父の遺した写真 65 名古屋港 港新橋
港新橋(旧)は、東築地町と千鳥の間の堀川を横切って存在した道路の可動橋。現在はもっと新しい橋が名四国道の一部となっている。
65-1 港新橋 1957.8.10
65-2 港新橋 1957.8.10
65-3 港新橋 1957.8.10
3枚の写真は橋を揚げて、船が通過するところを写したもの。名古屋港付近は、標高が低くて橋を高い位置に付け難い。一方当時は船による運送が盛んで、その通過のために橋げたの高さを要する。そこで生れたのが跳ね上げ型の可動橋であった。しかし船の通過の度に車を止めるのでは不便であった。
可動橋港新橋は1961年2月に完成したが、4年後の1965年5月に閉鎖された。東側に跳ね上げ部分があり、それ以外は低い下路トラス橋だった。私も最近の様子を知りたくてちょっと前に訪れた。次の二枚の写真は私が撮影したもの。旧港新橋の跡はわずかに突き出た道路跡が東側に残っているが、西側には目立った遺構はない。
65-4 港新橋の遺構 2011.5.02
港新橋の少し南に、別の可動橋があった。こちらも跳ね上げ型であるが、鉄道橋。名称は名古屋港跳上橋で、歴史は港新橋よりずっと古い。
65-5 名古屋港跳上橋 2011.5.02
現在上げた状態で固定して保存されているが、状態はあまり良くない。父の写真には写っていない。
Key words Bridge Moving-Bridge Horikawa Minatoshinbashi Meishikokudo Flip-up 橋 可動橋 堀川 港新橋 名四国道 跳ね上げ橋 鉄道橋 愛知 名古屋
写真の転載はご遠慮いただきたい。
港新橋(旧)は、東築地町と千鳥の間の堀川を横切って存在した道路の可動橋。現在はもっと新しい橋が名四国道の一部となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/a4/25987d3a75eb6e0362fa9073a6de3b09.jpg)
65-1 港新橋 1957.8.10
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/3f/a401364135ac05f95220c917b7969b83.jpg)
65-2 港新橋 1957.8.10
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/6c/1cd7a92abec81f43272ab29447ad0306.jpg)
65-3 港新橋 1957.8.10
3枚の写真は橋を揚げて、船が通過するところを写したもの。名古屋港付近は、標高が低くて橋を高い位置に付け難い。一方当時は船による運送が盛んで、その通過のために橋げたの高さを要する。そこで生れたのが跳ね上げ型の可動橋であった。しかし船の通過の度に車を止めるのでは不便であった。
可動橋港新橋は1961年2月に完成したが、4年後の1965年5月に閉鎖された。東側に跳ね上げ部分があり、それ以外は低い下路トラス橋だった。私も最近の様子を知りたくてちょっと前に訪れた。次の二枚の写真は私が撮影したもの。旧港新橋の跡はわずかに突き出た道路跡が東側に残っているが、西側には目立った遺構はない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/45/69fc5fa135dc939529611a692c19e610.jpg)
65-4 港新橋の遺構 2011.5.02
港新橋の少し南に、別の可動橋があった。こちらも跳ね上げ型であるが、鉄道橋。名称は名古屋港跳上橋で、歴史は港新橋よりずっと古い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/a8/f09607d534e10e3552c791bb9198887e.jpg)
65-5 名古屋港跳上橋 2011.5.02
現在上げた状態で固定して保存されているが、状態はあまり良くない。父の写真には写っていない。
Key words Bridge Moving-Bridge Horikawa Minatoshinbashi Meishikokudo Flip-up 橋 可動橋 堀川 港新橋 名四国道 跳ね上げ橋 鉄道橋 愛知 名古屋
写真の転載はご遠慮いただきたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます