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業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その273 麗しの歌手さん編

2010-11-28 09:40:00 | 本と音楽
今回は歌手(主としてオペラ歌手)の美人談義。

本来クラシックの歌手は声と技術で評価されるべきもので、「美人度」などというとマジメな方には怒られるかもしれないが、私はこの手の悪ふざけが大好きで。 すんません。

美人歌手というとまず一番先に頭に浮かぶのが、ドイツの名歌手エリザベート・シュワルツコップフ。 ワグナーやリヒアルト・シュトラウスを得意とする。 特にバラの騎士の伯爵夫人は絶品。 日本へ来た時には50歳をとっくに過ぎていたと思うが、ひらひらとしたあでやかな衣装をまとった姿は絵の如し。

戦前のことだが、金髪も香しくヒトラーと並んだ姿が写真に残っているそうだ。 その後には若き日のフィッシャー・ディスカウが・・・

オーストリーのカンマーゼンガー(宮廷歌手)でアンネリーゼ・ローテンベルガーという人もいる。 美女というより美少女という感じの可憐な容姿で、ヘンゼルとグレーテルのカバー写真を見たが、40歳は過ぎているはずなのにどう見てもティーンエイジャーにしか見えない。 声も可愛い感じのリリコだった。

アンナ・モッフォというイタリア系アメリカ人も中々の美形だった。

マリア・カラスが美人だと思っている人がいるようだが、恐らく若い頃の写真を見たことがないのだろう。 はっきり言ってブスの中のブスである。 しかもデブ。(笑) 子供の頃はその容姿をからかわれて、随分いじめられたそうだが、それが後の成功の発奮材料になったと本人も言っていた。

後年王女メディアに出演する頃には、整形に次ぐ整形で元々の面影など全くない程に作り上げてしまった。 なんだか鉄仮面を見ているようで気持ち悪かったですな。

日本では田中彩子さんというコロラトゥーラソプラノの歌手さんがいる。 フォルクスオーパーのソリストなどハイソプラノ歌手として海外で活躍中だが、ハンガリーのテレビコマーシャルに女優として出演したりもする佳人。 元友店長さんに教えられて知ったが、声良し容姿良し、これで人気が出なければおかしい。


業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その241 音楽の思い出編

2010-09-22 09:30:00 | 本と音楽
モーツァルトは天才だと言われる。 確かにその通りだと思う。 しかし、彼の凄いところは、若年にしてもてはやされ、日光の猿軍団の猿のように曲撃カみた弾き方(鍵盤に布をかけて弾くとか)をしたからではない。

モーツァルトが作曲する際には、普通の作曲家のようにピアノを弾いて旋律を確かめ、それに和音を加え、構成を築き上げてゆくというのとは全く異なる。 彼の場合は最初に楽想が脳裏に浮かんだ時点で、全ての音譜、つまりスコアが頭の中に確立されていたそうだ。

後は頭の中のスコアを紙に引き写してゆくだけである。 だからモーツァルトの作曲の速度は異常に速かった。 作曲を始めた時点で、既に通常の作曲家の仕事の大半が終わってしまっているのだから、速いのも当然だろう。 勿論ベートーベンでもワグナーでも、こんな兼魔ヘできはしない。

いったいどうすれば、完全な形のスコアが頭に浮かぶのか、誰にもわからない。 恐らくはモーツァルト自身でもわからなかっただろう。 だって、自分には特に努力せずとも簡単にできてしまうのだから、何故自分には可能であるかなど考える必要もない。 正に奇跡というべきである。 これが天才の天才たる所以だ。

しかもモーツァルトの曲の中で、とりわけ優れた楽曲は後半生、20代の半ば過ぎからのものばかりである。 彼はこの頃には既に人気作曲家の地位を滑り落ちていた。

人気作曲家であった前半生の曲は、ギャラントスタイルと言われる華麗なものではあっても、後期のような深みは全くなく、はっきり言って大したものではない。 クラリネット協奏曲や魔笛と、フルート協奏曲の違いは、比較して聞けば一目、いや一聴瞭然。 誰にでもすぐわかる程の違いがある。

天才ともてはやされた青少年時代の作品は軽く、人気を失った晩年(といっても30代の半ば前)の作品は至高の名作。 この矛盾・・・ しかも最後は袋詰めにされて露天の無縁墓地に投げ落とされるのだ。 明るくのどかにまぶしい魔笛との落差・・・

モーツァルトの後期の作品を偉大さを思えば、サリエリが嫉妬したのも当然だろう。 サリエリにとって不幸なのは、彼の才能は遠くモーツァルトに及ばないのに、モーツァルトの晩年の作品が古今に冠たる名作であることを理解できる程度の才能はあった、ということだろう。

もし、サリエリがその程度の才能さえなければ、彼は当時の大人気作家であったから、「俺の方が売れてるじゃん」で済ませることができた筈だ。 しかし、不幸にして彼はモーツァルトの偉大さを認識できる程度の才能はあった。 これもやはり悲劇である。


業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その227  音楽の思い出編

2010-08-22 09:48:00 | 本と音楽
私は青年時代の約10年間、音楽(フルート)をかなり本格的に勉強した。 当時の師は東京放送管弦楽団(NHKの専属オーケストラ)の主席奏者であった東(とうの・と読む)先生である。

この先生、実に素晴らしい師であり、今も懐かしくその小粋な風貌と話し方を思い出す。 夏の盛りのくそ熱い時期にでも、黒い背広に蝶ネクタイ、それにちょび髭という伊達姿。 「先生、暑くないのですか?」 「むむ、まあちょっと暑いかな」 ちょっとどころではない。 気温は32℃なのである。

戦争中は軍楽隊に志願して南方戦線に出陣、乗っていた輸送船が潜水艦に撃沈されて波間を漂い、ようよう岸に泳ぎ着いて九死に一生を得たという豪傑でもある。 

師のいた所はインドネシアだったそうだが、「いやあ、それほど暑くはありませんでしたよ。 日本で言えば晩春位の気候かなあ」とすましておられた。 インドネシアの気候が日本の晩春という話しはあまり聞いたことがない。 当時から暑さには強かったのだろう。

どういうものか、私は東先生に気に入られ、ご自宅の酒宴にも何度か招かれた。
当時の私は非常に純真朴訥な青年であったのである。 今の私からは想像もつかないだろうが・・・

ある時その酒宴に若い女性が招かれていた。 当時東先生が指導していた「船橋ヘルスセンター少女音楽隊」のトランペット吹きのお嬢さんである。 この船橋ヘルスセンターは、今は「ららぽーと」なる一大ショッピングモールになっているが、その頃は温泉が出たとかで、温泉とその他のアトラクションを含めた保養センターみたいなものだったようだ。 彼女はそこの少女音楽隊に所属していたのだ。

「キミはあまり女性とつき合っていないようだから、わしがいい子を紹介してやる」というわけである。 この「あまり女性とつき合っていない」青年が、普通なら枯淡の境地に達する筈の老年期に、エロゲーなど作るようになるとは、お釈迦様でもご存知あるめえ。(笑)

で、宴はてて後、「この辺はたまに痴漢など出る。さあ、君、駅まで送りなさい」 駅迄このお嬢さんと一緒にゆく。 彼女を見送ってのこのこと帰ってきた私に、「なんだ、帰ってきたのか・・・」

つまり、先生は彼女を送った後或いはその最中に、彼女とどこかへ(それがどこであり、どのような施設なのかは、純真朴訥なわしゃ知らん)しけこんで、既成事実を作るのを期待しておられたようなのだ。

先生の期待を裏切る結果になってしまったのだが、当時の私はその位純情な朴念仁であったのである。 今と全然違うな、などとつっこまないでね。

そのお嬢さんとはその後どうなったのかって? 忘れてしもた。 人柄は素直そうだったがあまり美人ではなかったような記憶がある。 のこのこ帰って来たのは、そのせいもあったのかも知れない。 あれが***ちゃんみたいな美少女ちゃんだったら・・・ その後どうなっていたのか? 今となっては知るよしもない。
(***ちゃんについては詮索無用 (笑))