大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好促進
日本語版新聞紹介

議会日程

2005-11-29 | 市民のくらしのなかで
第4回定例会(12月議会)はじまりました。
主な日程は、次のとうりです
11月           党の出席議員
22日(火)議会運営委員会  大橋・丹野
24日(木)乙・環組合議会
25日(金)乙訓・福祉議会  山田
28日(月)乙訓・消防議会  丹野
29日(火)本会議(提案)  全員
12月
 1日(木)請願締切17時
      質問通告締切り
 8日(木)議会運営委員会  大橋・丹野
 9日(金)本会議一般質問  全員
12日(月)本会議一般質問  全員
13日(火)予備日
14日(水)厚生常任委員会  北林・丹野
15日(木)建設環境委員会  和田・松山
16日(金)文教常任委員会  常盤・大橋
19日(月)総務常任委員会  中島・山田
20日(火)議会運営委員会  大橋・丹野
22日(木)本会議(採決)  全員
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杭州市天長小学校

2005-11-29 | 写真
授業風景
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公式訪問

2005-11-27 | 写真
公式訪問・中央が私
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西湖

2005-11-27 | 写真
西湖
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おめでとう 友理ちゃん・誠君

2005-11-26 | 市民のくらしのなかで
長男の結婚に思うこと
 私は、他の結婚式のスピーチで、よく「一に辛抱、二に辛抱、三に辛抱、四に辛抱…」と言う話しをした。人生経験の多い人には、笑って納得の話しなのだが、結婚した二人にとっての餞(はなむけ)の言葉としては、余り相応しくないと反省している。
 だから今回は、ちょっと他の方々の話しを聞きながら「瑠璃も玉も磨けば光る」を「友理もまこも磨けば光る」と、今後の期待も込めて話そうかと思っていた。
 しかし、私が年寄りめいたことを言う必要は無かった。おじさんの話しで充分だった。また、若い方々のスピーチは、心のこもったものが多く、私が独り合点のようなことを言うよりも、「ずーと温かく見守る」ことが最大の言葉ではなかろうかと思い、「節目、節目に亡くなった友理ちゃんのお父さんに、責任を持ってご報告します。」と言ったのだが、…・
 お客さんとして出席するのと違い、父親の場合は誉めたくても、誉めるのはおかしいし、けなすのも場所が違う、といって、ご参加の皆さんありがとう だけでは面白くない。結構複雑な立場なのだ。うまくちちおやできたのかどうか知らないが、もうすんでしまった。
 いま、二人はオーストラリアだ。 「本当におめでとう!」
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日朝友好同窓会のようだった。

2005-11-26 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好
日朝協会京都府連役員と、在日本朝鮮人総連西陣支部役員の方々と、交流会を持った。そこで、何かを決めようとするものではなく、お互いに日ごろの労をねぎらうものだった。
 参加された方々は、古くから日朝友好のために、努力してきた方々ばかりだったので、同窓会のような奮囲気で和やかに進められた。
 これから、他の地域でもその近所の会員や、関心のある方々も入れた交流会にして行きたい。 
 それにしても早くハングル講座を行い、少しは理解出来るようになりたいものだ。
 
 今日は、理事会があり日本人の中にどう運動を広げるか相談する。
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私の見た中国杭州市(前半)

2005-11-25 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好
 2005年10月27日から31日まで、向日市と中国杭州市友好交流協議書締結20周年記念公式訪中団(久島市長・赤井議長・大橋議員・太田議員・清水秘書)の一員として中国杭州市ヘ行った。公式行事でのお互いの挨拶などは、市の方から発表されるべきものだからその点にはふれず、私の責任で、中国の姿を見たまま、思ったままを書きとめておきたい。(11月の始めから15日まで20回に分けて書いたものを整理し若干付け加えたものである。)

1、 空から見た杭州
 関空を飛び立って約2時間、陸が見えてきた中国である。大きな畑が長方形に広がる、今度は緑の塊、山のようだ。低くなるにつれて道路も見える。余り自動車は走っていない。都会が近づくにつれて車は多くなってきた。河も見える、もうすぐ着陸だ。
 空港近くの畑は、大きな田の字がずーとつながっている。畑の周囲には家がある。そうして、畑の中にも整然と家が立ち並んでいるのだ.着陸してわかったが、4階だての大きな一軒家が立ち並んでいた。一軒に3~4人しか住んでいないとのことにびっくり。
この近くの農家は、中国の農村の中では、一番裕福だと言う。一軒の耕作面積が相当広いのだろうと思う。都会が近いので作った物が すぐ売れるのだろう。
 空港には 杭州 Hangzhou,南山と大きな看板が出ている。「ハンジョウ」と発音する。
全く関係がないのだが 私の住所が、向日町南山である、杭州の南山に空港がある。なにか親しみを感じながら飛行機を降りた.中国への第一歩は、近親感から始まった。

2、はじめに出会った人は、杭州市外事弁公室の職員だった。
 出迎えにきてくださったのは、日本語の上手なお二人の方だった。中国での公務員は、エリート集団である。日本のように、公務員を減らせ減らせと言う責任者はいない。
日本語の通訳は、何人おられるのかしらないが、4名の名前を聞いていたのでそれ以上おられる事は確かである.わが日本からは、1人の通訳もつれていっていない。ちょっと恥ずかしい。早く養成していかないと、対等な付き合いとは言えないのではなかろうか。
 帰るまでずっとついてくれたK氏(50才~55才くらい?男性)は、われわれの、「どのような方法で日本語を覚えたのか?」との質問に、「若いときに、日本から来る旅行者に、日本語を教えてほしいとメモを持ってくっついて歩いて覚えたた。」と言うのである。
そんなこと本当だろうか、と思ったが、それが事実だと証明されるのに余り時間はかからなかった。
 なぜなら、知り合いの中国語の先生にその事を話したら、「国交回復してすぐに中国旅行に行ったとき、何人もの青年が教えてくれとついてきた。その内の一人が、今でも私の友人だ。」と言う。当時の青年は、学校で日本語を教えてもらえなかったから、そんな努力をされたのかと驚いた。
 その勉強をもとにして職につき、今では、何度も日本にきていると言っていた。
 ところが、上海へ行くとき旅行会社から30歳くらいの青年が道案内にこられた。上海は道路がややこしくて杭州の人は、すぐ間違うからだ。
 彼にも同じ事を聞いたら、そのこたえは「学校で習った、忘れないように通訳になった、しかし、日本に行った事がない。」と言う。 お二人の経歴から時代の違いを感じた。
 話しは変わるが、行政に責任を持っている公務員の上級職員のなかで、都市部で町づくりや、産業の発展に貢献した人は、地方都市の新しい指導者として派遣される事になるという。そうして早く全国のレベルを引き上げるのだそうだ。
 日本では、「左遷」のイメージがあるが、本質的な違いがあるのだ。若い元気な幹部は、積極的に引き受け奮闘していると言う。中国では、公務員が国民を指導する先進部隊なのである。だから常に責任は重い。外事弁公室は、外国に対する中国の顔なのである。
 早く多くの方々と、よい友人になりたいものである.
 
3、宿泊ホテル・浙江省世界貿易中心大飯店
 ここで三泊した。5ツ星の大きなホテルである。
 部屋のテレビは、なんと35チャンネル、もちろんNHKのBSチャンネルがなまで写る。朝の番組で時計が写っているが時差は日本が一時間早い。ヨーロッパ、アメリカ、インド、関係までストレートで見られる。なんの制限もしていないのである。日本もそうあるべきだ。日本は自由? 中国は統制?と思っていたら、大間違いである。
 中国の国内放送も全国的なものから、杭州テレビまで映るのだが、なぜか字幕がついている。日本の場合は国内放送全てに、字幕を付けていることはない。検閲してから映しているのかと聞いてみると、耳の不自由なかたの為と、国土が広く普通の方でもわからない言葉があるという。誰にでも理解できるような配慮だと言う。国土が広すぎるのだ。
 このことに関連して面白い話をしてくれた。ベトナム戦争のとき、中国から派遣された最初の支援部隊の作戦が普通の中国語だったために、相手軍に傍受され、ことごとく失敗したのだと言う。そこで何州(名前を忘れた)だったか、地方の方言で中国人にも全くわからない言葉を喋るところがあるのだという。その州の兵隊に総入れ替えをし、後の作戦を成功させたのだという。広い中国ならではの話しだ。
 テレビで中国内での「美人コンテスト」の様子や、若者の「のど自慢」、クイズ、映画、たけしのヤクザ映画までやっていた。案外たけしの名は知られていると言う。
 化粧品や美容に関するコマーシャルもあった。持っていくお土産は化粧品が喜ばれるという。番組の予告もよく出てきた。オカマチャンまで出てきたのにはちょっと目を疑った。 あくる日、通訳に聞いた。そうしたら彼は、「何もびっくりする事はない、今の中国には世界中にあるものは何でもある」そして付け加えた「良いものも、悪いものも」と。
4、天長小学校・向陽小学校と姉妹校
 街の中のこじんまりとした学校である。900人ほどの子どもがきている。80パーセントほどが近所(校区)の子で、他はよそからきている。4階建ての校舎が、コの字型に立ちその横に運動場がある。土地の広い中国では珍しく、ちょっと狭いといっておられた。中庭は美しくしてある。1クラスは30人で9月から1学期が始まる。6・3・3制は日本と同じだ。
 校門を入ると主な先生と2人の生徒が、花束を持って出迎えてくれた。生徒がわれわれ全員に学校のワッペンを胸元に貼ってくれた。応接室にとうされ お互いの紹介のあと「概要」を聞いて校舎を回った。
 第一印象として、先生はみんな大変若く20代~30代で、校長先生が40才位?かな、非常に素敵な女性の校長先生で、30分も一緒に居ればみんなスキになってしまう。男性の先生が2割位おられたのかと思う。
 どこの小学校も先生は若い女性が多いと言う。日本でも小学校は若返りが必要だ。入学から2ヶ月しかたたないのに、一年生は皆しっかり勉強している。基本的に大型テレビ授業のようである。1年生から週に1時間英語の時間がある。2年2時間、3年3時間だ。
 テレビで英語のマンガを見ている。所々止めて単語や発音を教えまた続きを見る、と言う具合だ。国語は8時間だと言う。バレー(舞踊)の時間がある。音楽も楽しそうだったし、子どもも先生も目の色が違うという感じで、こちらは、目のうろこが落ちる思いだった。
 金沢市に視察に行ったとき、小学校1年から英語を教えているが、どのようにして教えるのかと言う先生方の研修に、中国に行っているとの説明である。なるほどと納得である。
 子どもは、教室の移動もリーダーがつれていく、きちっと2列に並んで歩いているので日本では見られない光景だ。赤いネッカチーフをしている子は、リーダー的な子なのだと後で知った。
 メガネをかけている子が多いのは、ちょっとびっくりである.休憩時間に体操の音楽と目の体操の音楽が流れる。子どもは自主的にやれば良い。1年生には教えるようだ.
 あまりいじめなどはないようだが皆無と言う事ではなく、増える傾向にあると説明があった。自分達の教育に自信を持っているようで、好感が持てた。
 いずれにしても、感じた事は、世の中で一番良いものを使って子どを育てる、そんな考えがあるのではなかろうか、だから、中国の留学生は、勉強して早く国に帰り、国全体の発展の為に自分の力を生かそうとしている。利己主義者ではないのだ。

5、市長表敬訪問・記念式典
 10月28日午後5時30分、ホテル別室で杭州市の幹部に対する表敬訪問を行った。
 テレビでよく見る光景と同じである。お互いの紹介の後、両市長の挨拶、(杭州市長は香港での会議で欠席、副市長が代理出席)その他主な方の挨拶だけなのだが、みように緊張感と新鮮さがあるものだ。副市長といっても人口から見れば、大阪の副知事のイメージだ。
 中国・杭州市の置かれている位置、歴史・貿易・今後の展望を含めて長い挨拶だった。外国のお客さんに、いつも話しておられるのだろう。地元テレビが入っていた。
 6時から記念式典とレセプションが行われた。記念品の交換もあった。
 私は以前、本会議の一般質問で、市長に「20周年記念式典の挨拶」の中で、侵略戦争へのお詫びと、向日市が「世界平和都市宣言」をしていること、市長が、「現憲法の全ての条項を守る」と言い、「教育長が教育基本法を守る」と言っていること。議会が、「小泉総理の靖国神社参拝に反対の意見書」を出していることなどを言うべきだが、どう考えているかと質問した。市長は、「良く考える」と答弁していたが、肝心なことは何も言わず「全く儀礼的なもの」だった。
 私は挨拶する機会があればやるつもりで、特訓で中国語の挨拶を用意していた。しかしその場はなかった。無い事も想定して用意していた挨拶をコピーして持参していた。参加されていた全ての中国人の方々に、「私からのメッセージです」といって渡した。非常に喜んでいただいた.(私のパソコンで中国語の漢字が出ないところはOをいれ 以下翻訳とあわせて載せておきたい。)  
 
 私からの中国人民・杭州市民へのメッセージ

 各位先生 大家好! 我是向日市議員 叫大橋満
我是第一次来中国的  O次我能参加 向日市与杭州市之間的友好往来的
二十周年記念活動来見面杭州市的各位先生、覚得很高O
最近 在日本経選挙行的大O, 小泉領O的自民党取得了意外大捷
六十年前、日本、日中戦争時侵略、中国、韓国、朝鮮以及 其他亜州国家来掠奪OO国家的  財産及許多中国人民的生命、但是日本政府不但対日本O動的侵略戦争没有表示
反省和道歉、而且参拝靖国神社
我做為一个日本人、那侵貨戦争、対所有的中国人民、表示哀心歉意
在日常生活中、為了絶対不打伏、我全力活動着
現在我們向日市一共有24个議員、其中包括我在内、有8个日本共産党的議員
向日市己経宣布‘世界平和都市宣言‘
向日市市長表明尊守 現憲法的項目、 教育長也表明尊守 ‘教育基本法‘
向日市議会議決‘小泉首相不座該参拝靖国神社‘ ‘不座該改変憲法‘
而対 小泉首相提出此決議案
我戻祝二十周年、也很希望為了世界和平及両国人民的幸福
世世代代 O行友好交流! 謝謝大家!

  (日本語訳)
 私は、市会議員の大橋満でございます。中国に来たのは初めてです。
 今回の20周年の行事に参加し、杭州市の皆さん方にお会い出来て、本当にうれしく思います。
 さて、日本の総理大臣は、選挙で勝利しましたが、60年前の第2次世界大戦で中国・韓国・北朝鮮をはじめアジアの多くの国々を侵略し、領土と人民の命を奪ったことに対して反省せず靖国神社に参拝し、憲法を変え、再び、戦争出来る国にしようとしています。
 私は,日本国民として、あの侵略に対し、全ての中国人民に、心からお詫び申し上げます。
 そうして、毎日の活動の中で二度と戦争をしないよう、全力をあげています。
向日市の議員は、全員で24人います。その内 私を含めて日本共産党員が8人います。
向日市は、世界平和都市宣言をしています。
市長は、現憲法の全ての条項を守る態度を表明し,教育長は、教育基本法をきちっと守ることを表明しています。
向日市議会は、小泉首相の「靖国神社への参拝をやめよ」「憲法を変えるな」と決議し、首相に意見書をだしています。
 
 今回の20周年をお祝いするとともに世界平和と両国人民の幸せのため、末永く友好・交流が進められるよう祈念致しまして、私の挨拶と致します。

6、杭州市長招待の朝食会
 28日夜、予定変更です。明日の朝は食事をとらないでください。市長が帰ってきたので、一緒に食事がしたいとのことです、と連絡が入る。副市長の計らいだという。
 向日市の担当者が、出発前の説明会で、詳しい日程の報告がないので直前にもう一度連絡します。また、現地で変更になる場合もあります。と言っていたのを思い出した。
 好い変更は大歓迎である。西湖に面した飯店で、外国のお客さんが来たときに招待する一番きれいな場所だと言う応接間のような部屋に案内された。
 時間があまり取れないと言う事もあって、こちらがついたら早速挨拶ががはじまった。
2~3の空いていた席もすぐうまった。
 市長・副市長・外事弁公室長・副室長・広報室長(杭州テレビ責任者)・8000の外国企業の窓口の副責任者、などというメンバーだった。
 市長の挨拶は市の概要・若干の歴史・現状・向日市との交流などについて、にこやかに話された。その間に料理が次から次へと運ばれてきた。十分ほどで大きなまわるテーブルが料理で一杯になった。いちいち覚えていないが、中国や朝鮮の映画に出てくる王様料理をイメージしていただきたい。 
 懇談のとき、私は、「まるで映画に出てくる王様料理ですね」と言ったら、市長が、われわれも毎日このような料理を食べているわけではない。皆さんのための特別なものだと言って笑っていた。何が出ていたのか調べておかねばならない。
 別な場で聞いてみると、普通の人は、朝は自宅で食べない習慣で近くの店でラーメンとか簡単なものを食べる。昼の弁当を持っていく習慣もない。しかし、晩ご飯は家族そろって食べると言う。
 天気があまりよくなかったので西湖と周囲の小高い山々が墨絵のように美しかった。晴れのときも、曇りでも雨が降っても、ここが一番きれいなところ、という説明を納得した。

7、西湖とその周辺
 周囲15Kmの湖、人造湖らしい、近くに知る人ぞ知る「銭とう(土編に唐)江」がある。20キロも離れていく河口から海水が逆流してくる、世界中でアマゾン川とこの川だけでその時期には観光客でにぎあう。
 昔は暴れ川だったのだろう。堤防を作り川の流れをなだらかにして、曲がりくねっていたところを、池にしてしまったようだ。上流から少しづつ水が入るようになっていて、その分下流で放流するようになっている。
 大きい湖の割に深さがまるで浅いのである。1.8から2メートルと言うから驚く。水はお世辞にもきれいとはいえない。水面の変化も殆ど無く一定の深さに保たれている。
 昔は泳げたが、今は泳いだら罰金を取られる。30数年前毛沢東氏が体を鍛える運動を全国に広める為に揚子江を泳いで渡ったと、大きな写真入りで大々的にキャンペーンしたことがあった。私もよく覚えている。そのときは、西湖でみんな泳いだそうだ。
 あまりに浅いので、時には遊覧船のスクリューが下の泥をまきあげてしまうという。
何種類もの遊覧船があり驚く。2人乗りのボート・4人乗りで手こぎの船頭(座ったまま)が乗っている船・数人から十人くらい乗れ、船頭が立って櫂をこぐ舟・30人乗合の立派な舟・そうして、100人くらい乗れる立派な遊覧船まである。われわれは、貸切が取れないのであきらめかけていたら、キャンセルが出たので一時間待てば乗れるという。
 30人乗りに6人が乗った。一時間コース約一万円、30人でも同じ料金である。ひとり1500~1600円だから日本と比べるとそう高くない。個人でこの舟に乗り合わせれば1000円ほどだ。
 西湖の中から周囲を見学するわけだが、頼りは通訳だけである。 
8月15日に月見をする舞台があった。中国でも同じ日かと当たり前のことに感心する。
地球が1時間廻るだけなのに。
 周囲の遊歩道に、すその長い丸い大きい穴のあいた「小さい橋」がかかっている。山口県岩国の錦帯橋の元になった橋だと言う。名前も同じ「錦帯橋」である。昨日見学した施設にも庭の片隅の橋に「錦帯橋」の立て札があった。通訳の人は、偉いお坊さんが行き来して日本に伝えた話をしてくれたが、調べてから書かないと通訳に迷惑がかかる。
 朝食をした飯店もあった。
周囲の小高い山にはいくつか高い塔が立てられている。六和塔、保俶塔、雷峰塔、それぞれ歴史と役割があり、関心のある方は調べてほしい。西湖の周囲は、昼は観光地で夕方からは地元青年の集まる場所となるのだ。飲み屋・喫茶店・スターバックス・マクド。夜には飲酒運転者にも気をつけなければならないという。
 市役所・博物館・体育館・サッカーグランド・ショップセンター・ホテル・病院・学校・別荘・マンションなど主要なものが全部西湖の周りにある。鉄道の駅はちょっと東にある。
 市域の、5分の1のところに集中している。 
 革命烈士記念館やその碑も近くにあったのだが、そこには行かなかった。個人的には行きたかった場所だが…・
 市の周辺も地図でみる限り町並み、道路、畑・田(ここでは米を二回収穫し野菜を一回収穫する三毛作)の整備が行き届いている。次回行ったら周辺を尋ねてみたいものだ。

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私の見た中国・杭州市(後半)

2005-11-25 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好
8、西湖西南部?別荘地一坪100万円(日本円に換算)
 西湖の周りを行ったり、来たりしたので若干方向が不安であるが、確か西南部に高級マンションや別荘地がある。 中国は、まだ私有地を認めていない。
国から借りるのである、その借地料80年分で一坪100万円と言う高いところがある。もちろんローンを組んでくれる銀行がある。利息も二~三%とられるらしい。物価はもっと高い%であがっているという。固定資産税や相続税は無いと思うのだが、どうなっているのかなど、もう少し仕組みを調べないと日本人としてはわかりにくい。
 しかし、一坪100万円が売れるのだから、個人の収入がいかに多くなっているかが推測できる。普通のところはもっと安いし、田舎へ行けばもっともっと安い。
 市内のあちこちにマンションがたちならび、ホテルらしき建物や飯店も次々と建設中である。リホームらしい工事をしているところもある。町に動きと活気がみなぎっている感じである。3年前に来たという同僚O氏は、見違えるように綺麗になっているし、ショッピングセンターが増えているという。ソフトクリームを買ったら3元・48円だった。
ちょっと奥に入ると古い家が残っているが、次来たときには無くなっているだろうと思う。
 また、西湖近くの公園の片隅に、向日市と杭州市との友好の「絆」という子ども二人の銅像が建っている。その前で記念撮影をした。そのときO氏が「この池はなかったと思うのだが?」と通訳に聞かれると、「新しく造ったよ」と無造作にこたえる。これがまた中国らしい。万里の長城を造ったことと比べれば…・・という感じだ。
 西湖の昔は、周辺部がもっと広く、あちこちにつながるように水辺があったのだが、だんだん埋まって狭くなってきているので、昔のように広げているのだと説明があった。
 秋桜が多さん咲いているのにびっくりした。
日中戦争で杭州市に始めて上陸した日本軍は、岐阜市の軍隊だった。1962年10月まだ日中国交回復がされていないときに、ときの岐阜市長はこの地に「日中不再戦」の碑を建てた。 もちろん同じものが岐阜市にもある。以来岐阜と杭州は姉妹都市となっている。

9、定食中華料理
 本格中華料理ではなく、一般の中華料理が昼・夜・(朝は、ホテルのバイキング・2日目の朝は、市長と王様料理)だった。 私は、全く問題無かったのだが、いっしょに行った同僚の人たちは、帰る日になれば相当困っていたようだ。油っこい味、慣れない臭いや、味が口に合わないらしい。体重が減ったと言う人もいた。とくに、鯉のから揚げにたれをかけたような料理,鯉でなく草魚だったり、小骨が多い魚だったりして人気が悪い、また、アヒルのスープは好いのだが、肉が食べにくいとか野菜の油揚げも食べにくいと言う。
 私は以前から、出されるものは、何でも「いただきます」と感謝して食べる習慣がついている。だから、中国でもベトナムでもアフリカでも、現地の人が食べているものなら、食べて行けると思っている。その場に遭遇していないので、偉そうな事を言っているのかもしれないが…・・
 世界旅行をしようと思えば、何でも食べる訓練をしておかなければならないと思った。
 有名なシュウマイ屋さんの前で何10メートルもの長い行列を見た。何処の国も同じだなーと思った。食べてみれば名がーい(名のとおった)期待分だけ、美味しいのかもしれない。
 ある店で食事を運んでくる人が、老酒が美味しいといえば、御土産にどうですか、燗をするのはこれが良いと、入れ物を持ってくる。商魂たくましい。3つ買うから1つまけろと言うと「わかった薄利多売」だと言う・・誰に教えてもらったのか、こちらが笑ってしまう.
10、軍隊・人民解放軍
 通訳が人民解放軍について説明されるときは、敬語が使われていた。どんな苦労をして中国を解放したのか 良く知っている人ほど自然に敬語になるのだと思う。
 私たちも若い頃、中国の解放はどのようにして進められたのか、と言う小説や映画「紅岩」「鋼鉄はいかに鍛えられたか」などを見たものである。
 現在、解放軍が国民とどういう関係にあるのか、聞く機会が無かったが、「解放軍病院」の入り口が普通の道の横にあった。そこには国民が自由に入れるようになっているのか?と聞いたら、今は自由だ、怪我をして帰ってくる人も無いから と言っていた。
 軍病院は、スタッフもそろっているから国民の病院でもあるのだろう。
街の中にも随分大きい総合病院がある。入り口には大勢人がおり患者は結構多いようだ。
 軍と中国共産党については、きちっと調べて書かないと無責任なことは書けない。

11、杭州市議会・階層別地域別代表
 ここは、人民大会堂です。日本で言う議事堂です。白い立派な建物だ。市役所とは別だ。
中国の選挙は、どうなっているのですか?と質問する。彼は日本のことを良く知っていて
「町へ出て、マイクをつかって、私に投票してください と言うような事はしない。と・・」商工の代表、労働者・農民の代表、学者、医療などいろいろな階層から推薦された人が出てくるという。地域は無いのかと聞くと、一部あるという、投票しないのかと言うと、推薦されてきた人に対して信任投票があると言う。誰がどの様に推薦され、どの場で信任投票されるのかわからなかったが、それは調べればわかる事だ。
 悪いことをした人はすぐやめさせられる。当たり前だと言う。次は推薦されないとも言った。一度審議を傍聴してみたいものだ。テレビでは、いちどうに集まっているところが写るだけだから、…
 このような選挙制度は、普通の日本人には非民主的と写るだろう。自分から立候補と言う事ができないのだから、…
皆さんもご存知だと思うが、日本の選挙制度の中でも、自らの立候補と推薦の立候補がある。そのうちの推薦に近いというイメージだが、誰の為に仕事をするのか、という推薦基準が明確だから本来矛盾は少ないと言える。しかし、人間だから、私利私欲に走るものがいるかもしれないが、市民の声によって変えられてしまう。だから日本のような形の、業界だけの利益代表は成り立たなくなってしまう。また、地盤・看板・かばんなどという「常識?」は考え方そのものが無い。
 普段のしくみの中に、住民主人公が貫かれていると考えれば、わかり良いのではなかろうか。
12、国民の暮らし 衣・食・住 
 「失業者はいない、仕事はいくらでもある、他所の町から杭州市に働きにきている人は、150万人もいる。」と通訳の方は言う。
 (衣) 若者は日本人と殆んど変わらない。おへそが出るようなものをはいている人もいる。ジイパンも多い。ズボンの後ろのポケットから、携帯電話のストラップや、人形をのぞかせている青年も多い。学校の先生だって同じ格好の人がいた。テレビの影響だろう。
 中国服で歩いている人を探すのに大変だ。人民服を着ている人も少ない。西湖へ観光にきている人の中で、農村の方々だろうと思われる団体に何組も会ったが、ちょっと古い背広を着ている人が目立つ程度である。親子連れも清潔そうである。
 (食) 6時ごろ夕食をする場所について驚いたのは、入り口に10人ぐらい店員が「いらっしゃいませ」と迎えてくれ、食事する部屋まで廊下を曲がるごとに7~8人が、いらっしゃいと立っている。50ほどテーブルがずらりと並んでいる大部屋には、どのテーブルにもまだお客がきていないのに2人づつついている。こんなに沢山店員がいて、お客が来るのだろうかと人ごとながら心配になる。 
 ところが帰えるときに見てびっくり、お客は、萬員、店員は、ばたばたと働き人がたりないくらい。何処からこんなに沢山集まってきたのか?
 10にんほどの個室もたくさんあるのだが、みんな一杯のようだ。調理室を見てあまりに広いのにびっくり、大きい店から町の20人ほどしか入れない小さい店まで、ホントに沢山食堂がある。
 (住) 杭州市の農家は、中国の中でも裕福と言うだけあって殆んどが4階建ての15~6部屋があることは先に述べた。少し山手の方へ行ってみると同じような家の茶農家が一階を喫茶店にして、軽食もだし商売している。土産も売っている。もちろん個人の収入になるので精を出している。しかし、何処も無理している感じは無く、来る人は来て下さい、というように見える。近所と競争しているわけでもなさそうである。
 町の奥まったところで古いアパートを見つけたが、そういうものも残っている。洗濯物を電線にまでぶら下げているのには驚く。収入の低い人もいるのだが、中国の良いところは、いくら収入が少なくても、それなりに暮らしていけることだ。餓死する人はいない。  
 マンションラッシュでもある。別荘もある。まだまだ家は必要のようだ。外壁工事なのか4階まで竹の足場が組んであるのには驚いた。その技術にも。勿論高層ビルの足場は日本と同じである。日本の業者も多く手抜き工事は輸出されていないと思うのだが…・・
 
13、交通・多い高級車
 自転車いっぱいのイメージは、もう古い。BMW.アウディなど高級車が多い。BMのタクシーが走っている。トヨタもある。
 路線バス・観光バスも多い、バイクも走っているが、多いのは電動バイクだ。バッテリーで走る。だから自転車は減っている、古い古い自転車も捨ててあったが。
 人が多いのに信号が少ない。世界で一番交通事故が多い国になってしまったようだが、統計では運転手のマナーが悪いというのがその理由だ、と日本のテレビが放送していた。
 私は、日本と同じだけ信号をつければ、事故は激減すると思う。なぜなら、よほど大きな交差店でないと信号はついていない。われわれは危なくて横切れない、そこを年寄りが渡れるのだから.運転手のマナーは悪くない、工事現場の信号のように15…54321で青に変わる親切なものもある。 
 国道は80キロ、高速は120キロ。片道4車線、それでもラッシュアワーは渋滞するのだ。
自動車は右側通行、上海まで200キロもあるが、一時間半、2時間あればゆっくり行けると言うだけあって飛ばす、とばす。トヨタのマイクロバスだったので心配、中国の人は平気で雑談している。トヨタは、中国製には、別のエンジンを積んでいるのだろうか?
130~140キロで何時間も走るのだから・・.
 国道でも郊外へ出ると結構飛ばす、国道は他の都市にも続いているが、高速はまだまだだと言う。どんどん造っているという。 
 右側通行で左折するときは、乗っていても少し感覚がへんだ。右の方によってから左折すれば、うまくいけるのだが それが我々には、なかなかなれない、道を横切るとき、どうしてもさきに右を見てしまう。さき、左を見なければならないのだ。習慣は恐ろしい。 
 広い国土・道路を舗装するだけでも大変だと思うが、われわれがとおったところに地道は無かった。
 片道4車線の国道でもラッシュ時には渋滞になっている。それだけ車があるのだ。
上海で車を買おうとすれば、他の都市で買うより1.5倍する。できるだけ上海市民は、車をもってほしくないための施策だと言う。多くて困っているからだ。面白い考え方だ。

14、商談は、まずタバコを出してから
 どうしてもタバコが止められない人は、中国へ行けば堂々とすえる。くわえタバコも平気である。目くじら立てて、やめろと言う人はいない。
 公務員でも、セールスマンでも話しをスムーズに進める為には、相手にまずタバコをどうぞと勧めるのが習慣なのである。
 通訳の人は、外国のタバコ事情を知っているから 離れたところですっているが、頻繁に吸っている。 とはいえ、スターバックスのコーヒー店では、喫煙席を決めているようだった。
 中国のタバコの種類は、数えられないほどある。非常に高いものから、ただのようにやすいものまである。懐にあわせて買えばよいと言っていた。しかし、これから、だんだん中国のこの習慣は変わってくるだろう。
 
15、上海市でホームレス?
 「良いものも、悪いものも、世界にあるものは何でもある。」とは聞いていたが、杭州市では見なかったが、上海でホームレスらしき人を何人か見た。また、ホテルの前や交差店などで紙コップを持って物乞いをする人もいた。地下道の踊り場の片隅におばあさんが孫を地べたで寝かせ、その前に入れ物を置いて、とうる人にお辞儀をしている姿もあった。
 行政が努力しても、枠にはめられるのがいやな人もいるのだろう。どの国にも…
 聞いてみると昼は普通の生活をしているが、時間がくれば仕事に来る。通訳は、そんな表現をしていた。??
 古い商店街を再生して観光客を集めているのは何処も同じだが、こう言う商店街は時間をかけて、ひやかしながら廻れば面白いが時間が無かった。いろんな店があったから…
 日本の夜店で鶏のヒヨコを売っているのを見ることがあるが、あひるのヒヨコを売っていた。料理によくアヒルが出てくるので・・なるほどと思った。
 私も子どもの頃は鶏・アヒル・ウサギを飼っていた事があるので、飼う要領はわかっている。外から見る姿は違うが、骨組みは、全く同じと言ってもよいほどよく似ているのである。 なぜそんなことを知っているのか、ご想像にお任せする。
16、一人っ子政策とその弊害
 お年寄りが日向ぼっこで集まる公園がある。そこにはもう一つの目的を持って集まってきている人がいる。ポケットに孫の写真が入っている。話しがうち解けてくれば「いやー、家にはこんなよい子がいるのだが、そちらさんはどうかね?」と言う具合で孫の結婚相手を探しているのだと言う。
 一人っ子政策で大きくなった子は、結婚しない子の比率が高くなっているのでだ。また、離婚する子も増えている。
 一人前になっていても、ママ、ママと母親の指示を待つ、よく考えてみると日本はひとりっ子政策をとっていなくても1.2人くらいなのだから、よく似た現象になっているのだ。
 一人の子に朝から晩まで期待と費用をかけて蝶よ花よと育てる。全面発達ではなく能力が偏って発達する。高級官僚や弁護士、先生、などの職につき、一人でも忙しくて結婚して子育てしながら、そんなしんどいことはもうしない、という傾向になってきているのだ。
 しかし 中国の人口は増えていくと推計が出されている。私は日本で右肩上がりの推計に騙されて来たのでどうしても疑問を持ってしまうのだが…・。
 聞いてみると、今でも一人っ子政策は続いているのだという。

17、大きい店は、日本円がそのまま通用する。
 「このお茶は、一缶1000円、5個買ってくれたらもう一つおまけ、10個だったら3つおまけね。こちらは一つ2000円…・と言うように店員は「日本語」と「円」である。
 飯店で老酒を燗する壷を買ったときも円での支払いだった。ホテルでもそのままいけた。お釣りは元だった。日本でももうすぐ元で、支払いができるようになるのだろうか。
 日本のホテルなどで、ドルや「元紙幣」は通るのだろうか?
 空港で両替していって、帰ってきて残りを日本円にかえると、高い手数料が取られる。レートが自動でセットできる両替機が置いてあってしかるべきだ、と思われませんか?
場所によっては置いてあるそうだが? あまりみかけない。
 何処の紙幣を入れても、変えてほしい国名を押せば、その国の紙幣が出る。こんな両替機があれば世界中で売れると思うのだけれど…また、偽札を見分けるのは機械のほうがよいと思うのだが。

18、上海雑技団・主力は小中学生?
 帰りは上海空港からだったため前日に上海に入った。杭州と違い大阪と東京をたして2で割ったような町だ。高いビルが立ち並び、早く西洋文化も入って開けただけあって古いホテルらしいホテルがある。夜はビル全体がネオンで飾られ、歓楽街も多くあるようだ。 
 夜は勝手にフラフラできない、そんな奮囲気だ。夕方何の予定も無かったので上海雑技団を見ようと言う事になった。日本にも中国のいろいろな町の雑技団がきているが、本場の中の本場だ。通訳の方が、主力は小中学生だと言う。バイクや水かめの芸は大人だが、イスを10段ほど積み上げ、その上で逆立ちしていた子は、いかにも小学生だった。高い高い一輪車にのって、狭い狭いテーブルの上で、芸をしていた女の子は 中学生くらいだった。日本では見られないようなスリルのある曲芸だった。中国語と英語の解説が流されたが日本語は無かった。御客さんの顔を眺めても英語圏からが多いようだった。
 雑技団の子がもう少し大きくなって、オリンピックの体操の競技に出てきたら勝てないなーと率直に思った。
19、今度は、少し会話を覚えて、
 外事弁公室の通訳がおられたからなにも不自由は無かったが、ホテルから手紙はすぐに出せたけれど、小包は時間がかかってやめてしまった。ホテルに日本語を話せる人がいるときといないときがある。私が英語でも話せていたらすぐに済んでいたかもしれない。中国語の筆談もできない。いろいろ喋って、私もホテルの人もどっちもわからないので「お相子」だった。どちらもどうもすみませんと別かれた。何も恥ずかしい事ではない。もし恥ずかしいと言うのなら、相手も恥ずかしかったわけだから。
 ゆっくり時間があればよかったのだが、朝の出発前と言う事もあったから仕方なかった。
 
20、むすびにあたって
 資料も見ず覚えている事をだらだらと書いた。今度はこれをもとにちょっと調べて肉付けすれば、始めていく人の役に立つものができるかもしれない。
 また、杭州市を紹介するのにちょっとは役立つだろうと思っているのだが、どうだろう。
 ここに書かなかったことがある。それは、中国共産党の事である。
私は、人類史の上で、現在偉大な仕事を進めている中国共産党は、世界平和のために頑張っていると思う。 同時にアメリカべったりの政府のもとで活動する日本共産党の理論水準の高さは世界に例が無いと思う。
 日本共産党は、与党として国を治める仕事をしていないが、早くその仕事につき、実力を発揮して、歴史を進める上で、中国に負けない立派な仕事がしたいものである。この件にいては、別に書きたいと考えている。(皆さんの感想を待っている。)
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関西空港にいます。

2005-11-24 | ドイツの友人からのメール
 ドイツの友人から、「いま関空にいます、」と電話がはいる。
3日後ならあえるという。「京都についたら電話していただく」と約束して切ったのだが、よく考えて見ると、もし私が家にいなければ、いくらかけていただいても通じない事になる。といって何処からかかってきたのかよくわからない、
 先に携帯の番号を教えておけばよっかったのに、と思いながら仕事をしていたのだが、どうも気になる。気になり出すと手が進まない。パソコンで探せばよいではないか、そうおもって、関空近くのホテルを検索する。
 ある ある沢山ある。さあ、何処に宿まっているのだろう? まるで見当がつかない、そうだ、「関空にいます」と言うことは、外には出ていないと言うことだ。
 そこで私は、関空内にある唯一のOOホテルをみつけ、ひょっとしたらこのホテル?
いやここに違いないとおもってダイアルする。
 「京都の大橋と言うものですが、今さっきドイツからこられたC.Tさん着いていると思うのですが?」
 「ちょっと待ってください」と言われて、
 こう言う場合は、いることがわかっても、私の電話番号を伝え、相手がかけるかどうかを判断するように取りあつかわれるものだと思っていたら
 「ハイ!おられます。おつなぎしましょうか?」との返事。「ハイ!つないでください」とあっさりつながり、携帯番号を伝えることができた。

 3日後の1時ごろに自宅の電話が鳴った。「京都駅に着いた、つながってよかった。」という、「せっかく携帯教えてもらったのに、メモを持ってくるのを忘れ、自宅もわからず電話局に聞いたのだと言う。」こういうところがドイツ人でないドイツ人なのだ。ドイツの友人は、どんなことでも何とかなるでしょう。そう言う方なのだ。
また、そんな方だからこそ、ながーくお付き合いができている理由なのかもしれない。
「向日市まで行きましょうか、どの電車に乗ればよいか」という、道順を言ってみたが とうりすぎても困るので「30分後に行くので、買い物でもして、そこで待っててください、」と約束した。
 600円のコーヒーでいろいろな事を喋ったのだが次回以降にボツボツ話したい。
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11・23長男の結婚式

2005-11-22 | 市民のくらしのなかで
 長野県中川村というところにに友人がいる、その隣は高森町というのだが、地図でさがして見ると県の南部に位置し、中央道の恵那山トンネルを過ぎて飯田市を超えるともうすぐである。
 このあたりのリンゴは、青森や福島のものより、リンゴ全体に蜜が入っているという感じで大変美味しいものである。
 私の祖父は福島の出身で、昔から福島のリンゴは、口にしていたが…
11月23日の勤労感謝の日に、長野に子どもを連れてよく行ったものだ。最近では孫を連れていったこともあるから、もう30年近くになる勘定だ。  今年は行けそうに無い。
 あすは長男の結婚式である。
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さすがQちゃん、あっ晴れ!!

2005-11-21 | 市民のくらしのなかで
 高橋尚子さん東京マラソン優勝
3人の中から 誰が、いつ、ラストスパートをかけるのかと見ていたら、あと5キロくらいのところから、尚子さん一気に まるで自動車のギアーを一段あげたようにスパート、こんなに早くから、ゴールまでスタミナと傷ついた足が、 スピードが保てるのだろうかと、見ているほうの心配をよそに、走る・走る・走る、あっというまに100メートル、200メートル、珍しく何度か後ろを振り返るQちゃん。ゴールまで突っ走った。見ている人に大きな感動を与える走りだった。
 優勝インタビューが、これまで見てきたどの優勝者よりも、すばらしいものだった。
33歳になり、いろいろな苦労をしてきたQちゃんならではの内容だった。 
 そして自分自身を確かめるような、そうして、みんなを励ますものだった。 
 久しぶりに、すがすがしい気持ちにしてくれた。Qちゃん   3Q
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もう! クリスマスが待ちどうしい!

2005-11-18 | ドイツの友人からのメール
ドイツの友人より、最新情報 が届きました。もう、「クリスマスが待ちどうしい」ですって、・・・・。そういえば町の宣伝には、クリスマス関係が増えていますね。さて!ドイツでは、・・・・・


チャイムが鳴ります。
玄関の戸を開けると5人の子供達が一斉に歌い出します。
”マッテンマッテンメーレン”♪♪♪
マルチン・ルッターの日だそうで,子供達が各家の戸口に立って歌を歌います,
 その歌詞も”あまり長く待たさないで,先を急ぐ旅だから!”なんて歌詞が入ったものなので,こちらも慌てて用意したボンボンやチョコレートを子どもたちに分けてあげます。
 ドアを閉めてチョットなにかしていたら,又チャイムが鳴るのです。
子供達が情報を交換して,どこで何がもらえるかとか,あそこの町内は留守が多い,xx番地とxx番地しかいないよ!”とかやっているのでしょう。
 波があるように ひとときチャイムが鳴りっぱなしに鳴り続きます。

 買い物に行くと、今度は大勢の子供達が商店をはしごしています。
今日は歯医者に行く予定があって,午後受付のところに立っていると,ここもチャイムが鳴りっぱなしです。見ると籠いっぱいに色とりどりのプラスチックの何やかやが入っていて,見るからに子供たちが喜びそうなものばかりです。
 消しゴム,鉛筆削り,腕輪,キーホールダー,グリコのおまけのような物が沢山入っています。

 郵便局へ入ったのですが、ここは6~7人の人が列を作っていましたが
この列の中にも合唱隊が入っていて、順番が回ってくるとカウンターのところで歌い始め、甘い物をもらって出て行きました。
 幼稚園児から小学校の低学年がおもなのですが,こちらの子は大きくて、そのすぐ後に並んでいる私の背丈と殆ど変わる事がありません。私をそのお連れと勘違いして、甘い物をくれそうになって、アッ、あなたには必要無いわね。なんて言って笑っていました。
なんだったら歌ってもいいけど。 小包渡してくれるなら!
 小包を受け取り、パン屋へ行くとここでも、子供達が歌を歌っています。
パン屋のおばさんは、小さいパンをそれぞれに一個づつ分けて配っていました。
商店街の中にパン屋は3軒ありますから、みんな回ったら結構今日の夕食にいいな。
等と考えながら、家へ帰りました。
 その道すがら、マルチン・ルッターの行進に会いました。
夏時間が終わりますと、5時に夕闇がとっぷりと下りてきます。
ルッター役の人は馬に乗り、その後を子供とその親などが提灯をぶら下げ,ブラスバンドを連れて歌いながら行進していきます。
11月10日と11日がルッターが苦行して旅を続けた事を今に伝える日なのです。
 こうなるともうクリスマスが近くです。
 キリスト教の国ですから、クリスマスは大変大きな行事で、それを待つ、準備する日々を暗い中で楽しくする工夫が色々とあるようです。
今年は11月に入っても暖かく、お天気が良い為に、“どんより薄暗い11月” を経験する事が無く幸いですが、大抵の年の11月はお天気が悪く、薄ら寒く、一日中家の中では電気の付けッぱなし,いやな月で、自然クリスマスが待ち遠しくなって来るというわけです。


 ドイツの町々を行く子ども達の隊列が目に浮かんできます。マルチン・ルッターは、今でもみんなに愛されているのですね


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16.17金沢に行ってました。

2005-11-17 | ドイツの友人からのメール
 少し寒くなってきましたが、11月の中旬にしては暖かいですね。16.17日、金沢にいました。京都に比べて寒いところへきたという感じですが、ドイツの十月に比べると道路が凍結する訳でもなく、雪が降るわけでもなく、背広だけで大丈夫なので寒いなんて言ってられません。
 ドイツの友人から、10月の始めにこんなメールがきていました。

 「こちらは10月に入ってから、好天気の日が多く、通勤も随分楽ですが、たまに雨に濡れますといろいろとアクシデントがおきる様で、夜の10時ごろの帰宅の道は要注意です。
 交通事故で亡くなった方も多いようで、昨日の新聞にも、75才の男性がBMW7シリーズで転覆、なくなった,とでていました。
 
 秋が深まり、色づいた木々からドサッと言う感じで木の葉が落ちてきます。
そこへもってきて、冷たい秋の雨で道路が濡れますから、スリップしやすく危険です。
日も短くなり、暗い時間が長くなっていますからよけいでしょう。

 こちらの秋の風情も美しく、日本のように赤く色づく木は少ないのですが、黄色く色づく様々な大木の並ぶ通りを走っていますと、本当に秋が今最高潮、の感しきりです。
ドイツ人は黄金の10月と呼びます。
 ”GOLDENER OKTOBER" (ゴールデナー オクトバー)
かなり斜めに傾いてしまった太陽を浴びながら、お天気の好い日に映える”今散らんとする大木いっぱいの木の葉”をこの様に誉めるドイツ人、さすが森を愛し、散歩を愛する国民の賛辞です。」
 
 北海道の北のほうと同じくらいなのでしょうね。
 
 
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ドイツ人でも、緻密じゃない!

2005-11-15 | ドイツの友人からのメール
 ドイツの友人から、毎日忙しいだろうから、こんな話しで気を抜いて・・・・・と気を使っていただいた。メールのその部分をご紹介しよう.
 
 こちらに、”欧日協会”と言う組織があり、結構安い飛行便などを提供するので会員になっていますが、定期機関紙に交通事故などの、保険金支払いに関する言い訳のけっさくがのっていました。

 お忙しい折、ドイツ人も阿呆やなぁ、と笑ってリラックスしてください。

 帰宅時に間違って他人の家の敷地に車を乗り入れ、自分の家の敷地には無かった木に車をぶつけてしまいました。
私は請求書が来てもすぐに支払いません。・・・請求書はドラム缶に放り込んでおき、毎月始めに目隠しをしてドラム缶を振り、中から三つの請求書を選び、それだけはすぐに支払います。籤にあたるまでお待ち下さい。

 急テンポで電柱がこちらに近づいてきました。それを避けようとジグザグコースを取りましたが、それでも電柱がラジエーターグリルにぶつかりました。

 夫の死後書式を山ほど記載しなければならず、愛する夫が死ななければ良かったと思っています。
 
 車がガードレールにぶつかり、転倒し木に衝突しました。その時点で私は車のコントロールを失いました。

 昨夜、帰宅の途中、車を垣根にぶつけ約20mほど垣根を倒してしまいました。この損害は念の為報告したまでで,貴社は保証を支払う必要はありません。誰にも見られずに逃げてきたからです。

 始め警察に、負傷していませんと言いましたが、帽子を脱いだ時に頭蓋骨骨折している事が分りました。

 十字路で私は突然色盲の発作に襲われました。

その他に、新聞で読んで傑作と思ったのは,

 ある新婚夫婦が新婚旅行の楽しみが半減した。
旅行会社に旅行地のベットはダブルベットにと指定したにもかかわらず、ツインであったからだ。 旅行費用のXX%を返還せよ、と裁判に訴えた。
 これに対し裁判官は
ツインがいやなら、ベットを寄せてダブルベットにすればことは足りたはずである。
ベットに入ってしまえばズボンのベルトは使わないのだから、それでベットをしっかりと繋ぎ合わせればよかった。 と訴えを却下した。

 何でもかんでも裁判訴える為に弁護士事務所は沢山あります。・・・・・と
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12月議会準備中

2005-11-15 | 市民のくらしのなかで
 急いで、「杭州市訪問の報告」を続けたので他の事が書けなかった。11月も半分過ぎた。12月は毎年、議会の開催であっという間に過ぎる。
 11月の後半も予定表がだんだん詰まってきた。 
 日本共産党は一月中旬に、第24回大会を開く。その前に乙訓地区と京都府の大会がある.日本共産党は、一人ひとりの権利が保証され、同時に支部の運営を基礎に、全ての活動があり、日本の政党の中で、一番政党らしい政党なのである.
 関心のある方は連絡いただきたい。
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