gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

犬のお話

2024-07-26 08:42:23 | 日記


・この世で犬だけが、自分よりも相手を愛してくれる。 (ジョッシュ・ビリング)
・平均的な犬は、平均的な人間より、良い。 (アンディ・ルーニー)
・石鹸の味を知らないやつは犬を洗ったことのないやつだ。 (フランクリン・P・ジョーンズ)
・女と猫は自らのやりたいようにやる。男と犬はリラックスして受け入れようとする。 (ロバート・A・ハインライン)


・飢えた犬を拾って手厚く世話してやると、噛み付いてきたりはしない。それが犬と人間の主たる違いだ。 (マーク・トゥエイン)
・もし犬が数を数えられないと思うなら、犬用ビスケットを3つポケットに入れようとして、2つだけをあげてみるといい。 (フィル・パストレット)
・顔をなめてくれる子犬に匹敵する精神科医はいない。 (ベン・ウィリアムス)


・犬の一生は短い。欠点はそれだけである。 (アグネス・スライ・ターンボール)
・犬をひとたび掻けば、永遠に終わらない仕事ができる。 (フランクリン・P・ジョーンズ)
・きっとちゃんとした訓練を受ければ、人間だって犬の親友になれる。 (コーリー・フォード)
・犬も笑う。でも彼らは尻尾で笑う。 (マックス・イーストマン)
・もし自分が他者に影響を与える存在だと思うときは、他人の犬に命令してみるがよい。 (ウィル・ロジャーズ)


・人を知れば知るほど、犬が好きになる。 (スタール夫人)
・犬は息を吹きかけると嫌がるが、車でどこかに連れていくとき、窓から顔を出したがることに気づいたかい?  (スティーブ・ブルーストーン)
・部屋に入った瞬間、なぜそこに来たのか忘れたことはあるか?多分犬はそんな風に一生を過ごす。 (スー・マーフィ)
・犬たちは紳士だ。人間ではなく彼らの天国に行きたい。 (マーク・トウェイン)


・犬を本当に楽しむのには、犬を人間のように訓練するのではなく、自分の一部が犬になるよう心を開くのだ。 (カレル・カペック)
・犬は持ってるすべてのものを我々に投げ出す。彼らの生活の中心が我々で、愛、信仰、信頼のすべてである。
小さな見返りで仕えてくれ、人間が結べる最高の契約であることは疑いの余地もない。 (ロジャー・カラス)
・幸せというのは、あたたかい子犬のことである。 (チャールズ・M・シュルツ)
・幸せを買うことはできないというやつは、子犬を忘れている。 (ジーン・ヒル)


=======================================================================
117 名前: ドリルドライバー(北海道):2009/12/13(日) 11:59:55.32 ID:qavy/zeL


子供が産まれたら犬を飼いなさい


子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう


子供が幼年の時、子供の良き遊び相手となるでしょう


子供が少年の時、子供の良き理解者となるでしょう


そして子供が大きくなったとき、自らの死をもって、


死の悲しさ、命の尊さを教えるでしょう。


=======================================================================
犬の十戒
39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/10/16(金) 01:03:46.30 ID:UwjGEgWg0




The Ten-Commandments (dog version)犬の十戒
1. My life is likely to last ten to fifteen years.  私の一生は10~15年くらいしかありません。  Any separation from you will painful for me.  私にとって少しでもあなたと離れていることは辛いのです。  Remember that before you buy me.  私のことを飼う前にどうかそのことを思い出してください。


2. Give me time to understand what you want of me.   私に「あなたが私に望んでいること」を理解するための時間を下さい。


3. Place your trust in me- it's crucial to my Well-being.   私を信頼して下さい。それは私が幸福になるためにとっても重要なことなのです。


4. Don't be angry at me for long and don't lock me up as punishment.   私を長い時間にわたって叱ったり、懲らしめるために閉じ込めたりしないで下さい。  You have your work,your entertainment and your friend.   あなたには仕事や娯楽がありますし、友達だっているでしょう。   I have only you.   でも……私にはあなただけしかいないのです。


5. Talk to me sometimes.   時には私に話しかけて下さい。   Even if I don't understand your words,   I understand your voice when it's speaking to me.   たとえあなたの言葉そのものは理解しなくても、   私に話しかけているあなたの声で理解しています。41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/10/16(金) 01:05:44.73 ID:UwjGEgWg0


6. Be aware that however you treat me, I'll never forget it.   あなたが私のことをどんな風に扱っているのか気づいて下さい。   私はそのことを決して忘れません。


7. Remember before you hit me that l have teeth  that could easily crush the bones of your hand   but that I choose not to bite you.   私を叩く前に思い出して下さい。   私にはあなたの手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるけれど、私はあなたを噛まないようにしているということを。


8. Before you scold me for being uncooperative,   obstinate or lazy,ask yourself if something might   be bothering me.   私のことを協力的でない、強情だ、怠け者としかる前に   私がそうなる原因が何かないかとあなた自身考えてみて下さい。   Perhaps I'm not getting the right food,or I've been out    in the sun too long, or my heart is getting old and weak.   適切な食餌をあげなかったのでは?   日中太陽が照りつけている外に長時間放置していたのかも?   心臓が年をとるにつれて弱ってはいないだろうか?などと42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/10/16(金) 01:06:24.89 ID:UwjGEgWg0


9. Take care of me when I get old ; you, too, will grow old.   私が年をとってもどうか世話をして下さい。   あなたも同じように年をとるのです。


10. Go with me on difficult journeys.    最期の旅立ちの時には、そばにいて私を見送ってください。   Never say, "I can't bear to watch it ." or" Let it happen in my absence."   「見ているのがつらいから」とか「私のいないところで逝かせてあげて」    なんて言わないでほしいのです。    Everything is easier for me if you are there.    私はあなたが一緒にいるだけで、私にはどんなことでも安らかに受け入れられます。   Remember,I love you.    そして………どうか忘れないで下さい。私があなたを愛していることを。                                    作者不明




=======================================================================
病気でも職務を全うした盲導犬、約200キロの出先から帰宅直後に死ぬ。
(ナリナリドットコム - 04月08日 13:43)



視力を失った人の先に立ち、安全に誘導してくれる盲導犬。自らの欲求や自由を制御し、常に主人の安全を最優先に行動できるのは、厳しい訓練の賜物にほかならない。主人もそんな盲導犬には厚い信頼を寄せ、目の代わりという機能的な意味以上に、かけがえのない存在になっていることだろう。先日、視覚障害を持つ英国の男性は、7年間連れ添った盲導犬に導かれ、仕事先から自宅まで約200キロの道のりを移動した。しかし帰宅直後、「職務完了」と男性がハーネスを外すと、犬はその場に倒れ、息を引き取ったという。






英紙デイリー・メールによると、ウエストヨークシャー州ハダーズフィールドに住むデイヴィッド・クォームビーさんが、ラブラドール・レトリバーの盲導犬コメットと出会ったのは今から7年前のこと。障害者ネットワークの仕事などに忙しいクォームビーさんは、さまざまな場所で開かれる会議のために、英国中を飛び回る生活を送って いた。1歳でクォームビーさんの目となったコメットは、そのたびに自らの仕事を忠実に遂行。文字通りクォームビーさんの一部となっていたようだ。


しかし、深い絆で結ばれていたこの主人と盲導犬の別れは突然やってきた。4月6日、クォームビーさんは会議のために、自宅から120マイル(約193キロ)離れたバーミンガムを訪問。そして無事に仕事を終え、自宅へ戻る途中に、彼はコメットの異変に初めて気づいたという。電車がマンチェスターに着いたとき、クォームビーさんはコメットの動きの鈍さが気になった。「トイレに連れていかなければと思った」(デイリー・メール紙より)と、軽く考えていたクォームビーさんだったが、ひょっとすると、このときすでにコメットは苦しんでいたのかもしれない。


主人をしっかり電車に乗せたコメットは、いつものようにテーブルの下に落ち着いたが、彼が与える食べ物を一切受け付けなかった。クォームビーさんは、ここで「何かおかしいと気が付いた」。それでもコメットは、主人を安全に自宅へ送り届けるのが役目とばかりに、電車やバスの乗り換えもクォームビーさんを安全にリード。異変を抱えながらも「バスを降りて道路を横断し、玄関へと連れて行ってくれた」(デイリー・メール紙より)と、コメットはきっちり仕事を果たしたという。


家に入るとコメットはハーネスを外されたが、そこで最後の挨拶をするかのように数回鼻で鳴く仕草を見せると、そのまま倒れ込んでしまった。コメットの身に何かが起きたことを理解したクォームビーさんは、すぐに医者へ連絡。ほどなくして駆けつけた医者は、コメットの脾臓に腫瘍があり、手の施しようがないことをクォームビーさんに告げた。そして麻酔を打たれたコメットは、そのまま8年の短い生涯を閉じたという。


コメットの異変に気が付いてから息を引き取るまでは、わずか2時間半という短い時間。信頼していた相棒とのあっけない別れに、クォームビーさんは「彼が亡くなって辛い。私の一部を失ったようだ」とショックを隠しきれない。そして7年間支えてくれたコメットに対し「勇敢で素晴らしい犬だった」と労っている。


=======================================================================
他界した飼い主を見守った愛犬、1週間寄り添い通行人に助けを求める。
(ナリナリドットコム - 04月20日 15:43)





従順な性質から、ペットとして大人気の犬。愛情を注げばそれ以上の親しみを持って飼い主になつき、家族や恋人のような感情を持って育てている人も少なくないだろう。そして多くの愛情を注げば、犬は行動でしっかり返してくれるものだ。先日、米国の81歳の男性は、飼っていた犬を連れて外出中、そのまま行方不明となった。行動を把握していなかった親族はチラシを配るなど必死に捜索したものの、1週間近くが過ぎた4月14日に男性は遺体で発見。その間、愛犬は男性の傍らで見守り続け、じっと助けを待っていたという。






オハイオ州に住んでいた81歳のパーリー・ニコルズさんは、5~6年前に妻の求めに応じ、ゴールデンレトリバーの「レディ」を飼い始めた。6か月で夫婦のもとにやってきたレディは、2人の愛情を一身に受け成長。しかし、2006年に妻が亡くなると、ニコルズさんはレディを妻の代わりとばかりにかわいがった。出かけるときは常に一緒、息子の嫁にあたるメアリーさんが「文字通り、彼の“レディ”だった」(米紙カントン・リポジトリーより)と語るほど、仲が良かったそうだ。


そんなニコルズさんとレディは4月6日、近所の人にその姿を目撃されたのを最後に行方不明となってしまった。4月8日、行方不明を知ったニコルズさんの子どもや孫ら家族は警察に通報。同時に、自分たちでも「チラシを配る」(米放送局NBC系列WKYC-TVより)などして、ニコルズさんの捜索を続けた。しかし、2人の息子夫婦に12人の孫、10人の曾孫を抱えるという家族が付近を探しても、ニコルズさんは発見できなかったという。


そして4月14日の夜、ニコルズさんの消息が突然もたらされた。自宅からおよそ1マイル(約1.6キロ)離れた湿地帯で、付近を通りかかった通行人が鳴き声を聞いて駆けつけたところ、犬のそばで横たわったニコルズさんの姿を発見。その後の調べで、ニコルズさんは心臓や肺の病気により、外出した日か間もなくして亡くなった可能性が高いことがわかった。


家族は発見場所から100ヤード(約90メートル)近くまでは探していたが、彼らの存在には気付かなかったそう。しかし、その間もレディは「恐らく、近くの排水溝の水を飲み」(WKYC-TVより)ながら、ニコルズさんにぴったりと寄り添い、助けてくれる人が通りかかるのを待っていたと推測されている。そして1週間後、ようやく人に気が付いたレディは「鳴き声を上げ始めて」(同)、ニコルズさんの存在を知らせることとなった。


現在は曾孫たちに迎えられ、順調に回復を見せているレディ。天国へ旅立ったニコルズさんも、最愛の“レディ”に見送られたのは幸いだったと思っているかもしれない。



オー妄説!

2024-07-26 08:19:41 | 日記
この妄説シリーズはノンフィクションであるという保証はどこにもありま
せん。


★・・・…‥・ 卑弥呼とクレオパトラ 邪馬台国はどこにもない! 


       一幕五場 ・‥…・・・★      BY Hal


========================================================================
(1 邪馬台国と魏志倭人伝の紹介)
第一場 邪馬台国とは、どんなものかしら


    どこにでもあるような小さな酒場。 地味な内装である。
下手にボックス席一つ二つ、上手にカウンター。 ボックスに
は客はいない。 カウンターには客が二人だけ。 
カウンターに座った客Aと客Bの会話に、マスターが耳を傾け
ている。




客B「邪馬台国ってどこにあるんだろうね?」
客A「さて・・・・・・」


客B「吉野ヶ里や三内丸山みたいな、大規模な遺跡が発見発掘されているの
に、何故邪馬台国の遺跡はいつまでたっても見つからないのだろう?」


客A「その理由は簡単だよ。」
客B「ほう?」


   (色変わり)
客A「『邪馬台国はどこにもない』からさ!」


客B「えっ! そんな無茶な! 邪馬台国は北九州か畿内かのどちらかにあ
るんだろ? 魏志倭人伝にもちゃんと書いてあるじゃないか。」


客A「魏志倭人伝は、邪馬台国の位置については何も書いてないよ。」


客B「またまたそんなアホなことを! 魏志倭人伝には、帯方郡(韓国ソウル
市付近)から倭国の首都邪馬台国に至る方角距離日程が詳細に書かれているじゃ
ないか。 例えば、帯方郡から水行7000余里で倭の北岸の狗邪韓国(釜山
ー金海付近 )につくとか、投馬国から水行十日、陸行一月で女王之所都につく
とか、確かに書かれているぞ。」


客A「ああ、確かにそう書かれてはいる。しかし、邪馬台国については、魏志
倭人伝以外に言及している書物はないし、邪馬台国の遺跡が発見された、或い
は邪馬台国の所在を示す何かが発掘されたという事実もない。 つまり、逆に
   (色変わり)
言えば『魏志倭人伝が存在しなければ(或いは存在していても正しい内容でな
ければ)、邪馬台国も存在しえない』ということにならないか?」




客B「そ、それは牽強付会というものだ。 魏志倭人伝は確かに存在するじゃ
ないか。 内容だって詳細で正確だし・・・」


客A「いやいや、そんなことはない。 『存在していても正しい内容でなけれ
ば』、あっても無意味だし、むしろない方がいい場合だってある。」


客B「それじゃ君は魏志倭人伝は無価値無意味だと言うのかね?」


客A「さて、そこが問題だ。 魏志倭人伝自体は確かに存在するのだが、その
邪馬台国に関する記述は本当に信頼できるものだろうか?」


マスターは身を乗り出して、客たちの話しに聞き入っている。


客B「魏志倭人伝は、3世紀後半(280年代)に書かれたんだよね。 著者
は何という人だっけ?」


客A「著者は西晋の陳寿(233‐297)だ。 呉蜀魏の三国の歴史を書いた「三国
志」の中の、「魏志・第三十巻・東夷伝・倭人条」が、「魏志倭人伝」の通称で
知られている。


内容は倭国への行程やその地理,風習、また239年(魏の景初3)から247年(正始
8)までの魏との通交のことが克明に記されている。


『男子は大小となく、みな黥面文身す』、つまり男は身分の上下を問わず、顔
にも身体にも入れ墨をしていたという。 しかも朱丹を全身に塗りたくってい
たんだそうだ。 中国では古来入れ墨は極度に嫌うから、邪馬台国の人々は大
陸系の人種ではなさそうだ。 恐らくは南から黒潮に乗ってやってきた、ネシ
ア系の人種ではないかな。


また、『衣を作ること単被のごとく、その中央を穿ち頭を貫きて此を衣る』と
もある。 袖などのある複雑な衣服を作る技術がないので、古代ローマ時代の
貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいただけの服を着ていたんだろ
うね。 しかも全てはだしであり、縦穴式の住居に住み、食事は手づかみだっ
たらしい。 中国やエジプト、ギリシャに比べれば、大変な後進国だったわけ
だ。


景初3年、倭の女王の朝貢使者に対して、「今汝をもって親魏倭王となし、金
印紫綬をかし」と、いう詔書が下される。 その後、「ならびに詔をもたらし
て金帛、錦けい、刀、鏡、采物を賜う。」と、魏使・梯儁の一行が、倭国国王
すなわち卑弥呼に数々の品物を送ったということも記載されている。 有名な
銅鏡100枚もこの中にあったのだろう。」


マスター「大分長い話しのようですから、ここらで一杯新しいのを作りましょ
う。」


マスターは新しい水割りを作る。
暗転


----------------------------------------------------------------------
(2 魏志倭人伝の疑問点)
第二場 ああ、そはかの国か


客B「しかし、魏志倭人伝にはこれだけ詳細に倭国のことが書かれているのだ
から、その内容は充分信頼できるんじゃないか?」


客A「そう思うのが人の常。


     (色変わり)
しかしだ。 この魏志倭人伝に書かれた倭国へ到る方向距離日程を、そのまま
現実の地理にあてはめた場合、邪馬台国は太平洋の真ん中ということになって
しまうぞ。 魏志倭人伝に書かれている方向距離日程は、そのいずれか、或い
は全てに間違いがあることは、断言できる。」


客B「ううむ、確かにそれはあるな。」


客A「そこが邪馬台国比定大論争の焦点だな。 邪馬台国の所在を巡る論争は、
江戸時代の新井白石と本井宣長の頃から続いているそうじゃないか。 当時か
ら畿内説と九州説が両横綱という所だが、その論争には未だ決着がついていな
い。


                     (色変わり)
しかし一つだけ確かなことがある。 それは、『魏志倭人伝に書かれた通りの
方向距離日程の行程では、邪馬台国にたどり着くことは不可能だ』ということ
だ。 どの説にしても、必ず最低一ケ所以上、方向や距離日程を自説に合わせ
て変更修正している。 つまり、必ず方向距離日程を変更修正しなければ、絶
対に辻褄が合わないんだ。 これはとりもなおさず、『魏志倭人伝の記述は間
違っている』ということの証明じゃないか。」


客B「むむ、そ、それは・・・」


客A「まだある。 固有名詞(特に人名地名)の発音と表記も、かなりいい加
減のように思えるな。 人名と官職名の混同も多数ありそうだ。 『卑弥呼』
は人名ではなく、『姫巫女』『皇女』(ひめみこ)或いは『姫子』という称号だ
という説もあるよ。」


マスターはシェーカーを振るのも忘れて聞き惚れている。
暗転




----------------------------------------------------------------------
(3 誤謬が起きる原因)
第三場 奥様、これがその誤謬のカタログです


客B「しかし魏志倭人伝って、古代中国の正史なんだろ? なのになんでそん
なに間違いがあるんだ?」


客A「まずこの魏志倭人伝は、著者の陳寿が直接倭国へ渡っての見聞を書いた
ものではないことは確かだろう。 つまり又聞きさ。 その場合、誰からの又
聞きかが問題だが、その人物を特定することは、今となって不可能だろう。
魏の使者の見聞記に基づき、倭国使者からの伝聞を加えて書かれたとも言われ
ているが、果てしてどうかな?


しかも、どうやら陳寿に倭国に関する情報を語った者も、実際に倭国に渡って
見聞したのではなさそうだ。 無意味に詳細な部分(例えば倭国の官吏の人名
など)があるかと思うと、簡略に過ぎてどうとでも受け取れる部分(例えば方
角や距離など)の差がありすぎるからだ。 




恐らくは、この人物が行ったことのあるのは、行程の記述が比較的明瞭に書か
れている狗邪韓国(釜山近辺)から対馬国(対馬)、或いは一大国(壱岐)、せ
いぜい末盧国(北九州松浦近辺)か伊都国(福岡県糸島郡)あたりまでであろう。


倭人伝では狗邪韓国(釜山近辺)までの朝鮮半島の描写はほとんど省略されてい
る。 恐らくは「誰でも知っている事実」ということなのだろう。 その先の
対馬国(対馬)から末盧国(北九州松浦近辺)、伊都国(福岡県糸島郡)迄の描
写と行程は、ある程度信頼できるが、その先となるとかなり妖しくなってくる。
それはつまり、この人物は実際には対馬国乃至は伊都国迄しか行っていない、
ということにならないか?


もしこの情報提供者が魏の使者だとしたら、例の金印や金帛、錦けい、刀、鏡、
采物なども、卑弥呼に手渡すことなく「どこかその辺」に放り出してきた(^^;
のかもしれない。 そうであれば、卑弥呼の墓が発見されたにしても、銅鏡や
金印はそこには存在しないということになるね。」


客B「そ、そんなハチャハチャな! それじゃもし邪馬台国とおぼしき遺跡が
発見されても、特定すべき証拠が存在しないということになるじゃないか!」


客A「まあそれは、『もし魏の使者が途中で贈り物を捨てていれば』という、
仮定の話で、いくらなんでも実際にはその可能性は少ないだろうがね。


ということで、陳寿が耳にしたのは、又聞きのその又又聞き、場合によっては
更にその又又又聞きということになる。 


宴席のゲームに、多数並んだ人々に、ある話しを隣の人に耳打ちさせ、次々と
中継させると、最後の人が語る話しは、最初のものとはまるで異なる、とんで
もないものになっている、というものがあるだろ。 あれと同じことさ。


まして、当時は訪れる人も希な僻地蛮地の倭国のことだ。 239年(魏の景初3)
から247年(正始8)まで、魏と倭国との間で通交はあったということは、三国志
にも書かれているが、直接倭国におもむき踏査した者がそれ程多数であったと
も思えない。その数少ない実地踏査をした者から伝え聞いた話しが、魏志倭人
伝の作者に届くまでには、「いろはにほへと」が「ABCDXYZ」位に変化
していても不思議はあるまい。




しかも、魏志倭人伝の原本は散逸して残されておらず、現在の研究は数種の写
本によって行われているが、写本ごとにかなりの違いがあり、この違いの解釈
も又論争の種なんだ。 更に「1里」の距離も、435メートル説あり、85
-90メートルの短里説あり、さまざまだ。 方角にしても、全ての方角が6
5度偏向しているという説あり、箇所によって(恣意的に)東を南とする説あ
り、もうシッチャカメッチャカという状態だよ。 このようなわけで、魏志倭
人伝の解釈については、読んだ人の数だけあると言っても過言でない。 




そもそも魏志倭人伝の記述が全て正しいと信じている人は、今ではほとんどい
ないだろう。 実際に倭国へ渡った人物の、言語の相違による勘違いや誤解、
記憶や記録の喪失、各書への伝写時の誤り、陳寿本人の失念や誤った解釈など、
誤謬の起こる原因は無数にある。


誤謬の訂正については、各種の異本の検証による実証が本来の姿だろうが、現
実には散逸して現存しない古書も多く、不可能に近い。 しかも、伝写時の誤
字脱字の発見修正はともかく、倭国への渡航者の勘違いなどは、今となっては
検証のしようもない。 そのため、各論者の主観による恣意的な変更修正が加
えられた解釈が、百花繚乱百家争鳴、あだ花のごとく世を賑わわせるというこ
とになったのだろうね。」


客Bもマスターも、狐につままれたような表情。
暗転


----------------------------------------------------------------------
(4 故に魏志倭人伝では、邪馬台国の位置を比定できない)
第四場 もう知るまいぞ、この邪馬台国


客A「というわけで、『現在伝えられている』魏志倭人伝の細部、特に日数や
距離などの数値は、ほとんど信用できないと考えた方がいいんじゃないかな?
つまりこの魏志倭人伝の記述によって邪馬台国の所在地を比定することは、そ
もそも無理があるのだよ。


勿論全てがいい加減というわけではなく、倭国の風習や生活ぶりについては、
ある程度この書を信ずることができるだろう。 そのような事柄については、
例え伝聞であっても、ある程度の内容は確実に伝わるであろうからだ。 又
これらの事柄は、伝聞の間に多少の変化はあっても、ある程度の情報は得ら
れるものだ。


しかし、数値や方角のような事柄は、伝聞に伝聞を重ねる間に著しく変化し、
場合によっては正反対になったり倍の数値になったりしてしまうことも、間々
あるのではないか? 風習などと異なり、方角距離が変化してしまったら、特
定の場所を比定するための情報としては、一文の価値もない。 このような理
由で、魏志倭人伝の記述による邪馬台国の地理的比定は、ほとんど不可能(と
いうより無意味)と思える。


もし将来、邪馬台国の所在が確認され、その場所がいずれかの説に合致してい
たとしても、魏志倭人伝の記述が全て正しいということにはならない。 なぜ
なら、「魏志倭人伝に書かれた通りの方向日程距離の行程では、邪馬台国にた
どり着くことは不可能だ」ということに変わりはないからだ。




    (色変わり)
つまり、「(魏志倭人伝の記述による)邪馬台国は存在しない」ということ
になるのだ。」


客B「なんかだまされたような・・・」
マスター「まあ、話しとしてはそうなりますがねえ・・・」


客Bもマスターも釈然としない面持ち。
暗転

----------------------------------------------------------------------
(5 しかし・・・)


第五場 私の名は卑弥呼・・・


大音響の妖しげな効果音。


客A「しかしだ・・・ 私は卑弥呼について、最近驚異的な発見をしたんだ!」
客B「驚異的な発見?」


客B、あからさまに懐疑的な表情。 マスターも同様。


客A「そうさ。 それは・・・」
客B「それは?」
マスター「それは?」


客A「卑弥呼は金髪碧眼の美女だった!」


客B「金髪碧眼? なんで日本人の卑弥呼ちゃんが、パツキンのおねーちゃん
になるのさ?」


マスター「古代日本人ってコーカソイドだったんですかねえ? その内にチェー
ンスモーキングマンとかブラックオイルとかも、出てくるんじゃないですか?」


客A「まあ笑いたければいくらでも笑いたまえ。 しかしさっきも言ったよう
に、魏志倭人伝による行程では、方角距離日程のどれかを恣意的に変更しない
限り、絶対に邪馬台国にはたどり着けない。 これには異存はないだろう?」


客B「それは認めるが・・・」


客A「ところが・・・ 魏志倭人伝の記述を只の一ケ所も変更しないで、邪馬
台国を確実に比定できる説が、一つだけある!」


客B「それは・・・ 今さっき君が言ったことと矛盾しているじゃないか。
だって、魏志倭人伝の行程そのままで行けば、太平洋の真ん中で溺れ死ぬんだ
ろう?」


客A「いや、そんなことはない。 そもそもの出発点が間違っているんだ。」
客B「出発点? それは朝鮮半島の帯方郡(ソウル近辺)だろ?」


客A「いや違う。 出発点は・・・」
客B「???」
  
(色変わり)
客A「イタリア半島のヴェネツィア付近だ!」


客B「ぅわあ! こりはダミだぁ!」
マスター「上におなじ・・・(;__)」


客A「キミたちは、カエサルの『ガリア征討記』というのを知っているかい?」


客B「聞いたことはあるよ。 カエサルがフランスあたりを征服した時の記録
だろ。 ガリア戦記とも言うね。」


客A「その通り。 当時の北ヨーロッパ、フランスからイタリア北部あたりは、
『ガリア』或いは『ガラ』と呼ばれていて、ギリシャやローマから見ると僻地
もいいところだった。 カエサルはそこの連中を『蛮族』などと書いているが、
今は文化国家の誇り高きフランス人も、当時は野蛮人扱いだったんだな。


それはともかく、当時の韓国の南端は『加羅(から)』と呼ばれ、古くは『弁辰』
と呼ばれた。 これすなわち『ガラ』『ガリア』だ。 つまり朝鮮=イタリア
だ。


ケルト(Kelt)は「帯」を意味するギリシア語ケレト(Keletos)が語源で、これが
帯方郡にあたる。 魏志倭人伝の情報提供者は、現在のヴェネツィア付近から
出発したんだ。」


客B「うぅ・・・ 頭が痛くなってきた・・・」
マスター「わ、私は血圧が高くなってきました・・・」


客A「そして魏志倭人伝の行程通り、イタリア半島を南下し、投馬(とうま)
国に至る。 投馬国すなわちクレタ島で、不弥国の南にある。 クレタ島の伝
説の怒牛タウロメノスがタウロマ、タウマ、とうま(投馬)と変化したんだ。


クレタ島から更に南下して、水行10日陸行1月でエジプトにたどり着く。 こ
れが邪馬台国だ。 ここまで魏志倭人伝の行程は、只の一ケ所も変えていない。
出発点が違う以外はね。


実はこの『邪馬台国エジプト説』は、明治43年に読売新聞に掲載されたもの
で、著者は哲学者で翻訳家の木村鷹太郎という人物だ。 彼によれば、魏志倭
人伝は、古代日本が地中海から東アジアに及ぶ広大な地域を支配していた頃に、
中国で記録されたものだそうだ。」


客B「これはもう『竹内文書』の世界だぁ!」
マスター「竹内巨麿かAさんか・・・」


客A「そうそう、その竹内文書なんだが、私の見る所ではあれはキムタク
いやキムタカさんの新史観のパクリだな。 新史観というのは、キムタカ氏
の誇大妄想的日本中心史観の自称だ。」


客B「パクリ? それはどういうことなんだい?」


客A「竹内文書は古代日本が世界の中心だったというあたりが核心なんだ
が、これはそっくりそのまま新史観と重なる。 しかも竹内文書の『発見』
は大正10年頃から昭和にかけてで、新史観を咀嚼勘案するのに丁度手頃な
年月が経っているんだ。 まあ、それはともかく・・・」


マスター「それはともかく?」




客A「これだけじゃない。 私はエジプト考古学にも興味があるんだが、邪馬
台国と古代エジプトについて調べている内に、古代エジプトのプトレマイオス
王朝最後の女王、クレオパトラにぶちあたったんだ。」


客B「ほえぇ・・・ クレオパトラでもマリアカラスでも、なんでも持ってこ
いってんだ! もう何を聞いても驚かんぞ。」
マスター「け、血圧の薬はどこに・・・」


客A「ぶっちゃけて言えば・・・」


客B「あんたが『ぶっちゃけて言えば』というのを聞くと、こちらのドタマが
ぶっちゃけそうになるよ・・・」
マスター「血圧けつあつケツアツ・・・」


(色変わり)
客A「卑弥呼はクレオパトラだ!」


客B「ナハハハハハハ・・・」
マスター「上が65536の、下が256だぁ!」


客Bマスター共に頭を抱えて蹲る。


客B「なんともはや素晴らしいトンデモ説だな。 卑弥呼とクレオパトラじゃ
年代がまるで合わないじゃないか。 卑弥呼は247年か248年あたりに
67歳位で死んだとされているのに、クレオパトラはその遙か前の前30年に
死んでいる。 300年近く時代が離れているよ。」


客A「その通り。 クレオパトラは前31年9月のアクティウムの海戦で敗北
し、アレクサンドリアに逃げ帰る。 


この時の海戦はローマ側オクタヴィアヌス軍と、エジプト側アントニウス・ク
レオパトラ連合軍が、双方500隻以上の艦船で戦うという大規模なものだっ
たが、戦闘そのものは一回の戦いで終わっている。 初戦の後クレオパトラの
率いるエジプト艦隊60隻は突如戦線を離脱したんだな。 アントニウスも戦っ
ている将兵を見捨てて彼女のあとを追って逃走してしまった。 この海戦で敗
れたクレオパトラは、翌年夏アントニウスの死を知り、自殺することとなる。


さて・・・ 既に戦いの大勢が決した後ならともかく、まだこの先の勝敗も不
明の時に、何故クレオパトラは突然戦線を離脱したんだろう? 


古来いくさの常として、大将が陣頭にいなければその軍の士気は極端に落ちる。
大阪冬の陣夏の陣の秀頼がいい例さ。 秀頼が一度でも陣頭指揮していれば、
日本の歴史は変わっていたかも知れない。 同様に大将が二人とも逃げてしまっ
た連合軍が、勝てるわけがない。


もしここで二人が踏みとどまって総力で戦っていれば、この海戦に勝利できた
かもしれないし、そうなればその後のプトレマイオス王朝の断絶もなかっただ
ろう。 そんな大事な戦いなのに、何故クレオパトラは手中にしかけた勝利を
投げ捨てるように、戦線を離脱してしまったんだ?」


客B「さあ、皆目見当がつかないなあ・・・」


客A「それはクレオパトラは強力な呪術的力を持つシャーマンだったからだ!
海戦のさなか、クレオパトラは『お告げ』を感じたのだ。 『強力なローマ海
軍相手の戦いに勝ち目はない。 ここで踏みとどまって戦い、無益に生命を落
とすよりは、故郷に帰って再起を期すべし!』とね。 


事実当時のローマは軍事的には世界最強だった。 例えこの海戦である程度の
勝ちを納めたにせよ、ローマ本国は無傷のままだ。 第二次大戦末期の日本と
アメリカみたいなもんだな。 軍事的生産力が違いすぎるよ。 一二のマイナー
な戦いで敗れても、すぐ戦力は二倍三倍に復旧する。 その間にもこちらの戦
力はじり貧となってゆく。 とても勝ち目はないね。」


客B「しかし再起を期すどころか、クレオパトラは自殺してしまつたじゃない
か。 死んでしまえば再起も蜂の頭もあるもんか。」


            (色変わり)
客A「それが違うのさ。 クレオパトラは自殺などしていない。 あれは偽装
だ!」


またまた大音響の妖しげな効果音。 マスターは床に大の字なりでパ
クパクと口を開けたり閉じたり。 客Bはガリガリとカウンターの端
をかじっている。


客B「ガシガシガシ!」
マスター「むひぃ・・・」


客A「クレオパトラは自殺に見せかけて身代わりの遺体を残し、生き延びたん
だ。」


客B「ああ・・・ もう言葉もない・・・」


客A「卑弥呼は真珠のネックレスをしていたそうだ。 クレオパトラもパール
のネックレスをしていたという。 これが二人が同一人物だという、なにより
の証拠だ。」


客B「そんな無茶苦茶な! 真珠のネックレスをしていれば同じ人間だと言う
のなら、『バー ジャスト』の花子ちゃんも、『管理高額研修所』の松チャン
も、みーんなクレオパトラになっちまう。 二人ともパールのネックレスをし
てるからね。」


客A「真珠が違う。」
客B「え? 真珠は真珠だろう?」


客A「いや、クレオパトラの真珠は、特殊な真珠だ。 しかも彼女はそれを特
殊な酸に溶かして飲んでいる。 これはアトランティスより伝わる長命の秘薬
なんだ。」


客B「どこにその証拠があるんじゃ、どこに! なんで卑弥呼の物語にアトラ
ンティスが出てくるんじゃ! プラトンがそんなことを書いているのか!」


客A「そう興奮するな、血圧があがるぞ。 血圧が上がるとマスターみたいに
なる。」


マスターは断末魔状態、床に長々とのびたままぴくぴくと手足を痙攣
させている。


客B「余計なお世話だ。」


客A「かくしてクレオパトラは舞台から引っ込み、替りに卑弥呼が登場する。


エジプトはアレクサンドロス大王による征服後、プトレマイオス王朝が続いた。
クレオパトラの前の王はプトレマイオス12世、すなわち男子の王だ。


クレオパトラは弟プトレマイオス13世と結婚し、エジプトを共同統治してい
た。 邪馬台国でも、『倭国には元々男王がいたが、混乱状態になり、その後
女王を擁立した。 弟がいて政務を手伝っていた』とある。 


これはそのままエジプトにおけるクレオパトラの状態じゃないか。 単なる偶
然の一致とはとても考えられない。


まして魏志倭人伝の記述はそのまま鵜呑みにはできないことは、前に言った通
りだ。 ちょっとした年代の隔たりなどは問題にもならない。 




      (色変わり)
やはり卑弥呼は金髪碧眼の美女だったんだ。 以上証明終わり!」


客Bマスター共に、蟹のごとく口からあぶくを吹いている。


幕素早く降りる。

-了-




-------------------------------
この『妄説シリーズその4 卑弥呼はクレオパトラだった!』は、
望夢楼さんのHPより、[望夢楼]/[謎の疑似科学世界]/[邪馬台国は
エジプトにあった!?] を参考にさせていただきました。 伏して感謝いたします。



追ってくるチャリンコ

2024-07-26 08:13:11 | 日記
------------------------------------------------------
追ってくるチャリンコ その1




駅の階段を下ると横断歩道が目の前にあった。 俺はその横断歩道を渡り、駅前の商店街へと続く道を歩き始めた。 ここはようやく二車線が確保できる位の狭い道で、幅3メートル足らずの歩道が申し訳程度についている。 歩道にはびっしりと違法駐輪の自転車が並んでいるので、歩行者が歩ける幅は実質的には1メートル強しかない。


いつかこの危険で邪魔っけなチャリンコ共を踏みつぶしてやるぞ、と呪いながら、2.3分歩いた所で前方からチャリンコがやってきた。


いや、やってきたなんて穏やかなもんじゃない。 飛んできた、かきわけてきた、すりぬけてきた、突き飛ばしてきた、と言った方が適切だ。


スキーのスラロームよろしく歩行者の数センチ横をすりぬけ、積載量オーバーのダンプカーみたいにお年寄りを威嚇し、 艦載ジェット戦闘機が着艦する時位の猛速度でぶっとんでいた。




俺の目の前でお年寄りがそのチャリンコを避けようとして転倒したが、チャリンコに乗った男は目もくれず、俺の腕をすれすれにかすめてすっ飛んでいった。


俺はかっとなって振り返りざまその男に叫んだ。


「このドアホッ! なにをしやがるんだ!」


相手の反応も確かめず、すぐさまお年寄りの所へ駆けより助け起こした。 幸いにして怪我はなかったようで、お年寄りは礼を言って立ち去っていった。


振り返るとチャリンコはいつの間にか停止していた。 若い男が乗っている。 はたちを出るか出ないか位の年頃だろうか、ガタイがでかく、爬虫類みたいに無表情で非知性的な顔をしている。 色あせたジーンズに白いシャツの裾を外に出した、お定まりの格好だった。


しかも眼が三白眼で、なんとも薄気味の悪い奴だ。 頭はガキのままなのに身体だけが大人になったという、当今よくあるタイプだ。 そいつはいやらしい目つきでじっと俺のことを睨んでいた。




俺もそいつを睨み返した。 俺は多少だが喧嘩にも自信があり、こやつの傍若無人な態度に腹を立てていたので、ここで殴り合いになってもいい、という位の気分だった。 暫く俺達は無言で睨み合っていた。


その内に、いい歳をしてこんなガキと張り合っているのが馬鹿らしくなってきた。 


「おい、こんな狭い道でそんなにぶっとばしたら危険だろうが。 少しは他人のことも考えろ」


俺はそれだけ言うときびすを返して歩き始めた。 背後の若い男は無言のままだった。




暫く歩くと商店街に入った。 いつもの総菜屋で夕食用の「愛の鮭フレーク弁当ザンギ付」を買った。 北海道では唐揚げのことをザンギと言うそうだ。


ついでにビールのつまみ用にと、「まりな100%小次郎味」というけったいな名前の、得体の知れないカンヅメも買った。


どんな味がするのかは食ったことがないのでわからないが、たまにはこういうゲテモノもいいのでは、と思っただけのことだ。 特にこんなヘンな名前のものが好物だというわけではない。




食い物をリュックサックにしまって振り返るとその男がいた。 あの暴走チャリンコのガキだ。 チャリンコにまたがり、俺のことをじっといやな目つきで見つめていた。


こやつも夕食を買いに来たのかと、一瞬俺は意外な気がした。 しかし考えるまでもなく、誰だってメシは食うのだ。 取り立てて意外に思うことでもない。 俺はそいつを一瞥しただけで総菜屋を離れた。




俺のアパートは商店街の外れから10分ほどの所にある。 2.3分歩いて振り返ると、あのチャリンコが10メートル程後ろにいる。 こやつ俺をつけているのか。 それとも家が一緒の方角だというだけなのか・・・


少し歩いて又振り返ってみた。 チャリンコ野郎は相変わらず10メートル程後ろにいる。 ようやく俺も気づいた。 やはり俺をつけていたのだ。


「おい、俺に何か用か? 用があるんなら言って見ろ。 聞いてやるぜ」


若い男は無言のまま俺を睨んでいた。 三白眼の白い部分が更に大きくなり、眼全体が白目になったような感じで、実にいやらしい目つきだ。


流石に俺も薄気味悪くなった。 何か文句をつけてくるならまだしも、一言も言わず押し黙ってただ睨むだけというのは、なんとも不気味だ。


俺は相手にしないことにした。 こんな変な奴にかかずらわってもろくなことはないだろう。 無視するに限る。 俺は目線を逸らし、歩き出した。


アパートの前まで来て振り返ると、奴はいなかった。 やれやれ、さんざん嫌がらせをしたので、ようやくあ奴も気が済んだのかと一安心、自分の部屋へ入った。

俺の部屋は今時珍しい木造二階建てのアパートの二階にある。 畳敷きの6畳一間に無理矢理くっつけたようなキッチン、狭苦しくろくに手足も延ばせない風呂とトイレがついている。 家賃が安いだけが取り柄のアパートだが、なんといっても我が家は我が家である。 ここに帰るとなにがしか心が安らぐ。


俺はほっと一息ついて煙草に火を付け、リュックサックを下ろそうとした。




その時けたたましい音と共にドアが吹っ飛び、何かが飛び込んできた。 そこにあったのは自転車だった。


仰天した俺は叫んだ。


「なんだなんだ! これはなんなんだ! なんで自転車がそこにあるんだ!」


叫んだ後で気がついた。 


「自転車がそこにある」のではなく、「自転車が飛び込んできた」のだと。 それもあの三白眼男付きの自転車が。


「いったいなんのつもりだ、これは? どういうわけで俺の部屋にチャリンコで押し入るんだ?」


チャリンコにまたがった男は、仮面のような無表情のまま、相変わらず無言で俺を睨んでいた。 


俺の背中に冷たいものが流れ落ちた。 こいつはまともじゃない。 どう見ても正常者か。 




怒り狂って殴りかかってくる相手なら、応戦するなり謝るなり逃げるなり、こちらもまだ対応のしようもある。 しかし、押し黙ってただ睨むだけ、という相手にどう対応したらよいのか。


しかも、こいつは「ただ睨む」だけではない。 自転車ごと他人の家のドアを押し破って飛び込んできたのだ。


小学生の女児を殺してその写真を親に送りつけたり、幼女を逆さ吊りにして血抜きをしたりする輩と同じレベルにある精神状態の持ち主だ。 それに気がつくと、舌と指が硬直しがくがくと膝が震えた。




俺はもつれる脚を叱咤激励して窓際にたどりついた。 窓枠にしがみつき、ここから助けを呼ぼうかとも思ったが、どうやっても声が出なかった。 第一そんなことをしている間に、あいつに殺されてしまうかも知れない。


俺は意を決して窓から飛び降りた。




俺ははだしのまま走った。 とにかくあいつから少しでも遠く離れたかった。 


暫く必至で走り息を切らせながら振り返ってみた。 あのガキはいなかった。 俺はほっとして立ち止まり、荒い呼吸を整えた。 ここは駅裏の路地のあたりだろう。


気がつくと食料の入ったリュックサックを背負ったままだった。 捨てようかとも考えたが、折角金を払って買った食い物だ、捨てるのは勿体ないと思い直した。 このあたりが俺のみみっちい所だ。


これだけ走り回れば、鮭フレークもザンギもシェークがよくかかって、婚前一体式を挙げる時にゃ新郎妊婦、さぞやまったりとした美味になっているだろう。 これが納豆だったらかき混ぜる手間が省けたのにな、と下らぬことを考えたりした。


さて、これからどうしよう。 アパートへ帰るのは怖い。 ドアを開けた途端、いやドアは壊れているから、ドアをくぐった途端、あやつがチャリンコにまたがってじっと睨んでいたらと思うと、背筋が冷たくなる。 アパートへは当分帰らない方が無難だ。 


会社はどうか。 しかし会社へ戻っても誰もいないだろうし、はだしのまま電車に乗るのも気が引ける。 後はもう思いつく所はない。




そうだ、警察へ行こう。 俺は思いついた。 警察へ行って事情を話し、保護して貰えばいいのだ。 暴走チャリンコを逮捕して貰うことだつてできるだろう。


なんでこんな簡単なことに今まで気がつかなかったのだろうか。 やはり動転していたのだ。 俺は一人で納得して駅前の交番に向かった。


交番は駅裏から踏切を渡り、四つ角を曲がった所にある。 小さな交番だが、中年の警官が常駐している筈だ。


交番は記憶どおりの所にあった。 俺は「ごめんください」と声をかけて中に入った。


中には警官がいて・・・

警官はいなかった。 そこにいたのは・・・


あのチャリンコガキだった。 やつは今までと同様、チャリンコにまたがり無言で白目をむいてじっと俺を睨んでいた。


俺は悲鳴を上げて逃げ出した。 何故警官の替わりにやつがいたのか、警官はどうなったのか、という疑問は湧かなかった。 ただひたすら恐ろしく怖かったのだ。 そんな疑問を抱く余裕すらなく、俺は走りに走った。


どの位走ったのか。 ついに息が続かなくなり、俺は立ち止まった。 ばくばくと心臓が波打っている。 犬のように舌を出し、はあはあと荒い呼吸をしながら、ガードレールにもたれかかって息を整えた。


動悸がおさまると、疑問が湧いてきた。 あの交番にいた警官はどうなったんだ? それはあまり考えたくない疑問だった。 


幸いあたりにやつはいないようだ。 それにしてもここはどこなのか。 自分の家の近くの筈なのに、土地勘さえ働かなくなってしまった。 俺は頭を抱えて蹲った。




これからどこへ行けばいいのだろう? 警察さえ頼りにならないのでは、もう行く所はない。 俺はどうすればいいのだ?


そうだ! 電車に乗って遠くに行こう。 遠くといっても四国や九州に迄行く必要はないだろう。 小一時間も電車に乗れば、チャリンコでは追って来られない程度の距離は稼げる。 幸い財布はちゃんとポケットに入っている。 


はだしだったが、この際そんなことにかまってはいられない。 とにかくあいつから遠ざかれればそれでいいのだ。 駅のある方と思われる方角へと、俺はとぼとぼと力のない足取りで歩き始めた。 はだしの足の裏が冷たく痛かった。


20分ほど歩くと駅が見えてきた。 なんと隣町の駅だった。 恐怖に蹴りたい背中を蹴られながら走り回って、隣町まで来てしまったらしい。


まあいい。 どこであろうと駅は駅。 要は電車に乗れればそれでいいのだ。


待つほどもなく準急がやってきた。 終点の海沿いの町まで行く電車だ。 この時間帯ならかなり混雑している筈なのに、乗客はまばらだった。 俺はほっとして席に座った。




時計を見て驚いた。 なんと9時近くになっている。 3時間近くもあやつから逃げ回っていた計算になる。 それに気がつくと急に腹が減ってきた。 喉もからからだ。 3時間も走り回れば、喉も渇くし腹も減る。


幸い逃げ回っている間にもリュックサックは捨てなかったらしく、俺の背中にちゃんと収まっていた。 「愛の鮭フレーク弁当ザンギ付」もその中に鎮座している。


次の駅に停車した際、飛び降りて冷たいお茶と缶コーヒーを買った。 電車の中で弁当を食うのは若干気が引けるが、この際そんなことにかまってはいられない。 まずは腹の虫をなだめるのが先決問題だ。 


幸い乗客は少ないので、それほど人目を引くこともあるまい。


再び席に座りおもむろに弁当を取り出す。 まずはお茶を飲み、次に一口鮭フレークを口に入れる。


うまい・・・ どこまでが鮭フレークで、どこからがザンギなのか目で見ては全く不明だが、腹に入ってしまえば全て同じこと。 要は食えればそれでいいのだ。


終点の駅に到着したら、どこか安い宿にでも一泊しよう。 ビジネスホテルなら数千円で泊まれる筈だ。 その位の金は持っている。 そして明日自分の町に戻り、会社へ行けばいいのだ。


丸一日経てばあの気狂いチャリンコも諦めるだろう。 後は今までどおりの暮らしに戻れる。 俺は幸せな気分になって弁当から目線を上げた。




目の前にチャリンコ野郎がいた。 前と同じようにチャリンコにまたがり、無表情な三白眼をむいて冷たく俺を睨んでいた。




俺は座席から飛び上がってリュックサックもろとも「愛の鮭フレーク弁当ザンギ付」を投げつけた。 鮭フレークが愛情深く奴の顔にへばりつき、奴の頭髪にザンギの花が咲いた。


リュックサックに入っていた「まりな100%小次郎味」カンヅメ・ノート・ペン・牛乳の紙パックなどがザッピングして、奴と奴のチャリンコにふりかかった。 まあ、まりなと小次郎ならザッピングするのも当然だが・・・




それでも奴の仮面のような表情は全く変らず、一言の言葉も発しなかった。 ただひたすら奴は俺を睨み続けていた。


俺はわあわあと泣きながら電車の中を逃げ回った。 後ろを振り返る都度、気狂いチャリンコは執念深くどこまでも俺の後をつけてきていた。 一言も発せずただじっと睨みながら・・・


逃げる途中でふと思った。 奴はいったいどうやってチャリンコに乗ったまま改札を通過できたのか。 当然駅員は制止した筈だ。 その駅員はどうなったのか。


交番の警官も駅の駅員も、みんなどうなってしまったんだ? ・・・・・・


しかしもうそんなことはどうでもよかった。 俺の体力と気力は尽きていた。 疲れ果てた俺は奴の前に土下座した。


「ゆるしてくれ、俺が悪かった。 なんでもする。 金もやる。 だからもう勘弁してくれ」


奴の表情には全くなんの変化もなかった。 ただただ無言で俺を睨み続けるのみ・・・


おいおいと泣きながら俺は又逃げ出した。 どの位逃げ回っていたのか、電車はいつの間にか終点の駅に到着していた。






終点の駅は海の近くにあった。 俺は改札を通り抜け、夜の港町を走りに走った。 街には灯る明かりすらなく暗く静まりかえっていて、俺の足音と呼吸の音だけが空しく響いた。




後ろを振り返ってあのチャリンコが追ってくるのかを確認することさえせず、俺はただひたすら走り続けた。


いつの間にか町並みがとぎれて港に来ていた。 目の前の突堤の先には、黒く果てしのない大海原が拡がっている。 俺はまっすぐにその海を目指して、ただ走り続けた。




-了-



最後の更新

2024-07-26 08:10:51 | 日記
さて・・・


1980年代から長年書き続けてきたブログも、今回が最後の更新になりそうである。


理由は簡単で、加齢と病気による体力智力の減衰である。


膀胱癌による2度の入院と手術もあり、恐らくは年末あたりがリミットになりそうだ。


で、その前に書きためていたものを、今の内に発表しておこうというわけである。


つまりは、自己満足を完結しようということなのだ。


尚、コメントをいただくことは大変嬉しいのだが、上記の事情によりお答えはできないであろうことを、あらかじめお詫びしておく。