リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ナニワの・・・

2024年05月17日 11時50分37秒 | 音楽系

ナニワのモーツァルトといえば先日お亡くなりになりましたキダ・タロー氏ですが、ナニワのバルトークという方もいらっしゃいました。大栗裕氏こそそのお方です。吹奏楽やマンドリン合奏でも沢山作品を書かれているのでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

中学校2年生の秋に急遽編成された吹奏楽部に入部し、速成栽培で翌年夏のコンクールに出場しました。結果は3位でした。ただし三校しか出場がなかったのでビリということですが、学校では1年もやっていないのに3位になったということで「すごいね!」なんてみんなから言われました。まぁ3位には違いありませんから。(笑)

そのコンクールの高校の部の課題曲が大栗裕作曲の「吹奏楽のための小狂詩曲」でした。

何度も何度も聴いたので曲が頭にこびりついてしまって今でも残っています。冒頭のティンパニーのソロで奏者が緊張で力が入りすぎていたためかバチを飛ばしてしまい観客席まで飛んできたというハプニングなんかもありました。自称ベートーベンという高校の先生もいらっしゃいました。レベルは今よりは格段に低かったでしょうが、熱気だけはありました。

高校に入ってからまた吹奏楽部に入りました。中学校ではトランペットでしたが、今度はクラリネットに転向しました。入っていきなり夏のコンクールのクラリネット・ソリ(2人で演奏するソロ)の下のパートをやれと仰せつかりました。曲は兼田敏作曲「バンドのためのディベルティメント」です。

3:09からクラリネット・ソリです。

自分のパートはソリも含めて夏休み前には大体できるようになりましたが、結局私はこの高校の吹奏楽部で通したことはありませんでした。

というのは吹奏楽部がコンクールに出場しなかったからではなく、私が退部したからです。退部の理由はレベルの低さもありましたが何といっても野球部の応援に行ったことです。私は応援団に入ったのではない!と啖呵をきるほどの勇気はなくボソっと止めたんですが。あてにされていたソリストのひとりが辞めてしまいどなたかが替わりになったと思いますが、皆さんに迷惑をかけて申し訳なく思っています。でも「バンドのためのディベルティメント」のクラリネットパートはまだよく覚えています。