光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

生き物との接し方

2008-06-19 18:46:53 | 散策
  なんだか、獏とした感じだが、小動物、特にこれは楽しそうという、虫とかはいた。少し?昔に遡れば、まずは虫やらカエルやら、イモリにヤモリに、それから、さらに細長いものもいた。でも、そのときでも、やはりカブトムシは人気があって、それからギンヤンマなども、これが虫かごに入っているとなかなか嬉しいもので、しかし最後はやはり動かないものになってしまう。自分で捕ったかどうか怪しい。捕ってもらったほうが多いだろう。無論、虫取りのプロがいたはずだし、そうでないと子供の生活もずいぶんと単調になっていたことだろう。
  蜂もいた。それから蜂の巣もある。これなどは極、普通種のハチで、決してスズメバチなどではなかった。そうゆう小型の蜂の巣もあって、これで騒ぎが起こることもあった。
  もう少し学年が上だと、ちょっとびっくりもあるが、トンビやらフクロウを捕らまえてそれを鳥のゲージに入れて飼っている、そうゆう人もいてしかしその現場はさすがに見たことはない。それからネコとかイヌは極これまた普通で、しかし昔のイヌはよく吠えて、立派に家の門番の役割を果していた。多分、新聞配達の方は苦労されたはずである。さらに、ネコなどは今よりも少し勢いはよく、目的の動物を捕まえて、これまたその役割を果していたようだが、さすがにそうゆう経験は私にはない。よその家で、そうゆうものを見たりもした。

  いつのころから、もう虫がどうのということも興味がなくなったが、それでも、何とかの解剖というのはやらないといけない。話しは、高等動物になるとそれだけ人に近づくからそれ以上のことを書くのは止めるが、これは自分のためでもある。あまり、面白くないそうゆう経験をやらないといけなかったが、今でも、どうも動物というものは、せいぜいが虫か、それより大型の、鳥のことも気にはなるが、無論空を飛んでいるツバメの動きは非常に変化が激しく、そのコントロールは、どんな優秀な飛行機でも出来ないだろう、そうゆうことを思うだけである。これは虫のレベルでも同じようなことがあって、あんなに小さいハナアブがどうして空中停止出来るのか、まことに不思議。敬意というか畏怖を覚えるくらいである。

  ところどころで見かける、ワンちゃんはなかなかかわいい。イヌに吠えられて、かなり遠回りをしたこと、知らないフリをしてどうにかその道を通ったことなど何度もあるが、まだかまれたとかはないので、イヌを見てかわいいと思うことが多く、でも、さすがに大型犬と出会うとかなりびくびくしそうだ。イヌの好きな方がおられる。これも、血筋というものがあるような気がする。すべての人が、イヌが好きでというわけにはいかないが、どうゆうわけかイヌが好きということになるようで、それはどうして、と聞かれてもイヌ好きの方は、ただ笑うだけだろう。
  これはネコも同じで、しかし、ネコもイヌもという方もいれば、このどちらか、という場合もあるし、こっちはダメというパターンもありそうである。

  生き物との付き合いは、恐らく虫くらいで止まっているはずで、しかし少しは木があるから、それもあるチョウの好きな木である、その幼虫なり、サナギなりが見つかってもいいはずだが、それがなかなかわからない。これは、原始的だからというべきか、ほったらかしだからというべきか。それ以外は、なにが多いといってそれは蜘蛛である。この蜘蛛は多い。大小いる。ただ種類まではなかなかわからない。それでも、蜘蛛がいるということはその餌があるとも思えて、たしかに小さい蜘蛛の巣では、恐らく、蚊が、あるいは蛾、が餌になっているようだ。大きいものだと、一度は甲虫のようなものがあった。それ以外は、まだ見かけない。蜘蛛も餌に苦労しているようだ。
  中途半端な終わり方になった。




  タケノコが、ニョキニョキ出て、それもかなり大きく、一気に2、3mくらいになってしまうものを春に見ていたが、その竹の全体というのがこれである。
  枯れるような感じの時もあって、それであるときに、タケノコが一斉に出るのか。




  順に移動しているので、そのうちにこのような建物に出会う。鐘撞き台である。右は大イチョウ。



  
  今頃に出てくるケヤキの若芽。この感じをもう一度味わうことが出来るのも嬉しいもの。さわやか。

青空、梅雨入り前

2008-06-19 16:03:19 | 散策
  この辺りも梅雨入りしたという。
  まことに目出度いと思う。余りに雨が降らなくて、
  ここでは雨が待たれていた。でも、あまり降ったという
  ものではない。降っている所はかなりの降雨量で
  これまた都合が悪い。
  うまく、ほどほどに、というわけにはいかないの残念。

  少しムッとする。それから、今ごろもクシャミが出たりする。
  何か飛んでいるのかも知れない。

  梅雨入り前の、夕刻の青空。




  6月17日、太陽は影の向こう側にあるようだ。




  北西の空の高いところまでが、晴れていて、そこにある白い雲が
  涼しげで、透明感がある。
  なかなかこうゆう空もないものだと思う。

強風、雨のにおい

2008-06-19 07:07:06 | 散策
  朝のお天気、曇り。おぼろ雲、もう少し早いと、青空があった。また風もあって、ドアーがガタガタ揺れた。この音はあまり好きではない。風は不思議と今は弱め。アメダスの6時の気温、25.2℃、本当かね。気圧は1010.3hPa。室温、23.5℃。

  すでに明るいが、まだ起きるには少し早い、そうゆうときにかなりの風が吹いていて、その前から強めの風は吹いていたようだ。風か、こんな早朝の風は、やはり天気の変化の兆候。雨になるな、こうゆうときの雨は憂鬱だな、モジャモジャ考える。朝のまだ早かった空に青空があって、それをしばし眺める。

  起きて、外に出た、もうおぼろ雲。風はかなりゆっくりになって、きのうの朝と変わらない。アジサイはゆれたり止まったりする。木の葉が十分に開いて、まーそれだけを考えるといいような気もするが、これも大きくなりすぎるということがある。昔から、ここに来ていたけれど、それから昔のほうがずいぶんたくさん木はあった。が、あまりその大きさに脅威を感じることはなかった。この変化は最近、と言っても10年は少なくともたつ。
  象徴的な木があってその一つが梅で昔、ここにご先祖様がまだ健在だったころ一本の梅はちゃんと実を付け、それは昔からのようであったが、その梅は今はもう枯れていると言っていい。花も咲かなくなって、だた原因は木の老化だけではない。もう一本梅の木があって、昔のその梅は日が当たらない、そうゆうところにあったから、まったく大きくなる気配はなかった。その細いこと。これがやけに細く、また大きくならないから、この梅は印象が深く、ケヤキや、杉はというと、今度はこれは大きすぎて眼中になかった。
  この小さい、かつ細かった、この梅の木が今はその何倍かに生長して、目を瞠る大きさになっている。これも大きくなり始めたのが、10年くらい前の感じがする。そのかなり前に、もうこの木は少しは日が当たる、そうゆう条件下にあったが、しかし大きくなり始めるまでに何年かかかった。これを今どきにまじまじと見るとやけに大きく、だから自分の老化の程度も激しくなるのも、これはもっともかも知れない。この梅は、そんなに大木にはならない気がする。これについて、心配はしていない。

  ふと、ある人の「ボールペン」を見て、それが自分が使っているのと同じだ、と思った。ありとあらゆるものが値上げされるが、しかし売れ行きも企業は心配になる。そうそう、倍倍と値上げも出来ない。それで、ボールペンに関しては、下側はラバで、手が滑らないようにするための、黒くし、上はノック式であって、その先の芯にいたる部分をこれまた長くして、芯そのもののインクは、1年前の同じ会社のものの半分以下になってしまった感じだ。上も下も、黒色にしてあるので、インクの量がすぐにはわからなくなっている。個人的には、こうゆう「こまい」芸は不要で、たっぷりインクを入れてもらって、値段は倍でもいいと思う。余りに減りが早すぎる。
  パンはどうかというと、ロールパンなどはまずは小さくなって、それから今度は、一袋に入っている数が減った。これまたこれ以上値上がりすると売り上げに問題が、と判断されたのだろう。これはどうか。エネルギの摂り過ぎが叫ばれて久しいようだが、しかし食べ物は他にもいくらでもおいしいものがあるから、これでは、ダイエットにはまずはつながらない。メタボン云々にはイハズモガナ。