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最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

父の遺した写真 69 その他の橋

2018年02月28日 | 鉄道
父の遺した写真 69 その他の橋

 これまでに掲載した以外に、いくつかの橋の写真がある。統一感がないが掲載しておく。

69-1 大阪市上空から 1965.5.28

 父の九州旅行の帰りに大分空港から伊丹空港まで空路で移動した時のもの。淀川の景色で、手前の橋は貨物列車が見え、国鉄東海道本線の橋である。その向こうの一スパンだけランガー桁橋になっている橋は、御堂筋の新淀川大橋。そしてその下流に途中まであるのは本庄水管橋で、いずれも現存する。手前から順に供用年を調べると、東海道本線下り線(1934年)同上り線(1899年!)同貨物線(1923年)新淀川大橋上流側(1964年)御堂筋線(鉄道橋:1964年)本庄水管橋(1911年)。現在はこれらに加えて新淀川大橋の下流側(1970年)が加わる。本庄水管橋は現役ではなく土木遺産として保存されているが、それ以外は今も使われている。一番古い東海道本線上り線は19世紀の作、ちょっと古すぎるとも思われる。

69-2 餘部鉄橋から 1968.6.07

 有名な山陰線の旧餘部鉄橋から撮った写真である。直線的な防潮堤も、その内側の道路もほとんど現在と変わりない。少し家が増えたのと、道路が舗装されたことが異なる。撮影場所は、鉄橋上の京都寄りである。もちろん現在は新しい橋に変わったから、この視点からの写真は撮れない。父は餘部で下車したりはしなかっただろうから、列車内からのものだろう。旧鉄橋の写真を示すが、これは私の撮影。

69-3 餘部鉄橋 1970.9.19 私の撮影

 餘部駅のすぐ上に撮影場所があって便利であったが、誰もが同じ構図になってしまう。私は撮影後、徒歩で橋を渡ったが、危険なので後に禁止された。

69-4 宮崎市大淀川 1973.6.05

 この橋は第五代の橘橋。1932年に完成した鉄筋コンクリートのアーチ橋で、1979年に第六代の現在の橋に引き継がれた。写真は宮崎観光ホテル辺りから西向きに撮られたもので、画面中央やや右にある鉄塔は現存するが、他の建物は見当たらない。
Key words Bridge Yodo-River Oita Itami Tokaido-Line Langer-Bridge Midosuji Shinyodogawa-Ohashi Amarube Oyodo-River Tacibana-Bashi 淀川 大分 伊丹 東海道本線 ランガー橋 御堂筋 新淀川大橋 餘部 大淀川 橘橋 大阪 兵庫
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