OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

直方の跨線橋 3

2024年08月17日 | 鉄道

 転車台を転用した直方の跨線橋の現状を見て、もう一つの疑問は、煉瓦積みの橋台がコンクリートでかさ上げしてあること。さらに、レンガの橋台の最上部に少しだけ突き出した石材の橋げた支持台が見える。その位置はガーダーの真下である。かさあげをすると神社側は多少道路を土盛りするぐらいだが、東側では石段の段数を増さねばならない。どう解決したのだろう?

8 橋台にある支持石(破線円内) 2024.7.30

 これがあるからといって、レンガ橋台設置の時期が転車台が来た時(1974年以降)と同じかどうかわからない。かさ上げは電化した際の架線の高さのためとするブログがある、折尾・桂川間の電化は2001年10月6日で、転車台の廃止から少し時間が経っているはず。どこかに置いていたのだろうか。
 この跨線橋の幅や高さに関係しそうなできごとを列記しておく。
1 1906.11.11 直方・勝野間を複線化 複々線化の時期は分からなかった。
2 1974年より後 西口付近の転車台の撤去
3 1997.8.27 電化事業起工式
4 2001.10.6 折尾・桂川間電化
 複々線化の時に橋の長さを長くしなければならなかったはず。また電化の時にはすでに複々線だった(のちに筑豊本線の上下線と平成筑豊鉄道の上下線に分割)はず。あといくつかの歴史がわかれば、このあたりの関係は分かるだろう。

 わからないことばかりだが次の諸点はほぼ確認できたので列記しておく。
1 多賀第3跨線人道橋の側面ガーダーは、直方駅西口付近に1974年以後まであった転車台の転用である。
2 両側のガーダーだけではなく、転車台全体ががそのまま使われている可能性がある。
3 この人道橋が回転台を持ってきた時にかさ上げされた可能性もある。かさ上げされたのは、1997年8月よりも後2001年よりも前。

追記
 跨線橋を見に行かれる方、とくに鉄道好きの方は、直方市石炭記念館にある鉄道関連の屋内・屋外展示物を見逃さないように。屋外展示に次のものがある。
蒸気機関車 C11 131 

9 C11 2024.7.30撮影 
 1938.2.22 製造 1942年から直方区 1951年ごろ門司港区に移動 1971.1.07廃車 1974年に直方市に無償貸与

蒸気機関車 コッペル32号 

10 コッペル32号2024.7.30撮影 
 貝島大之浦炭鉱(宮若市)で動いていたドイツ製蒸気機関車。1925年貝島炭鉱がドイツから購入 1976年8月炭鉱が閉山。軸構成は見たところ前輪1 動輪3 従輪1または0のタンク車。貝島炭鉱は宮田線(1989.12.23廃止、1982年6月に乗車)の磯光駅から引き込み線を使って石炭の搬出を行っていた。なお、「コッペル」は製作会社 Orenstein und Koppel の名であって、型式名ではない。同社の蒸気機関車30型式ほどもあって、日本にも多くの種類の「コッペル」が入っている。同社の蒸気機関車には炭水車ではなくて、ボイラーの両側にある箱を水や石炭の収容に用いる「タンク車」が多い。カタログを見たが、直方のコッペルに当たる軸構成の型式は見つからなかった。特注したものか、日本で改造したのか、単にカタログに漏れたのか。軸構成だけで見ると1934年か1935年に中国に納入した機関車が近いが炭水車付きだし軌間も異なる。同社の製品リストには直方石炭資料館の機関車がリストに掲載されているが、同社の機関車作成時の記録ではなく、現在の静態展示写真と軌間が記してあるだけ。石炭記念館に設置してからのデータである。
石炭車 セム 1 C11に連結してある。


11 石炭車 セム1号
石炭車の1号車ではあるが木製だったのを鉄製に改造してある。石炭の搬出のために底の部分に蓋があって落とせるようになっているのを見逃さないように。「セ」は石炭車、「ム」は貨物車に対するサイズの等級の内最大のもの。

砂運車 ロト22号 コッペル32号に連結してある。貝島炭鉱で、採掘を終わった坑道に砂を充填するために使われた。ロトの語源は調べていない。
貝島大之浦炭鉱の人車など 

12 坑内で使用された人車と救急車を繋いだもの。
 今回写真を撮り忘れたところがあって、駅の北にある現存する転車台。いずれ見に行こう。跨線橋ひとつで、色々と調べると興味ふかく、ずいぶん愉しませてもらった。
 いくつかのブログを拝見して情報をいただいた。たとえば「趣味人Tの伝言」「機関車データベース」「今昔マップ」「地理院地図」「List of Orenstein & Koppel steam locomotives(in Wikipedia)」など、また直方石炭記念館の職員のIさん・Mさんに色々教えていただいた。各関係の方に御礼申し上げる。

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