オストロベツの学校の記念室には、函館のパンフレットや絵葉書などが寄贈されており、それも飾ってありました。
(ゴシケーヴィチには関係なさそうな平安神宮の絵葉書もありました。でもまあ、ゴシケーヴィチをきっかけに日本文化のことも勉強しましょう、という学校側の意図は分かりますね。将来、日本文化情報センターからも日本のことが勉強になるようなものを寄贈することにしました。)
その中に高田嘉七さんがこの学校を以前訪問していたことが分かりました!
高田嘉七さんは高田屋嘉兵衛から数えて7代目に当たる子孫です。
高田屋嘉兵衛についてはこちらです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E5%B1%8B%E5%98%89%E5%85%B5%E8%A1%9B
高田嘉七さんがオストロベツを訪問した理由はちょうどそのときマリ村にゴシケーヴィチの記念碑が建つことになり、その除幕式に招待されたからなのです。
この学校に展示されている日本の物も高田嘉七さんが寄贈したものが多いと思われます。
残念なことに高田嘉七さんは昨年11月に亡くなられています。しかし今でもそして末永くこの学校で高田嘉七さんのオストロベツ、マリ村訪問のことが記憶に残ることと思います。
(ゴシケーヴィチには関係なさそうな平安神宮の絵葉書もありました。でもまあ、ゴシケーヴィチをきっかけに日本文化のことも勉強しましょう、という学校側の意図は分かりますね。将来、日本文化情報センターからも日本のことが勉強になるようなものを寄贈することにしました。)
その中に高田嘉七さんがこの学校を以前訪問していたことが分かりました!
高田嘉七さんは高田屋嘉兵衛から数えて7代目に当たる子孫です。
高田屋嘉兵衛についてはこちらです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E5%B1%8B%E5%98%89%E5%85%B5%E8%A1%9B
高田嘉七さんがオストロベツを訪問した理由はちょうどそのときマリ村にゴシケーヴィチの記念碑が建つことになり、その除幕式に招待されたからなのです。
この学校に展示されている日本の物も高田嘉七さんが寄贈したものが多いと思われます。
残念なことに高田嘉七さんは昨年11月に亡くなられています。しかし今でもそして末永くこの学校で高田嘉七さんのオストロベツ、マリ村訪問のことが記憶に残ることと思います。