光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

探し物のトレーニング

2008-06-18 18:50:06 | 散策
  梅雨空に向かうようで、そうでもない、ただ少し暑いと思う気温がある。

  何かがあると、それに対応するため普段やらないことをやらないといけなくなる。また、普段は使わない、そうゆうものも奥の奥から引っぱり出さないといけなく、これが時間とともに、出来なくなるし、忘れっぽくもなるし、そんなことは、そのときに考えればいい、という考えも成り立つ。どれでもいいような気がするが、損をするというか後悔しないという、一つの指針があるいは座標があると、努力目標にもなる。けちな性格であって、このことはかなり気にしている。それだから、どうするかそう後になっても考えればいい、というわけにはいかない。
  一回くらいなら、あるいは最初なら、しょうがないが、それでも2回目からはそうはいかない。そうは、問屋が卸さないで、かなりに真剣になるものだ。

  大体、どこかに出かける時の準備というものも頭に入っているようで、しかし何かを忘れる。自分の住所だったり電話番号だったりする。お医者さんに行くには、やはりお金と健康保険証と、それと後期高齢者医療制度の「健康保険証」もある方にとっては必要になる。診察カード。これも忘れてはいけない。運転免許証というのもある。今はシートベルトも締めないといけない。面倒なことは増え続ける。
  ここで、さらに追加すると、自分がある薬を飲んでいる場合、いざ何かあって救急のお世話になるというときもあると思うが、このときに普段に飲んでいる、そうゆう薬は持っていった方がいいことになっている。ここまでやれるともうゆうこともないようだが、大体がここまでは考えが及ばない。シミュレーションなどをやっても、いざという場合はダメなのが普通で、でもまー訓練なりシミュレーションをやることも悪くはないようだ。

  いざというときの問題が多いわけだが、さて普段はあまりに気にしないものは多い。何かの拍子に昔のことを調べないといけないということもある。ものは、取ってある。そのためのものを捨てない症候群なのであるが、さていざそれを探さないといけないとなるときが来る。あのときのあの雑誌があるはずだが、さてどこにいったか、探す前に途方にくれる。こうゆうことを知ると、だから物は捨てた方がいいということの説得力の例になりそうだが、ここは頑張って暑いけどあちこちを探す。
  かなりに汗が出て来た。それにゴミまみれといっていい、そうゆう状態に近付く。やっぱり、ものは捨てたほうがよかったか。それはまー余りに、自分の今に関係ない、損得もない、必須でない、そうゆうものなら、やはり私も諦める。しかし、そうゆうものではないのだ。こいつがないと、重要なことを相手に伝えることが出来ないのである。抽象的な表現だが、思い当たることはあるはずである。

  いい加減くたびれた、そうゆう瞬間が来る。やることはやった。散々汗もかいたし、ゴミも吸った。炭酸ガスも放出した。お腹がへこんだ感じもある。少し休もう。ここは水でいい。ぐびぐび水を飲んで一息ついたころ、ふとそれまでは血が通ってなかった、そうゆうところにも血が行ったようで、灯りが点燈する。かなり明るい灯りで、それは脳の中を照らし始める。自分の脳内を探検するのである。
  すると、これはもう現実であるが、ある指示に従ってあるところを探すと、肝心のものが出てくる。これで、今回の重要な鍵になる、あるいはヒントになる、自分の立場の正当性を保証する、これは少しオーバーな表現だが、それが可能になった。やっぱり、ものは持ってないといけないし、さらに徹底して探すということは必要なことのようで、その具合によってどうにかなるものだ、その確信をあらたにする。

  それにしても、忘れるものは多いし、普段は使わないものも多い。それをどこに置いたか、どこに隠したが年々忘れてゆく。困ったもののようで、本当に自分自身が困るものだ。といっても、これもやらなければいけないことがあっての、もの探しであったが、これも自分のものだけではすまなくなっている。いざっでも、遅くはなく、汗水たらすということがこれからも続くようだ。

  

  朝のアジサイの様子。朝は、まだ暗め。




  花は、右側を上に咲いている。スペースの関係で、画像を時計方向に90度回転して表示しています。以下も同じです。




  最初のものは、後ろが真っ暗というものだが、これは頭のほうが光が射してきている、そうゆう位置にあるもの。朝の境界線。




  位置的には、やはり暗めであるが、このくらいになると、回転させているのが、あまり妙でもなくなる。このアジサイには、当分頑張ってもらわないと。いつも明日まで。

初夏の濃い色

2008-06-18 16:17:04 | 植物・花(夏)
  少し暑く、ジメジメ感も出て来た。
  風が吹くかと思ったが、そうでもない。
  だから余計に暑さが伝わってくる。いよいよ、
  梅雨入りも近いかも。

  梅雨になると、なんだか陰気になるような気もするが、
  実際のところは、花はやはり元気になる。
  他に虫も出てくる。蚊である。あーいやだ。

  よくはわからない、そうゆう蛾が、まるでチョウのように、
  ヒラヒラ飛んでいる。

  濃い目の色の花、初夏の色。




  紫よりも、赤が強い感じのアジサイ。この色素は分離出来るのだろうか。
  赤と紫が分かれて出たりすると、面白いが。




  畑の花。食べるものだけでなく、こうゆう観る花もある。
  切花にされるのかも知れないが。




  鉢で、お店の前に咲いている、濃いオレンジ色のユリ。

  初夏の色というと、濃いブルーが一番かも知れない。
  真夏というと、一番いいのは涼しげな、透明な花。
  誰か、発明してくれないかなー。

関西なまり

2008-06-18 07:05:08 | 散策
  朝のお天気、今日も晴れ。風は今はない。でも、今日も北風。少し空の濁り。アメダスの6時の気温、17.2℃、気圧は1017.6hPa。室温20℃。

  言葉というのは、あるときには面白くそれは映像を越える、と思う。
  私は、生まれは関東辺りだが、子供のときに関西にいて、かなりそのなまりが入っている。さらに、もうすこし東にいったが、そこの言葉はまた少し違って、しかしこれが関西弁かは、怪しい。でも、子供のときの言葉は、なかなか抜けにくくそれはそれで結構だと思う。
  どっかの試験で、関西のご出身とか聞かれた。そうですが、と答えた。人は緊張すると子供のときの言葉が出るのかも知れない。

  ある、また子供の話しだが、小さいときはかわいく、ある年齢になるとそうでもないという子供と、話しをする機会がある。これは今でもあって、しかしその方は、今は関東圏にいる。で、その言葉だが、やっぱりここのそれも多少より細かい地域の特徴を持っているようだ。この方が小さかったころに、ここの言葉は変だ、とか言ったときがある。「なにけーよー」、とか、「何とかやちゃ」、とか言うわけである。私はまーごくごくでたらめな日本語をしゃべるので、自分の正統なここの言葉の亜種をおかしいと思ったらしい。
  また、この辺りのことを、北海道と勘違いしている御仁が関東圏に多いことも事実のようで、また若い方は、ここのことをご存じない。ひがみ目もないが、日本の中に、NYとLAとLondonと、Parisがあると思っているようである。
  魚がおいしいでしょ。それは日本中で聞く言葉である。夏は涼しくて、そうですね、まー山がありますからね、剱岳だと3000mに少し足らず、無念だという人がいるようですが、そこいらだと、やっぱ、夏は涼しいですよ。今はこのくらいのことが言えそうだが、それにしてもこうゆうものは変わらないもので、こちらはこちらで、よそを勘違いしている。

  この辺りの言葉は、早口で言われるとわからないものが多い。さらに、うちわでの話しというと、なにが何やらわからない。それでいいようだが、まー話しは通じなくないのは、同じ国という感じがする。
  きのうは、どうも関西なまりのしかし少し上品で雅という感じがした人としばし話しをした。お言葉に、関西の影響があるようですがと聞いてみた。すると、生まれ、育ちが京都でということである。でもこちらでの生活も長いと言う。でも言葉の癖はなかなか抜けないと話される。私も半分くらい昔のあやふやな関西弁を使っていたようだから、それで誘発されたかとも思ったがそうでもないようだ。
  方言やらなまりやらは、大いに使うべきで、それに頭を悩ますのは楽しい。もう、ここの話しは聴き飽きた。なんかこれはおかしいというものが出ないかと思うが、ラジオだとありきたりというと失礼だが、そうゆうものしか登場しないようで、アナウンサ自らが率先してしゃべればいい。