1月に狭山丘陵のある場所で石碑を見ました。
素朴で、なかなかいいものでした。私は鳥取で生まれ育って、仙台で大人になり、中年で東京に住むようになりました、だから、都市生活者で、こういうものを見ることはあまりない暮らしをしています。もっとも、東京でなくても今の日本ならどこでも似たようなものかもしれません。
私が感じるのは、こういう石碑と人々の生活のあり方のことです。しばらく前に島根の松江で学会があったので、時間を見つけて郊外を散歩しました。そこで感じたのは、お地蔵様などの石仏類が多いことと、そこに花が活けられていたり、お地蔵様のよだれかけ(?)が昨日付け替えられたように新しいものがついていたことでした。そこで感じたのは、ここに住む人にとって、こうした石仏は日常の中に存在していて、話しかけるような生きたものとしてあり、だから花を供えたりするのが当たり前なのだということです。そのことを羨ましいような気持ちで眺めました。