音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■バッハの「自筆譜」解読と、大野晋の「源氏物語」分析手法は、全く同じ■

2020-06-12 13:30:27 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■バッハの「自筆譜」解読と、大野晋の「源氏物語」分析手法は、全く同じ■
  ~原作を原文(自筆譜)で読み続けた結果、到達できること~
            2020年6月12日  中村洋子

 

 

                       (大山れんげ)

 

≪虹いでてそらまめも茹であがりけり≫ 久保田万太郎

そら豆の季節です、そら豆の「空」に掛かる虹。

庭の水やりに、ホースの先端を指で強く絞り、遠くに高く飛ばします。

飛沫の中に、きれいな虹が現れます。

万太郎の虹は、きっと本物の虹だったのでしょう。

日常に見られる小さな虹にも、この季節の清々しさが感じられます。


★自然界は変わらぬ営みであっても、我が人間界は、

自粛、巣篭りの日々でした。

この機会に是非!と思って始めた、膨大な量の楽譜や本、

CDの整理は、中々進捗しませんが、楽しい発見もたくさん

ありました。


★昔読んで、いまではすっかり忘れてしまった本を、整理の手を休め、

読み耽っています。

記憶がかなり朧なのですが、その内容が自分に沁み込んでいることに、

驚愕しました。


★その本は、クラシック音楽とは無縁なのですが、

いま自分が日々、音楽を勉強している方法の、   

根幹に触れる内容の本だったからです。

 

 

 


★ところで偶然、先月のことですが、5月20日に読みました

五木寛之「Daily Chronicle 流されゆく日々 連載10894回

回想に身をまかせて②」に、我が意を得たり、

という文章がありましたので、少し書き写してみます。


★《回想というのは過去を思い返すことと、されている。
しかし、それはいわゆる「思い出」にふけることとは、どこか違う
ような気がしないでもない。・・・中略・・・回想というのは
むしろ積極的な行為
だろう。古い記憶の海に沈潜するのではない。
なにかをそこに発見し
ようとする行為だからだ。人はだれでも豊饒な
記憶の海をもっている。
広く、深い記憶の集積のなかから、いま現在
とつながる回路を手探り
する「記憶の旅」が、回想の本質だ。
自分個人の体験を振り返るだけ
ではない、過去の知識を呼び覚ます
ことも回想の大きなはたらきだ》


先ほどの本は、≪岩波現代文庫:大野晋著「源氏物語」≫です。

岩波書店より1984年(昭和59年)4月にまず単行本として出版され、

10年後の1995年11月、「同時代ライブラリー版のために」という

タイトルの「岩波現代文庫」として、再刊行されています。

この現代文庫版には、初版あとがきと、再刊行された際のあとがきが

二つ収録されています。

私が所有するのは、2009年4月3日の現代文庫第二刷です。

残念ながら、この名著も現在は絶版中です。


★1984年のあとがきには、このように書かれています。

《毎年100篇以上の研究論文が公にされているという。
・・・略・・・私はそれらに関する知識はほとんどない。ただ原作を
原文で読み返して来たにすぎない。私の受け取っていること、
考えていることが、すでに周知の常識であるのか、それとも、
異端の見解であるのかも実は分からないのである》

私は過去に、この部分に赤いラインを引いていました。

この方法は、現在の私の「Bach平均律クラヴィーア曲集」の

勉強法そのものだからです。


★私も、日本で出版されています「Bach平均律クラヴィーア曲集」

の研究書といいますか、解説書を数冊持っていますが、

つくづく呆れた記述が多く、「こうはなるまい!」と、反面教師

としての面が強く、これ以上類書を購入する気には到底なりません。

 

 

 


★1995年「源氏物語」あとがきには、こう書いてあります。

《それは、大学教授という肩書に安住して、いわゆる源氏学者たちが
原文をきちんと読まないか、あるいは読めないか、そして考えない
からであると思う》

 

この痛烈な批判は、そのまま「Bach バッハ学者」にも、

当てはまりそうですね。

書き換えますと、こうなります。

『いわゆるBach学者たちが、自筆譜をきちんと読まないか、
あるいは、読めないか、そして考えないからであると思う』


★2009年版ですから、いまから11年前に読み、ほとんど忘れかけて

いた文章に、私は励まされていたことに気付きました。

断捨離という言葉がもて囃され、物を思い切って捨てることが

善なのだ、
という考えがもて囃されていますが、価値ある本や楽譜、

演奏(CD)は、絶対に手放してはならず、

何度も何度も学ぶべきものです。

温故知新です。


★さて、大野晋さんの「源氏物語」のとらえ方ですが、まずは、

昭和25年の「武田宗俊」説を紹介しています。

「武田宗俊」説は、源氏物語(全54巻)の初めから第33巻までは、

「紫の上系」と「玉鬘系」とに分離される、としています。

大野は、「紫の上系」を「a」系、「玉鬘系」を「b」系と呼びます。

順に挙げますと、「a」系は1、5、7~14、17~21、32、33巻。

「b」系は、2、3、4、6、15、16、22~31巻です。


★「b」系を除いて読んでも、「a」系だけで物語として

一つの筋をもちます。

大野は、「a」系の特徴は、『史記』、『漢書』、『後漢書』などの

「本記」の形式を取り込んでいることにあった、としています。

《「本記」とは、皇帝の事蹟を編年体で記していく方法です》
                               

★それに対し「b」系では、「空蝉」と「夕顔」「末摘花」「玉鬘」の

四人の女性について「列伝」的に書かれている、としています。

《「列伝」とは、皇帝ではない個性的な人物ごとに、その行動・性情を
具体的に描き、かつその一生を論評し価値づけるところに特徴が
ある。「本記」のような年月を追う記述の体裁を取っていない。
個人の行動や事業の重要な点の記述にもっぱら力が注がれる。
・・・ 「列伝」に扱われた人物は、それぞれ個性的に生きた姿を
そこにとどめている。・・・紫式部は列伝に収める人物として四人の
女性を選択し、その女性と光源氏との秘事を描くことによって、
「本記」である「a」系に対比させた》

 

★紫式部が、古典中の古典である漢文の「史記」(司馬遷)を、

深く読み込んでいたことも、分かります。


                      

 

               (ササユリ)

 

         

「a」系が書き始められたのは、紫式部が30歳を過ぎたばかりで、

未亡人となった頃であろうと、書かれています。

式部の夫・宣孝は、長保三年(1001年)、全国で流行った疫病

により、あっけなく亡くなっています。

結婚からまだ三年後のことでした。

扶桑略記によりますと、「長保三年辛五、春月疫死甚盛・・・
道路死骸不知其数。天下男女、夭亡過半。七月以後疫病漸止」
(春に大流行した疫病、5月9日には紫野で御霊会があった。
路上には、数が分からないほど死骸が転がり、世の中の男女の
半数が亡くなった。7月以降、疫病はやっと収まった)


★コロナ禍が降り懸かっている現在を、彷彿とさせます。

あの雅やかで、絢爛豪華な「源氏物語」とは程遠い惨状です。


★お話を戻しますと、「a」系の物語を書いていた式部は、まだ

「女房」として宮廷に出仕していない頃です。

《主人公として、あらゆる意味で比類なく卓越した光に満ちた男性を
設定して・・・幸福の頂点に至る筋を作り上げた。
これが「a」系である》(大野)
                         

 

★私の感想は、もし「a」系のみでしたら、美しく淡い夢物語でしか

なかったかもしれず、「b」系のみでしたら、あまりに人間的な

どうしようもない「やりきれなさ」を、感じたかもしれません。

「a」系と「b」系が相まって全五十四巻のほとんど三分の二を占める

この永遠の傑作が成立したと、思います。

「a」系と「b」系の33巻に続く「c」系は、光源氏の後半生です。

光源氏が准太上天皇となり、強力な権力を握った39~41歳の

ころから、妻・紫の上に死に別れる52歳までの物語で、

ここでは、藤原道長がさもこうであったであろうと思わせるような、

権力者の臭いをふんぷんと漂わせています。

「d」系は、光源氏没後の宇治十条です。

 

 



 


★何かクラシック音楽の形式、私のアナリーゼ講座でいつもお話して

いることと、似ていると思われませんか。

「a」系は作品の骨格です。

ソナタ形式で言えば第一主題の光源氏、第二主題とそれの

展開形です。

フーガ形式ならば勿論、第一提示部、第二、第三提示部となります。

そして、「b」系はといえば、フーガでは「嬉遊部Episode(英)、

Divertissement(仏)」でしょう。


★大野晋さんは、このようにも書いています。
《しかし、作者(式部)は、結局「女房」という生活に入っていった。
そこで目の前に見た宮廷の男性の動きを揶揄的に男の読者を想定して
描いたのが「b」系である》。

「b」系に登場する主たる女性は、空蝉、夕顔、末摘花、玉鬘の

四人ですが、

《これらは皆、光源氏の「失敗に終わる挿話」であるという共通点を
持っている》(大野)


《何事においても結局成功し、何事に見事にやり上げた「a」系と
対比すれば、
光源氏を取り扱う根本において相違がある。
つまり「b」系には、男に対する
作者の冷たい目が働いている》
                           
(大野)


★成程、式部は「a」系で外側から見た宮廷を、憧れを抱いて描き、

その後、女房として出仕し、その実態を間近にまざまざと見聞きし、

真実を体験したのです。


★大野晋さんは、このようにも書いています。
《「源氏物語」を読んでいくと、それが「枕草子」と違う一つの文体を
持つこと
がすぐ分かる。その感じを言葉にすると、「源氏物語」の
作者はAと表現すると
必ずその後ろに、「しかし、-Aでもある」と
つけてくる。「源氏物語」の記述は
決して一本道にAならA、BならBと
単純に突っ走ることはない。枕草子の著者は
視覚型の人で、目に見た
ところをすぱっと突く。その鋭い感覚はちょっとの隙も
見逃さない。
核心をついと斬る。読者は、はっと胸をつかれ、そうだと同意せ
ざるを
得ない。しかし、「源氏物語」の著者は一本調子に対象を
きめつけて描写したりは
決してしない。
いつもAといえば-A、右に向けば左、左を見ればすぐ右に眼を
向ける
。記述も描写も単純に割り切らない


★これもクラシック音楽の傑作について、すべて当てはまりますね。

Bachの作品は、決して一本道にAならAと単純に突っ走ることなく、

雄渾な主題の後には、軽やかな嬉遊部が続く、という訳です。

当たり前ではないか、と思われるかもしれませんが、

この当たり前のことが、作品でも演奏でもできていないことを

目の当たりにすることも多い、昨今のクラシック音楽でもあります。

 

 

 


★また、大野晋さんの論では、一つ一つの「言葉」についても

入念に分析しています。

訳文を読むだけで論文を書く学者とは、根本的に違うアプローチです。

前述しましたように、《いわゆる源氏学者たちが原文をきちんと
読まないか、
あるいは読めないか、そして考えないからであると思う》
ですね。

例えば、《私は先に「源氏物語」の形容語が、四層、五層の使い分けを
するものであることを例示した。「清げ」に対して、「清ら」という
形がある。
このどちらも「綺麗」とか「華麗」とか、ともかく
「美しさ」をいう言葉である。

しかし、それだけ知って「清げ」も綺麗、「清ら」も綺麗と受け取り、
それをもって原文の文章を理解した、としてはならない》(大野)


★その通りですね。

例えば、Robert Schumann ロベルト・シューマン(1810-1856)

自筆譜の「符尾」は、ある意味をもって上向きであったり、

下向きだったりするのですが、上向きだろうと、下向きだろうと、

音に変わりないだろうと、ブルドーザーで均すように統一して

しまっているのが、現代の実用譜です。

わずかに、ドイツの Bärenreiter ベーレンライター社と、

Henle ヘンレ社の二社が、少しずつ改善していますが、

まだまだです。

 

★私の著書≪クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!≫の

262~265頁《シューマン「予言の鳥」の自筆譜から、どう演奏

すべきかが見事に分かる》の264頁「符尾は下向きだけでなく、

声部の違いを示すために上向きもある」を、是非お読みください。


「源氏物語」の原文のみならず、 Bach バッハにしろ、 

Schumann シューマンにしろ、大作曲家の自筆譜を見なければ

お話にならないことも、多いのです。

https://www.academia-music.com/products/detail/23443

https://www.academia-music.com/products/detail/23316

 

 

                (京鹿の子)

 


★「清ら」、「清げ」に戻りますと、「清ら」は光源氏、朱雀院、

東宮、匂宮など天皇家の人々、あるいは第一級の人物に使われ、

「清げ」は、明石入道、柏木、薫、明石の上、女房たちなど血統の

低いとみなされるもの、または二流扱いされる人物を、形容します。


★皇子である匂宮は、多くの場合「清ら」であるが、

帝と対している場合には、「清げ」と言われた例もあり、

《つまり、「清ら」と「清げ」は、必ずしも社会的位置に固定した
形容詞ではなく、
相手と遇する使い手の意識によって使い分け
られるものである。
・・・現代語にはこれを訳し別ける単語はない。
「源氏物語」の表現を読むとは、
こうしたところを読み分けること
であろう》

 

★Bachの自筆譜を読み込むということは、「清ら」と「清げ」を

読み分けること、 即ち、Bachが自らの筆により、細かく微妙に

表記や記譜変えることで、本当に伝えたかったこと、ある意味、

最も本質的な要素を見極めることです。

それらは、残念ながら現代の実用譜からずり落ち、

すり抜けてしまっています。

 

★≪クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!≫の30~32頁、

《芭蕉の「奥の細道」自筆は、Bachの自筆譜に通じる》も、

併せてお読みください、特に、32頁11~13行目は是非!!。

 

 

                  (京鹿の子)

 


★五木寛之「流されゆく日々」連載10897回にも、

以下の記述があります。


《回想の引き出しは無数にある。そして、それを利用しないで
放っておくと
錆ついて開かなくなる。中にある記憶にもカビが
生えてしまうだろう。

 私たちは大英博物館よりも巨大な、無数の記憶のコレクションを
持っている。
未来だけが人生ではない。過去もまた自分の人生だ。
明日を夢見ることと
同様に、きのうを振り返ることが重要なのである》


★過去もまた自分の人生なのですね。

自分の人生を捨ててなるものか。

繰り返し繰り返し、古典から学び続けたいと思います。

私は、大野晋著「源氏物語」も、既に「古典」の領域に入っていると

思います。

再版されるといいですね。

 

 

 

 

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