■「フーガの技法」は暖かく、命に満ちた和声、絶妙な「Ⅲ」の和音の配置■
~アナリーゼ講座をオンラインで再開します:「悲愴」第2楽章~
2020.9.9 中村洋子
★今日は9月9日、重陽の節句です。
扉の向こうには秋が待っているのでしょうか。
ドアや引き戸を開けようとした時、ドアの向こう側にいた人も
同時に開けようとしていて、二人ともビックリという経験は
誰にでもあります。
★先日、郵便配達の方が、我が家の郵便受けに差し込み始めた
時のこと、偶然居合わせた私はその郵便物を家の中から
引き抜いて取ってしまいました。
配達の方はさぞビックリされたことでしょう。
その時思い出した短歌。
≪不実なる手紙いれても わが街のポストは 指を噛んだりしない≫
杉﨑恒夫「パン屋のパンセ」より
★この時、私は杉﨑さんのポストになった気分でした。
残念ながら届いた郵便物は、味気ない書類やDMばかりで、
不実なる手紙は入っていませんでした。
シューベルトの「Winterreise 冬の旅」第13番「Die Post
郵便馬車」のように、昔はPosthorn ポストホルン、
郵便馬車の喇叭に、恋人たちは胸を高鳴らせていたのでしょうね。
不実なる手紙を入れると、指を噛んでしまう、
そんなポストがもし、あったとしたならば、
面白くもあり、そして少々物騒でもあります。
★「Die Kunst der Fuga フーガの技法」のお話の続きです。
一つお断りしておきたいことがあります。
私は、このブログではBachの生前の自筆譜を使って、お話して
おりますが、皆さまがお持ちの楽譜は圧倒的に、
没直後出版の初版譜に基づく実用譜であると、思われます。
★自筆譜と初版譜の細かい差異については、今回触れませんが、
一つ重要なことは、小節数の数え方が違う、ということです。
例えば、自筆譜3小節目は、初版譜5、6小節目に、
自筆譜19小節目は、初版譜の37、38小節目に該当する、
というように、初版譜の小節数は、
自筆譜の小節数のほぼ2倍の数になっています。
★これはどういうことか、といいますと、
自筆譜は2分の2拍子でありながら、
1小節が2分音符4個分に相当する記譜法であり、
初版譜は、1小節に2分音符2個分に相当する、
現代と同じ記譜法だからです。
自筆譜と同じ記譜法は、平均律2巻9番 E-Dur Fuga でも、
採用されています。
★自筆譜や、平均律2巻9番の「alla breve アラ・ブレーヴェ」は、
当時の伝統的なアラ・ブレーヴェであるのに対し、
初版譜は、新しい様式のアラ・ブレーヴェ(2分の2拍子)を、
採用しています。
★とはいえ、「平均律2巻」の23番 H-Dur Fugaは、
その新しい様式で書かれています。
Bachは同じ曲集で、二種類の ala breve を区別して使っています。
これにつきましては、いずれ当ブログまたは講座で、
ご説明しますが、今回は和声のお話ですので、
この話題はひとまず脇に置き、
自筆譜と初版譜の拍子の記譜法が異なる、ということと、
自筆譜の小節数×2が、ほぼ初版譜の小節数に該当する、
ということだけを、先ずは念頭に置いて下さい。
★さて、前回約束しました「Die Kunst der Fuga フーガの技法」
の素晴らしい和声の一端をお話します。
前回では、自筆譜の見開き2ページの1ページ目最下段について、
書きましたが、今回は、その19小節目、20小節目前半の和声に
ついて、少し詳しく見てみます(初版譜では37、38、39小節)。
★「フーガの技法」は d-Moll 二短調ですが、
この左ページ最下段右端に位置する19、20小節目のソプラノ声部は、
何故か、C-Dur の主和音の構成音である「c²-e²-g²」が、
際立って目に飛び込んでくるように、
作曲されています。
★なお、自筆譜はソプラノ記号、アルト記号、テノール記号、
バス記号の4段譜で記譜されていますが、ここでは、
皆さまが読みやすいように、ソプラノ譜表とアルト譜表を、
高音部譜表(ト音記号による譜表)に、書き換えました。
また、この部分は、テノール声部は休止していますので、これを
省略し、3段譜によって書き写しました。
符尾の向きは、自筆譜とすべて同じ方向に書きました。
★この部分の和声は、どうなっているのでしょうか?
まず19小節目前半の和声を、要約してみます。
4段譜を大譜表に換えますと、こうなります。
これを大譜表を用いて和声要約します。
さらに要約を推し進めますと、こうなります。
是非、音に出して、この甘く切ない和声を味わって下さい。
「フーガの技法」の和声は、決して灰色に塗りこめられた
老年の、暗い和声ではありません。
★暖かくて魅力的、命に満ちた和声なのです。
少し解説しますと、冒頭の和音、それに続く二つ目の和音は、
「主調 d-Moll」 です。
そしてそれは「三和音」ではなく、「七の和音」ですので、
20世紀の映画音楽にも使われそうな、
甘く明るい響きです。
★続く三つ目の和音は、「F-Dur」にスルスルと転調しています。
なぜ「スルスル」なのか、といいますと、
冒頭和音「d-Moll Ⅵ₇」と、2番目の和音「d-MollⅣ₇」は、
「F-Dur」に読み換えますと、
「F-DurⅣ₇」と「F-DurⅡ₇」となり、
「d-Moll」でありながら、「F-Dur」と聴き取ることも
可能だからです。
★つまり、冒頭和音と2番目の和音を聴いている時、
その和音は「d-Moll」主調に属しながら、
「F-Dur」の和音としても通用するという二面性をもっているがため、
この二つの和音を、F-Dur「Ⅳ₇」と「Ⅱ₇」とも感じ取りつつ、
次には、スルスルと「F-Dur」ドミナント属七の和音に、
進行できるのです。
属七の和音が進行する先は、本来は主和音のはずです。
順当に主和音に進行したとしますと、
「フーガの技法」第1曲目は、こんな曲になっていたでしょう。
このように主和音に進行してしまいますと、
音楽がここで「終止」して、滞ってしまいます。
Bachが書きましたように、
ここを「Ⅲ」の和音にしますと、F-Dur の明るく
はっきりした長三和音の主和音ではなく、
短三和音の何か物問いたげな、それゆえ、
音楽の流れ自体が、“答え”を求めるかのように、
先へ先へと進んでいく絶妙な和音といえましょう。
★この「Ⅲ」の和音につきましては、私の著書
≪クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!≫の中で、
Chopin、Debussy、Rachmaninovの「Ⅲ」の和音について、
色々な角度から光を当てています、
どうぞ読み返して下さい。
★同様の「Ⅲ」の和音による和声進行が、
自筆譜20小節目(初版譜39小節目)にも、あります。
ここで気が付きますのは、19小節目から20小節目前半にかけて、
先ほど述べましたように、ソプラノ声部に C-Dur ハ長調の主和音
「c²-e²-g²」が、現れます。
★Bachは、「Ⅲ」の和音を巧みに配することによって、
あからさまなC-Dur を、避けているのです。
しかし、この1ページ最下段右端に C-Dur の主和音の構成音
「c²-e²-g²」が配置されていますのは、
紛れもない重要な事実です。
★今日のお話はここまでですが、Bachが d-Moll と C-Dur を
どう、捉えていたかを考える参考として、
私の著書≪クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!≫の
100~111ページ
『バッハ「「無伴奏チェロ組曲全6曲」の調性がもつ本当の意味』を、
もう一度お読み下さい。
★コロナによる緊急事態宣言により、延期していました
「アナリーゼ講座」を、再開することになりました。
ただ、コロナ禍はまだ終息しておりませんので、
「オンライン講座」となります。
初めての経験ですが、パソコンかスマホがあれば、
どなたでも受講が易々とできますよう、これからご案内に
努めたいと思います。。
★アナリーゼ講座の曲目は≪Beethoven(1770-1827)
ベートーヴェン ピアノソナタ第8番 Klaviersonate c-Moll Op.13
悲愴 (Grande Sonate Pathétique) 第2楽章≫です。
■日時:2020年10月31日(土)14:30-17:00(休憩1回)
https://www.academia-music.com/user_data/analyzation_lecture
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