「 国の安全保障、防衛省の組織に関する意見は正論であり、いずれ見直される時が来る。」
これが、三つ目の読後感です。私が注目したのは、防衛省の組織に関する氏の意見です。普段なら、知ることのできない内部事情です。
・わが国の「文民統制」の実態は、自由主義国家のそれより、北朝鮮や中国のシステムに近いのである。
・自由主義の国で、自衛隊ほど「文民統制」の徹底している軍はないと言っていい。
・防衛省には、軍人の集団である自衛隊と背広組による内局があるが、普段は内局が自衛隊を監視している。
・このため内局と陸海空の各幕僚監部は、対立的な関係に置かれている。
・内局は各自衛隊に大きな影響力を行使できるが、各幕僚監部は、内局に影響力を行使することはできない。
・この差別的状況が、自衛官にとっては極めて居心地が悪いのだ。みな大人なので、口に出して言うことはないが、制服自衛官のほとんどが恨めしく思っていることは間違いない。
・各幕僚監部と自衛隊の各部隊は、強い信頼関係で結ばれている。しかし同様な信頼関係が、内局と各幕僚監部には存在しない。
・自衛隊や自衛官が困っている時、内局に助けてもらったという経験を、持たないからである。何かあると内局は自衛隊を叩き、自分たちのステータスを維持することに躍起になっているように見える。
・多くの自衛官がそう思っているところに、防衛省の問題がある。信頼関係がないから情報の共有化ができず、内局に知られると損をするから、報告義務のあること以外は報告しないということになる。
・このような状況を私はまずいと思い、子や孫の世代に残すべきではないと思っている。
氏の言葉を引用しているのには、訳があります。去る8月31日、「2・26事件」について書いたブログで、私は次のように述べました。
・防衛省の中で、制服組と呼ばれているのが自衛官です。防衛大学出身者は、自衛官に任官した時から制服組となります。それ以外の事務次官、参事官、内部局員、事務官、技官が、俗に背広組と呼ばれています。
・現行憲法のもとでは、シビリアンコントロールのため背広組の事務官が、組織的には制服組の上に位置しています。
・デスクワークの官僚が、現場で命をかける自衛官の上に立ち、それでうまくいくのだろうかと思っていましたが、やはり庶民の常識は、間違っていませんでした。
予想が正しかったと自慢したいのでなく、事実を知れば、誰でも気のつく不合理な話だと言いたかったのです。
田母神氏の意見を読めば、いびつな組織だということが理解されます。平成27年に「自衛隊法」が改正され、不合理が是正されていますが、まだ不十分です。
自衛隊が国防の任務を遂行できるように、省内の見直しが本格的に行われるのは、「憲法改正」以後ではないでしょうか。本が出版されたのが平成20年ですから、氏の意見は「自衛隊法」が改正される以前の話です。
一連の流れをたどりますと、やはり氏は、来栖参謀総長と同様に、正論を述べる自衛官です。国を守る「軍人」が、「自衛隊員」と呼ばれるようになり、誇りを持てないまま、戦後72年が経過しました。氏が、自衛隊員の気持ちを代弁していると思えば、無視できないものがあります。
『自らの身は顧みず』という表題が少し大げさで、「乱暴な意見を言う氏は、やはり危険だ。」と思う人は、危険を除去する方策を別途考えれば良いと思います。日本のため、憎まれ役を買っている面の評価を忘れてはならないと思います。
氏の本を取り上げて以来、ブログを訪問する人が減りましたが、致し方ありません。個人として氏がどういう人物かということより、自衛隊の問題点が何かを知る本と、そんな視点が必要です。気に入らない人物の意見は、何を聞かされようと気に入らないと、それではいけません。
しかし私には、それを責める資格がありません。何故なら私は、反日左翼人々の意見を否定し、聞く耳を持たない偏見の持ち主だからです。