音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■Chopinの Prelude No.6 で、 sotto voce の記された位置がもつ重要性■

2014-08-15 21:01:05 | ■私のアナリーゼ講座■

■Chopinの Prelude No.6 で、 sotto voce の記された位置がもつ重要性■
                     2014.8.15     中村洋子

 

 

 

 

★八月十五日の終戦記念日を、迎えました。

窓の外からは、もう虫の音がかすかに、

聞こえてまいりました。

自然は本当に、正直です。


★私は、お相撲のファンでした。

元関脇 「 金剛 」 の元二所ノ関親方が、8月12日に、

お亡くなりになりました。

まだ、65歳でした。

確か、2008年だったと記憶していますが、

初場所千秋楽の終わった後、当時、両国に在りました

「 二所ノ関部屋 」 のパーティーに、招かれたことが、

ありました。


★後援者の方々が、百人ぐらいお集まりになり、

ちゃんこ鍋やご馳走を、つつきあいました。

和気あいあいとした、とても楽しい宴会でした。

私の大好きな、 “ うっちゃり名人 “  大徹  さんにも、

お会いすることができました。

見上げるほど、背の高い方でした。


★金剛さんは、 “  ほら吹き金剛  ”  とあだ名されたほど、

冗談好きで、当日も、たくさんのジョークを、

飛ばしていらっしゃいましたが、

それが、決して人を傷つけるものではなく、どっと笑い、そして、

心のどこかに、暖かいともしびが灯るような、爽やかさでした。

本当にまだお若いのに、寂しいですね。

 

 


★KAWAI表参道で、 「  Open seminar on Bach Wohltemperirte

Clavier Ⅱ Analysis  バッハ平均律アナリーゼ講座 」 とは別に、

月一回、少人数での 「 アナリーゼ勉強会 」 を、開催しております。


★現在は、 Chopin の 「 Prelude 」 を一曲ずつ、 Debussy 版、

Cortot (Alfred  Cortot, 1877- 1962)版、

Paderewski パデレフスキー(1860-1941)版、Ekier エキエル版、

そして、Henle 版など実用譜を参照しながら、

Chopin の 「 Manuscript Autograph facsimile 自筆譜 」 を、

詳しく解読し、自由に discussion しながら、

勉強を進めております。


★前回は、 Vladimir Sofronitsky ソフロニツキー(1901-1961) の、

演奏を聴きながら、子細に No.6 第 6番 を、分析しました。

Sofronitsky は、あまりお馴染ではない名前ですが、

Sviatoslav  Richter スヴャトスラフ・リヒテル(1915-1997)が、

心酔していました、大ピアニストです。


Chopin の校訂版はたくさんありますが、何といっても、

抜きんでているのが、Claude  Debussy  クロード・ドビュッシー

(1862~1918)版です。

ちょうど、Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー(1886~1960)が、

Bach の校訂版で、 fingering フィンガリングにより、

Bach の analyze アナリーゼをしているように、

Debussy もこの版で、 Chopin を 完璧に analyze しています。

 

 

★ よくいただく質問ですが、「 Chopin はどう勉強したらいいですか?」

このブログで、いつも書いていることですが、まず、

 Chopin の  「 Manuscript Autograph facsimile 自筆譜 」

 に当たります。

次に、 「 Debussy 版 」 で、彼の analyze アナリーゼを学びます。

そして、大ピアニストがその音楽をどう、具現化したか学ぶ・・・

この三つの手順です。


★ Frederic  Chopin ショパン (1810~1849) が、

その短い後半生をフランスでおくり、生涯を閉じたことが、

 Debussy をはじめとする “ 印象派 ” と称される、作曲家を生み出した、

といえると、思います。


★Claude  Debussy  クロード・ドビュッシー (1862~1918)

 Maurice Ravel モーリス・ラヴェル(1875~1937) などの大作曲家が、

一般的には、 “ フランス印象派 ” という曖昧な言葉で、

安易に、一括りにされているようですが、この “ 印象派 ” という言葉は、

大変に、誤解されやすい言葉です。

漠然としたあやふやな一種のムードを、さながら夢遊病者のように、

描いたという、イメージが強いのです。


Debussy などが創り上げた音楽は、

厳然とした、構造物としての威厳に満ちた音楽なのです。

印象派の画家といわれる人たちにも、同様の誤ったイメージが、

付きまとっていると、思います。

 

 


Parisパリに観光で出向き、セーヌ川の畔や名所旧跡を散策し、

感傷に浸っても、 Debussy の音楽には、

一歩たりとも、近づかないのです。

 Chopin が Paris で活躍したからこそ、Emmanuel Chabrier 

エマニュエル・シャブリエ(1841- 1894)を初めとする、

一連の近代フランス作曲家が、誕生しえたのです。


★その頂点の一人 Debussy の作品に、

Chopin と同名の曲集、 「 Préludes Ⅰ、Ⅱ  前奏曲集 」 や、

「 12 Études  12の練習曲 」 があるのは、偶然ではありません。

また、 Debussy の 「 旋法 」 について、あたかもそれが、

彼の専売特許であるかのように、言われ勝ちですが、

その源は 実は、Chopin にあるのです。


★ Chopin  の Preludes を学ぶことは、

その起源である Bach に遡ることであり、さらに、回りまわって、

後世に花開いた、Debussy の創造の泉を学ぶことに、

他ならないのです。


★この三人を、並行的に学ぶことが、クラシック音楽の神髄へと、

到達する最短の途である、といえます。

また、ほとんど本音を語らず、韜晦的にしか言わなかった Debussy が、

手の内を正直にすべてさらけ出し、 analyze アナリーゼしているのが、

Chopin ピアノ作品校訂版なのです。


★逆に、この  Debussy 校訂 「 Chopin 」 を学べば、

 Debussy の作品が、真の姿を現します。

そこは、思いつきや気まぐれで、Piano の音色をもてあそんだり、

どぎついドラマティックな効果を、狙った世界とは、

最も、かけ離れた音楽なのです。

 

 

★現在、 「 アナリーゼ勉強会 」 で学んでいます、

 Chopin   「 Prelude No.6 」 については、

ほとんどの校訂版が、冒頭の 1拍目 ~ 2拍目中ごろにかけて、

大譜表の右手と左手との間の空間に、

≪ sotto voce ≫ という記号を、書いています。


★しかし、 「 Manuscript Autograph facsimile 自筆譜 」 を、

見ますと、その位置に ≪ sotto voce ≫ は、ありません。

見当たらないので、不審に思っていましたら、

参加者の方が、 「 ここにありました!」 と、思わず、

声を上げられました。


★なんと、曲頭の 「 h-Moll  ロ短調 」 を示す、二つの 「 ♯ 」 と、

「 4分の3 」 という拍子記号との間に、 ≪ S . V.  ≫ と、

大きく黒々と、記されていたのです。

 

 


★この ≪ sotto voce ≫ という記号の意味は、なかなか、

日本語で表現するのが難しい、といえます。

「 The New Globe 」 を、紐解きますと、

「 sotto voce is to be performed in a under-tone,

not necessarily very softly  but  without any sort of

emphasis.

  sotto voce is often a specific direction to play nearer

the fingerboard where the sound is gentler. 」 とあります。


★ 「The New Globe」 :

 under-tone で演奏され、それは必ずしも、飛び切り柔らかく

でもなく、しかし、どんな種類の強調でもない。

 しばしば、鍵盤により近づけて弾くという、具体的な指示としても

使われ、音がより gentle になる。

「 under-tone 」 は、「 小声で、声を和らげて密やかに 」

 というような訳、

「 gentle 」 は、優しく穏やかというような意味でしょう。


Beethoven  も、後期の弦楽四重奏、例えばOp.132

第 3楽章冒頭で、≪ sotto voce ≫ を記しています。

ここを勉強いたしますと、 Beethoven の ≪ sotto voce ≫ が、

よく、理解できます。

Barylli Quartet による、名演があります。

 [ UCCW-3018/25 ]

 

 


★実は、実用譜のように、

第 1小節目に ≪ sotto voce ≫ が、記されるのと、

Chopin が記したように、

「 h-Moll  ロ短調 」 の調号の真下に、書くのとは、

根本的に、意味が異なってくるのです。


★≪ sotto voce ≫ が、第 1小節目に記される場合、

当然、曲の途中で、この指示が取り消される、

変更されるということを、前提とした書き方なのです。


★しかし、 Chopin の書き方は、この ≪ sotto voce ≫ が、

「 Prelude No.6 」 の全体を、支配しているのです。

厳然と、支配しているのです。

「 調性 」 と 「 拍子 」 という、曲を規定する二大要素に、

覆いかぶさるように、大きな字で、力強く、

 ≪ S . V.  ≫  と、書かれています。

これは、全曲を通して、≪ sotto voce ≫ で弾いて欲しいー、

という、 Chopin の意志です。

 

★参加者の中に、 Cello も嗜まれる方が、いらっしゃいます。

私も思っていたことですが、その方が、

「 この左手の旋律は、Celloですね 」 と、おっしゃいました。

Cello の歌い方、音色、語り口と見事に、一致しているのです。

 

 


★この Chopin  「 Prelude 」 集は、

No.1  C-Dur、  No.2  a-Moll、  No.3  G-Dur、

No.4  e-Moll、No.5  D-Dur  No.6  h-Moll ・・・というように、

調号のない 「 C-Dur 」 と、その平行調、

「 ♯ 」 一つの  「 G-Dur 」 と、その平行調、

「 ♯ 」 二つの  「 D-Dur 」  と、その平行調というように、

調号 「 ♯ 」 が、一つずつ 13番まで増えていきます。


★ここで注目したいのは、 「 h-Moll 」 が、

Chopin にとって、どういう調であったか、

ということです。

 
このブログで、いつも Bach と他の作曲家の名曲とを、

関連付けていることについて、

疑問をお持ちに、なるかもしれません。

それは、Bach が 「 調性音楽 」 の可能性を最大限に、

押し広げた人であり、この 「 調性 」 というシステムで作曲する以上、

それ以上には、可能性を広げることは不可能だからです。


★Bach に続く、後の作曲家による傑作作品は、限りなく、

≪ Bach 作品の Variant 変奏 ≫ でしか、ありえないからです。

次回ブログでは、 このお話をさらに、続けます。

 

 

 


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