平牧の鹿類に関してもう一つの論文がある。
⚪︎ 永澤譲次, 1932. 美濃国可児郡平牧村出土鹿化石に就きて. 地質学雑誌、vol. 39, no. 464: 219-224.
ちょっと後になるが、永澤は平牧から鹿類の左上顎臼歯化石一個を報告した。かなりすり減っていて、歯冠の長さ(近心・遠心径)20ミリというから、かなり大きなもので、サイズだけの比較では松本が記載した下顎と釣り合う。
661 永澤, 1932. 220ページのスケッチ
永澤は歯種を明記していないが、近心側と遠心側に接触面があるようだから、左上顎第一もしくは第二大臼歯ということになる。永澤はいくつかの近似属をあげた上で、「本標品を假にMioceneに其の出土普通なるPalaeomeryx属に含有せしめ Palaeomeryx minoensis n. sp. と命名し置かんとす。」としている。同じ種になる可能性のあるものに、別属の同じ種小名の新種を作るのは避けて欲しかった。
永澤譲次(?-1961)は、東京学芸大学の古生物学者で、海生貝類についての論文がある。この論文の1932年にはおそらく東北帝国大学に在学していて、同年に次の論文がある(こちらが先)。
⚪︎ 永澤譲次, 1932. 洪積期以後に於ける日本鹿類の大臼歯の大いさの變異に就いて. 地質学雑誌, vol. 39, no. 461: 71-84.
この論文で扱っている標本は表題には「洪積期以後」としているが、表の中には鮮新世(中国山東省)の化石も出てくる。しかし平牧の化石は出てこない。
最近、これらの標本について研究した結果が次の論文に記録された。先に記したように、このブログでは昔の論文を見直すことを目的にしているから、その学名についてだけ記す。
○ Nishioka, Yuichiro and Yukimitsu Tomida, 2023. Taxonomic revisions of lower Miocene pecorans (Mammalia, Artiodactyla) from Japan, with a new fossil record of srem Cervidae. Paleontological Research, vol. 27, no. 2: 182-204. (日本の下部中新統の反芻類の再検討と、シカ科祖先種の記録)
この論文では、平牧のシカ類が複数種であるとし、そのうちMatsumotoが記載した種と、長澤の記載した標本を ? Palaeomeryx minoensis (Matsumtoto, 1918) として扱った。ここで言いたいのは、恐れていた通り、二つの種類を同属としたために、シノニムリストではPalaeomeryx minoensis (Matsumoto) と Palaeomeryx minoensis Nagasawa というややこしいことになってしまった(それぞれに?マークをつけるべきところがあるが、ここでは除いた)。
ここで、平牧の鹿類に対して1974年ごろまでに挙げられた属名を調べてみた。Amphitragulus 属の命名文献は、資料によって異なっていて、Pomel, 1846、Pomel, 1847、それにCroizet in Pomel, 1846となっている。おそらく元のジャーナルは、フランスの地質学会のBulletinで、掲載巻の年号が1846・1847というのがあるからこんな混乱が起こったのだろうと推測した。Amphitragulusが出てくる次の論文があるからそれだろうか。
⚪︎ Pomel, Auguste, 1846a. Mémoire pour servir à la géologie paléontologique des terrains tertiaires du départementde l’Allier. Bulletin de la Société géologique de France, Ser. 2, Tome 3: 353-373.(Allier地方の第三紀層分布地の古生物学的地質学に関する記録)
662 Pomel, 1846a ジャーナルのタイトル
この論文には同じジャーナルのすぐ後のページに次の追補がある。
⚪︎ Pomel, Auguste, 1846b. Note sur des animaux fossiles découverts dans le département de l’Allier (addition au Mémoire sur la géologie paléontologique, etc. Bull., 2^ série, t. III, p. 353). Bulletin de la Société géologique de France, Ser. 2, Tome 3: 378-385, Planche 4.(Allier地方で発見された化石動物に関するメモー上記論文の追補)
インターネットで見ることのできるこのジャーナルの原本はTexas大学の図書館の所蔵。下中央やや右に打ち抜きの小穴が開けてあって、「LIBRARY UNIV. OF TEXAS」と読める。
Allierは、フランスの中央部にある県名で、Allier川の流域。中新世の地層が分布する。
「Amphitragulus」という属名は、1846aの369ページに出てくる。そこには「Amphitragulus: (数種類ある)ジャコウジカなどの新属で、すでにM. Croizetにより引用されている...」としてあるから、命名者がCroizetであるかもしれないが、Croizet文献の題やジャーナルは書かれていない。新属と言っているから、一応このPomel, 1846aを初出としていいのだろう。しかし、ここ(1846a)には図はないし特徴らしいものは書かれていない。それに二名法は用いられていない。たしかに属の命名を「Croizet in Pomel, 1846」とするのもわかる。1846b 論文で図示されていて第4図にスケッチがある。また、部分的に二名法が用いられている。
663 Pomel, 1846b. Planche 4.
本文の最後385ページに図版説明がある。Fig. 1から順に書かれているが、Fig. 8が重複している。しかしこれは簡単なことで、説明にFig. 9がないから、二つ目のFig. 8を9に読み替えていいだろう。Fig. 9は亀の腹甲で、図もそうなっているから間違いない。
664 Pomel, 1846b. Planche 4の図を、図版説明に従って分割したもの
問題はその後で、説明にはFig. 8がAmphitragulus elegansで、標本は犬歯と下顎となっていること。なんとFig. 7のスケッチがまさにこの組み合わせ。Fig. 7の説明は下顎だけになっているから、Fig, 8のスケッチに対応する。本文ではどちらの種類に犬歯があったのかは判明しない。ただし、「Dremotherium とAmphitragulus は非常に近いが、Amphitragulusには下顎の最も前の前臼歯があるがDremotheriumにはない。としている。スケッチのFig. 7では、第一前臼歯の歯槽がある(歯は抜けている)どうやら図版解説が入れ替わっているようだ。
間違いはこのように推測できるが、模式種の問題もある。A. elegansという種がこの図版説明で初めて使われているようだ。それで、Amphitragulus Pomel, 1846: type species Amphitragulus elegans, Pomel, 1846. というのが一般的に用いられている。厳密に言うと、属の提唱と、模式種の提唱は同じ年ではあるが別の論文でそれぞれ1846a、1846bと区別するべきであろう。地質年代は中新世。
665 Pomel, 1846b. Planche 4の図をここでの判断で変更したもの。二種類の図の間隔を空けてある。上がFig. 7. Amphitragulus elegans, 下がFig. 8. Dremotherium Feignouxi.
この図の標本のサイズについては、図中に1分の1としてある。もとのpdfファイルの縦の長さが232.7ミリとなっているのが正しければ、上の図のAmphitragulusの下顎のサイズは110.8ミリとなる。AmphitragulusとDremotheriumの第1から第2臼歯の近心・遠心径は25ミリぐらいとなる。先に書いたように、ニホンジカのその長さは32ミリ程度、松本が記載した平牧のシカでは37ミリだからそれらより大分小さい。それでも松本がAmphitragulus属に含めたのは、第一前臼歯の歯槽が存在するからであろう。
Nicolas Auguste Pomel(1821-1898)はフランスの地質・古生物学者。フランス領アルジェリアの上院議員をつとめた。
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