そこそこの放送作家・堀田延が、そこそこ真面目に、そこそこ冗談を交えつつ、そこそこの頻度で記す、そこそこのブログ。
人生そこそこでいいじゃない



9月9日。
今日で「タモリのジャポニカロゴス」が最終回です。
よろしければ、見て下さい。

9月9日。
今日夜19時から放送の「カ​ス​ペ​!地​上​最​大​の​テ​レ​ビ​動​物​園​​」
僕が作家やってます。
この写真のとき(6月28日のブログ)の特番です。



かわいい動物がたくさん出ます。
よろしければ、見て下さい。

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クローバーフィールド/HAKAISHA スペシャル・コレクターズ・エディション

パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン


久々にDVDで映画を観ておいて、こんなこと安易に書きたくないのだが。

この映画……
超~面白かった(笑)
もう、底抜けに面白かった。
ヤバイ。
へたすりゃ今年ナンバーワンだ。
気に入った。

僕はそもそも「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」をたいへん楽しく観た人間である。
その昔テレビで「ワレワレハ地球人ダ」というたいへん楽しい番組を作った実績もある。
なので、こういった「デジカメ手法」がそもそも大好きだ。
「そこまでしてウソつくか」というバカバカしさがなんともいえない。
よくこんな映画を真面目に作りきったと思う。
褒めてあげたい。
僕に誉められたからなんなんだという話だが。

ニューヨークが舞台だ。
チャラチャラした若者たちがチャラチャラしたパーティーをしている様子を、1台のホームビデオカメラが映している。
ここでの人間関係の伏線がこれまた上手なのだが。
そして大事件が起こる。
ニューヨークが突然パニック状態に陥る。
なにか異常なことが起こったのだ。
大災害か、テロか、戦争か、宇宙人の襲来か?
なんだか分からないけど、とにかく高層ビルは倒れるし、自由の女神の首はもげるし、ブルックリン橋は落ちるのだ。
この「なんだか分からない感」に恐怖がつのる(まぁ実際観ている方はこわくもなんともないのだが)
そして、その未曾有の大災害の模様をこの映画はずっと1台の手持ちビデオカメラの映像で見せていく。
つまり、臨場感勝負の大ウソつき映画なのだ。
気に入った。
観ていて酔うけど、気に入った。

リビングの小さなテレビで観ても、たぶん面白くないと思う。
大画面と大音響で観ないとダメだ。
おそらく我が家のホームシアターのサイズにちょうどぴったりしっくり来る映画だったんだろう。
なにしろ超~面白かったんだもん。
ただし、面白いのは最初に観る1回限りに違いない。
再び観ても面白さは半減しているはずだ。
だって「アレ」なんだもん。
なんなんだ「アレ」は?

公開時はそうとう賛否両論の映画だったに違いない。
だって「そりゃないぜ」という大災害の原因だから。
だけど「アレ」に対する疑問さえ払拭して映画にのめり込めれば、かなり楽しめる。
僕は「アレ」がなにかなんてどうでも良くて、この「大ウソつき臨場感」に思い切り乗っかって観てあげられた(まさにそれは「観てあげる」という上から目線がふさわしいのだ)
だから、超~面白かった。

大ウソに寛容に乗っかってあげられるかどうか?
それがこの映画を超~面白く観られるか観られないかの境目かな。

ほんとひとことで言えば、しょうもないですよ。
でも、今年のナンバーワンです。
星5つ。★★★★★
超~個人的なレベルで、だけど。

あと、出てくる女の子たちがみんなかわいいのだ。
そこもポイント高かった。
単純で申し訳ないけど。

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日曜日。
天気が良かったので、スーパーに買い物に行くついでに近所を散歩した。

僕の家の前には「駒八通り」が走っている。
文字通り、駒沢公園と環八通りを結ぶ道だ。
通りに出て右に歩いていくと、3分ほどで駒沢通りに出る。
交差点の角には高級焼き肉店「叙々苑」がある。
利用したことは数回しかない。
だって、値段が高いのだ。
それに僕は最近あまり焼き肉が好きじゃない。
とくにこのごろ牛肉がしつこくて重くて苦手になってきた。
肉はなんといっても豚だ。
まぁ、単純に歳をとったんだと思うが。

駒沢通りを左に曲がると、周囲に住宅展示場が広がる。
ここにある住宅展示場は「都内最大規模」らしく、たしかにとても広い。
いろいろな住宅メーカーが競い合うように洒落た住宅見本を建てていて、休日ともなると、マイホームの夢を胸にした幸せそうな家族の姿であふれかえる。
……というのが以前は常識的な光景だったのだが、今日は日曜日だというのに幸せファミリーの姿がほとんどなかった。
世間が不景気なんだろう。
家を建てようと考える人の数が減っているのかも知れない。

住宅展示場のそばにバッティングセンターがある。
バッティングセンター、それも路面店なんて、都内では相当珍しいのではないだろうか?
駒沢公園があって日体大があってと、スポーツに力が入っているこの近辺の土地柄だろうか?
とにかく駒沢通りに面したバッティングセンターがあるのだ。
申し訳ないけど、利用したことはない。
僕は昔少年野球をやっていた時期もあったけど、さすがに今、打席に立って、ボールを打ち返す自信がないからだ。
空振りは格好悪すぎる。
ここのバッティングセンターに行くなら、どこか別のバッティングセンターに通って打撃の勘を取り戻してからだ。

さらに行くと深沢不動がある。
深沢不動は、おそらくこのあたりの土地を守っている守護神社だと思う。
それなのによく考えたら、一度もお参りしたことがない。
今度の正月には、忘れずに初詣することにしよう。

深沢不動の交差点を等々力方面に左折するとすぐ、有名なパティスリー「NAOKI」がある。
ここのスイーツはめちゃくちゃ美味いのだが、買いに行ってもたいてい売り切れている。
と思ったら、今日はスイーツがまだたくさんショーウインドウに残っていた。
なるほど、この時間(昼過ぎ)なら天下の「NAOKI」のスイーツも普通に購入出来るようだ。
とはいえ、気分ではないので今日はスルー。
いつかスイーツが食べたくなった午後に、また買いに来よう。

その先に目指すスーパー「サミット」がある。
牛乳、納豆、茄子、キャベツ、にんにく、パン、缶ビール、ファブリーズ、サンドウィッチ、などなどを買う。

帰路はスーパーの横を走る緑道を行くことにする。
この「呑川緑道」はなかなか素敵な桜並木で、春には桜祭りも開かれる。
おそらく昔は川が流れていたのだろう。
深沢というぐらいだから、昔は川沿いに道があり、その後川を埋め立てて、こんなふうにくねくねと曲がる散歩道が造成されているのだと思う。
左右を通る車道よりも歩行者用の緑道の方が広いので、優越感があって良い。

両手にスーパーのビニール袋をぶら下げて、ぶらぶら散歩しながら、学芸大学付属の世田谷小学校と世田谷中学校のグラウンド脇を通れば、我が家はすぐその先だ。
真っ昼間、炎天下なのに、小学校のグラウンドでは子供たちが少年野球に熱中していた。
ご苦労なことだ。

帰宅後、ベランダに出て身体を焼きながら、文庫本を片手にビールを飲む。
うちの猫たちはベランダにも出てくるようになった。
まだ小さいので、ベランダから飛び降りて世界という大海原に漕ぎ出そうとはしない(そんな考え自体がおそらく浮かばないんだと思う)
たまに駒八通りを通る大型トラックの騒音と振動にびっくりしたりしている。
猫とひなたぼっこしながら、ビールを飲んで、本を読んで、なかなかいい感じの休日だ。

ますます出不精になりそうです。

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仕事場が最近こんな感じだ。
正直、困ってしまう。
仕事が出来ない。
なぜわざわざここで寝るのだ?

まだ2匹とも生後3ヶ月に達していないんだけど、見る見る大きくなり、活動範囲も広がり、階段を勝手に上り下りして家の中を縦横無尽に行き来出来るようになったばかりか、ありとあらゆるものを爪でひっかき、口でかじるようになった。
子猫おそるべしだ。

最近ブルースの方がごはんをたくさん食べるし、身体も大きくなった気がする。
一方のアンナはおしとやかに小食だし、身体はしなやかでスリムだ。
やはり男の子の方が大きくなるのかな?
猫でもそういうものなのだろうか?
相変わらず、朝から2匹でとっくみあいと追いかけっこばかりしているけど。

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まったく、焦った。
おかげで両手が血だらけだ。
そんなに爪を立ててひっかかなくてもいいのに。
まぁ、本人が一番焦ってたんだろうから仕方ないけど。
それにしても、僕の左手首は傷だらけだ。
何も知らない人が見たらぎょっとすると思う。
手首切って自殺を計ろうとした人みたいなんだもん。
やれやれ。

この写真。
なんだかよく分からないだろうけど、事故現場の写真だ。
衝撃の瞬間を残すため、写真を1枚パチリと撮っておいたのだ。

何がどうしたのか分からない。
何でこんなことになったのか分からない。
彼女自身にも分かっていないと思う。
だが、とにかく頭が挟まったのだ。
僕が仕事場で仕事をしていたら、突然子猫のアンナが、僕が座っていた椅子の背もたれパーツの狭いすきまに頭をつっこんで、抜けなくなって騒ぎ始めたのだ。

苦しそうにウニャウニャ鳴いている。
手足をバタバタさせて暴れる。
僕は彼女の小さな身体をつかんで、引っ張り出そうとした。
でも頭が引っかかって抜けない。
僕の両手は爪で引っかかれて見る見る間に血だらけだ。
入ったんだから抜けるはずだけど、物事はそう簡単ではない。
どうしても頭が引っかかる。
無理すると痛いのか、苦しそうに鳴く。
僕の手をますますひっかく。
痛い。
方向を変えたり、身体をくるくる回したり、いろいろやったけど、どうしても挟まった頭が抜けず、途方に暮れた。

仕方ないので、工具箱を出してきて椅子を分解することにした。
ところが僕の仕事場の椅子は、これまたずいぶん複雑な作りで(イトーキ社の素晴らしく座り心地の良い高級椅子なのだ)分解するのが容易じゃない。
2本ほどねじを外したところで、椅子を分解して救出するのは無理だと判断。
また途方に暮れた。
アンナはニャアニャア苦しんでいる。
こうなったら椅子を電動ノコギリで解体してやろうかと思ったけど、電ノコなんて持ってない。
119番に通報することも考えたけど「たかが猫のことで」と怒られそうだ。
油を塗ってヌメヌメさせて引っ張ることも考えたけど、猫に塗る油は普通のサラダ油でいいのか、やっぱりオリーブオイルの方がいいのか、ごま油の香ばしさも捨てがたいなあとかいろいろ考えているうちに、よく分からなくなってきた。

で、落ち着くために、写真をパチリ。
それがこの写真。
事故発生から15分ぐらい経っていたと思う。

しばらく冷静に考えた。
で、少々可哀想だが、やはり強引に引っ張り出すしかないと決意。
もう無理矢理、狭いすきまからアンナの頭をえぐり出す。
頭蓋骨がきしむ感じがした。
ニャアニャア苦しんでいたアンナだが、強引に引っ張られ頭蓋骨がきしむ瞬間「ギュウ」と声にならない嗚咽を漏らした。

で、

スポン!

なんとか抜けた。

救出されたアンナだが、よほど精神的に堪えたのか、ぐったりと寝転んでハァハァしていた。
間違いなくトラウマになるだろう。
可哀想に。
でも、油でヌルヌルになったり、すぐそばで電ノコの音を聞いたり、救急隊員のオッサンたちとかにワーワー言われながら救出されたりしなくて良かったはずだ。
なにしろ飼い主の両手は血だらけなんだぞ。
ったく、人騒がせな猫だ。

その後。
1時間ぐらいしたら、元気になった。
ケロリとごはんを食べたり、ブルースと遊んでいる。
事故現場の椅子には近づかないのかと思ったら、普通に座っている僕のひざの上に登ってくる。
どうやらもう事故のことはすっかり忘れたらしい。

よく分からないが、こういうところひとつ取っても「さすが猫」と言うしかないのだ。

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ひざの痛みがようやく消えた。
いや、断言は出来ないな。
……少なくとも、消えたような気はする。

当初は両ひざが痛かったのだが、右ひざがまず治り、その後も左ひざだけはジクジク痛んでいたのだが、その左ひざの痛みもいよいよ消えたような気がする(ちょっとした違和感や張りはまだ残っているけど)

というわけで、そろそろランニング再開だ。
幸い朝晩だいぶ涼しくなったきたので、走りやすいはずだ。
まずは軽く3㎞ぐらい走って様子を見てみよう。

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メーテレ「ラブ★ちぇん」の総合演出F氏から、あるパンフレットを手渡された。
世田谷246ハーフマラソンのパンフ。
僕が最近会議で「オレはマラソン走るぞ!」という景気のいい話ばかりしているので、わざわざ持ってきてくれたのだ。
F氏も最近ジョギングを始めた。
僕としては共にマラソンデビューしたい。
というか、出来るだけ多くテレビ業界の人間をこの無謀な挑戦に引きずり込もうと画策しているのだが、みんななかなか首を縦に振らないのだ。

世田谷246ハーフマラソンの開催日は11月9日。
たった2ヶ月先。
駒沢公園をスタートし、246を通って二子玉まで走り、多摩川沿いに砧の浄水場まで走って折り返し、目黒通りから我が家のすぐ目の前の駒八通りを通って再び駒沢公園に戻る、総距離21.0975㎞。
制限時間が130分。
5㎞30分ペースで走り続けなければならない。
これは相当キツイ。
だが「ええぃ、ままよ!」という感じで、勢いで申し込んだ。

申し込んだのは、カテゴリー3「ハーフマラソン男子(40~59歳)」
この年齢区分に入ってしまう自分が悲しい。
昨年申し込んでいれば、カテゴリー2「ハーフマラソン男子(高校生~39歳)」だったのに。
今日9月5日が申込の締め切り。
抽選で1000人の出場枠に当選すれば走れる。
昨年の実績では、2200人応募があったようだ。
倍率2.2倍。
9月25日頃、当選非当選の通知が来るらしい。
当選しちゃったら、走るしかない。
自分を追い込むのだ。

ああ、ドキドキする。
自分で申し込んでおいてなんだが、当選したらどうしよう。
21キロかぁ……
つらいんだろうなぁ。

こう考えると、マラソンってドMのスポーツだなぁ(笑)

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ふと気になって、昨年9月のブログを読み返してみた。

約1年前、僕は3つの目標を立てていた。

1/煙草をやめる
2/肉体改造に取り組む
3/1年以内に小説を書く

「1」は完全に成し遂げた。
「2」は現在進行中である(ひざ痛で中断しているが)
「3」は全くの手つかずである。

3打数1安打。
打率3割3分3厘3毛。
これをなかなかの強打者と見るか、へなちょこと見るかは、人それぞれだと思う。
自分に甘い僕としては、なかなかよくやったと思う。

それにしてもあれから早くも1年だ。
まったく、あきれかえるほど、マジで、1年経つのが速い。

少し前のこと。
我が家に遊びに来た母親(70歳)に「どうなの?人生速かった?」と聞いてみた。
母は即答した。
「ものすごく速かった」と。
母曰く「40歳ぐらいからの速さはもうハンパない」らしい。
実際に70年生きてきた人間の実感のこもった言葉だから、そりゃ確かなんだろう。
ああ、こわいこわい。

しっかり生きないと、あっという間に死ぬぞ。
僕はそのとき気を引き締めた。

というわけで、今進行中の「2」を引き続きやること。
そしていい加減「3」に着手しなければならない。

頑張ろう。

2008年9月
堀田 延

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少しきたない話で恐縮だが。
猫のフン掃除が楽しいのだ。

僕は毎朝、猫が朝ごはんを食べているタイミングで、我が家の1階と2階にそれぞれ1個ずつ置いてある猫のトイレを掃除することにしているのだが、これがまさに「宝探し」といった風情なのである。
「宝探し」というか「不発弾処理」というか「地雷撤去」というか、そういったものに近い妙な興奮を味わえるのだ。
実際の不発弾処理や地雷撤去で興奮は味わえないだろうし、そんなこと書くのは不謹慎だし、もし本当にそんな作業に従事する羽目になったらむしろ恐怖ばかり味わうんだろうけど、それでも猫のフン掃除という地雷撤去や不発弾処理に近しい作業が、少なからざる興奮を伴うのは間違いない。

一見なにもないように見えるトイレ砂。
デンジャラスなトイレ砂の大平原。
そこをそっとスコップでかき分けていく。
すると、どこかにフンが隠されている。
それはトイレの手前右側だったり、奥の左側だったり、ときには堂々とど真ん中だったり、いったいエリアの中のどこに埋まっているか分からない。
下手にスコップに力が入り、隠されたフンにスコップが触れてしまうと「ドカン!」とはいかないまでも、せっかくのフンの形状を損なうばかりかスコップが汚れたりする。
だからこそいかに対象物(フン)をスコップで直に触れないように探しだし、そっと処理するかに「猫のフン掃除の極意」があるのだ。
さらにいうならば、掘り出した対象物(フン)は素早くビニール袋に入れて密閉しないと、強烈な悪臭を放つ。
我々は慎重性のみならず、正確で迅速な処理技術さえ求められているのだ。
それは、命懸けではないけれど、なかなか緊張感を伴う作業だ。
ああ、ドキドキする。
猫のフン掃除。
僕はまだまだ猫のフン掃除士としては半人前だ。
いつか立派なフン掃除士になりたい。
それが僕の夢です、先輩!

……
……
……
いったい何を書いているんだ?

でも実際そんな気分なんだから仕方ない。
いっそのこと、世界初のプロのフン掃除士を目指してみるのはどうだろう?
なにが「いっそのこと」なのかよく分からないが。
なんだかそんな肩書きも、格好いいような気がする。

というわけで、僕は毎朝適度な緊張感をもって、不発弾や地雷を、いや、猫のフンを処理しているわけである。
世界初のプロの猫のフン掃除士を目指して(ウソ)

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最近いろいろあって、朝から考え事をしていた。
まぁ、いろいろあったといってもさほど大したことじゃない。
命に関わるとか、人類の未来を左右するとか、地球存亡の鍵を握るとか、そういうことではない。
第一、自分のことではなかったりする。
知り合いのことだ。
身近な人々の身に起こったこと、起こっていること、いろいろについてだ。

そしたら、昔のことを思い出した。

僕が子供のころ、友人に、両手の指が4本ずつしかない男の子がいた。

僕は彼と同じクラスだった。
僕は彼と2年近く仲良く遊んでいた。
大親友ってわけじゃなかったけど、休み時間はたいてい一緒に過ごしていたし、帰り道の方向は一緒だったし、とにかく毎日毎日学校で顔を突き合わせちゃあ、バカをしていた。

僕は彼の指が4本しかないことにずっと気が付かなかった。

そのことを教えてくれたのは、誰あろう、彼本人だった。

知り合って2年近く経ったある日、彼は突然「ほら僕の指見てよ、おかしいだろ?」と言った。
僕は、分からない、と答えた。
だって本当に分からなかったのだ。
彼の両手は実に自然だったから。
僕には彼が抱えているその「欠落」が分からなかった。
でもよく見ると指の数はたしかに4本だった。
中指がぽっかり消えていて、その隙間を人差し指と薬指が左右から綺麗に埋めていて、それは見事なまでに形が整った4本指だった。
彼は恥ずかしそうに「知ってると思ってたよ」と言った。
僕が「ぜんぜん気付かなかった」と言うと、彼は少し笑った。

自然に、堂々と、過ごしていれば、
欠落に他人は気付かない。

たとえ気付いたとしても、
それをいつまでも気にはとめない。

そういうことです。

頑張れ!

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久しぶりにカラッと晴れた。
なので、駒沢公園のプールに行った。
ひざの痛みがなかなか取れず、最近ランニングが出来ていないので、足への負担の少ないスイミングで運動不足を解消しようという意味あいもあった。
とにかく、久々にプールで泳いだのだ。
よく晴れた昼間、仕事に出掛ける前に30分ばかり。

駒沢公園プールの一般開放は9月15日までだ。
この先も天気予報はずっと曇り続きだし、気温もだんだん低くなっていくだろうから、これがたぶん今年最後のプールになるだろう。
この夏、結局僕は何回このプールに入ったんだろう?
おそらく10回ぐらいだろうと思う。
惜しむ夏。
惜しむプール。
惜しむ水着ギャル。
夏は惜しむものが多すぎるね。

実は駒沢公園のプールにはこの夏、素敵な女の子が1人いた。
ライフガードの女の子だ。
たぶん日体大の学生さんでアルバイトしているんだと思う。
僕は彼女の姿を見るのが好きだった。
だから10回もプールに通ったのかも知れない。
そういったやや不純な動機もあった。
認める。
決してそれが全てではなかったけど、かといって無視できない動機だった。
世の中の物事の大半は、得てして複数の複雑な動機を内包しているのだ。

彼女は見事なまでに全身カラッと小麦色に綺麗に日焼けしていて、後ろに束ねた髪の毛は明るい茶色に染まっていて、赤と白のキャップをかぶり、たいていライフガードの制服(?)である黄色いTシャツを着ていた。
そのTシャツの下には、いつもあざやかなグリーンのビキニをつけていて、たまにTシャツを脱いでそのビキニ姿でブールサイドを歩いている彼女の姿は、そりゃもう素敵だった。
それはそれは素敵だった。
そこに僕が感じたのは、性的な興味とは違う素敵さだった。
ひとことでいえば彼女はなんだか「凛としている」のだ。
女の子にしては精悍な顔立ち、やや筋肉質な身体つき、そういった彼女の存在全てが「凛としている」のだ。
夏に似合う素敵な「凜」を自然に身にまとっているような女の子だった。
僕はそんな彼女の姿を見るのが好きだった。

今日も彼女はいた。
残念ながらずっと黄色いTシャツを着ていたから、素敵なグリーンのビキニ姿は見られなかったけど。

来年も彼女がライフガードをしているといいな。
そんな「再会の希望」を胸に、僕はこの先、秋と冬と春を乗り越え、来年の夏、駒沢公園のプールを再訪するのだ。

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最近、早起きだ。

理由は簡単。
猫に起こされるからだ。

まだ陽が昇るか昇らないかという時刻から(たいていそれは5時半頃だが)ベッドで寝ている僕のところに猫がやってくる。
猫は「ゴロゴロゴロ~」とのどを鳴らしながら、僕の顔に小さな身体を何度もこすりつけてくる。
僕の顔を手で軽く引っかく。
僕の唇をペロペロなめる。
最初はブルース(僕の雄猫)が。
ブルースがそれに飽きると、今度はアンナ(僕の雌猫)が。
アンナが飽きると、再びブルースが。
その繰り返し。
2匹に次から次へと攻撃されるもんだから、僕としても起きざるをえない。
彼、彼女らは、お腹がすいたのだ。
僕に朝ごはんをねだっているのだ。

だから、早起きをする。
ごはんをあげる。
ごはんを食べ終わると、2匹は勝手に猫的世界に没頭し、2匹で遊び始める。
僕のことなんかもう忘れてしまったかのように。
僕のことなんかまるでお構いなしに。
猫のそういった現金なところが好ましいのだが、少し淋しくもある。
だがそれが猫を飼うということであり、犬を飼うのと、少し、そして決定的に、異質なところだ。

朝からいい天気なので、適当な文庫本を手に、上半身裸になってバルコニーに出てみた。
ツクツクボウシとミンミンゼミが競い合うように鳴いている。
モンシロチョウとモンキチョウとアゲハチョウが飛んできた。
カナブンがぶんぶん飛び回りながら、何かを探している。

気付けば9月。
夏の終わりだ。

そんなこんなで、最近僕は、猫に起こしてもらういい朝を迎えている。

でも世の中は、いい朝を迎えられる人ばかりじゃない。

先日、ある女の子からこんな話を聞いた。

彼女は人生のある時期「朝がイヤでイヤでたまらなかった」という。
朝の何がイヤだったのか?
彼女曰くそれは「毎朝起きると世界が変わらず明るいこと」だった。
毎日変わらずやってくる明るい朝がイヤでイヤで、当時彼女は本気で死ぬことまで考えていたという。
おそらく彼女は自分の進むべき道が見つからず、やるべきことが何もなく、人生の中にぽっかり空いたエアーポケットのような不安定な位置で、その頃、ひどくもがき苦しんでいたのだ。

その後、彼女は居場所を見つけ、朝に苦しまなくなった。
朝を憎まなくなった。
実に良かった。
今の彼女はとても明るく前向きだからだ。

最近僕は毎朝猫に起こされて、幸せだ。
でも、幸せじゃない朝を迎えている人も世の中にはたくさんいるんだろう。
僕にはそんな彼や彼女たちの不幸な朝を、どうすることも出来ない。
だけど、少しでも幸せな朝にするためのアドバイスは出来る。

「猫を飼ったらどうですか?」

そう、猫は朝を幸せにしてくれるのだ。
おそらく、例外なく。

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この夏に買ったばかりの、
まだピカピカに真新しくって、
なかなか高価なデッキシューズが、
猫の餌食となった。

革ヒモが大好物らしい。
味がするのかしら。
美味しいのかしら。
知らん。

こうなると、
誰にも止められん。

今日のターゲットはデッキシューズ。
明日のターゲットはなんだろう?
頼むから僕の大切な
アレと、
アレと、
アレだけは、
ターゲットにするのはやめてくれ。

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わざわざ狭いところに2匹で並んで寝ていた。


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