キャンプ・グリーブス、冷戦の遺産から平和の停留場へ
1950年代の駐韓米軍宿舎が唯一の宿泊型DMZ体験館に変身
旧弾薬庫とかまぼこ型兵舎では若手作家の文化芸術プロジェクトも
京畿道坡州(パジュ)の臨津閣(イムジンガク)から統一大橋を渡って3キロメートルほど行けば、在韓米軍の駐屯地だったキャンプ・グリーブスに辿り着く。臨津江を渡って自由の橋と統一大橋の間の小高い丘の北側に位置しており、臨津閣展望台でも背伸びをすれば建物の屋根が見えるような位置にある。
キャンプ・グリーブスは、共同警備区域(JSA)の国連軍宿舎「キャンプ・ボニファス」とともに、民間人出入統制線(民統線)内にある在韓米軍部隊であり、朝鮮半島分断の傷跡を物語っている。
DMZ(非武装地帯)南方限界線からわずか2キロメートル離れたキャンプ・グリーブスは、停戦協定が締結された1953年から50年間、在韓米軍が使用してきたが、部隊施設がよく保存されており、歴史的な資料としての価値も高いと評価される。米軍が初期に私兵の兵舎や中隊本部などとして使った、トタンを使った半円形の低い建物の「クォンセット・ハット」(かまぼこ型の兵舎)は、古い映画に登場するような雰囲気を漂わせている。クォンセット・ハットは他の場所にもいくつか残っているが、内部まで原型どおり保存されているのはここが唯一だ。
また、将校と副士官の宿舎は簡易の建物として作られた「クォンセット・ハット」よりは高級で、便利な構造で建てられている。このほかにも、実弾や迫撃砲砲弾などを貯蔵しておく弾薬庫や、車両を修理する整備庫、運動施設を備えた体育館など、米軍施設が昔の姿をそのまま保って保存されている。
これまで50年間、分断の苦しみを秘めたまま、安保教育の場として活用されてきたキャンプ・グリーブスで、今は平和と共存を伝えるメッセージが鳴り響いている。
キャンプ・グリーブスは2004年、ここに駐留していた米2師団506歩兵連隊1大隊が撤退した後、撤去される予定だった。2013年に京畿道や坡州市、京畿観光公社などが協力し、分断国家の特殊性を生かした平和・安保・生態体験施設にリモデリングして、「DMZの傷痕を生命と希望によみがえらせていく役割」を果たしている。
比較的現代的な建物のコンクリート製のバラックを改造し、民統線内部の唯一の体験型宿泊施設であるユースホステルに改装したことで、キャンプ・グリーブスは本格的な「DMZ体験館」として生まれ変わった。クォンセット・ハットと将校・副士官宿舎は分断などをテーマとする展示室となっており、体育館は公演場などとして活用されている。部隊の周りを二重鉄条網で最前方の境界線のように演出した散策路を作るなど、昨年、すべての改装を終えた。
キャンプ・グリーブスDMZ体験館は、近くに第3トンネルや都羅展望台、都羅山(トラサン)駅、都羅山平和公園、統一村などがあるため、安保体験だけでなく、平和と統一について学ぶ環境も整っている。また、1950年代に建てられた米軍テントと弾薬庫の中で鑑賞できる若いアーティストたちの文化芸術プロジェクトも、もう一つの平和のメッセージといえる。
京畿道によると、今年1月から6月まで上半期に1万864人がキャンプ・グリーブスを訪れ、来客数が昨年同期(8321人)より30.6%増えた。特に、外国人利用客は昨年上半期には325人で、全体の3.9%にとどまったが、今年は約20%にあたる2161人がキャンプ・グリーブスを訪問した。昨年には京畿道民が60%だったが、今年は京畿道以外の地域住民の割合が55%に増えた。