向日市自治功労者、大橋 満 の平和ト-ク・・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好交流促進
日本語版新聞紹介

小林多喜二は、やっぱりすごい!

2008-05-31 | 市民のくらしのなかで

 

   「赤旗」記事が店頭広告に

 

 

『蟹工船』ブーム 札幌大型書店


 

 「現代のワーキングプア層に圧倒的な共感」と大手紙に広告が掲載

される日本共産党員作家の小林多喜二の代表作『蟹工船』。

  そのブームを紹介した「しんぶん赤旗」記事(十六日付)が札幌市

東区の大型書店の店頭広告に登場しました。

 「赤旗」の記事を切り抜き、ラミネート板にしたポップ広告でアピールしています。

  札幌では、この文庫本『蟹工船』が完売となり、他の出版社の『蟹工

船』を並べる別の大型書店もあります。

『蟹工船』ブーム 札幌大型書店


 

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中国に1401万円・ミャンマーに428万円(第一次分)

2008-05-31 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

 

  共産党が救援募金届ける

 

 

 四川大地震 崔中国大使に志位委員長


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(写真)救援募金を崔天凱駐日中国大使(右)に手渡す志位和夫委員長。左端は緒方靖夫副委員長=29日、東京・中国大使館

 日本共産党の志位和夫委員長は二十九日、都内の中国大使館を訪れ、崔天凱駐日中国大使に、四川大地震被災者への救援募金を届けました。この日届けたのは第一次分で、日本共産党が呼びかけ、これまでに寄せられた千四百一万円です。

 志位委員長は、国会で党議員団が、日本政府に可能な最大限の支援をおこなうよう要請したことや、「しんぶん赤旗」での震災の報道、救援募金の呼びかけなどの取り組みを説明。募金を寄せた人々の「心が痛みます」「貧者の一灯です」などのメッセージを紹介しました。

 崔大使は「日本共産党のみなさんの中国への深い感情に心からお礼を申し上げます」とのべ、「この救援募金は、日本共産党や各界の方々の友好的な気持ちの証左だと思います。こうした気持ちは、中国国民にとって貴重な財産であり、支えです。物心両面の支援を永遠に忘れません」と語りました。また、胡錦濤国家主席をはじめ党と政府に報告するとのべました。

 志位委員長が被災者救援で求められていることをたずねたのにたいし、崔大使はテントや仮設住宅、伝染病の予防、二次災害の防止を緊急課題にあげ、長期的には、防災と環境に配慮した街づくり、産業やインフラの復興などが必要になると紹介。また、日本の防災のノウハウや経験などでの支援を要請するとともに、救援活動の推移について適時情報交換をしていきたいとのべました。

 これに先立ち、志位委員長は大使館内で、地震の犠牲者を追悼して記帳をおこないました。

 懇談には、日本側から緒方靖夫副委員長、中国側から葛広彪、林欐両参事官らが同席しました。


ミャンマーサイクロン 日本UNHCR協会に

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(写真)ミャンマーのサイクロン被害の救援募金を根本かおる日本UNHCR協会事務局長(中)、谷口朋子同参事(右)に手渡す志位和夫委員長=29日、都内

 日本共産党の志位和夫委員長は二十九日、都内で、日本UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)協会の根本かおる理事・事務局長、谷口朋子参事に、全国から党中央委員会に寄せられたミャンマーのサイクロン被害救援募金第一次分の四百二十八万円を渡しました。

 志位委員長は、被害は深刻で、緊急の国際的支援が求められているものであり、日本共産党として募金を呼びかけ、救援を促進するよう日本政府に働きかけているとのべました。募金とともに寄せられた声、各地での取り組みも紹介しました。

 根本氏は募金に感謝し、この募金はUNHCRに集約され、現地での被災者救援に必ず活用されるとのべました。「現地では何が最も必要とされていますか」との志位委員長の問いに、まず食料、水、住まい用としてビニールシート、防疫のために蚊帳が緊急に必要だとのべました。

 UNHCRは現地に数十人のスタッフがおり、世界各地に備蓄してある物資を機動的に送っています。十六日までにビニールシートを一万四千四百世帯、毛布を九千八百四十世帯、蚊帳を九千八百世帯に届けています。

 志位委員長と根本氏は、被害の実情についての情報提供、報道などで協力をすすめることについて意見を交わしました。

 懇談には緒方靖夫副委員長、田代忠利国際局次長が同席しました。


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「赤旗」記事より

2008-05-29 | 市民のくらしのなかで

 

  後期高齢者医療 保険料調査

 

 負担増隠す手法   厚労省 偏る世帯設定


 後期高齢者医療制度をめぐって、厚生労働省が実施した「保険料額の変化に関する調査」の方法に、負担増の実態をおおい隠す手法が仕組まれていることが、日本共産党政策委員会の独自試算から判明しました。


 調査(十五―十九日実施)は、市区町村ごとの国民健康保険料(税)と後期高齢者医療制度保険料をモデル世帯にあてはめて計算し、比較したもの。都道府県から報告させ、現在、集計中です。

 しかし、この方法には(1)計算にあたって国保料の「資産割」を前提としているため、土地や家屋のない高齢者の国保料が実際より高額になる(2)モデルに設定した世帯構成から、最も負担増となる「ともに七十五歳以上の夫婦と子ども夫婦」などの世帯構成をあらかじめ除外している―という二つの大問題があります。政策委員会が独自試算を行ったところ、負担増になる人数の割合が実態に比べかなり低くなることがわかりました。

 このために、実際には、国保加入だった「後期高齢者」の多くが負担増になるにもかかわらず、調査では、「負担増になるのは三割程度」という結果が出されるおそれがあります。

 年金からの天引きが始まった四月十五日、舛添要一厚労相は「保険料は七―八割の人は下がる」と発言しましたが、その日のうちに「正確な数字はいえない」と撤回しました。今回の調査は世論の批判を受けて、あわてて実施し、近く公表するとしています。しかし、あらかじめ負担増の実態を隠す結果へ「誘導」する調査手法を採用した姿勢が問われます。



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雨森芳洲年表で、おさらい

2008-05-28 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

 

年表にしましたので参考にして頂ければ幸いです。

 

 西暦     年号   年齢  

1668年 寛文 8年  1才 5月17日高月町雨森に生まれる

1676年 延宝 4年  9才 詩を作る(寒到夜前雪・・・・・)

1679年 延宝 7年 12才 京都で伊勢の名医、高森氏に医を学ぶ 

1683年 天和 3年 17才 江戸に出て儒学者木下順庵の門に学

1689年 元禄 2年 22才 師の推挙により対馬侯に仕える 

1692年 元禄 5年 25才 唐音稽古のため長崎へ出向する

1693年 元禄 6年 26才 対馬へ赴任する(禄200石) 

1696年 元禄 9年 29才 再び長崎で唐音を学ぶ

1703年 元禄16年 36才 学文稽古のため朝鮮に渡る(前後3年)

1711年 正徳 1年 44才 通信使を護行して江戸へ行く 

                  日本国王の称号をめぐり白石に書簡を送る

1719年 亨保 4年 51才 通信使を護行して再び江戸へ行く

1724年 亨保 9年 57才 側用人を仰付けられる

1728年 亨保13年 61才 15年まで裁判役として朝鮮へ渡る

                  この頃著述に専念する。「交隣提醒」を著す

1729年 亨保14年 62才 「全一道人」を著す

1739年 元文 4年 72才 長男鵬海没す(42才)孫の教育に専念する

1747年 延亨 4年 80才 「橘窓茶話」成る

1748年 寛延 1年 81才 古今集千遍読み 和歌一万首を志す

                  嫡孫蓮太郎家督を継ぐ

1755年 宝暦 5年 88才 対馬にて没する

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向日神社・裏山崖地工事始まる!

2008-05-28 | 市民のくらしのなかで

 

  向日神社裏山危険箇所工事始まる!

 

  京都府は、向日町南山(向日神社裏山)の人家連担区域に接する急傾斜地で、

崖崩れの被害から人命を守るため、平成20年1月から対策工事に着手しました。

  当該施行地は、向日神社の境内と一体をなす場所であり、乙訓のシンボル的な

地域内の急傾斜地であることから、既存木を残した法面対策工法などを採用し、景

観の保全に努めることとしています。

  全体計画は、延長:約200メートル、

工事内容:法面工・ワイヤー連結工・現場打法枠工、

事業経過:平成17年度 調査・設計 平成18年度 用地買収 

平成19年度 工事着工、平成20年1月~7月(予定)

 

 平成20年度 工事概要 延長躍55メートル 

工事内容:法面工 ・ワイヤー連結工・現場打法枠工、

工事期間:平成20年10月~平成21年3月(予定)

 

 本工事は、向陽小学校プール西側の崖地工事が、危険地対策として工

事された続きの工事で、今回は、向日神社内の敷地と言うことで、宗教

上の問題をクリアーしてやっと工事にこぎつけたものです。   大橋

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6月議会迫る!市長提出の主な議案は・・・

2008-05-27 | 市民のくらしのなかで

5月30日より6月25日まで「向日市第2回定例会」が開かれます。

主な市長提出議案は、

1,人事案件①、物集女財産区管理委員の選任、 中村和三郎氏

        ②、人権擁護委員の推薦、 仲島隆夫氏・浜田加奈子氏

2,専決処分①、市税条例の一部改正

        ②、都市計画条例の一部改正

        ③、一般会計・国保会計・老健会計・介護会計・下水会計

3,条例関係①、特定大規模小売店舗制限地区建築条例の制定

        ②、市税条例の一部改正

        ③、都市計画条例の一部改正

        ④、手数料条例の一部改正

        ⑤、消防職員等公務災害補償条例の一部改正

4,補正予算①、一般会計  ②、老健会計  ③、水道会計

5,請負契約①、西中北校舎大規模改造(耐震補強等)工事

 

 

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今に生きる、芳洲の心!

2008-05-27 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

雨森芳洲庵を訪ねては、12回をもって終了ですが

1990年(平成2)5月、来日した当時の韓国の ノ ムヒ

ョン大統領は宮中晩餐会の答礼の挨拶の中で「270年

前、朝鮮との外交にたずさわった雨森芳洲は誠意と信

義の外交を信条としたと伝えられます・・・・」と賞賛され

ました。

 また、2002(平成14)年3月に訪韓した小泉純一郎

首相は昼食会のスピーチで「誠信の交わり」の雨森芳

洲の言葉を紹介されました。(芳洲庵パンフより)

 このように雨森芳洲は、日韓両国の友好の灯火として

いまも輝いているのです。

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芳洲庵を訪ねて NO.12

2008-05-26 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好
NO.12  88才まで長生き  お墓は対馬に

  芳州は、晩年は「対馬という辺境に住んではいるが、衣食は足り、好き

な書をほしいままに読み、異国に遊んで親しくその風俗を見ることが出来

た。

  ついに海国に老ゆるも不幸にあらざる也。家の中はいたって平凡、無

事である。この楽しみはいかなる古人にも劣るものではない。

  ただ私にも四つの辛いことがある。

 一には、詩の下手なこと。  二には、碁に負けること。

 三には、身体の疼痛。    四つに、銭がないこと。これだけだ」と

随筆集「橘窓茶話」に記しています。

1755年(宝暦5)年、88才で対馬日吉の隠居所で亡くなりました。

 お墓は長寿院の山の上にあります。

 

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訪洲庵を訪ねて NO.11

2008-05-26 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

 

 NO.11 80才から和歌づくり

 芳洲は、80才を過ぎてから、古今集を千編読み和歌一万首づくりをめざ

しました。そして歌集「芳洲詠草」に二万首近くの和歌を詠じょました。

 これらの和歌には、晩年の心境や長崎、江戸などを幾度となく旅したとき

の思いなどが表されています。

○ 八十路までなれし唐ことふりすてて たどるも迷うしきしまの道

○ 八十六きょうをめがねのはじめとす 口惜しかりきかけはすれども

○ たちばなの花さく里をすぎゆけば むかしのことのしのばれぞする

○ やつれても一本松の常磐にて 今まかわらぬ志賀のふるさと

 

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人間らしい生活!  日本に比べて

2008-05-25 | ドイツの友人からのメール

 

 ドイツの友人から

    退職後の暮らし  no.2

 

友人で、私より1年早くに退職した人から電話がありました。
“どうしてる?”                   “ばたばた、じたばたしてる。”
“そやろ、暇無しやろ。ストレスでしょ。”    ”ウン。“
“あはは”                     “なんでやろね”
“定年になったとたん欲張るさかいや。”   “なるほど。”
毎日1~1.5時間散歩をめざす。(今の所お天気が良く、だいたい、毎日出来ています。)
毎日本を読む。(ゲーテ、ファウスト、原本と張り切りすぎ、1ページ読んだら眠くなって進みません。)
毎日お琴の練習をする。(週に二日ぐらい)
毎日コンピューターで何かする。(メールを書くか、ワードの使い方やそのほかの機能の使い方を習ってみる、1週間に一回ぐらい。)
なんて思って考えたら、一日何時間あっても足りない気がしました。
  主婦業に定年無いですものね。
 
  ホント他の人はどうしているのかしら?と思います。
マンさんが聴いていられたこちらの人の定年の生活、なかなか覗えず、
これから徐々に新米がベテランに接していけるのではないかと思いますが。
 
   法律はそれが施行された時から有効となる訳で,今年はじめから育児補助が、少子化の影響を受け、比較にならないほど多額になったそうですが、12月31に生まれたか1月1日に生まれたかで差がつくと言うのも何かわりきれません。
同様に、私は”場合によっては、すなわち19%少ない年金でよいならば63歳でなく60歳で定年にしてよろしい。”が当てはまり、1年(?)遅い人にはこれが当てはまらず、女性65歳、男性67歳定年制

 しかし段階的に、となるようで、夫の場合は65歳プラス7ヶ月、だそうです。
年金金額は年々少なくなっていくようで、少々少なくなっても早いうちから受け取ったほうが得。いずれはすずめの涙ほどのものになるに違いない、とうわさされています。
 (ここ数年、年金上がらず、今年初めて1%上げた、選挙が近い。)
 働いていた期間、そのときの給料によりますが、大体実収入の68%を年金として受け取れるようです。(45年連続勤務で!) 
 45年働き続けた人は今は少なく、大学や大学院を出て、高給取りになった人には年金が60%とかそれ以下しか出ないようで、なんと政府は上手く国民をごまかしているかと思いますが。 年金は国家的詐欺ですよね。

 いまだに大きな差が出ているのは東西ドイツの間でです。
特に女性は東ドイツの人は乳幼児から施設に預けて仕事に携わるのが一般でしたから、勤務年数が絶対的に多く(西の女性に比べ)、”一マルクも年金金庫に支払わなかった人達が私たちより多くの年金を受け取っている!”と言う不公平になっています。
東ドイツの人達や、ソ連からの引揚者の人達への年金は年金金庫から支払わず、税金から支払うべきだろうと私も思いますが、そういったことが、現在の年金を初めとした、医療保険、その他に重い負担をかけているようです。
 
 ただ、西ドイツの人達はいろいろな形で個人資産を蓄えていますから、年金だけで定年後の生活を支えている人達は少ないだろうと思います。
優雅な人達はマジョルカ島の老人ホームで予後を暮らすようにしているようです。
 私の知人はドイツに3部屋のマンションで夏を過し、冬はマイアミのマンションに移る人がいました。
この地のドイツ人の友人には私より年の若い人のほうが多いのですが、彼女たちの多くは別荘を持つ人達です。南フランス、スペインと言った所に”第二の故郷”を持っています。
 しかし、確かに、定年になって生活保護水準以下の年金しか受け取れない人の数は年々上がっていっているようです。
年々、貧富の差は大きくなっていき、所謂中産階級が少なくなりつつあると言われています。
 
ドイツの人口:82、5百万人
65歳以下:  68,1百万人 (82,4%) ( 25歳以下: 21、9百万人)
65歳以上: 14,4 百万人 (17,6%)  (38 % 男性 62 % 女性)
就労者数約、 35百万人平均賃金、 約 2050 ユーロ
平均西ドイツの年金生活者夫婦の年金収入:2200ユーロ
2004年の平均年金額 旧東ドイツ、男性:1018、女性:659ユーロ
                西ドイツ、 男性: 973  女性:479ユーロ
       

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訪洲庵を訪ねて NO.10

2008-05-24 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

NO.10 互いに欺かず争わず

  芳州は多くの著書を残しています。

その中でも61才のときに藩主である宗義誠に朝鮮との外交の心得を説いた

「交隣提醒」は、現代にも通じる名著と言われています。

 その第1条は、「朝鮮交接の儀は、第1に人情、時勢を知ることが肝要であ

る。・・・」と書き出しています。

 第11条では通詞(通訳)の大切さを、「通詞は言語さえ通じればよいというもので

はなく、人柄もよく、才覚があり、物事の道理、義務をわきまえ主上を大切にする者

でなくてはいけません・・・・」とのべています。

  最後の54条では、誠信外交について「誠信とは、互いに欺かず争わず、真実を

もって交わることである・・・・」と締めくくっています。

 

  9と8が逆ですみません。

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芳洲庵を訪ねて NO. 8

2008-05-23 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

N0.8  新井白石との交友と論争

  江戸の木下順庵の同門であった新井白石とは、芳洲が11才年下にな

ります。

 生涯親しい関係を続けましたが、白石は幕府の儒者という立場になりま

したが芳州は対馬藩の儒者であり、立場の違いから論争に及ぶことがあり

ました。

  将軍の呼び名をめぐる「王号問題」では、芳州は白石に激しい抗議の書

簡を送りました。通信使との書簡をめぐる「国諱紛争」では共に苦労を重ね

二人で「覚え書」を残しています。

  銀の輸出制限では何回も話し合い芳州の主張を認めたり、通信使に

「耳塚」を見せないようにという芳洲の意見を聞き入れるようにするなど、お

互いを尊重し合い、庇い合うとともに私的に詩を送り合うなど、生涯の交際

を続けました。

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芳洲庵を訪ねて NO.9

2008-05-23 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好
 NO.9 朝鮮貿易や藩財政にも尽力

  鎖国の時代にあっても対馬は長崎や琉球とともに日本の窓口として産

業、文化の発展に貴重な役割を果たしてきました。対馬藩は、朝鮮貿易で

銀を輸出して人参や生糸、絹織物などを輸入していました。

  しかし、この貿易による対馬藩の財政は次第に先細りとなり財政状況

が大きな課題でした。芳州はこのような状況を「さざえ」の形にたとえ

「さざえぶく財政」と名付け藩の財政再建にも尽力しました。

  幕府の新井白石が銀の輸出制限を決めたときも、江戸に上り国際信義

や慣習について白石と何度も話し合い改善策を取り付けています。

朝鮮との信義を守り、対馬藩の財政の改善のため芳州は努力を惜しみま

せんでした。

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芳洲庵を訪ねて NO.7

2008-05-22 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

 

NO.7享保の通信使と芳洲

  第9回1719(享保4)年の時2度目の通信使を護行して江戸まで行き来していま

す。この時芳洲は52才でした。将軍吉宗のお祝いの使節でした。

前回の改革が元に戻されたこともあって穏やかな交流が行われました。

  通信使は毎回、日本訪問の記録残しています。

この時の記録は、使節の中の製述官申維翰の紀行本「海遊録」に詳しく残されて

います。

  申維翰は芳洲のことを「雨森はすなわちかれらの中では傑出した人物である。

よく三国語に通じ、よく百家の書を弁じ・・・よく漢語に通じ、詩文を解し日東国の

ぎょう楚(抜群の人)である。」と賛辞を表しています。

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スケールが大きすぎる出来事!

2008-05-21 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

 

   四川大地震1週間 都江堰市ルポ

 

   慟哭(どうこく)と連帯と

 

 

校門くぐると、死臭・消毒薬・線香のにおい

 

         “日本に知らせてほしい” 懸命に語る被災者


 【北京支局】中国四川地震から一週間たった十九日、中国は全土で三日間の「哀悼期間」に入り、地震発生時刻の午後二時二十八分に全国で黙とうが行われました。列車、バス、タクシーなどほとんどの交通機関も同時刻に警笛を鳴らして地震の犠牲者をしのびました。公共機関や学校はこの三日間は半旗を掲げています。


地図

 【都江堰(中国四川省)=山田俊英】四川省大地震から一週間たった十九日、大きな被害を受けた都江堰(とこうえん)市に入りました。地震発生時刻の午後二時二十八分、サイレンが鳴り響き、避難民のテントでも路上でも市民が黙とう。高速道路でもいっせいに停車し、三分間にわたってクラクションを鳴らし、三万を超える死者を悼みました。

子も家も

 九百人が生き埋めになった聚源中学・高等学校では親たちががれきの山となった校舎の前で、声を上げて泣きながら「紙銭」を燃やしていました。死者が無事にあの世へ行けるよう紙幣を燃やすのが中国のとむらいの習慣。「紙銭」は紙幣の代わりです。

写真

(写真)聚源中高等学校のがれきの前で嘆く親たち=19日、都江堰(山田俊英撮影)

 「歌と踊りの好きな子だった。こんなことならここに来るんじゃなかった」と陳群芳さん(45)。ダム建設のため以前住んでいた村から移住してきました。中学二年生の長女を亡くしました。「家も子どももなくした。これからどう生きていけばいいの」

 趙小富さん(38)は高校三年生の娘さんの大きく引き伸ばした写真を掲げて、声を張り上げました。

 「救援が遅い。建物もぼろだ。改築するという話だったが、外装をきれいにしただけだ」

 確かに街中のビルは壊れていますが、まったく倒壊してしまったのはこの学校のまわりではここだけです。

 まだ行方不明の生徒が数百人いるはずですが、救援隊は絶望と判断し既に引き揚げています。校門をくぐると、死臭と消毒薬と線香の入り混じったにおいで頭がくらくらします。

生存10人

写真

(写真)聚源中高等学校のがれきの前で泣きながら「紙銭」を燃やす親たち=19日、都江堰(山田俊英撮影)

 市内のバス停にいた馬懐元さん(54)は郊外の浦陽鎮で被災し、家は倒壊。自宅近くにテント小屋を作って避難しています。この日は知人の安否を確かめるためバスで出てきました。鎮(村)では八割の家が倒壊。中学校も倒壊し、四百人中十人しか助かりませんでした。

 「家の再建をどうしたらいいのか、政府から明確な回答がほしい。私はいまの家を建てるのに財産を使いきってしまった。自分で建て直すのは無理だ」

 途中から「私の話も聞いてほしい」と若い女性が加わりました。働いていた広東省深圳(しんせん)市から家族救援のため戻ってきた李梅さん(29)です。母親を亡くしました。逃げる途中、くずれてきたれんがで強打されたといいます。

 「親族には八十歳代が二人、六十歳代が六人。避難所では毎日一人あたり水三本、カップめん三個をくれるが、老人たちはもうカップめんがのどを通らない。年寄りが食べられるものがほしい」と訴えます。

 市内の経済開発区では路上にテント村を設けて避難民を収容しています。現在四千人がいます。食事は救援物資のほか、近くの農家による炊き出しでまかなっています。

 六階建てのアパートが危険で住めなくなって避難してきた労働者、熊茂勝さん(55)は「食事、水、トイレを提供してくれて政府には感謝している。早く家がほしい。テントでは雨が降れば雨漏りする」とここでも切実なのは住宅です。

 この避難所を運営する都江堰経済開発区ではプレハブの仮設住宅を建設中です。

 同区の担当者は「いまのところかぜ、下痢の人があわせて三人。被災者の健康状態はそれほど悪くありません。食料は足りています。心配は薬です。いまボランティアが持ってきてくれたものに頼っているがいつまで続くか」と語ります。

 タクシーで移動途中、「そこまで乗せてほしい」とヘルメットをかぶった作業服姿の男性が乗り込んできました。省内の他市から来たボランティアでした。「がれきに埋まっている人を捜索しています。いてもたってもいられません」と、目的地に着くとあわただしく降りていきました。

取材なら

 それにしても被災者の優しいこと。テント村で年配の女性は記者(山田)が帰ろうとすると「遠くから来てくれたのだから」とミネラルウオーターを一本、くれようとします。街なかで体験を話してくれた女性は記者が移動のため自転車タクシーと値段の交渉を始めると、「この人は取材なんだから安くしなさい」。タクシーの運転手は「取材ならもうけはいらない。経費分だけ払ってくれ」。話したくないほどの苦しみのはずですが、「日本に知らせてくれるなら」と懸命に話してくれます。

 いま中国は国をあげてかつてない悲しみを乗り越えようとしています。


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