光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ぼんやりと集中力

2008-06-03 18:59:14 | 散策
  なんだか、さらに明るくなってきて、今から賑やかになる感じもしている。
  今頃あまり気象情報を見ることもないが、晴れの時間は午後の4時からの1時間が一番長いようである。お天気は回復して、というより悪くはならずに、ほぼ小雨も小康で、その後は雨は降らなかった。
  ぼんやりしているなと思うだけまだましかも知れない。そう思う。体がだるいのかも知れないが、この時期はそうゆう風になるようにも記憶している。しかし未来のことはわからず、ぼんやりと、集中力を欠くことと、同じかどうかもはっきりしないが、どうもこの時期は今ひとつ集中力を欠くようである。これは私だけのことかも知れないが。どうも体の動きも、おつむの動きも、後者は今さらゆうことでもないが、パッとしない。何でかなー。

  外に出てみた。今日は、一応ミニカメラを持った。他にも持つものを持った。それで、外に出てみると、外のほうが暖かい感じもした。もう一度、天気情報に戻ると、きのうは日中の最高気温は、20℃に達しなかった。どうりで、一所懸命歩いても汗をかかないはずだ。今日は、この辺りは21℃を少し超えたようだ。風はほどほどで、それで建物の中のほうが涼しく感じたのだから、よっぽどおかしな気候だなと、あるいはこれでいいのかも知れないが、思うわけである。

  それで、朝にも少し書いた、アヤメ科の葉っぱの出方というのを少し見ながら歩いた。キショウブが出ている。これもずいぶんと咲いているが、この花というか、植物から、葉っぱの出方のその少し妙であるところ、というのはわかりそうにもなかった。それからは、ほとんどアジサイの方に集中して、それ以外はただただ道を歩くことにする。そういいながら、少し毛色の変わったものがあると立ち止まったりもする。これが、ぼんやりで、集中力も欠くということだろう。でも、こんなものだ、これが今頃の季節というものだ。
  もう一つの大切なことを済ませて、ときに毎日訪れるある畑というか、草やら花やら、虫もいるところ。そこに、速歩で向かうと、ここにもキショウブのあとがあった。それから、これはグラジオラスかも知れない、というものの前に来た。このものの花はまだで、葉っぱだけがにょっきり出て来て、これを今調べてみると、アヤメ科の植物とあり、安堵しているが、その葉っぱの出方は、どう見ても茎に沿って、最初は割れるように出て来て、しばらくするとそのところをピタリと閉じて一枚の葉っぱになっているように思えた。これが、アヤメ科の葉っぱは「裏」しかないということをはっきり示しているようで、一番わかりやすそうである。

  その後は、またアジサイの花のみを見ることにした。ずいぶんと花が咲きそうなものはある。この花は去年も見た、そうゆうものをたどってゆくと、やはりあって、しかし、先ほどの青のアジサイは、初めてのところのものである。アジサイは、この花くらい雨が似合う花もないと思うが、その雨は期待はずれだ、そうアジサイは思ったことだろう。しかし、花の色素のほうは、すでに少しずつ出来上がり花、あるいはガクかも知れないが、それがすでに色付きだしている。
  花の色が変わって、七変化とか言われるというが、この辺りはなかなかむつかしいものだろう。アジサイの花の色はというと、いろいろな色のアジサイはあるが、それがどのように色を変化させるか、そういえば私も見続けたことはない。
  ここにもガクアジサイかヤマアジサイか、あるいはそのどちらでもないというアジサイもあれば、普通のしかし色は白いというアジサイもある。土壌の養分、あるいはその土壌が酸性かアルカリ性か、ということで花の色が変わるというのは昔から聞くが、それが花の色を決めるというのもちょっとわからない。土壌と、植物そのものが摂取する水分の水素イオン濃度というものは、あまり関連がないような印象も受けるがどうだろうか。
  花の色も、ある色素の合成の勢いの強い弱いがおもな感じもする。やはり紫のアジサイはその色から大して離れずに変色する気がする。
  どうもかなりぼんやりとしたことを書いたようだ。




  あっさり目の色の花。メシベの先っぽが十字になっている。




  いつもは、大体下を向いていて咲いている、そうゆう花。




  ピリッと終わるにはちょうどいい色の花が咲いてくれていた。

青いアジサイ

2008-06-03 16:12:53 | 植物・花(夏)
  曇り空で、ところどころ青空もあるお天気。
  日も差してきました。
  少し暖かく、ありがたい。
 
  雨はいつに降ったのか、というくらいの量しか
  振っていなようです。

  青色をしたアジサイ。青色のようで、
  ちょっと薄く、紫の成分も入っていそうなアジサイ。




  薄目の青ですね。濃さが足らないようで。




  高いところに咲いていて、空は真っ白。




  同じようなもの。接近すると下から見上げるようになります。




  オリジナルファイルをそのまま縮小したものも、並べてみました。
  横縦の比は、4:3です。

雨の風景を見て

2008-06-03 07:04:49 | 散策
  朝のお天気、小雨。小雨程度、雨は先ほど降り出したばかり。風は弱く穏やか。アメダスの6時の気温、16.4℃。気圧は1014.0hPa。室温19.5℃。少し涼しい。

  なんかずいぶんとゆっくりとした雨の降り出しで、TVとはかなり違う。寒そうな絵、それから、しとしとの絵、台風の影響もある。そうゆうものも見つつ、雨は大したことないと思う。
  今頃になって、キショウブのようなものが咲いている。水辺があるわけではなく、多分、アヤメかキショウブで、カキツバタや、ハナショウブではなさそう。アヤメ科の葉っぱは裏しかない、というものを読んで、それを確かめるべく、もう花の散った、と言うか花のあとしか残っていない、ドイツアヤメらしい花の葉っぱを見る。なるほど、茎から、はがれるように葉っぱが出て来て、それがあるところから先は、くっ付いて裂け目がなくなり、その先は大きな葉っぱがある。しかしその葉っぱは、構造的にはどちらの面も「裏」ということになる、ということである。いろいろ面白いことがあるものである。
  これを裏返すと、どうも日頃花を見て、など書いている自分であるが、何も見ていないのと変わらないと思いなおした。植物だから、こうあるはずだ、とかなりに思い込んでいる。それから、もはや、花の構造などももう一度学習するという気もないし、なれない。どうもこの辺は、ただきれいだったらいい、みたいなことが頭の中の大部分を占めていて、それ以外の何かが入る余地がないらしい。それを拒否しているようでもある。実際のところ、花の構造というものも、これをいくらかの特徴的なものに限ってそれを見てもどうもよくわからない気がする。その点、このアヤメ科の植物の裏しかない葉っぱというのは、見ると一目でわかって、納得した。

  雨の中の花というと、これもときどきに、撮ってみたりするが、思いの外出来がいまいちだなと思うことがある。特に、バラの花などで全面がもう雨で濡れてしまうと、そのものを肉眼で見ているにはかなり美しいが、これがファイルとなって、モニタに登場すると、なんだか思ったものとは別の絵がそこにあって、がっくりする。思うに、どうも合焦する位置がずれることと、水面のほうの反射がはっきりして、それに光の屈折も混じって、それゆえ微妙に花の形が異なってしまい、それを見ると、何じゃこれはと思うのではないか。
  では肉眼で見るとなぜあんなにきれいなのか、それにはかなりな思い込みというものがあるのではないかと思う。バラの花は、なかなかきれいなものであるし、それが脳裏に記憶されて、雨が降ろうが、その花が水に包まれようが、人の脳の中では、その美しいイメージが消えないのだろう。ちょっと歪んで見えているものが、脳の中では美しいものとして、修正されつつ見えている。
  バラの花は、その表面に雨滴がわかる程度が一番きれいである。こうゆうのは、お化粧も言えそうである。

  それにしても雨は降ったほうがいいのか、やっぱり日々の生活では降らないほうが気分はよさそうで、混乱している。