■平均律第2巻11番 Prelude で、1つのタイの有無がもたらす重大な意味■
2014.2.2 中村洋子
★2月6日、カワイ表参道で開催します
「 平均律第 2巻アナリーゼ講座 」 は、第 11番 F-Dur
BWV880 Prelude & Fuga です。
Bach の London Manuscript Autograph 自筆譜を基本に、
Julius Röntgen ユリウス・レントゲン (1855~1932)の版、
Bartók Béla バルトーク (1881~1945) 版、
Henle ヘンレ版、Bärenreiter ベーレンライター版を、
比較検討しております。
★Röntgen レントゲン版と Bartók バルトーク 版は、曲によっては、
Fingering がまったく異なるものもありますが、
11番は、同じ Fingering がとても多いのです。
★これは、偶然ではありません。
どちらかが、真似たということではないのです。
カワイ横浜での 「 Chopin が見た平均律アナリーゼ講座 」 で、
たびたび、お伝えしていますように、
Chopin が Bachの平均律に書き込みました Fingering と、
Bartók版の Fingering とが、同一である場合が多いのと、
同じ理由なのです。
★ Chopin、Bartók、Röntgen の Fingering は、決して、
弾くための、やさしい Fingering ではないのです。
その Fingering で、どのような motif モティーフ が生まれ、
それが、どのように有機的に成長していくか、
それを示唆するのです。
★Julius Röntgen ユリウス・レントゲン (1855~1932)は、
Casals が大変に尊敬していた作曲家、ピアニストです。
大チェリスト Julius Klengel ユリウス・クレンゲル(1859-1933)の、
従弟にあたります。
Casals のピアニストも、長年務めています。
ちなみに、Klengel クレンゲルは、Emanuel Feuermann
エマーヌエル・フォイアーマン(1902 - 1942)や、
Piatigorsky ピアティゴルスキー(1903 - 1976)の、先生です。
★いつものことですが、 Bach の London Manuscript Autograph
自筆譜 を勉強いたしますと、発見の連続です。
あの Casals が、毎朝毎朝、平均律をピアノで弾くことから、
1日を始めた理由が、よく分かります。
★その勉強があってこそ、彼の偉大なチェロ演奏が、あったのです。
毎日、平均律を弾くことで、発見とともに、
たくさんの疑問が、湧いてきます。
その疑問を深く考えることが、また、新たな発見につながります。
★例えば、 11番 Prelude 5小節目 上声の一番最後の音
「 c2 2点ハ音 」 の 8分音符は、6小節目の上声一番最初の 2分音符に、
タイ ⌒ でつながれている版が、よくあります。
★しかし、 Bach の London Manuscript Autograph 自筆譜に、
タイ⌒ は、ついていません。
★5~6小節を、一つのまとまりと見ますと、7~8小節の二小節は、
5~6小節を、長 2度下げて、少し変化を加えた
「 反復 」のように、みえます。
これを同型反復とみるか、そうでないかにより、曲全体の分析が、
さらに言えば、平均律全体の解釈が変わってくる、
とも言えるのです。
★7~8小節( 7小節目 上声一番最後 「 b1、 1点変ロ音 」 の 8分音符から、
8小節目上声冒頭の 2分音符 「 b1、1点変ロ音 」 ) を、見ますと、
自筆譜には、こんどは、タイ⌒ がついています。
★私も最初は 、5~6小節のタイは、
“ Bach が書き忘れたのかしら ” と思いました。
Henle 版には、何の注釈もなく、当然のように、
タイ⌒ が、書き加えられています。
★Bärenreiter ベーレンライター版の 「 新 Bach 全集
Bach Neue Ausgabe sämtlicher Werke 」 では、
この場所は、点線でタイ⌒ を描いています。
★Bach が書き忘れたかどうか、真偽は分かりませんので、
Bärenreiter ベーレンライター版の処置は、
注意喚起という意味では、妥当でしょう。
しかし、その判断は、奏者がするものであると、思います。
★このことは、いろいろなことを考えさせてくれます。
もし、タイ⌒ が 5~6小節のところに、
最初から、堂々と書き込まれていれば、
私たちは、ごく普通の滑らかで、穏やかな部分として、
その部分を深く考えることは、ないでしょう。
★私は、 “ Bach が書き忘れたのかしら ” と思った後、
“ Bach が、 あえてタイ⌒ を付けなかったのかもしれない ” と、
考えるようになりました。
タイ⌒ を付けないで演奏する場合、この二つの 「 c2 」 は、
際立って、耳に焼き付きます。
聴く人に、それを一つの motif モ ィーフとして、
認識させるのです。
★繰り返しますが、タイ⌒ を、意図的に付けなかったのであれば、
c2 ( 2点ハ音 ) の 8分音符と、
2分音符の二つの音 ( repeated notes )が、生まれます。
これは、実は、11番 Fuga の 72~76小節に奏される
≪ as1 - as1、 g1 - g1、f1 - f1、e1 - e1 ≫
( 4組の repeated notes ) と、呼応してくるのです。
そして、この 72~73小節の 最初の 3つの音
≪ as1、as1、 g1 ≫ は、
次の12番 Prelude f-Moll の冒頭 ≪ as1、as1、 g1 ≫ に、
ぴったりと、対応することになるのです。
★この連鎖は、それ以降の曲にもつながっていくのです。
つまり、平均律全体の捉え方まで、変わってくるのです。
非常に大きな意味を、もっています。
★Bach がタイ⌒ をあえて付けなかったのか、あるいは、
書き忘れたのか、それを考え続けることにより、
このような、新たな発見が出てくるのです。
★Henle版のみを信奉し、
ボロボロになるまで弾きこんでも、
このような疑問も、発見も通り過ぎてしまうのです。
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