・歴史に関する意見は正論だが、( 何が何でも日本が正しい ) と主張する頑固さに、真面目な保守は違和感を感じる。
日本の過去に関する氏の歴史観への感想です。氏の語り口には特徴があり、私はそれを「田母神節」と名付けました。簡単に言いますと、「何が何なんでも日本が素晴らしい」とする、強引な口調です。
熱心な信奉者は別にして、そうでない人は、やり切れなくなりますから、今回は違った面からブログを書きます。「何もかも日本が悪かったのではない」ことを証明するため、氏が他国の政治家の言葉を紹介しています。
今の日本では、反日左翼勢力による日本叩きが続き、しかも著名人が多いため、子や孫たちが騙されます。戦前の日本を徹底的に貶めるのは、中国と韓国・北朝鮮で、アジアの他の国には違う意見があると、教えてやりたくなります。
1. ククリット・プラモート ( 昭和50年 タイ首相 )
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。」「日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、」「生まれた子供は、すくすくと育っている。」「今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、」「いったい誰のおかげであるのか。」「それは身を殺して、仁をなした、」「日本というお母さんがあったためである。」
「12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、」「一身を賭して、重大な決意をされた日である。」「さらに8月15日は、我々の大切なお母さんが、」「病の床に伏した日である。」「われわれは、この二つの日を忘れてはならない。」
いい気になってはダメですが、こんな意見を述べたタイ首相もいます。それなのに日本では、NHKと朝日新聞が先頭に立ち、敗戦後72年間毎年毎年、「日本は間違った戦争をした。」「アジア諸国を侵略した。」と、国民に悪口の拡散をしています。
ククリット首相の言葉は、他の本で知っていましたが、読むたびに涙がこぼれそうになります。タイ国首相への感謝と共に、日本の腐れマスコミと愚かな政治家たちに対する、怒りの涙です。
2. マハティール・ビン・モハマド ( 平成6年 マレーシア首相 )
「日本が、50年前に起きたことを謝り続けるのは、理解できない。」「過去のことは教訓とすべきだが、」「将来に向かって進むべきだ。」「日本は、これからのアジアの平和と安定のため、」「国連の安保常任理事国となり、すべての責任を果たしてほしい。」「過去の反省のため、日本がPKOの派遣もできないのは、」「残念なことだ。」
これは社会党の村山富一首相と、土井たか子衆議院議長に対し、マハティール氏が述べた言葉です。二人の反日の政治家は、帰国しても氏の言葉を国民に伝えず、マスコミも「報道しない自由」で、無視しました。
3. バー・モウ ( ビルマの初代首相 )
「歴史的にこれを見るならば、日本ほど、」「アジアを、白人の植民地支配から離脱させることに貢献した、」「国はない。」「しかしまた、その解放を助けたり、」「多くの事柄に範を示してやった諸国民から、」「日本ほど誤解を受けている国はない。」
4. ヘレン・ミアーズ ( GHQで働いた、米国の日本専門家 )
「歴史的に見て、アジアの民衆を奴隷にしていたのは、日本でなく、」「私たちが同盟を結ぶ、ヨーロッパの民主主義国である。」「日本は、現地住民に独立を約束した。」「それだけでなく、独立を保障した具体的な行動を進めている。」
「1935年 ( 昭和10年 ) には、すでに満州での治外法権を放棄していたし、」「1943年 ( 昭和18年 ) には、中国に租借地を返還している。」「対戦中、日本は、占領したすべての地域の、」「現地独立政府を承認していった。」
「私たちが解放戦争と呼んでいたものは、」「実はヨーロッパによる、アジアの再征服だったのである。」「恥ずかしいことに、アメリカが手を貸した・・。」
この他にも、フランスの国際学者ポール・ホーシュや、フィガロ紙の従軍記者カレスコートの言葉なども引用しています。だがそれらは割愛し、マレーシアのラジャ・ダト・ノンチック氏の書いた詩を転記しましょう。
田母神氏の説明によりますと、ラジャ氏は、戦時中に日本が受け入れた、東南アジア留学生の一人で、戦後マレーシアの上院議員になっています。アセアンの設立に尽力した、リーダーの一人です。
かって 日本人は 清らかで美しかった
かって 日本人は 親切でこころ豊かだった
アジアの国の誰にでも
自分のことのように 一生懸命つくしてくれた
何千万人もの 人の中には 少しは 変な人もいたし
おこりんぼや わがままな人もいた
自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって
いなかったわけじゃない
でも その頃の日本人は そんな少しの いやなこととや
不愉快さを超えて おおらかで まじめで
希望にみちて明るかった
戦後の日本人は 自分たちのことを 悪者だと思い込まされた
学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
まじめに
自分たちの父祖や先輩は
悪いことばかりした残酷無情な
ひどい人たちだったと 思っているようだ
だから アジアの国に行ったら ひたすら ぺこぺこあやまって
私たちはそんなことはいたしませんと
いえばよいと思っている。
そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
うわべや 口先では すまなかった 悪かったといいながら
ひとりよがりの
自分本位の えらそうな態度をする
そんな 今の日本人が 心配だ
ほんとうに どうなっちまったんだろう
日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っているわたしたちは
今は いつも 歯がゆくて
悔しい思いがする
自分たちだけで 集まっては 自分たちだけの 楽しみや
ぜいたくに ふけりながら 自分がお世話になって住んでいる
自分の会社が仕事をしている その国と国民のことを
さげすんだ目で見たり バカにしたりする
こんなひとたちと 本当に 仲良くしていけるのだろうか
どうして日本人は
こんなになってしまったんだ
1989年 ( 平成元年 ) クアラルンプールにて
ラジャ氏の詩を読むと、恥ずかしくなってきます。現在の日本人が、アジアで嫌われている理由が分かります。戦前の日本人の方が人々には親しまれ、敬意を抱かれていました。
反省をさせられるだけでなく、戦後の私たちが、偏向した報道と教育で育てられてきたのかも分かります。こんな詩を紹介する田母神氏を、軽視する気になれません。ですから、もう一度言いましょう
「田母神氏は来栖参謀総長以来、政治的犠牲になった二人目の自衛官で、憲法改正後に再評価される人物です。」