから大雨の予想が出ていて、そうゆうところにおられる方は、さぞ心配していることであろう。雨の話しは、この先に続かない。
最近歩いていない。「いざ」でもないが、普段と違ったモードなっているから、リズムというか、生活のパターンが微妙に大胆に狂う。そうゆう世界が入り込んできた。なんだか、安穏と高々30分くらいの散歩に行くコースを短縮して、一番短いコースを歩いている。もうかなり昔に、少しだけ悟ったような気がして、多少のことではどうのこうのはしない、という考えに達したようだが、これがそうではなく、ガタガタくずれてゆく。歩く気になれないというより、安全策をとる。
これも、しかし考えたら当然で、それが遅すぎたかも知れない。しかし現実に、そうゆうときが来て、それなりにやっている気であるが、この感覚は、訓練なりシミュレーションとは、また違う。違うというより、度を少し越したことが起こる。そちらの世界では、それが当たり前というものが入り込んできた。
だから微妙にその微変動に対処する。一回の失敗は許されるが、二回目はそうはいかない。で、そのことも考えた上で、これで大丈夫と思うわけだが、そこにやはり抜かりがあった。「そこの場」と、「うち」とは違う。そこで、いいですよは、実際は違うというわけ。たしかに、これだけあれば大丈夫だ、必要なものはある。それが、必要以上になる。そこまでは、その場では考えてはいないのだ。その何倍ものリスクをこっちで考えないといけない。これでいいですよ、と言われてもそれでは「だめ」で、・・・。
アジサイの花が咲いていて、これもいろいろである。この場合は変化があっても、特にダメージはない。この変化が楽しいのである。
ガクアジサイのようで、それはいいのだけど、装飾花と呼ばれる、そのものの中心にある、その花が、わかりにくいが咲いている。これはこれでいいのかな。
普通のアジサイだと思う、その花の色があるところは赤く、あるところは青みが入ってようで、これがとなり合わせというのは面白い。
これは、アジサイ、より木漏れ日、水玉が出来ているのがいい。怒られそうだな。
蜘蛛である。
人にも、動物にも似ていそうな、蜘蛛のお腹の反対側。いつ見てもこれには少し笑ってしまう。
少し前、午後4時ころに、梅雨入りの日の朝の様子を見ているが、白い雲が太陽で黄金色に輝いて、は言い過ぎ、大仰だが、それに近い感じもある空を見て、今日も梅雨入りはないと思った。しかし、先はまだあって、今日も朝は晴れていて、気温も上がってこれはもう書いたが、暑さはともかくとして、雨を想像するのはむつかしい。しかし、それが普通で、多分雨は降る、裏の裏の裏を読んだりもしたが、ただ、ひっくり返しただけだが、それでもやっぱり雨にはならない。こうゆうことは、
この辺りでは、大した問題ではない。こうゆういい方が正しいかどうかわからないが、雨が降っていないということに対して特に問題はないと思う。出来れば、もう少し雨が欲しいと思う。少しずつでも、ゆっくりと長く降って欲しい。大雨となると、これは困る。極、日常の揺れの範囲での話しをしていると思う。
大きな地震が起こって、これからの雨によっては土砂災害になる。二次災害が発生する。これから大雨の予想が出ていて、そうゆうところにおられる方は、さぞ心配していることであろう。雨の話しは、この先に続かない。
最近歩いていない。「いざ」でもないが、普段と違ったモードなっているから、リズムというか、生活のパターンが微妙に大胆に狂う。そうゆう世界が入り込んできた。なんだか、安穏と高々30分くらいの散歩に行くコースを短縮して、一番短いコースを歩いている。もうかなり昔に、少しだけ悟ったような気がして、多少のことではどうのこうのはしない、という考えに達したようだが、これがそうではなく、ガタガタくずれてゆく。歩く気になれないというより、安全策をとる。
これも、しかし考えたら当然で、それが遅すぎたかも知れない。しかし現実に、そうゆうときが来て、それなりにやっている気であるが、この感覚は、訓練なりシミュレーションとは、また違う。違うというより、度を少し越したことが起こる。そちらの世界では、それが当たり前というものが入り込んできた。
だから微妙にその微変動に対処する。一回の失敗は許されるが、二回目はそうはいかない。で、そのことも考えた上で、これで大丈夫と思うわけだが、そこにやはり抜かりがあった。「そこの場」と、「うち」とは違う。そこで、いいですよは、実際は違うというわけ。たしかに、これだけあれば大丈夫だ、必要なものはある。それが、必要以上になる。そこまでは、その場では考えてはいないのだ。その何倍ものリスクをこっちで考えないといけない。これでいいですよ、と言われてもそれでは「だめ」で、・・・。
アジサイの花が咲いていて、これもいろいろである。この場合は変化があっても、特にダメージはない。この変化が楽しいのである。
ガクアジサイのようで、それはいいのだけど、装飾花と呼ばれる、そのものの中心にある、その花が、わかりにくいが咲いている。これはこれでいいのかな。
普通のアジサイだと思う、その花の色があるところは赤く、あるところは青みが入ってようで、これがとなり合わせというのは面白い。
これは、アジサイ、より木漏れ日、水玉が出来ているのがいい。怒られそうだな。
蜘蛛である。
人にも、動物にも似ていそうな、蜘蛛のお腹の反対側。いつ見てもこれには少し笑ってしまう。