これは自然とは関係ありません。小平市の小学校にあった二宮金次郎の石像です。私たちが子供のころはどこの小学校でもありました。でも木造校舎が鉄筋校舎になると、処分されたのか、なくなってきました。この人はどういう人だったのかよくわかりませんが、興味深いのは、なぜこの人が圧倒的独占的に小学校の石像になったのだろうかということです。当然、軍国主義時代の勤勉の勧めということがあるでしょう。でもそれだけならさまざまに勤勉な人がいたわけで、この独占状態は「日本じゅう一色に」という強い意図があったからとしか思えません。
そうであれば戦後に価値観が激変して、「戦前もの」が処分されたのは自然なことです。よかったようにも思いますが、私たちだって同時代的な感覚はまったくもっていませんでした。なにせ髪も和風で、着物をきて、マキを背負っているのですから。でもそれはそれでいいではないかという気持ちがあります。古いものがずっとあって、お父さんやおじいさんも見たものを今の子供が見るという「ひきつぎ感」や「共通感」があまりにもない現代、無い物ねだり的にそう感じます。
教育関係者が「マキを背負いながら本を読む」というのは「スマホのながら」と通じてよくないから、座った石像を作った、などという記事を見ると「アホか」と思います。
ちょっと、そんなこともかんがえさせる金次郎さんでした。