光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

暑かった一日

2008-06-10 19:08:14 | 散策
  ほどほどの気温が、暖かいに変わり、暑いというものになって来た。
  何だか変わり映えがしない。頭の中がすかすかしている。それが、一番いいのだが、こうゆう暑い日に暑さを感じる話し、というものはあるものなのか。

  水の流れというものがある。昔は小川であったが、それがなくなって、死後になったと言うべきか。その用水の流れを見ていると、盛んに水は流れている。それに太陽光が当たると、波に応じた光の陰影があって、ときにくらくらする。
  そろそろ、この水が必要になってくる。外に出て、日傘を差して、それからなるべく薄目のものを着て、空気の通りがいいというものも選んだりする。それでも、やはり最後は、水を含ませたタオルというのがないと、本の少しの道を歩くのにも難儀をする。これなどは、田舎というか、回りに特に丘とか小高い山もなく、ただだだっ広いところがあってというところだと、これではお日様は完璧に、人を照射してしまう。

  こうゆうときに、まわりにあるいは道の横に木の少しでもあればと思うのだが、それがない。次の住宅地に行くまで日陰というものはない。さらに、ただ、東西に歩けばいいわけでもなく、最後はスタート地と同じとなると、かならず一周しなければならない。すると、ほぼ体の全面に等しく太陽光を浴びることになる。特に、南北にのびる道の場合北風が通るが、背中、首筋は、特に後者は日に焼ける。首筋が日焼けして大失敗という声をどこかから聴いた。多分ラジオだ。
  マイバッグにマイボトル、いにしえの旅行者の格好をしないといけない。麦藁帽などもあればいいが、どうもなかなかそうもゆかず、ここは日傘で何とかしのぐ。それから、首筋に水を浸したタオルを巻き付ける。こんな格好をしても笑うのはカラスくらいか。そのカラスも、暑いと水浴びをしている。タオルは、水をかなりに含ませていないといけない。ときに、これを絞ると水が背中を伝わる。ヒヤッと一瞬だけする。これも、そのうちに乾いてしまうか、体温と同じになる。それでも、やらないよりはましだ。

  段々この暑さが本物になってくる。こうゆう経験も時代とともに新鮮なもので、若いからなどは夢思わないが、あまり惨めな目にあいたくもない。この先にどうなるかそれは誰もわからない。こうなると、用心が先行する。この暑いときに、今日は近道でゆこう。なんとも味気ないがそれしか方法はない。それにしても、もう少し日陰になる、木陰になるものがあれば、また同じことを書いている、それを思うが、これと正反対の方にものごとは動くようで、残念だな。

  街の中だと、まずは建物がある。ちょっとした影はありそうで、そこで一休みできる。街道というと、大きな杉の木が両側にあってというものが思い浮かぶが、それはどこであったか。
  きれいさっぱり、道からそれから田んぼの小川から木々は姿を消した。車の多い道だとこれは一つは視界の問題がある。これがあると向こう側が見えない。それで見晴らしはよくなった。でも、どこかに駐車しないといけないが、これがこれからの時期は大問題だ。陰がなければ、本のしばらくの時間、車は止まった。それで急いで車に戻るが、なかは蒸し風呂、あちあちということに。でも、それに頼った生活をしている。

  まだ梅雨に入ったかどうか、わからない。それから、あー雨が降った、少しひどいというのは一回しかないようだ。その雨の心配をしたほうがいいようだが、それにしても、暑いとか、寒いとか、なんだかんだいう回数というものも、さほど多くはない、もう先は見えているような気もするから、これもまたよしということになるかも知れない。
  必要は発明の母というが、はてさて、暑い夏を快適に過ごす方法はというと、そんなものがあるだろうか。せいぜい暑さに体を慣らすことくらいしか思い付かない。心的に凍える、あるいは、胆を冷やす、これはやはりない方がいい。


  普段見落としているわけでもないけれど、同じ道を反対から歩くと、同じようで違うものが見える。道も方向によって異なるようだ。




  やけに赤い、よく見るとヒナゲシのたくさん生えているところがあった。風で、ふわふわよく揺れている。こんなものがあったのか、知らなかった、見えなかったなー。




  ゆらゆら感が出ていると言いたいところだが。やっぱり目で見ているのが一番いい。




  オリジナルファイルの縮小。やっぱり目で見ているのが、涼しげである。その再現はむつかしい。

元気が出そうな花

2008-06-10 16:16:45 | 植物・花(夏)
  初夏の陽気が続いている。
  でも、このくらいでちょうどいい。
  が、こうゆうのも、少し悲しいものである。

  キャラメル一粒で、何メートル走ることが出来る、そうゆう商品が
  あったが、多分今もあるのだろう。
  グリコーゲンから、その商品の名前になったとか。

  花を見て、走ることもあまりない。花は逃げないはずだし。
  この花の実は、食べられるかどうかわからないが、
  しかし栄養がありそうだ。そうゆうものはありそうである。




  花は少し遅かったかも知れない。




  実の数も多く、実そのものも大きい。何か詰まっている、そうゆう感じ。




  去年も見ていたが、どうも実はそのままだったような気がする。
  食べられないのかも知れない。

用心深いツバメ

2008-06-10 07:05:00 | 散策
  朝のお天気、晴れ。でも、靄もありさらに瓦に結露がかなりある。風は弱め、穏やか。アメダスの6時の気温、16.8℃、これは少し低い、気圧は1013.1hPa。室温20℃、爽やか。

  夜に、西の空を見ることが多い。そこに、洗面台があるからで、水を飲んだりもする。瓦も見るが、夜の光に輝くのは、露があるからで、しかしなかなかそのことが理解出来ないくらい、濡れている。雨のときよりも、異様に怪しく光って、あまり気持ちのいいものではない。それより、やっぱり星が見えていたほうがいいが、それも雲があるのか、ほとんどわからない。まわりに、水田があることもこの露をより光らせるのだろう。
  今頃の宵の明かりの一つに、ホタルの輝きがあると面白いが、こんなものはとおの昔にいなくなった。

  ツバメが、ある場所に止まっていて、これをときどきに見るが、それから先、巣のあるところにすっと入ってゆく、そうゆうところは見ていない。いつもなら、と言っても同じツバメかどうかわからないが、去年も人がいるくらいでは問題なく、戸の隙間から出入りをしていた。今年は、まだ巣に一回も行ってないのか、それにしては、姿だけは何度も見る。それで、きのうだったが、やはりツバメはあるところに止まっていて、それから特に動きはないようであったが、視界から消えた辺りで、そのツバメが動いた気がしたので振り向くと、すっと例の戸の隙間に消えた。
  かなり用心して、巣に向かうツバメである。ツバメの巣は何ヶ所か、そこにあるな、と思うものがあるが、もうあからさまに道路に面していて、誰もが気が付くところというところにもある。こうゆうところだと、人が一番危険かも知れない、など思うこともあるが、それにしてもここに最初に巣を作ったツバメは、先進的だったのか。
  再び先ほどの、ツバメの巣に戻ると、ここの戸が大きく開けられることもあって、全貌もわかっている。でも、今は小さく開けられている。その先も暗い。そこからすっと音もたてず、ツバメは出入りする。そう言えば、一回だけ、先に出てくるツバメを見ているな、今頃に思い出した。

  田んぼには、ツバメがいる。また、道の上を、なぞるように、そのツバメは飛んでいるようにも思える。飛行高度は、低いと10cmか15cmで、その高度を維持しつつ、かなり高速で飛んでゆく。まったく、地面すれすれで、人がひょいと出てくるとぶつかりそうだ。そうして餌を探しているのだろうけど、ツバメの餌も少ないのではないか。また、その数も最近は減っているように思う。
  スズメはなぜか、今ごろは、かなり減ってしまった。いることはいいる。しかし、どこかに移動してしまった、そうゆうスズメが多そうである。