大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好促進
日本語版新聞紹介

これまで50年間、分断の苦しみを秘めたまま、安保教育の場として活用されてきたキャンプ・グリーブスで、今は平和と共存を伝えるメッセージが鳴り響いている。

2019-11-29 | 戦争だけはやめてほしい

キャンプ・グリーブス、冷戦の遺産から平和の停留場へ

登録:2019-11-29 07:17 修正:2019-11-29 08:13

1950年代の駐韓米軍宿舎が唯一の宿泊型DMZ体験館に変身 
旧弾薬庫とかまぼこ型兵舎では若手作家の文化芸術プロジェクトも 

 
4・27板門店宣言1周年を迎え、今年4月27日、京畿道坡州臨津閣の民統線で開かれた「非武装地帯(DMZ)で平和の手をつなぐ」行事に参加したイ・ジョンヒョンさんが2人の娘とともに、鉄柵に花と統一旗をさしている=坡州/パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社

 京畿道坡州(パジュ)の臨津閣(イムジンガク)から統一大橋を渡って3キロメートルほど行けば、在韓米軍の駐屯地だったキャンプ・グリーブスに辿り着く。臨津江を渡って自由の橋と統一大橋の間の小高い丘の北側に位置しており、臨津閣展望台でも背伸びをすれば建物の屋根が見えるような位置にある。

 キャンプ・グリーブスは、共同警備区域(JSA)の国連軍宿舎「キャンプ・ボニファス」とともに、民間人出入統制線(民統線)内にある在韓米軍部隊であり、朝鮮半島分断の傷跡を物語っている。

 DMZ(非武装地帯)南方限界線からわずか2キロメートル離れたキャンプ・グリーブスは、停戦協定が締結された1953年から50年間、在韓米軍が使用してきたが、部隊施設がよく保存されており、歴史的な資料としての価値も高いと評価される。米軍が初期に私兵の兵舎や中隊本部などとして使った、トタンを使った半円形の低い建物の「クォンセット・ハット」(かまぼこ型の兵舎)は、古い映画に登場するような雰囲気を漂わせている。クォンセット・ハットは他の場所にもいくつか残っているが、内部まで原型どおり保存されているのはここが唯一だ。

 また、将校と副士官の宿舎は簡易の建物として作られた「クォンセット・ハット」よりは高級で、便利な構造で建てられている。このほかにも、実弾や迫撃砲砲弾などを貯蔵しておく弾薬庫や、車両を修理する整備庫、運動施設を備えた体育館など、米軍施設が昔の姿をそのまま保って保存されている。

 これまで50年間、分断の苦しみを秘めたまま、安保教育の場として活用されてきたキャンプ・グリーブスで、今は平和と共存を伝えるメッセージが鳴り響いている。

 キャンプ・グリーブスは2004年、ここに駐留していた米2師団506歩兵連隊1大隊が撤退した後、撤去される予定だった。2013年に京畿道や坡州市、京畿観光公社などが協力し、分断国家の特殊性を生かした平和・安保・生態体験施設にリモデリングして、「DMZの傷痕を生命と希望によみがえらせていく役割」を果たしている。

 比較的現代的な建物のコンクリート製のバラックを改造し、民統線内部の唯一の体験型宿泊施設であるユースホステルに改装したことで、キャンプ・グリーブスは本格的な「DMZ体験館」として生まれ変わった。クォンセット・ハットと将校・副士官宿舎は分断などをテーマとする展示室となっており、体育館は公演場などとして活用されている。部隊の周りを二重鉄条網で最前方の境界線のように演出した散策路を作るなど、昨年、すべての改装を終えた。

 キャンプ・グリーブスDMZ体験館は、近くに第3トンネルや都羅展望台、都羅山(トラサン)駅、都羅山平和公園、統一村などがあるため、安保体験だけでなく、平和と統一について学ぶ環境も整っている。また、1950年代に建てられた米軍テントと弾薬庫の中で鑑賞できる若いアーティストたちの文化芸術プロジェクトも、もう一つの平和のメッセージといえる。

 京畿道によると、今年1月から6月まで上半期に1万864人がキャンプ・グリーブスを訪れ、来客数が昨年同期(8321人)より30.6%増えた。特に、外国人利用客は昨年上半期には325人で、全体の3.9%にとどまったが、今年は約20%にあたる2161人がキャンプ・グリーブスを訪問した。昨年には京畿道民が60%だったが、今年は京畿道以外の地域住民の割合が55%に増えた。

キム・ハクジュン先任記者、企画コンテンツチーム(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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連載29、予算、決算の討論は市政全体の評価と議員団の政策提案

2019-11-29 | 市民のくらしのなかで

世直しご一緒に 市政を動かす、予算、決算の討論は市長選政策の土台

 ■□予算、決算の討論は市政評価と政策提案        

 毎年度の予算、決算にたいする議員団の態度は、その自治体をどう評価しているのかという基本的な問題になります。予算・決算の討論は、市議選の「選挙政策」を作る構えで作成しました。一例として、平成二〇年度(二〇〇八年度)予算に対する反対討論を紹介します。

 
市民の暮らしをどう守るか

 私は日本共産党議員団の大橋満でございます。平成二〇年度向日市一般会計予算に対し反対討論を行います。

 福田首相は、本年(二〇〇九年)一月一八日、通常国会の施政方針演説で、生活者、消費者が主役と強調しました。しかし、国家予算案の内容は、それが全くの偽りであったのです。社会保障の自然増二二〇〇億円を抑制しながら、お年寄りに大増税と負担増、医療・介護・障害者の施策・制度改悪、雇用や農業の破壊などが国民全体を襲い、地方財政の大幅削減と市町村大合併が地方を疲弊させ、その上、郵政民営化までもが強行されました。

 昨年の参議院選挙は、安倍内閣のもとでの選挙でしたが、国民の怒りは、本質的には小泉構造改革路線に向けられたものでありました。国民の中では格差が広がり、 仕事につけず、低賃金、ワーキングプアも広がっています。年金は下がり、負担が増え、暮らしていけない事態が広がっております。

 しかし、自民党は参議院選挙結果の反省もなく、暮らしに冷たい構造改革路線をまだ頑固に続けています。しかも、アメリカ言いなりの外交と財界奉仕の政治については何ら変わっていません。そうして本来メスを入れるべき道路特定財源や大企業優遇税制、軍事費など、いわゆる聖域には全くメスが入っていません。額賀財務大臣は、消費税を含む抜本的税制改革への橋渡し予算だと説明しています。このことは国民の暮らしの実態を見ない、生活者、消費者不在の予算であります。

 京都府予算も、自立・自助を基本に、暮らしを支える施策のカットが目立ち、国の政治をそのまま京都府に持ち込んできております。特に最近では、円高・ドル安など新たな状況が生まれています。向日市はこのような動きの中でどのような予算を組むのか、どうして市民の暮らしを守るのかが差し迫っている課題であります。

 

この予算の基本方針は市民不在

 提出された二〇〇八年度、平成二〇年度一般会計予算の説明では、行政改革に取り組みながら事業の選択と集中を行い、本市の将来を見据えた施策、特に次世代に引き継げる社会資本の整備に重点を置き、さまざまな施策を可能なものから予算に盛り込みましたとし、同時に、市民と行政の役割分担の明確化を基本とした行政改革アクションプランに基づき、財政運営に努めるとしています。そうして出された予算案の大きな特徴は、前年度に比べ、廃止された事業名一八項目、金額にして三〇六五万五〇〇〇円、削減された事業三八項目一億七二九九万三〇〇〇円、この中には長期債の利子や償還金も含まれております。休止一項目六二万五〇〇〇円、計五七項目二億〇四二七万三〇〇〇円であります。公共料金の値上げ分は、保育料二九六七万六〇〇〇円、学童保育協力金五〇〇万円、計三四六七万六〇〇〇円となっています。

 大幅なカットについて、市長の説明では、多くの団体に説明し、理解を得たということでした。しかし、二月二九日付市長名で出されている「向日市はり・ きゅう・マッサージ施術費助成事業の廃止について」という文書は、審議中であるにもかかわらず、「平成一九年度末をもって廃止させていただくことといたしました」と、決定されたものとしていることは、議会を軽視した許しがたい行為であります。これでは、他の団体や個人にもきちんと説明し、了解が得られたとは到底思えない内容であります。本予算の最大の特徴であるこのような補助金カットは、市民団体から請願も出されているように唐突であり、認められないものであります。国や府と同じように福祉切り捨て、補助金カットを行い、大企業、竹中工務店やJR関連会社の利益を誘導しようとするものであり、その基本が市民不在であります。

 
賛同できる項目

 一方、本年度予算の中で、市民の暮らしに少しでも役立つものとして賛同できるものは、

1、地震対策、耐震関係の事業

2、石田川2号関連工事(下水道をつくることについて)

3、阪急駅のバリアフリー工事

4、交通安全対策と生活道路改良及び新設事業

5、はり湖池周辺整備

6、妊婦検診助成の拡大

7、AED救急セット購入

8、西ノ岡中校舎改修工事

9、小学校パソコン整備

10、平和行政の推進

11、南山地域の崖地危険解消工事

などがあります。それらについては、適切な執行を望むものであります。 

          

 

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「おお、これは千字文です!国内最古の高麗時代唯一の本です。今まで見たことがない…」

2019-11-29 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

道峰山麓で国内最古の千字文を発見

登録:2018-01-26 00:05 修正:2018-01-26 08:39

古刹 霊国寺址出土品の中から 
歐陽詢體の文字が彫られた石1点を発見 
10世紀、高麗初期の唯一本と判明 
「朝鮮時代以前の千字文は初めて」

国内で最古の千字文の実物と判明したソウル霊国寺址から出土した高麗時代の石刻千字文破片には163・165・167区が刻まれている。2012年に出土した遺物で現在は漢城(ハンソン)百済博物館に所蔵されている=仏教文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社

 「おお、これは千字文です!国内最古の高麗時代唯一の本です。今まで見たことがない…」

 受話器から仏教文化財専門家のコギョン僧侶(松広寺聖宝博物館長)の興奮した声が聞こえてきた。

 昨年11月初め、曹渓宗仏教文化財研究所遺跡研究室のパク・チャンムンチーム長は、僧侶からの電話を受けてびっくり仰天した。数年前から調査してきたソウルの道峰山(トボンサン)麓にあった高麗時代の古刹、霊国寺址からの出土品の中から、精巧な文字が彫られた石片(石刻片)6点の判読を依頼したが、そのうちの一点が1000余年前の韓国最古の千字文実物と判明したという内容だった。

 10世紀頃の高麗初期のものと判明したこの千字文石刻は、2012年にソウル文化遺産研究院の調査で、寺の跡地から出土した遺物だ。研究所側が僧侶の説明を聞いて石刻を調べたところ、5~6世紀の中国の梁の文人、周興嗣が作った千字文 250区のうち163区、165区、167区の前句節の一部が彫られていることが明らかになった。「国の大本(おおもと)農桑(のうそう)にあり」という意味の163区「治本於農」の「治本…」部分と、165区「はじめて田畑耕し起こし」という意味の「俶載南畝」の「俶載」、167区「稲が実れば新穀まつる」という意味の「税熟貢新」の「税熟…」部分が、見事で骨格の整った楷書字体で表記されていた。コギョン僧侶は「石刻文字を何度も見たが、千字文の後半部で見たことのある句ではと思い、持っている千字文の索引と対照してみたら当たっていた」として「国内にある千字文の実物は、朝鮮時代以前の版本がなく、画期的な国家文化財級の発見」と話した。

霊国寺址から出土した石刻千字文の拓本=仏教文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社

 書芸史家のイ・ワンウ韓国学中央研究院教授も「統一新羅から高麗初期まで流行した唐の名筆、歐陽詢の典型的な書体で、共に発見された高麗石経(石に刻んだ仏教経典)と書風、刻む方式、材質も同じで、高麗初期の遺物であることは確実だ」として「句の構成を見る時、1行に8文字ずつ刻んだことが分かっているが、当時は寺で僧侶の漢字学習のために使われたものと見られる」と推定した。

 韓国国内の学界は、周興嗣の千字文が朝鮮半島の三国に直ちに伝えられたと考えてきた。日本史書の日本書紀には、3世紀に百済の博士である王仁が日本に千字文を伝えたという記録があるが、周興嗣の千字文より早く、他の種類の千字文を伝えたものと見る見解が優勢だ。千字文実物の場合、広く知られた名筆である韓ホの「石峯千字文」(1583年初刊)をはじめ、朝鮮時代の版本のみが伝えられてきており、三国・高麗時代のものは皆無だった。15世紀、安平大君(アンピョンデグン)の楷書・草書本と死六臣(サユクシン)の一人である朴彭年が書いたという草書本が最古の文字本と言われてきたが、後代に板刻され続け使われた。最も古い版本は、1575年に作られた「光州版千字文」(日本の東京大所蔵)が挙げられてきたが、今回の石刻本の発見で千字文実物の歴史は500年以上遡ることになった。

 研究所側は、新たに判読された千字文石刻を12日に韓国木幹学会の発表会で学界に公開した。この席で千字文石刻を検討した石経研究者のチョ・ミヨン博士(円光大)は「書体を見ると、千字文石刻を刻んだ時期は統一新羅時期まで遡る可能性がある」と主張して、学界での新たな論議も予想される。

2012年に霊国寺址で千字文石刻本と共に出土した妙法蓮華経を刻んだ石経破片の一部。高麗時代に仏教経典を刻んだ石経遺物としては唯一のものだ。漢城百済博物館所蔵=仏教文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社

 研究所はこれと共に、2012年の発掘当時に千字文石刻と共に出土した他の石刻3点が「妙法蓮華経」を刻んだ高麗時代唯一の石経であることを明らかにし、2017年の出土品の中から、経典と教理の内容を描いて見せた「変相図」と推定される蓮花模様(蓮瓣文)が彫られた石刻1点も追加で確認したと説明した。現在、韓国国内に残っている古代石経は、求礼(クレ)の華厳寺(ファオムサ)の「華厳石経」と慶州(キョンジュ)の昌林寺(チャンニムサ)址から出た「法華石経」、慶州南山(ナムサン)の七仏庵から出た「金剛石経」のみだが、すべて統一新羅時代の遺物だ。

2017年に霊国寺址で出土した蓮花模様(蓮瓣文)を刻んだ石刻破片。石経に刻んだ仏教経典の内容を描くことで解説した「変相図」だったと推定される=仏教文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社
ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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古代人が邪鬼払いのために四方の壁に朱塗りをしたと推定しつつ、玄室の壁に朱塗りの跡が数多く発見される古代日本列島の古墳築造様式とも一定の関連性があるものと解釈している。

2019-11-29 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

1500年ぶりに開かれた伽耶の権力者の墓は朱で覆われていた

登録:2019-11-29 04:15

28日、蓋石開いた昌寧校洞63号墳の発掘現場 
中には土器と土で埋まった玄室 
石壁には泥を塗り朱塗りの跡が印象的 
朱塗りは邪鬼払いか

 
蓋石の下から現れた63号墳の玄室内部。盗掘されておらず、遺物の状態が良好。床には高杯、長頸壺など、様々な種類の「昌寧式土器」や金属製道具の欠片が土と混ざった状態で散らばっている//ハンギョレ新聞社
 
 
28日午前11時頃、慶尚南道昌寧邑校洞古墳群63号墳の発掘現場で、クレーンが3トンを超える蓋石を持ち上げている//ハンギョレ新聞社

 5世紀の伽耶の小国「非火伽耶」の権力者の大規模古墳が埋葬から1500年を経て初めて開かれた

 国立伽耶文化財研究所は28日午前11時頃、慶尚南道昌寧邑校里(チャンニョンウプ・キョリ)の校洞伽耶古墳群で、盗掘されていない状態で最近発見された大型古墳、63号墳の蓋石を開き、長さ6mを超える玄室内部を取材陣や学界の専門家に公開した。

 重さ2.8トン、3.8トンの蓋石2個をクレーンが引き揚げて現れた玄室の中は、長頸壺や蓋付きの高坏など、特有の昌寧式土器が、壁から崩れ落ちた土と混ざった状態で床を埋め尽くしていた。土器の間には、墓の主の身分の高さを象徴する農機具の一種であるサルポや鉄の鏃、馬具などと推定される金属製の遺物の欠片も点々と散らかっている。蓋石の内部には土器のない空間も見えたが、殉死者が安置された所と推定されると研究所は説明した。もうひとつの関心事である墓の主の人骨が残っているかどうかについては、幾重にも積み重なった土器と土を収拾し、洗浄してみなければわからないという回答が返ってきた。

 
63号墳の石室を覆っていた蓋石の一つがクレーンにつるされている。下に整えた小さめの石を積んだ玄室の両壁と土器で埋め尽くされた床が見える//ハンギョレ新聞社
 
 
国立伽耶研究所の学芸員が、蓋石が取り払われた後に現れた玄室の床を見ながら説明している//ハンギョレ新聞社
 
 
受話器のような形をした変わったデザインで視線を釘づけにする非火伽耶地域特有の燈盞形土器。昌寧校洞古墳群以外では見られない遺物//ハンギョレ新聞社
 
 
          受話器のようなデザインの非火伽耶地域特有の燈盞形土器//ハンギョレ新聞社

 小さく角張った石を積み上げて作った玄室の四方の壁にも注目だ。何よりも泥を全面に塗り、そのうえから朱を塗った跡が随所にはっきりと残っており、取材陣と専門家の目を引きつけた。蓋石を開ける前の内視鏡による事前調査でも確認された朱塗り跡は、63号墳の発掘作業で最も際立つ特徴とされる成果だ。他のどの古墳よりも朱塗りの範囲が広く、痕跡も明らかだという。研究所側は、古代人が邪鬼払いのために四方の壁に朱塗りをしたと推定しつつ、玄室の壁に朱塗りの跡が数多く発見される古代日本列島の古墳築造様式とも一定の関連性があるものと解釈している。

 発掘現場の下の臨時陳列台には、63号墳の近くの62号墳から出土した燈盞形象形土器が断然注目の的だった。電話の受話器あるいは天秤に似た胴体に2つの灯蓋の形をバランスよく載せたこの象形土器は、これまで見たことのない非火伽耶(ピファガヤ)の職人の独創的なデザインを誇っている。同研究所のパク・ジョンイク所長は「大型の伽耶古墳が全く盗掘されず、埋葬当時の状況を保ったまま発見されたのはほぼ前例がない。非火伽耶の葬送儀礼や生活史の復元に決定的な手がかりとなると期待している」と語った。玄室の床に厚く積み重なった土器や土の層を取り払えば、人骨や金冠、耳環、馬具のような重要な遺物が多数出現する可能性も相当あるというのが研究所側の見方だ。ヤン・スクチャ学芸室長は、2カ月ほどと予想される墓室の収拾作業に尽力する計画だと語った。

昌寧/文・写真/ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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