ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『自らの身は顧みず』 - 5 ( 戦前の日本を叩かない、アジアのリーダー )

2017-10-04 06:57:54 | 徒然の記

 ・歴史に関する意見は正論だが、( 何が何でも日本が正しい ) と主張する頑固さに、真面目な保守は違和感を感じる。

  日本の過去に関する氏の歴史観への感想です。氏の語り口には特徴があり、私はそれを「田母神節」と名付けました。簡単に言いますと、「何が何なんでも日本が素晴らしい」とする、強引な口調です。
 
 熱心な信奉者は別にして、そうでない人は、やり切れなくなりますから、今回は違った面からブログを書きます。「何もかも日本が悪かったのではない」ことを証明するため、氏が他国の政治家の言葉を紹介しています。
 
 今の日本では、反日左翼勢力による日本叩きが続き、しかも著名人が多いため、子や孫たちが騙されます。戦前の日本を徹底的に貶めるのは、中国と韓国・北朝鮮で、アジアの他の国には違う意見があると、教えてやりたくなります。
 
  1. ククリット・プラモート ( 昭和50年 タイ首相 )
 
  「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。」「日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、」「生まれた子供は、すくすくと育っている。」「今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、」「いったい誰のおかげであるのか。」「それは身を殺して、仁をなした、」「日本というお母さんがあったためである。」
 
 「12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、」「一身を賭して、重大な決意をされた日である。」「さらに8月15日は、我々の大切なお母さんが、」「病の床に伏した日である。」「われわれは、この二つの日を忘れてはならない。」
 
 いい気になってはダメですが、こんな意見を述べたタイ首相もいます。それなのに日本では、NHKと朝日新聞が先頭に立ち、敗戦後72年間毎年毎年、「日本は間違った戦争をした。」「アジア諸国を侵略した。」と、国民に悪口の拡散をしています。
 
 ククリット首相の言葉は、他の本で知っていましたが、読むたびに涙がこぼれそうになります。タイ国首相への感謝と共に、日本の腐れマスコミと愚かな政治家たちに対する、怒りの涙です。
 
  2. マハティール・ビン・モハマド ( 平成6年 マレーシア首相 )
 
 「日本が、50年前に起きたことを謝り続けるのは、理解できない。」「過去のことは教訓とすべきだが、」「将来に向かって進むべきだ。」「日本は、これからのアジアの平和と安定のため、」「国連の安保常任理事国となり、すべての責任を果たしてほしい。」「過去の反省のため、日本がPKOの派遣もできないのは、」「残念なことだ。」
 
 これは社会党の村山富一首相と、土井たか子衆議院議長に対し、マハティール氏が述べた言葉です。二人の反日の政治家は、帰国しても氏の言葉を国民に伝えず、マスコミも「報道しない自由」で、無視しました。
 
 3. バー・モウ ( ビルマの初代首相 )
 
 「歴史的にこれを見るならば、日本ほど、」「アジアを、白人の植民地支配から離脱させることに貢献した、」「国はない。」「しかしまた、その解放を助けたり、」「多くの事柄に範を示してやった諸国民から、」「日本ほど誤解を受けている国はない。」
 
 4. ヘレン・ミアーズ ( GHQで働いた、米国の日本専門家 )
 
  「歴史的に見て、アジアの民衆を奴隷にしていたのは、日本でなく、」「私たちが同盟を結ぶ、ヨーロッパの民主主義国である。」「日本は、現地住民に独立を約束した。」「それだけでなく、独立を保障した具体的な行動を進めている。」
 
 「1935年 ( 昭和10年 ) には、すでに満州での治外法権を放棄していたし、」「1943年 ( 昭和18年 ) には、中国に租借地を返還している。」「対戦中、日本は、占領したすべての地域の、」「現地独立政府を承認していった。」
 
 「私たちが解放戦争と呼んでいたものは、」「実はヨーロッパによる、アジアの再征服だったのである。」「恥ずかしいことに、アメリカが手を貸した・・。」
 
 この他にも、フランスの国際学者ポール・ホーシュや、フィガロ紙の従軍記者カレスコートの言葉なども引用しています。だがそれらは割愛し、マレーシアのラジャ・ダト・ノンチック氏の書いた詩を転記しましょう。
 
 田母神氏の説明によりますと、ラジャ氏は、戦時中に日本が受け入れた、東南アジア留学生の一人で、戦後マレーシアの上院議員になっています。アセアンの設立に尽力した、リーダーの一人です。
 
 かって 日本人は 清らかで美しかった
 かって 日本人は 親切でこころ豊かだった
 アジアの国の誰にでも
 自分のことのように 一生懸命つくしてくれた
 
 何千万人もの 人の中には 少しは 変な人もいたし
 おこりんぼや わがままな人もいた
 自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって
 いなかったわけじゃない
 
 でも その頃の日本人は そんな少しの いやなこととや
 不愉快さを超えて おおらかで まじめで
 希望にみちて明るかった
 
 戦後の日本人は 自分たちのことを 悪者だと思い込まされた
 学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
 まじめに
 自分たちの父祖や先輩は
 悪いことばかりした残酷無情な
 ひどい人たちだったと 思っているようだ
 
 だから アジアの国に行ったら ひたすら ぺこぺこあやまって
 私たちはそんなことはいたしませんと
 いえばよいと思っている。
 
 そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
 自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
 うわべや 口先では すまなかった 悪かったといいながら
 ひとりよがりの 
 自分本位の えらそうな態度をする
 そんな 今の日本人が 心配だ
 
 ほんとうに どうなっちまったんだろう
 日本人は そんなはずじゃなかったのに
 本当の日本人を知っているわたしたちは
 今は いつも 歯がゆくて 
 悔しい思いがする
 
  自分たちだけで 集まっては 自分たちだけの 楽しみや
 ぜいたくに ふけりながら 自分がお世話になって住んでいる
 自分の会社が仕事をしている その国と国民のことを
 さげすんだ目で見たり バカにしたりする
 
 こんなひとたちと 本当に 仲良くしていけるのだろうか
 
 どうして日本人は
 こんなになってしまったんだ         
 
              1989年 ( 平成元年 ) クアラルンプールにて
 
 ラジャ氏の詩を読むと、恥ずかしくなってきます。現在の日本人が、アジアで嫌われている理由が分かります。戦前の日本人の方が人々には親しまれ、敬意を抱かれていました。
 
 反省をさせられるだけでなく、戦後の私たちが、偏向した報道と教育で育てられてきたのかも分かります。こんな詩を紹介する田母神氏を、軽視する気になれません。ですから、もう一度言いましょう
 
 「田母神氏は来栖参謀総長以来、政治的犠牲になった二人目の自衛官で、憲法改正後に再評価される人物です。」
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『自らの身は顧みず』 - 4 ( 背広組と自衛官 )

2017-10-03 15:52:40 | 徒然の記

 「 国の安全保障、防衛省の組織に関する意見は正論であり、いずれ見直される時が来る。」

  これが、三つ目の読後感です。私が注目したのは、防衛省の組織に関する氏の意見です。普段なら、窺い知れない内部事情です。
 
 「わが国の文民統制の実態は、自由主義国家のそれより、」「北朝鮮や中国のシステムに近いのである。」「自由主義の国で、自衛隊ほど、文民統制の徹底している軍はないと言っていい。」「防衛省には、軍人の集団である自衛隊と、」「背広組による内局があるが、」「普段は内局が自衛隊を監視している。」
 
 「このため内局と、陸海空の各幕僚監部は、対立的な関係に置かれている。」「内局は各自衛隊に、大きな影響力を行使できるが、」「各幕僚監部は、内局に影響力を行使することはできない。」「この差別的状況が、自衛官にとっては、極めて居心地が悪いのだ。」「みな大人なので、口に出して言うことはないが、」「制服自衛官のほとんどが、恨めしく思っていることは間違いない。」
 
 「各幕僚監部と自衛隊の各部隊は、強い信頼関係で結ばれている。」「しかし同様な信頼関係が、」「内局と各幕僚監部には存在しない。」「自衛隊や自衛官が困っている時、」「内局に助けてもらったという経験を、持たないからである。」「何かあると、内局は自衛隊を叩き、自分たちのステータスを維持することに躍起になっているように見える。」
 
 「多くの自衛官がそう思っているところに、防衛省の問題がある。」「信頼関係がないから、情報の共有化ができず、」「内局に知られると損をするから、」「報告義務のあること以外は報告しないということになる。」「このような状況を、私はまずいと思い、」「子や孫の世代に残すべきではないと思っている。」
 
  氏の言葉を引用しているのには、訳があります。去る8月31日、「2・26事件」について書いたブログで、私は次のように述べました。
 
 「防衛省の中で、制服組と呼ばれているのが自衛官です。防衛大学出身者は、自衛官に任官した時から制服組となります。」「それ以外の事務次官、参事官、内部局員、事務官、技官が、俗に背広組と呼ばれています。」
 
 「現行憲法のもとでは、シビリアンコントロールのため、」「背広組の事務官が、組織的には制服組の上に位置しています。」
 
 「デスクワークの官僚が、現場で命をかける自衛官の上に立ち、」「それでうまくいくのだろうかと、思っていましたが、」「やはり庶民の常識は、間違っていませんでした。」
 
 予想が正しかったと自慢したいのでなく、事実を知れば、誰でも気のつく不合理な話だと言いたかったのです。田母神氏の本音を読めば、いびつな組織だということが、理解されるます。平成27年に自衛隊法が改正され、不合理がかなり是正されていますが、まだ不十分です。(  平成27年6月に、改正防衛省設置法が成立し、〈背広組優位〉の規定が撤廃されてい他ことを、ネットの検索で今日初めて知りました。)
 
 自衛隊が国防の任務を遂行できるように、省内の見直しが本格的に行われるのは、「憲法改正」以後ではないでしょうか。本が出版されたのが平成20年ですから、氏の意見は自衛隊法が改正される以前の話です。
 
 一連の流れをたどりますと、やはり氏は、来栖参謀総長と同様に、正論を述べる自衛官です。国を守る軍人が、自衛隊員と呼ばれるようになり、誇りを傷つけられたまま、戦後72年が経過しました。氏が、自衛隊員の気持ちを代弁していると思えば、無視できないものがあります。
 
 「自らの身は顧みず」という表題が少し大げさで、「乱暴な意見を言う氏は、やはり危険だ。」と、・・そう思う人は、危険を除去する方策を考えればいいのです。日本のため、憎まれ役を買っている氏を知れば、評価すべき意見です。
 
 氏の本を取り上げて以来、ブログを訪問する人が減りましたが、致し方ありません。個人として氏がどういう人物かということより、自衛隊の問題点が何かを知る本だと、そんな切り分けが必要です。気に入らない人物の意見は、何を聞かされようと気に入らない・・と、それではいけません。
 
 しかし私には、そういう偏見を責める資格がありません。何故なら私は、反日左翼の意見を頭から否定し、聞く耳を持たない、同じ偏見の持ち主だからです。
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『自らの身は顧みず 』- 3 ( 北沢喜美防衛大臣による言論封殺 )

2017-10-02 23:04:09 | 徒然の記

 「氏は、来栖参謀総長以来二人目の、政治的犠牲となった自衛官だった。」

 これが、読後二つ目の感想ですが、その前に「三矢研究」と「来栖発言」について、ネットの情報を探してみました。この二つの事件は、以後自衛隊の動きを縛った大きな出来事です。
 
 「三矢研究(みつやけんきゅう)とは、昭和38年に自衛隊統合幕僚会議が、」「極秘に行っていた机上参戦演習(シミュレーション)である。」「毛利元就の三本の矢の故事にならい、」「陸海空三自衛隊の統合、という意味から名づけられた。」
「統幕事務局長田中義男陸将を長とし、統合幕僚会議の佐官級16名、」「研究部として陸海空の幕僚監部から、佐官級36名が参加、」「昭和38年2月から6月にかけて、行なわれた。」
 
 「朝鮮半島で武力紛争が発生した場合の、」「日本への影響を研究し、」「非常事態に対する、日本の防衛のための、」「自衛隊の運用と諸手続きを、」「陸海空統合の立場から、研究することを目的とした。」
 
 佐藤内閣の時でしたが、三矢研究は、その後の国会において、防衛問題をタブー視する風潮を助長する契機となりました。
 
 昭和53年、「週刊ポスト」誌上で、来栖参謀総長が意見を述べました。
「現行の自衛隊法には不備があり、他国から奇襲侵略を受けた場合、」「首相の防衛出動命令が出るまで動けない。」「このため第一線部隊指揮官が、超法規的行動に出ることはありえる」と、有事法制の早期整備を促しました。

 早速政治問題化しましたが、氏は記者会見でも信念を譲らず、同様の発言を繰り返し、これが、文民統制の観点から不適切だということとなり、時の防衛庁長官金丸氏に解任されました。

 その後、福田首相が有事立法・法制の研究促進と、防衛体制の検討を防衛省に指示し、自衛隊法が改正され、有事法が成立しました。今となってみますと、来栖氏は正しいことを言い、信念を曲げなかった憂国の士だと分かります。田母神氏も今回の自分の解任を、来栖参謀総長と同じ延長線上で捉えています。

 「来栖議長は、法の不備を指摘したに過ぎない。」「法治国家だから、自衛隊は、法が整備されていないと動けないのであり、」「国防の任務が果たせない。」「ところが金丸長官は、」「世間に誤解を与えたという理由で、来栖議長を解任した。」「金丸氏は、支那事変のきっかけとなった、」「盧橋溝事件まで引き合いに出し、」「一人の軍人、一つの軍隊の行動が、」「大きな問題に発展する危険をはらんでいると、」「述べていた。」「長官は、軍は必ず暴走するとでも考えていたのだろうか。」

  私はその怒りを理解しますが、氏について国民の多くは、「暴走する」人物と誤解しそうな気がします。尖閣の領海や領空を侵犯する、中国の戦闘機や公船について、氏がなんと語っているか。

 「そんな飛行機は、打ち落とせばいいんですよ。」「領海を犯す船だって、撃沈してしまえばいいんです。」「それが国際法上の、常識です。」

 ここまでハッキリ意見を述べる将軍は、いなかったのですから、政府は驚き、国民はびっくりし、野党は激しく反撃します。それでも氏は、信念を曲げません。

   「軍事の国際標準に従えば、自縄自縛の政策は、すべて見直されるべきだと思っている。」「集団的自衛権はいうまでもないが、」「自衛隊を軍と認めない、日本国憲法も、」「書き換えが必要である。」「世界には、平和を愛していない国があることを気づかせてくれたのが、」「北朝鮮による拉致事件である。」

 「今年の春、名古屋高裁で、自衛隊のイラク派遣は、」「憲法違反であるとの判決があった。」「政府の命令で、自衛隊が命をかけて任務遂行にあたっている時、」「憲法違反だと言われては、隊員たちも立つ瀬がない。」

 「防衛政策では、専守防衛、非核三原則、武器輸出三原則を、」「見直す必要があると思っている。」「日本が核攻撃を受けたのは、核兵器を持っていなかったからだ。」「私は核のない不安定な社会よりは、核による平和な社会を選ぶ、」「と言ったのは、サッチャー首相だ。」

  平成二十年の十一月、氏は国会に参考人として招致され、屈辱的な扱いを受けます。民進党政権で防衛大臣になった北沢喜美氏が、委員長として述べた言葉をそのまま紹介します。
 
 「参考人に出席を求めたのは、国民の代表機関である国会の場で、この問題をただす一環として招致したものであり、決して本委員会は、参考人の個人的見解を表明する場ではありません。」
 
 「さらに本日の質問者、答弁者に対して、一言お願いいたします。」「論文事案は、制服組のトップが、自衛隊の最高指揮権を有する、内閣総理大臣の方針に反した意見を公表するという、驚愕の事案であり、政府の文民統制が機能していない証であります。」
 
 「文民統制の最後の砦が、国会であります。」「昭和時代に、文民統制が機能しなかった結果、国家が存亡の淵に立った最初の一歩は、政府の方針に従わない軍人の出現と、その軍人を統制できなかった、政府、議会の弱体化でありました。」
 
 「国民の負託を受けた国会が、後世の歴史の検証に耐えうる質疑を、お願いする次第であります。」
 
 平成29年9月9日、つい先日の千葉日報で、この反日民進党の元防衛大臣が、「憲法改正」にき写真入りで意見を述べていました。
 
 「九条があったからこそ、日本は70年にわたって戦争をしていないし、戦争で誰も死んでいない。」
 
 「具体策があるわけでないが、場合によっては改憲せず、法体系全体のに中で、自衛隊を明記する方法もあるのではないか。」
 
 「自衛隊が憲法に明記されれば、多くの隊員は喜ぶだろうが、河野克俊統合幕僚長が、首相の提案について、一自衛官としてありがたい、と発言したのはあり得ない話だ。」
 
 「しかも首相官邸は注意せず、擁護した。文民統制の根底が、覆った。」「国民はバカじゃない、国民を欺くような形で、憲法改正を議論してはいけない。」
 
 北沢氏は、よく防衛大臣が務まったものと呆れたくなりますが、むしろ、大臣の愚かさに耐えた自衛官に敬意を表すべきなのかも知れません。
 
 「国民はバカじゃない、国民を欺くような形で、憲法改正を議論してはいけない。」という言葉を、そっくり氏に返したくなります。何年経ってもバカはバカで、反日は反日であると、知らされる千葉日報の記事でした。
 
 もう一度、田母神氏の著作に戻りますと、平成二十年の国会招致で、氏が味わった屈辱が理解できます。極論と単純化の主張が多いので、感心しない氏の著作でしたが、日本を大切にしない反日の政治家たちと比較すれば、価値があります。
 
 参考人招致の委員会が終わった時、氏は記者たちに向かって怒りをぶつけました。
 
 「自由な議論ができないのなら、日本は北朝鮮と同じだ。」
 
 氏は間違いなく、来栖統合参謀総長以来二人目の、政治的犠牲となった自衛隊の高官でした。
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