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最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

父の遺した写真 38 修学旅行

2017年03月16日 | 鉄道
父の遺した写真 38 修学旅行


38-1 ひので号 名古屋駅 1959年6月

 1959年4月に修学旅行専用電車ひので号が走り始めた。座席の配置や、テーブルなどの配慮がされた設計だった。父は修学旅行に関して研究していたから走り始めた「ひので号」の写真を撮りに行ったのだろう。修学旅行専用列車としては、「ひので」の他、きぼう・こまどり・わかあゆ・おもいで・とびうめ・わかくさ・わかば・わこうど・友情・なかよし などがあった(このリストは完全ではない)。一部は電車ではなくディーゼルカー。新幹線の建設とともに次第に廃止され、1975年の山陽新幹線博多までの開通の頃には定期運行はなくなった。「ひので」だけで240万人の運送を行ったという。


38-2・38-3 修学旅行 京都駅 1957年

 記録では「篠原小学校修学旅行・於京都駅」となっている。現在同名の小学校が、横浜・浜松・名古屋・春日井にある。父はどれにも勤務しなかったが、教育委員会の系列から考えると春日井市立篠原小学校だろうか。駅で偶然出会ったのなら他の篠原小学校もあり得る。撮影場所は京都駅の一番ホームの跨線橋から大阪側に降りた所で、現在も同じ場所が判別できる。

38-4 ひので号車内 場所不明 1959年

 座席の配置はボックス席で、片側3人掛け、もう一方が2人掛けだった。この写真は3人掛け側で、背もたれに手すりのようなものが取りつけてあって、その窓側に1人、通路側に2人掛けるようになっている。網棚も枕木方向になっていて、多くのかばんを置けるようになっている。
 写真の転載はご遠慮いただきたい。


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3 コメント

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Unknown (Sato)
2017-03-16 16:17:50
僕らの高校での修学旅行は1965年3月かと思いますが、旧国鉄の列車には初日の往路(名古屋~岡山)と最終日の復路(小郡~名古屋)に乗ってそれ以外では宇高連船・宮島の渡し船を除き観光バス利用だった
覚えです。

その国鉄の列車ですが、電気機関車に牽引された通常の3等客車だったと思いますが
貴方の記憶ではどうだったでしょう? 
名古屋駅と小郡駅ホームで列車の到着を
待っていた記憶は定かですが、さて確かに電気機関車牽引だったのかはややおぼろげです。
復路は一般客の方々と同乗でトランプゲームしていた記憶があります。
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Unknown (Satoh)
2017-03-16 16:26:46
往路は名古屋~岡山で乗り換え~宇野が正しかったと思います。訂正です。
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山陽本線の急行 (OK)
2017-03-17 01:51:18
山陽本線の電化は意外に遅く、私たちの修学旅行(1964.3)の時点では、広島の少し西の横川から小郡(現・新山口)の区間が未電化でした。そこが1964年7月に電化されて、山陽本線電化が完成しました。従って、往路の宇野までは電気機関車の牽引する客車列車の急行だったと思います。次の学年の修学旅行往路に乗り合わせましたが、急行「せと」だったという記録があります。復路の小郡からは、たぶん蒸気機関車牽引の列車(たぶん急行「さつま」)で、広島で電気機関車に付け替えたのでしょうか。
 なお、電化後も一部蒸機の牽引する列車はありました。
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