名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

鳴子学区50周年記念交流会開かれる

2013-11-10 20:55:42 | Weblog
2013.11.10(日)
 1963(昭和38)年4月、旧鳴海町が名古屋市と合併して緑区になって今年は50周年を迎えている。翌1964年には、有松町と大高町も名古屋市と合併して緑区に編入された。
 昨年9月に発足した鳴子学区地域委員会は、その活動として①花いっぱいの町“鳴子”②地域のきずな緊急キットの作成 ③鳴子学区50周年交流行事の三大事業に取り組むこととし、1年余にわたって議論し、準備してきたが、今日がその50周年の交流事業の日であった。緑区になったとき、鳴子学区は同時に誕生していたからこちらも50周年を迎えたわけである。
 鳴子学区は約3000世帯、7000人超の人口となっている。学区の中心は昭和35年から45年にかけて日本住宅公団(現UR都市再生機構)によって建設された住宅団地である。当時若くして入居した人たちも50年前後が経過して高齢化し、高齢化率は極めて高いものとなっている。
 人口も減少し、最盛期から見ると半減しており、特に子どもの数も減って、鳴子小学校は最大2000人の児童数がいまや300人前後にまで減少している。
 賑わっていた商店街も今はさびれ、シャッターで閉ざした店が並んでいる。高度成長の波に飲まれ、人情も希薄化して、町民の絆が弱い状態はどこの町も同じである。
 しかし最近、少しながら変化の兆しも出てきた。3年前から鳴子団地の改築が始まって、新しい住宅に若い家族が住むようになった。また、民間のマンションも併行して建設が進み、人口の増加がみられるようにもなったことである。
 今日の交流会は、こうした状況の中で「高齢者と若者との世代間交流が進み、鳴子の未来に向けて『あるべき姿』を住民同士が語り合える場にしたい(鳴子地域委員会委員長の挨拶から)」との思いから開催された。
 会場は鳴子中学校体育館で開催されたが、朝からあいにくの雨の上に子寒い日となってしまったために、一般の町民の参加者はやや目標を下回ったようにみえた。
 それでも太鼓、マジック、バトントワリング、三団体による鳴子踊り、バンド演奏など町内の出演者など含めて300人以上の参加者で賑わい、結構楽しい交流会であった。この活動で生まれた住民同士の絆がどこまで持続されるかが、今後の鳴子町の発展の試金石になる。