昨日書いた「暴走自転車」のブログにコメントを寄せてくれた人がいた。
「自転車は法律上『車両』なので、車道を走るのは当たり前だ」と。
僕は仕事先でこの書き込みを見て、コメント欄に携帯電話からすぐさま反論しておいたのだけど、それでも、なんだかモヤモヤが残った。
今日一日中、モヤモヤした。
なので、ここでもう一度、モラルとマナーと法律について書こうと思う。
真面目な話になっちゃうけど。
法律ってなんだ?
法律で禁じられているから、人殺しはしちゃいけないのか?
法律で禁じられているから、人の物を盗んじゃいけないのか?
そんなことないはずだ。
逆に言えば、法律で禁じられていなかったら、人を殺してもいいのか?
法律で禁じられていなかったら、人の物を盗んでいいのか?
法律で禁じられていなかったら、自転車でどんな走り方をしてもいいのか?
そんなことないはずなのだ。
……ポイントはここにある。
自転車は日本の法律ではたしかに「車両」だ。
だから、車道を走るのだと主張するのなら、歩道を走るのは逆に法律上ダメということになる。
歩道を走っている自転車を全部交通違反で取り締まれと言うのだろうか?
そんなバカなことを唱える人はいない。
法律以前に、モラルやマナーが存在するのだ。
人として美しいか美しくないか、という感覚だ。
道路の端に沿って、無茶をせず、ゆっくり走る自転車は、問題ないのだ。
しかし、車道の真ん中を走ったり、車を外から追い越したり、右折車線から車と一緒に右折したりするのは、法律以前に、人として美しくないと思う。
モラルやマナーがなっていないと思う。
だって、車を運転している人はみんな、そんな自転車の暴走行為にドキッとするのだ。
つまり、見ず知らずの人に迷惑をかけているのだ。
それってどうなの、という話だ。
「国家の品格」の中で著者が述べている例えに、こんなものがある。
一週間なにも食べておらず、死にそうになっている男が、街角のパン屋から思わずパンを奪い、食べて逃げた。
法律上は間違いなく窃盗罪になる。
だから、ある人は、この男を捕まえて窃盗罪で警察に引き渡そうと考える。
しかし、ある人は、死にそうになっているほど可哀想な男なんだから、見て見ぬふりをしてあげようと考える。
果たして、どちらが人として美しい考え方なのか?
たったパン1個なのだ。
窃盗はよくないことだなんて僕にも分かっている。
しかし、しかしなのだ。
数年前、ホリエモンがフジテレビを買収しようとした。
フジテレビ側は拒否していたので、敵対的企業買収となる。
しかし、企業を買うことは法律上、問題ない。
事実、あの当時、一般人にアンケートを取ったところ、ホリエモンによるフジテレビの買収を「問題ない」と答えた日本人が全体の7割以上いたという。
でも、よく考えたら「金があるなら何してもいいのか?」というモラルの観点が抜け落ちている。
「金があるならイヤがっている相手を力づくでねじ伏せても良い」と、日本人の7割以上が答えたと言うことだ。
「それって、人として美しいことなの?」
「人として、やっていいことなの?」
「なんか、いやらしくないかい?」
「そういうの卑怯だよなぁ~」
そういう感覚が失われつつある。
それがモラルであり、マナーだ。
法律上認められていても、モラルやマナーが許さないことがあってしかるべきなのだ。
「国家の品格」は、こういうモラルやマナーを「武士道」と位置づけ、日本人が忘れてはならない美徳だと説いているのだけど。
法律は役人が作ったものだ。
時代と共に変わっていくし、そもそも決め方は多数決だ。
そんなもの、絶対ではない。
それに対し、モラルやマナーは人々の生活の中から育まれたものだ。
人として美しくあれ、という感覚には、絶対があると思う。
だから、僕はモラルを無視して車道を暴走する自転車に腹が立つのだ。
そもそも、父が暴走自転車にひかれているのだから。
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