小笠原諸島への5回目は小笠原村父島の街並みなどです。

お世話になった宿『クレセント』です。
港の中心街から車で5分もかからないすばらしく眺望のよい宿です。
クレセントの由来は二見港のシンボル三日月山からとったそうです。
英語の クレッセントやフランス語のクロワッサンの三日月です。
宿は仲村さんご夫婦二人で経営されており、秋田と東京都心の出身だそうです。
小笠原で観光関係に従事している方は、他の土地から来られた方が多いようでした。
クレセントは全個室、朝食とバス・トイレ付きで1泊1人8000円でした。
やや高値のためか6室のうち客は私どものみでしたが、快適な島暮らしができました。

クレセントから中心地に通じる道ですが、夕食時などに歩いて通いました。
コンクリートの建造物は太平洋戦争の遺構で、島の至る所にあります。
父島は戦時中、島全体が軍の要塞だった場所です。
戦後米軍の占領下となり昭和42年に本土復帰となりました。
戦跡を巡るツアーもあり戦争の悲惨さを後世に伝える重要な島でもあります。
壕を覆う植物には「クロツグ」との名札がありました(国内に自生するヤシでは一般的)。

小笠原警察署のパトカーは『警視庁』で品川ナンバー、まさにここは東京都です。
周辺は官庁街で、東京都小笠原支庁、役場、海上保安署、小笠原総合事務所などがあります。
また、海上自衛隊の基地があり、急病人対応ののヘリポートもあるそうです。

こちらは村営バスで、終点の小港海岸停留所に到着したところです。
村役場前を始発に境浦海岸、扇浦海岸、農業センターなどを通り小港海岸で折り返します。
1時間に1本ほどあり、1回券が200円で、1日券が700円です。
島内の名所を見ながらバスの旅をたっぷり1日楽しみました。

父島のメインストリートです。
おみやげ屋さんが3軒ほど連なり、店内はにぎわっておりました。
歩道沿いには椅子が用意されており観光客にはありがたいサービスです。

ガジュマルのエントランスに囲まれたプチリゾートです。
父島には宿が64、飲食店が26、商店・土産店が21と紹介されていました。
島内の飲食店は英語の看板が多くみられ異国文化が感じられます。

通りに面した民家の庭先です。
多くの家庭の庭先にはバナナ、パパイヤ、レモン、グァバなどの果樹が植えられています。
小笠原のバナナは、天保元年に無人島であった父島にハワイから最初に移住した
欧米系の人達により持ち込まれたそうです。
10~13センチと小型で皮が薄く黄熟し、風味が良いそうです。
日本に台湾バナナが輸入されていない時代は独壇場で、農家はバナナ景気に沸いたようです。

メインストリートの1本裏の道沿いは飲食店街で、夜はネオンが瞬いています。
夕食はこの界隈で島料理をいただきながら晩酌を楽しみました。
****次回は島の食の予定です****

お世話になった宿『クレセント』です。
港の中心街から車で5分もかからないすばらしく眺望のよい宿です。
クレセントの由来は二見港のシンボル三日月山からとったそうです。
英語の クレッセントやフランス語のクロワッサンの三日月です。
宿は仲村さんご夫婦二人で経営されており、秋田と東京都心の出身だそうです。
小笠原で観光関係に従事している方は、他の土地から来られた方が多いようでした。
クレセントは全個室、朝食とバス・トイレ付きで1泊1人8000円でした。
やや高値のためか6室のうち客は私どものみでしたが、快適な島暮らしができました。

クレセントから中心地に通じる道ですが、夕食時などに歩いて通いました。
コンクリートの建造物は太平洋戦争の遺構で、島の至る所にあります。
父島は戦時中、島全体が軍の要塞だった場所です。
戦後米軍の占領下となり昭和42年に本土復帰となりました。
戦跡を巡るツアーもあり戦争の悲惨さを後世に伝える重要な島でもあります。
壕を覆う植物には「クロツグ」との名札がありました(国内に自生するヤシでは一般的)。

小笠原警察署のパトカーは『警視庁』で品川ナンバー、まさにここは東京都です。
周辺は官庁街で、東京都小笠原支庁、役場、海上保安署、小笠原総合事務所などがあります。
また、海上自衛隊の基地があり、急病人対応ののヘリポートもあるそうです。

こちらは村営バスで、終点の小港海岸停留所に到着したところです。
村役場前を始発に境浦海岸、扇浦海岸、農業センターなどを通り小港海岸で折り返します。
1時間に1本ほどあり、1回券が200円で、1日券が700円です。
島内の名所を見ながらバスの旅をたっぷり1日楽しみました。

父島のメインストリートです。
おみやげ屋さんが3軒ほど連なり、店内はにぎわっておりました。
歩道沿いには椅子が用意されており観光客にはありがたいサービスです。

ガジュマルのエントランスに囲まれたプチリゾートです。
父島には宿が64、飲食店が26、商店・土産店が21と紹介されていました。
島内の飲食店は英語の看板が多くみられ異国文化が感じられます。

通りに面した民家の庭先です。
多くの家庭の庭先にはバナナ、パパイヤ、レモン、グァバなどの果樹が植えられています。
小笠原のバナナは、天保元年に無人島であった父島にハワイから最初に移住した
欧米系の人達により持ち込まれたそうです。
10~13センチと小型で皮が薄く黄熟し、風味が良いそうです。
日本に台湾バナナが輸入されていない時代は独壇場で、農家はバナナ景気に沸いたようです。

メインストリートの1本裏の道沿いは飲食店街で、夜はネオンが瞬いています。
夕食はこの界隈で島料理をいただきながら晩酌を楽しみました。
****次回は島の食の予定です****
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます