■ インヴェンション 3番は、バッハ自筆譜通り出版されているか? ■
2010・5・10 中村洋子
★6月8日の「 第 5回平均律クラヴィーア曲集 」で、
お話いたします、「5番 ニ長調」 の勉強のために、もう一度、
インヴェンションとシンフォニアの「 3番ニ長調」を、
比較しながら、勉強しております。
★インヴェンション 3番、シンフォニア 3番、
平均律クラヴィーア曲集 1巻 5番 前奏曲そして、
5番 フーガの 4曲は、互いに、手を結び、
見つめ合っているような、親密な関係にあります。
★インヴェンション 3番は、現代の出版楽譜だけを見ていますと、
バッハの意図が、汲み取れない危険性が、大いにあります。
バッハの自筆譜を、読むことにより、
平均律ともいかに緊密な関係にあるか、気付くことができます。
★インヴェンション 3番の、アウフタクトに続く、
1小節目のスラーは、現代のほとんど楽譜、
即ち、最も権威あるとされています、ベーレンライター版、
ヘンレ版、ヴィーン原典版は、
小節の最初の「 Fis 」 からはじまり、
小節最後の 「 D 」 で閉じています。
★しかし、バッハの自筆譜では、実は、
1小節目の ( Fisに続く ) 2番目の音「E」から、スラーを始めています。
なぜ、このように、改竄されているのでしょうか。
★同じ旋律が現れる 19小節目の、上声に付されたスラーは、
音符の位置より、かなり高いところに、軽やかに記されています。
まるで、 “ 天女の衣が舞っている” ような、印象です。
続く 20、21小節も、全く同様です。
この 19、20、21小節のスラーは、
どの音から始まり、どこで終わるか、
特定するのは、難しいかもしれません。
★バッハがなぜ、そのように一見 「曖昧に」、
スラーを、書いたのでしょうか、
それは、この個所では、
“ 細かいアーティキュレイションで、
神経質に、切り刻むことなく、
おおらかなレガートを使いなさい ”という
指示をしたいためである、と思われます。
★冒頭 1小節目は、バッハが書いたように、
「E」の音からスラーを始めませんと、インヴェンション、
シンフォニア,平均律の親和力が、がたがたに崩れてしまいます。
★そもそも、1小節目の「 Fis 」の前にある、
アウフタクト「 D E 」が、アウフタクトとして完結するには、
「 Fis 」まで、一つの音楽的なまとまりとして、流れるべきです。
しかし、現代の校訂版のように「 Fis 」から、
新しいスラーを、始めてしまいますと、
「 D E 」は、「 Fis 」に拒絶され、空中分解してしまいます。
★私は、名ピアニスト、チェンバリストの録音をたくさん聴きましたが、
素晴らしい演奏は、例外なく、
「E」から始まるスラーを、十分に意識しながら、
弾いているのが、聴き取れました。
この点につきましては、講座で詳しく、お話いたします。
★この 1小節目と 19、20、21小節のスラーは、
旋律は同型でありながらも、
その意味するところが、大いに異なります。
★校訂者は、バッハの細かいニュアンスを読みとれず、
ブルドーザーで押し潰すように、画一的に、
すべてのスラーを、小節の頭から小節の終わりまで、
ご丁寧に、律儀に、引き延ばしてしまっています。
バッハの重要なシグナルを、読みとれないからでしょう。
即ち、アナリーゼの力の欠如です。
★空を軽く舞う天女の衣のように、終わると見えて、
また始まるスラーを書いたのは、バッハだけではありません。
ベートーヴェンの月光や、ショパンの前奏曲集やエチュードにも、
多く見られます。
ベートーヴェンの月光の初版本は、
ベートーヴェンの意図通りに校訂されました、素晴らしい版です。
ショパンがその優れた版を見て、
影響を受けたことすら、考えられます。
★現代の楽譜校訂者により、バッハもベートーヴェンも、
ショパンも、作曲意図が正しく伝えられていない、
という被害を蒙っている、といえるかもしれません。
★バッハが、倹約家で、楽譜の紙をケチったという流言も、
流布されていますが、孫引きに孫引きを重ねた、
したり顔の俗説に、惑わされる必要はありません。
★シンフォニア 3番のバッハ自筆譜は、
24小節目の前半で、3段目が終わってしまっています。
4段目は、24小節目の後半と、
最終の 25小節目の計 1.5小節だけが、
真ん中に、記されています。
その左右は、わざわざ空白にしてあります。
このレイアウトだけからも、バッハの狙いがよく分かります。
いかに、24小節目後半を、強調したかったか、
ここにバッハが、どのようなメッセージを込めていたか、
講座で、詳しくお話いたします。
★バッハは、楽譜が生前に出版されることが少なかったため、
バッハの自筆譜は、“ 出版物 ”と同じぐらい、
用意周到な配慮のもとに、丁寧に、書かれています。
★私が見ました限り、紙を倹約するために、
いい加減に記譜していることは、一切ありません。
バッハの家計簿を、研究することも結構ですが、
それは、バッハの芸術にとって、どうでもいいことです。
( 山野草 )
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
2010・5・10 中村洋子
★6月8日の「 第 5回平均律クラヴィーア曲集 」で、
お話いたします、「5番 ニ長調」 の勉強のために、もう一度、
インヴェンションとシンフォニアの「 3番ニ長調」を、
比較しながら、勉強しております。
★インヴェンション 3番、シンフォニア 3番、
平均律クラヴィーア曲集 1巻 5番 前奏曲そして、
5番 フーガの 4曲は、互いに、手を結び、
見つめ合っているような、親密な関係にあります。
★インヴェンション 3番は、現代の出版楽譜だけを見ていますと、
バッハの意図が、汲み取れない危険性が、大いにあります。
バッハの自筆譜を、読むことにより、
平均律ともいかに緊密な関係にあるか、気付くことができます。
★インヴェンション 3番の、アウフタクトに続く、
1小節目のスラーは、現代のほとんど楽譜、
即ち、最も権威あるとされています、ベーレンライター版、
ヘンレ版、ヴィーン原典版は、
小節の最初の「 Fis 」 からはじまり、
小節最後の 「 D 」 で閉じています。
★しかし、バッハの自筆譜では、実は、
1小節目の ( Fisに続く ) 2番目の音「E」から、スラーを始めています。
なぜ、このように、改竄されているのでしょうか。
★同じ旋律が現れる 19小節目の、上声に付されたスラーは、
音符の位置より、かなり高いところに、軽やかに記されています。
まるで、 “ 天女の衣が舞っている” ような、印象です。
続く 20、21小節も、全く同様です。
この 19、20、21小節のスラーは、
どの音から始まり、どこで終わるか、
特定するのは、難しいかもしれません。
★バッハがなぜ、そのように一見 「曖昧に」、
スラーを、書いたのでしょうか、
それは、この個所では、
“ 細かいアーティキュレイションで、
神経質に、切り刻むことなく、
おおらかなレガートを使いなさい ”という
指示をしたいためである、と思われます。
★冒頭 1小節目は、バッハが書いたように、
「E」の音からスラーを始めませんと、インヴェンション、
シンフォニア,平均律の親和力が、がたがたに崩れてしまいます。
★そもそも、1小節目の「 Fis 」の前にある、
アウフタクト「 D E 」が、アウフタクトとして完結するには、
「 Fis 」まで、一つの音楽的なまとまりとして、流れるべきです。
しかし、現代の校訂版のように「 Fis 」から、
新しいスラーを、始めてしまいますと、
「 D E 」は、「 Fis 」に拒絶され、空中分解してしまいます。
★私は、名ピアニスト、チェンバリストの録音をたくさん聴きましたが、
素晴らしい演奏は、例外なく、
「E」から始まるスラーを、十分に意識しながら、
弾いているのが、聴き取れました。
この点につきましては、講座で詳しく、お話いたします。
★この 1小節目と 19、20、21小節のスラーは、
旋律は同型でありながらも、
その意味するところが、大いに異なります。
★校訂者は、バッハの細かいニュアンスを読みとれず、
ブルドーザーで押し潰すように、画一的に、
すべてのスラーを、小節の頭から小節の終わりまで、
ご丁寧に、律儀に、引き延ばしてしまっています。
バッハの重要なシグナルを、読みとれないからでしょう。
即ち、アナリーゼの力の欠如です。
★空を軽く舞う天女の衣のように、終わると見えて、
また始まるスラーを書いたのは、バッハだけではありません。
ベートーヴェンの月光や、ショパンの前奏曲集やエチュードにも、
多く見られます。
ベートーヴェンの月光の初版本は、
ベートーヴェンの意図通りに校訂されました、素晴らしい版です。
ショパンがその優れた版を見て、
影響を受けたことすら、考えられます。
★現代の楽譜校訂者により、バッハもベートーヴェンも、
ショパンも、作曲意図が正しく伝えられていない、
という被害を蒙っている、といえるかもしれません。
★バッハが、倹約家で、楽譜の紙をケチったという流言も、
流布されていますが、孫引きに孫引きを重ねた、
したり顔の俗説に、惑わされる必要はありません。
★シンフォニア 3番のバッハ自筆譜は、
24小節目の前半で、3段目が終わってしまっています。
4段目は、24小節目の後半と、
最終の 25小節目の計 1.5小節だけが、
真ん中に、記されています。
その左右は、わざわざ空白にしてあります。
このレイアウトだけからも、バッハの狙いがよく分かります。
いかに、24小節目後半を、強調したかったか、
ここにバッハが、どのようなメッセージを込めていたか、
講座で、詳しくお話いたします。
★バッハは、楽譜が生前に出版されることが少なかったため、
バッハの自筆譜は、“ 出版物 ”と同じぐらい、
用意周到な配慮のもとに、丁寧に、書かれています。
★私が見ました限り、紙を倹約するために、
いい加減に記譜していることは、一切ありません。
バッハの家計簿を、研究することも結構ですが、
それは、バッハの芸術にとって、どうでもいいことです。
( 山野草 )
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