ねこ庭の独り言

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『自らの身は顧みず 』- 3 ( 北沢喜美防衛大臣による言論封殺 )

2017-10-02 23:04:09 | 徒然の記

 「氏は、来栖参謀総長以来二人目の、政治的犠牲となった自衛官だった。」

 これが、読後二つ目の感想ですが、その前に「三矢研究」と「来栖発言」について、ネットの情報を探してみました。この二つの事件は、以後自衛隊の動きを縛った大きな出来事です。
 
 「三矢研究(みつやけんきゅう)とは、昭和38年に自衛隊統合幕僚会議が、」「極秘に行っていた机上参戦演習(シミュレーション)である。」「毛利元就の三本の矢の故事にならい、」「陸海空三自衛隊の統合、という意味から名づけられた。」
「統幕事務局長田中義男陸将を長とし、統合幕僚会議の佐官級16名、」「研究部として陸海空の幕僚監部から、佐官級36名が参加、」「昭和38年2月から6月にかけて、行なわれた。」
 
 「朝鮮半島で武力紛争が発生した場合の、」「日本への影響を研究し、」「非常事態に対する、日本の防衛のための、」「自衛隊の運用と諸手続きを、」「陸海空統合の立場から、研究することを目的とした。」
 
 佐藤内閣の時でしたが、三矢研究は、その後の国会において、防衛問題をタブー視する風潮を助長する契機となりました。
 
 昭和53年、「週刊ポスト」誌上で、来栖参謀総長が意見を述べました。
「現行の自衛隊法には不備があり、他国から奇襲侵略を受けた場合、」「首相の防衛出動命令が出るまで動けない。」「このため第一線部隊指揮官が、超法規的行動に出ることはありえる」と、有事法制の早期整備を促しました。

 早速政治問題化しましたが、氏は記者会見でも信念を譲らず、同様の発言を繰り返し、これが、文民統制の観点から不適切だということとなり、時の防衛庁長官金丸氏に解任されました。

 その後、福田首相が有事立法・法制の研究促進と、防衛体制の検討を防衛省に指示し、自衛隊法が改正され、有事法が成立しました。今となってみますと、来栖氏は正しいことを言い、信念を曲げなかった憂国の士だと分かります。田母神氏も今回の自分の解任を、来栖参謀総長と同じ延長線上で捉えています。

 「来栖議長は、法の不備を指摘したに過ぎない。」「法治国家だから、自衛隊は、法が整備されていないと動けないのであり、」「国防の任務が果たせない。」「ところが金丸長官は、」「世間に誤解を与えたという理由で、来栖議長を解任した。」「金丸氏は、支那事変のきっかけとなった、」「盧橋溝事件まで引き合いに出し、」「一人の軍人、一つの軍隊の行動が、」「大きな問題に発展する危険をはらんでいると、」「述べていた。」「長官は、軍は必ず暴走するとでも考えていたのだろうか。」

  私はその怒りを理解しますが、氏について国民の多くは、「暴走する」人物と誤解しそうな気がします。尖閣の領海や領空を侵犯する、中国の戦闘機や公船について、氏がなんと語っているか。

 「そんな飛行機は、打ち落とせばいいんですよ。」「領海を犯す船だって、撃沈してしまえばいいんです。」「それが国際法上の、常識です。」

 ここまでハッキリ意見を述べる将軍は、いなかったのですから、政府は驚き、国民はびっくりし、野党は激しく反撃します。それでも氏は、信念を曲げません。

   「軍事の国際標準に従えば、自縄自縛の政策は、すべて見直されるべきだと思っている。」「集団的自衛権はいうまでもないが、」「自衛隊を軍と認めない、日本国憲法も、」「書き換えが必要である。」「世界には、平和を愛していない国があることを気づかせてくれたのが、」「北朝鮮による拉致事件である。」

 「今年の春、名古屋高裁で、自衛隊のイラク派遣は、」「憲法違反であるとの判決があった。」「政府の命令で、自衛隊が命をかけて任務遂行にあたっている時、」「憲法違反だと言われては、隊員たちも立つ瀬がない。」

 「防衛政策では、専守防衛、非核三原則、武器輸出三原則を、」「見直す必要があると思っている。」「日本が核攻撃を受けたのは、核兵器を持っていなかったからだ。」「私は核のない不安定な社会よりは、核による平和な社会を選ぶ、」「と言ったのは、サッチャー首相だ。」

  平成二十年の十一月、氏は国会に参考人として招致され、屈辱的な扱いを受けます。民進党政権で防衛大臣になった北沢喜美氏が、委員長として述べた言葉をそのまま紹介します。
 
 「参考人に出席を求めたのは、国民の代表機関である国会の場で、この問題をただす一環として招致したものであり、決して本委員会は、参考人の個人的見解を表明する場ではありません。」
 
 「さらに本日の質問者、答弁者に対して、一言お願いいたします。」「論文事案は、制服組のトップが、自衛隊の最高指揮権を有する、内閣総理大臣の方針に反した意見を公表するという、驚愕の事案であり、政府の文民統制が機能していない証であります。」
 
 「文民統制の最後の砦が、国会であります。」「昭和時代に、文民統制が機能しなかった結果、国家が存亡の淵に立った最初の一歩は、政府の方針に従わない軍人の出現と、その軍人を統制できなかった、政府、議会の弱体化でありました。」
 
 「国民の負託を受けた国会が、後世の歴史の検証に耐えうる質疑を、お願いする次第であります。」
 
 平成29年9月9日、つい先日の千葉日報で、この反日民進党の元防衛大臣が、「憲法改正」にき写真入りで意見を述べていました。
 
 「九条があったからこそ、日本は70年にわたって戦争をしていないし、戦争で誰も死んでいない。」
 
 「具体策があるわけでないが、場合によっては改憲せず、法体系全体のに中で、自衛隊を明記する方法もあるのではないか。」
 
 「自衛隊が憲法に明記されれば、多くの隊員は喜ぶだろうが、河野克俊統合幕僚長が、首相の提案について、一自衛官としてありがたい、と発言したのはあり得ない話だ。」
 
 「しかも首相官邸は注意せず、擁護した。文民統制の根底が、覆った。」「国民はバカじゃない、国民を欺くような形で、憲法改正を議論してはいけない。」
 
 北沢氏は、よく防衛大臣が務まったものと呆れたくなりますが、むしろ、大臣の愚かさに耐えた自衛官に敬意を表すべきなのかも知れません。
 
 「国民はバカじゃない、国民を欺くような形で、憲法改正を議論してはいけない。」という言葉を、そっくり氏に返したくなります。何年経ってもバカはバカで、反日は反日であると、知らされる千葉日報の記事でした。
 
 もう一度、田母神氏の著作に戻りますと、平成二十年の国会招致で、氏が味わった屈辱が理解できます。極論と単純化の主張が多いので、感心しない氏の著作でしたが、日本を大切にしない反日の政治家たちと比較すれば、価値があります。
 
 参考人招致の委員会が終わった時、氏は記者たちに向かって怒りをぶつけました。
 
 「自由な議論ができないのなら、日本は北朝鮮と同じだ。」
 
 氏は間違いなく、来栖統合参謀総長以来二人目の、政治的犠牲となった自衛隊の高官でした。
コメント
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