ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

ロシア語訳作品集「二十四の瞳」を小豆島の壺井栄文学館に寄贈しました 5

2023-08-04 |   壺井栄
 画像は二十四の瞳映画村内にある銅像「せんせいあそぼ」です。
 他にもロケに使われた学校校舎など施設がたくさんあります。映画の世界が満喫できます。
 うどん屋さんもあって、大石先生と12人の子どもたちの気持ちになっていただきました。(作中のうどんはもっと素朴なものだったと思いますが。)
 お土産物屋では「まつりご」でトシと仙吉が遊んでいた紙風船を買いました。

 「二十四の瞳」を知らなくても楽しめますというのが二十四の瞳映画村の宣伝になっているようですが、映画村のほうが最初のきっかけで、その後壺井栄の本を読むことにした人も大勢いると思うんですよね。
 このような場を心を込めて創っている小豆島の方々のパワーには圧倒されました。
 去りがたかったです。でもロシア語版「二十四の瞳」を寄贈できてよかったです。聖地に大事な物をお供えしてきたような気持ちになりました。
 

 
 

ロシア語訳作品集「二十四の瞳」を小豆島の壺井栄文学館に寄贈しました 4

2023-08-04 |   壺井栄
 二十四の瞳映画村内にはブックカフェ書肆海風堂があります。
 そこでちゃんとロシア語訳「二十四の瞳」が読めるのです。 
 2021年に仙台で出版されたロシア語訳「二十四の瞳」(以下、仙台版と表記します。)がスタッフの皆さんのお計らいで目立つところに飾られていました。
 翻訳者の二人もとても喜んで本と記念撮影しましたよ。
 やはり出版した本が寄贈先でちゃんと保管、閲覧できるようになっているのを知るのは翻訳者として本当に嬉しいことです。
 今回寄贈したミンスク版のうち1冊はこのブックカフェ用の控えになると思います。

 仙台版を自らの手で製本してくださった赤間悟さんは昨年亡くなられ(奇しくもチェルノブイリ原発事故が起きた日付と同じ日)ミンスク版の完成をお見せすることができず残念でした。
 小豆島へもいっしょに行きたかったです。
 聴覚障碍を乗り越え、文学を愛し、長年製本業に携わってきた赤間悟さんが人生最後に手掛けた本が壺井栄「二十四の瞳」のロシア語訳になりました。
 小豆島のブックカフェで本好きの人に仙台版を手にとってもらえたらと願っています。

 書肆海風道には他にもいろんな国の言語に翻訳された「二十四の瞳」が読めます。
 ロシア語で読む人はたくさん小豆島に来ると思えないのですが、多くの言語に翻訳されていること自体が壺井栄文学が世界に広がり、人種を超えて共感を得ていることの現れだと考えています。

 二十四の瞳映画村の公式サイトで、見学に必要な所有時間は約60分とあるのを以前見ていた私は、実際にここへ来てびっくりしました。60分なんてまちがいですよ。
 私だったらこのブックカフェだけで少なくとも半日はいたいのに。
 

ロシア語訳作品集「二十四の瞳」を小豆島の壺井栄文学館に寄贈しました 3

2023-08-04 |   壺井栄
 ベラルーシからロシア語訳「二十四の瞳」を寄贈しただけではなく、壺井栄文学館からミンスク市立中央児童図書館に「二十四の瞳」(講談社の青い鳥文庫版)と短編集「柿の木のある家」(偕成社刊)を正式に寄贈していただきました。ベラルーシの図書館側に提出する書類も作成していただいて、本当にありがたかったです。
(日本文化情報センターは2022年9月にミンスク市立中央児童図書館に移転しました。)
 この画像は大石館長からお受け取りした際の記念撮影です。後ろに壺井栄さんの写真が写っていて、微笑んでくれているみたいで嬉しいです。
 
 その後、館内を案内していただきました。壺井栄さんの写真もたくさん飾られていて感激。
 前々から見たかったのは直筆原稿です。想像通りきれいで読みやすい筆跡でした。

 今回の翻訳プロジェクトで壺井栄の人生についてベラルーシ人に紹介しないといけないので当然いろいろ調べたのですが、私がベラルーシ国内の寄贈式でよく話すエピソードが筆跡のことなのです。
 壺井栄の人生ですが、子沢山の家庭に生まれ、7歳のときに家業が傾き子守の仕事をさせられ、学校の先生になるのが夢だったのに中学2年生以降は進級できず、船での運搬業をしていた父親の手伝いをさせられ、病気になる・・・と私がベラルーシ人に話すと、みんな同情の目つきになってしまいます。
 壺井栄も、私って運が悪いと思っていただろうなと想像します。
 家は貧乏、親は助けてくれないどころか足を引っ張る、健康は損ねた、高い学歴はない、特別美人じゃない・・・というどん底な状況だったのに、
「いや、私の字はきれいなんだ。こんな私にも一つは特技があった。」
と思いついて、きれいに字を書いた紙を郵便局長に見せて直談判、郵便局に就職することができました。
 というエピソードをベラルーシの中高生に話すと、はっと目を上げる子が毎回数人は出てくるんですよ。
 なのでこの話を寄贈式のときいつも話していたのですが、今回、直筆原稿が見られてよかったです。小豆島で本物をしっかり見てきたとベラルーシ人に話せます。
 

ロシア語訳作品集「二十四の瞳」を小豆島の壺井栄文学館に寄贈しました 2

2023-08-04 |   壺井栄
 ミンスク版2冊を二十四の瞳映画村の有本裕幸専務理事と壺井栄文学館の大石雅章館長に寄贈しました。
 画像は記念撮影したときのものです。
 私が邪魔になって壺井栄さんの写真が見えておらず申し訳ないです。 
 皆様、壺井栄文学館のHP
をご覧ください。

 両端に写っているのは、壺井栄の短編作品「坂道」と「妙貞さんのハギの花」を翻訳したアーラ・ラゼルコさんと「ともしび」の一部を翻訳担当した辰巳結重さんです。
 翻訳には25人のベラルーシ人が参加しましたが、その代表としてこの二人も今回小豆島に来ることができ、本当によかったです。

 
 

ロシア語訳作品集「二十四の瞳」を小豆島の壺井栄文学館に寄贈しました 1

2023-08-04 |   壺井栄
 8月5日は壺井栄のお誕生日です。この日に小豆島にある壺井栄文学館に、ミンスクで出版したロシア語訳作品集「二十四の瞳」(以下「ミンスク版」と表記します)を寄贈したいと計画していたのですが、私の事情で前日の4日になりました。でもお誕生日には遅れなかったから良かったと思っています。

 やっと念願が叶って小豆島へ行くことができましたよ・・・。
 出版費用を出してくださったチロ基金支援者の皆様とのお約束もようやく果たせました。壺井栄文学館の方々にも直接お礼が言えました。

 これまで長い道のりでした。しかし瀬戸内海の青い海、小豆島の上に広がる空を見たとたん、今までの苦労も消えました。
 このブログ上で数回に分けてご報告しますね。

 この画像は、渡し船から見た二十四の瞳映画村の入り口です。小豆島は想像以上に海岸線が入り組んでいて、まっすぐ渡し船で海を渡るほうが早いのです。しかも船着き場が二十四の瞳映画村の入り口の真ん前でとても便利。この映画村内に壺井栄文学館があります。
 「二十四の瞳」で大石先生が息子が漕ぐ船に乗って学校へ出勤する気持ちや、自転車で岬の学校へ通うときの気持ちがよく分かりました。