音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ インヴェンション 3番は、バッハ自筆譜通り出版されているか? ■

2010-05-10 23:49:52 | ■私のアナリーゼ講座■
■ インヴェンション 3番は、バッハ自筆譜通り出版されているか? ■
                          2010・5・10 中村洋子


★6月8日の「 第 5回平均律クラヴィーア曲集 」で、

お話いたします、「5番 ニ長調」 の勉強のために、もう一度、

インヴェンションとシンフォニアの「 3番ニ長調」を、

比較しながら、勉強しております。


★インヴェンション 3番、シンフォニア 3番、

平均律クラヴィーア曲集 1巻 5番 前奏曲そして、

5番 フーガの 4曲は、互いに、手を結び、

見つめ合っているような、親密な関係にあります。


★インヴェンション 3番は、現代の出版楽譜だけを見ていますと、

バッハの意図が、汲み取れない危険性が、大いにあります。

バッハの自筆譜を、読むことにより、

平均律ともいかに緊密な関係にあるか、気付くことができます。


★インヴェンション 3番の、アウフタクトに続く、

1小節目のスラーは、現代のほとんど楽譜、

即ち、最も権威あるとされています、ベーレンライター版、

ヘンレ版、ヴィーン原典版は、

小節の最初の「 Fis 」 からはじまり、

小節最後の 「 D 」 で閉じています。


★しかし、バッハの自筆譜では、実は、

1小節目の ( Fisに続く ) 2番目の音「E」から、スラーを始めています。

なぜ、このように、改竄されているのでしょうか。


★同じ旋律が現れる 19小節目の、上声に付されたスラーは、

音符の位置より、かなり高いところに、軽やかに記されています。

まるで、 “ 天女の衣が舞っている” ような、印象です。

続く 20、21小節も、全く同様です。

この 19、20、21小節のスラーは、

どの音から始まり、どこで終わるか、

特定するのは、難しいかもしれません。


★バッハがなぜ、そのように一見 「曖昧に」、

スラーを、書いたのでしょうか、

それは、この個所では、

“ 細かいアーティキュレイションで、

神経質に、切り刻むことなく、

おおらかなレガートを使いなさい ”という

指示をしたいためである、と思われます。


★冒頭 1小節目は、バッハが書いたように、

「E」の音からスラーを始めませんと、インヴェンション、

シンフォニア,平均律の親和力が、がたがたに崩れてしまいます。


★そもそも、1小節目の「 Fis 」の前にある、

アウフタクト「 D  E 」が、アウフタクトとして完結するには、

「 Fis 」まで、一つの音楽的なまとまりとして、流れるべきです。

しかし、現代の校訂版のように「 Fis 」から、

新しいスラーを、始めてしまいますと、

「 D  E 」は、「 Fis 」に拒絶され、空中分解してしまいます。


★私は、名ピアニスト、チェンバリストの録音をたくさん聴きましたが、

素晴らしい演奏は、例外なく、

「E」から始まるスラーを、十分に意識しながら、

弾いているのが、聴き取れました。

この点につきましては、講座で詳しく、お話いたします。


★この 1小節目と 19、20、21小節のスラーは、

旋律は同型でありながらも、

その意味するところが、大いに異なります。


★校訂者は、バッハの細かいニュアンスを読みとれず、

ブルドーザーで押し潰すように、画一的に、

すべてのスラーを、小節の頭から小節の終わりまで、

ご丁寧に、律儀に、引き延ばしてしまっています。

バッハの重要なシグナルを、読みとれないからでしょう。

即ち、アナリーゼの力の欠如です。


★空を軽く舞う天女の衣のように、終わると見えて、

また始まるスラーを書いたのは、バッハだけではありません。

ベートーヴェンの月光や、ショパンの前奏曲集やエチュードにも、

多く見られます。

ベートーヴェンの月光の初版本は、

ベートーヴェンの意図通りに校訂されました、素晴らしい版です。

ショパンがその優れた版を見て、

影響を受けたことすら、考えられます。


★現代の楽譜校訂者により、バッハもベートーヴェンも、

ショパンも、作曲意図が正しく伝えられていない、

という被害を蒙っている、といえるかもしれません。


★バッハが、倹約家で、楽譜の紙をケチったという流言も、

流布されていますが、孫引きに孫引きを重ねた、

したり顔の俗説に、惑わされる必要はありません。


★シンフォニア 3番のバッハ自筆譜は、

24小節目の前半で、3段目が終わってしまっています。

4段目は、24小節目の後半と、

最終の 25小節目の計 1.5小節だけが、

真ん中に、記されています。

その左右は、わざわざ空白にしてあります。

このレイアウトだけからも、バッハの狙いがよく分かります。

いかに、24小節目後半を、強調したかったか、

ここにバッハが、どのようなメッセージを込めていたか、

講座で、詳しくお話いたします。


★バッハは、楽譜が生前に出版されることが少なかったため、

バッハの自筆譜は、“ 出版物 ”と同じぐらい、

用意周到な配慮のもとに、丁寧に、書かれています。


★私が見ました限り、紙を倹約するために、

いい加減に記譜していることは、一切ありません。

バッハの家計簿を、研究することも結構ですが、

それは、バッハの芸術にとって、どうでもいいことです。


                        ( 山野草 )
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