光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

もう一度、病院の待合室で

2008-06-08 18:56:46 | 散策
  何とかの日というのがあるが、病院の日というのはあるのだろうか。
  たまに、病院に行く。その前後のことも書いたりする。待ち時間は、長かったり、より長かったりする。待っている間に時間がどんどんたってゆくので、それで待ち時間が長く思える、ということも今までは考えなかったことだ。
  話し声もあってもおかしくはない。子供さんが、子供さんのことを母親と思われる人に話しをしている。子供でもあって、親でもあって、という立場で、自分は子供に教えられたという話し。こうゆう話しがTVでならわかるが、本物の病院でもある。それから、何だかわからないことをいう人もいる。これは特に問題はない。もう少し私としては、方言、なまりのある言葉を聞いていたい。それが、なんだかわかりそうで、わからなくて、しばし想像する。すると時間はゆっくりに過ぎるようだ。
  車椅子を押す、それも一人で、そうゆう方もやはり多い。どう見ても自分よりは若い方であって、御両親のために付き添って来ておられるようだ。なるほど、というか、今どきはそうゆう時代なのだということを痛感させられる。こうゆう光景は一体にいつごろからあるのか、なかなか思い出せないものである。気が付いたら、自分も病院にいて、少し余裕ができて、周りをみることができるようになった。

  一列前が一番先頭である、そうゆうところの2番目のところに座っていて、前の席に、車椅子と、二人の方がいてしかし時間はたつが変化はない。自分のことも気にもなるが、まだまだ診察も始まったばかりで、特に遅いななど思うことがない。そのときに、前にいた二人の方の、お一人がふらりと立ち上がってしばらくたった。残されているのは、どうもその方のお母さんのようで、しばらくすると車椅子を手元に寄せたりする。どうも、体を思うように動かせないからで、その道具を使われていることはすぐにわかった。
  それで、座ったままで、何かをしようとされているようで、手伝いましょうか、と聞いてみた。これは要らなかったかも知れない。ただどうもずっと目の前におられて、ある時間がたってみると、どうされたのか、聞いてみたくもなるものだ。それで、特に何かが起こっているわけでなく、大丈夫ですと言われた。やっぱり「いらんこと」を聞いたという感じだ。ただ、その後に、どこにいったのか、タバコでも吸いにいったのかいの、とかいう言葉が漏れた。

  時間というのは、自分で何かに夢中になっていないとかなりに早くたつものである。だから、待ち時間が長く思えるのだと思う。時計を見ている。さっきから、たった1分しかたっていない。それなら冷静になれる。1分か、それならどうしようもない。しかし、時計を見ていると、5分であり、10分であり、20分になっている。それが病院での時間のたちかただ。だが、変化がない。
  それで、どこかに行かれた方は、なかなかこれまた戻って来られない。残された方は、何度も不安げに後ろを振り向く。すると、その後ろにいる私は、必然的にその方のことがわかる。心配なのである。早く戻って来られたらいいのだが。そうゆことも、思う。それから、この方が呼ばれたらどうなるのだろうか、ということまでも少し考える。幸い、どこかに行かれた方は、無事戻って来られて。今度は自分の番号がいつに呼ばれるか、そっちのことに神経は集中することになる。

  もう一度書いたが、時間がどんどんたってゆくので、そこに座っているのも少し苦痛になってきて、立ち上がって他をぶらぶらしてみるか、っと思ったときに、私のかかっている科のドアが開いた。これまた、まことに不思議な感じがする。もう少し、早く立ち上がったら、もしかしたら、そのドアも早く開いたかも知れない、と思うくらいである。
  病院では、いろいろなことがある。普段味わえないこともたくさんあるようで、たまにそこに行くのはなかなかいいことだと思う。でも、痛いとかそうゆうのではもう行きたくはない。何かがそこで起こる可能性はある。それは、自分のためには、どっちかというと「ため」になっているようで、今後もそうあればいい。    
 
  よくある花だが、なかなか、なんというものかわからないもの。そうゆうものは多く、花の名は覚えられない。




  マツバ、という言葉が、この絵を見てしばらくして出た。もう少し書くと、マツバボタンだ。無論違っていた。マツバギクという、とある。




  いくつかの場所で、この花も見る。しばらくして、同じようにタチアオイという言葉が思い浮かんだ。参考にさせてもらっている、お花のページを見る。どうも、はっきりしない、というより違うかもとも思う。花の詳細を見ないといけない。




  これから、花が咲きますよと、という開きかけの花が写っていて、こうゆうのも珍しいと思った。 

空き地の植物

2008-06-08 16:13:08 | 植物・花(夏)
  今日は暑いといっていいお天気。
  西の空が、午後から曇り出してそれが雷雲のようにも思える。
  入道雲までにはいっていないようだ。

  暑いと、暑さ対策が肝要だが、どうもいい考えが浮ばない。
  なるべく短い時間にする、途中に日影のあるところを考えておく。
  そのくらいかな。水を忘れない。

  原っぱではなく、空き地というところの、今ごろの植物。




  ヒメジョオンが、まあるくリングを作るように咲いている。そのうち
  草刈り器が入ると思う。




  よくはわからないが、ふわふわしたタネがたくさん付いているものがあった。
  風で結構揺れている。そろそろこれも飛んでいきそう。




  コバンソウなのだろうけど、黄金色にはならなくて、おせんべ色になる。
  黄金色になったら、皆さんやっぱり争って取りにゆくのかな。

ゴミかお宝か

2008-06-08 07:13:16 | 散策
  朝のお天気、晴れ。少し元気のない晴れ。おぼろ雲。外に出てみた。風はほとんどない。蚊がいそうである。アメダスの6時の気温17.4℃。気圧は、1011.9hPa。室温は20℃。それよりちょいと高め。

  窓から、西のほうを眺めると少し霧のようなものがあって、草に、露も降りていた。ツユクサに、露。アジサイを眺める。それから、ヒゲナデ。ヒゲナデの実生は段々に減っていっている。鳩かその他の鳥が食べている可能性がある。この植物が同じ植物を消してゆく、そう作用を持つものを出しているのか、そんなことも思うが、これは思うだけ。

  宝箱ではないが、ジュラルミンのような輝きを持つ箱が、綿ぼこりにまみれて、綿ぼこりの海に沈んでいる。これを開けるときがるが、1年か2年に一回くらいである。入っているものはわかっていて、しかしそれをもう使わない。だから、中に何が入っているか正確にはどんどん忘れる。その箱を開けてみた。無論大きな綿ぼこりは、まずは紙ですくうように取った。それから掃除機でまわりのゴミを吸い取る。箱の中は、いつもと同じのはず。

  しかし今回は、中を見た。なぜかな。宝なんて入ってないのに。書くことがやけに狭くなっている。単調だが、そこの中は、OMシリーズの本体とレンズがある。そのレンズというものを珍しく一つ一つ取り出して眺めてみた。箱の中には、このレンズがなんと4本もあった。それから、もう一つはくっ付けて別のところにある。いずれも使わなくなって、久しい。
  昔はマメにUVフィルタを付けていたようだ。その表面はかなり汚れている。カビもありそう。しかし、そのフィルタをはずすと、その向こうに輝くガラスがありそうで、眼鏡をはずした。信じられないことに、広角のレンズまで入っている。こんなものも買ったのか。これを使った記憶はないぞよ。

  こうしてしばらくの時間、少し恍惚としていたようだが、またもとにしまった。このまま、またゴミの海に沈むのだろうか。それから、どんなものが入っていたか、それも忘れてしまいそうで、それはそれでいい。しかし、これはもしかしたら、お宝に化けるかも知れない、など思うのは何でだろうか。
  これはあまり追求しない方がよさそうである。