光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

スタミナとかいうもの

2008-06-01 19:00:12 | 散策
  午前中に、ぼんやりとTVを見ていて、これはいつも、日曜には見ている。
  TVは見ないとかいいつつ、結構見ている。
  特に、だるいとかはないが、ふと心拍をみようと、左手首に脈を探すが、ありそうでない。はっきりしない。しかし、特に苦しいとかもないので半分不思議とは思いつつ、もう一度右手で左の手首をなぞるように触る。ありそうで、なさそうで、最後は、血管の振動を目で見たりする。それでもはっきりしないので、今度は、右手の手首辺りを、左手で押さえて、それ以外にも適当に触っていると、心拍らしい振動があった。まーなかったらおかしい。この書き方にも、ちょっとおかしいと思われる方もいても当然だが、どちらかというと、すぐに脈はわかるほうなので、こうゆうことを書いている。
  それから脈の回数だけど、これが遅め。かなりゆっくりしている。数えているわけではないが、ゆっくりだなと思う。もともと心拍の回数は多い。1分当り、80から90くらいが普通かも知れないし、まーお医者さんの前に行くと、その数は上がるようで、さらに普段その心拍を数えることもあって、やはり80から90はある。その時の様子と比べて、今日はやけに遅いし、その振動を見つけることもなかなかうまくゆかなかった。
  心拍といい、それから血圧というのも、いつもどこでも同じではないもののようである。自慢ではないが、昔から心拍数も多かったが、血圧も一般の概念でいうところの、高いという方に近く、それも初めてそうゆう機械をつかう機会があって、それはある病院であったが、血圧を測ってみましょうとか書いてあるので、手を突っ込むとやけに締め付けるので、この機械は壊れているのかと思うくらいだ。それが、反射的といってもいいような気がするが、その機械方式でも、お医者さんに、しゅぽしゅぽ締め付けられても、結果は同じようなもので、しかし、それからずいぶんとたったが、特に今はなんともその血圧に対しては思っていない。最近は測ることもない。
  
  何かを測るというのはむつかしい。このカメムシの大きさは、っと思い何か基準になればいいものがあればいいが、そうゆうものはない。蜘蛛の大きさでも、これは小さいが、さてどのくらいか、物差しを探している間に、どこかに蜘蛛は行ってしまう。運良く、蜘蛛はいても、その真横に物差しを移動することも出来ず、概算になってしまって、肝心なところが曖昧になる。
  でも、この長さ、大きさを測るというのは、あまりに心的な影響はないと思う。まー、体重とかはあまりにあからさまな値が出ると、嫌だなと思う。でも、いやだと思っても、まーその値に変化はないであろう。身長だと頭の上に、測定器の一部が当たるが、特に変化はない。何なら、そうゆうこともなしに身長を測ることは可能だろう。
  でも、血圧は、一回は締め付けるという作業が行なわれるわけで、そうゆうことなしに、この値を測ることが出来るかというと、詳しいところは無論わからないが、ごく普通の病院ではまずは、しゅぽしゅぽがあって、それから少しずつ圧を下げるということが行なわれるだろう。昔、病院で知り合いになったある方は、健康であるが、この血圧だけが高く出て、と少し嘆いていた。その話しに、かなり共感したのは、その方もあの締め付けられる感じがいやで、とおっしゃっていた。

  それから、ついでに血糖のことも書いておくと。この値がやはり高い。これなどは、採血しますから、と言うくらいでは、そんなに大きな変化はないと思うが、今日は病院か、さらに最近はメタボンはだめらしい。そう考えると、まずは血圧が上がり、それから心拍も上がり、アドレナリンも盛んに分泌されて、順は逆のようだ、体はカッカしてくる。話しが長くなりそうで、
  血糖値の測定というものは、これはグルコースに特異的に反応する酵素を利用するというのが、多く使われていて、それには特に問題はないと思っている。こうゆうことは、ある人は学校ですでに学習済みだ。問題は、普段安静な時と、いざ病院へ向かう、というときの体の変化だ。大体にして、何とかの試験というと、人は緊張する。お腹も痛くなれば、のども渇く。今日は大切な会議だ、失敗は許されない、ドキドキものである。明日は、TVに出る。これでは眠れない。
  こうゆうときの血糖値と、普段日曜に、ごろんとねっ転がってTVを見て、これはいまいちだ、たまには心拍を測ってみるか、というときと、かなりその値に違いがあるような気もするが、それにしてもスタミナとは、全然関係のないことを書いてしまった。




  
  今朝は、やけにまぶしい朝で、久しぶりに、水玉を見ることが出来た。




  いったい、何だろうか。これが、蜘蛛の巣で、今朝の放射冷却で露が溜まったのだろう。




  時間がもう少し早いと、肉眼ではかなり幻想的な風景に見えるが、明るくなると、写ることは写るが、少しぼやけた感じになってしまうのは、しょうがないかなー。

雨のピラカンサ

2008-06-01 16:27:51 | 植物・花(夏)
  快晴で、北の風で、気温も上昇中のよう。
  少しムッと来る。これでよかった。
  このくらいの温度のほうが、安心。

  雨のピラカンサ。
  5月24日も、弱い雨がって、そのときのピラカンサの
  ファイルもあった。そちらのほうが、きれいというか、
  見よいというか。




  5月24日だと、まだ花も咲いていない蕾がたくさんで、これが
  きれい。




  きのう、5月31日。ギリギリ、ぼんやりまではいっていないと思う。
  5月26、27日辺りが、花の見ごろだった。




  ちょっとくどいかも。
  葉っぱは緑でいいが、花はもうおしまい。

快晴のスタート

2008-06-01 07:12:43 | 散策
  朝のお天気、快晴。夜に、瓦が濡れて光っていかにも雨が降っている、ような感じがするが、ほぼ真南に木星が見えていて、多分、快晴。そのまま、朝に。風もなく、穏やか。アメダスの6時の気温13.2℃。気圧は、1013.5hPa。なんかぴったし。

  いえが、壊れる、もう今すぐに壊れる、しかしそれはどこのいえかもわからない、そうゆう夢を見ていて、面白くはなかった。起きた、これはいつもの時間。もう、空は真っ青だが、半分は夢を引きずっている。それから、目覚ましの音を消すスイッチを押してなかった、だから鳴った、それを久しぶりに聞くと、かなり大きいことがわかりゆっくり移動して、これを止めた。

  外は、かなりに湿っていて、土も水を十分に吸い取ったようだが、この土は固めのもので一部は流れていっている。後は、草やら、木々がどれくらい水を吸っただろうか。2年連続しての暖冬で、それで2年目は大体が木が大いに生長する。それには水分も必要で、これまで少し足らないと思っていたから、この雨は、きのうはこれに打たれて冷たい気分を味わったが、木々にとっては、草にとっては、他の小動物にとってはよかった、と思う。ワンちゃんやら、ネコちゃんにゃら、にとってはどうだったか。犬だと、濡れるとかわいそうなくらいだ。ネコだと、やっぱりいやだろう。

  まだ、執拗に、ヒゲの植物のタネを播いている。ここはアカンというところが多い。いろいろ考えるが、もう7時になった。あるところから、これはそのヒゲの芽というのが出て来た。そこに、一本の線をボールペンでかき、すると土は少し掘れることになる。そこに、パラパラと、でもかなりの量、そのタネを播いた。でも、まだ最初の半分くらいは、袋に残っている。これを播いて、どんくらいたつか、もう忘れた今日だが、まずは花を見て、それから、ボールペンを突き刺してあるそこのところにいってみたら、何と一条の植物の芽が結構出ていて、それが他の場所と違うことは一目でわかった。なんだか、植木鉢以外の地面で初めて、このヒゲの芽を見た気がする。

  この先あまり時間はない。暖かいところだと、3月から、春播きは可能とか、しかしここは朝の気温が20℃近くになるのは、もう5月も半ばでないといけない。うまくゆけば、秋までには花が咲くかも知れない。しかし、そこまで行くには、多々困難が立ち込めていそうで、でもそのくらい能天気でないと。