大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好促進
日本語版新聞紹介

「日本軍は日本の植民地・占領地の女性たちを連行して慰安婦になることを強要した。女性たちは遠い異国の地で無残にも人格と命を踏みにじられた」

2022-05-28 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好
[特派員コラム]

宮古島の日本軍「慰安婦」祈念碑

登録:2022-05-27 09:49
 
 
ミサイル部隊のある日本陸上自衛隊宮古島駐屯地から15分ほど歩くと「日本軍『慰安婦』祈念碑」が建てられた小さな空き地にたどり着く。入り口にはハングルと日本語で「アリランの碑」と書かれた岩がある=宮古島/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 「日本軍は日本の植民地・占領地の女性たちを連行して慰安婦になることを強要した。女性たちは遠い異国の地で無残にも人格と命を踏みにじられた」

 11日、沖縄本土復帰50周年を控え取材のために宮古島に行き、そこで日本軍「慰安婦」祈念碑に向きあった。宮古島は日本最南端の沖縄から飛行機で1時間あまりの島だ。2019年から2020年にかけて日本の自衛隊の「ミサイル部隊」ができ、平和な島は様変わりした。訓練場と弾薬基地ができ、「03式地対空ミサイル」「12式地対艦ミサイル」など聞き慣れない最先端兵器が島に配置された。

 ミサイル部隊のある陸上自衛隊宮古島駐屯地から15分ほど歩くと「日本軍『慰安婦』祈念碑」が建てられた小さな空き地にたどり着く。入り口にはハングルと日本語で「アリランの碑」と書かれた岩がある。この離島にも、当時16カ所の「慰安所」があった。辛い唐辛子が好きで、もの悲しくアリランを歌っていた朝鮮人女性たちを覚えていた宮古島の住民たちと、韓国の研究者、韓日市民たちが力を合わせて、2008年9月に追悼碑を建てた。この場所は、朝鮮から連れてこられた女性たちが洗濯の帰りにしばし座って休んだところだという。

 「慰安婦」祈念碑のすぐ近くには、太平洋戦争(1941~1945)当時の残酷さを想起させる歌碑もある。戦争終盤、宮古島には約3万人の将兵が配置され、地上戦はなかったが連日空襲に苦しめられた。連合軍の海上封鎖で食糧と医薬品が途絶え、栄養失調と疾病などで島は阿鼻叫喚と化した。「補充兵われも飢えつつ餓死兵の骸焼きし宮古よ八月は地獄」と詠んだ日本軍衛生兵の凄惨な心情を込めた歌碑は、2005年8月に住民たちの力で作られた。

 島の人々は、戦争が繰り返されてはならないという気持ちで祈念碑と歌碑を建てた。しかし、宮古島は再び平和を脅かされている。東シナ海と南シナ海で中国の軍事的脅威が高まり、日本政府は宮古島を含む南西諸島にミサイル部隊を配置するなど、この地を軍事基地化している。

 「力対力」の対決では平和を守ることができないとして、宮古島の住民たちは長い闘いを続けている。2015年にミサイル基地建設計画が知らされた時から、様々な闘争を繰り広げてきた。今も毎週水曜日午後5~6時、木曜日午前9~10時に、市内とミサイル部隊前で街頭デモを行う。11日、少し早く現場に行って街頭デモを準備する姿を見守った。ほとんどが70、80代の高齢者で、大型の横断幕を電柱にくくりつける作業だけで10分かかった。長時間立っているのが体にこたえるので椅子を用意し、旗を差すなどの準備が終わると30分が過ぎていた。このような過程を経た街頭デモは、1649回も行われた。

 平和を望む宮古島の住民の願いとは裏腹に、国際情勢はますます暗鬱になっている。今年2月のロシア侵攻からウクライナ戦争は続き、北朝鮮は連日ミサイルを発射している。東シナ海・南シナ海での中国の脅威は依然として強い。バイデン米大統領が20~24日の初めての韓国・日本歴訪で、対中包囲網を強化し、北朝鮮とロシアに対する警告水位を高めると、朝中ロが同時多発的に反撃に出た。「力対力」がぶつかり、東アジア地域の軍事的緊張感がさらに高まっている。「安保」を名分に繰り広げられる今の対決が何のためのものなのか、あやふやに感じられる。

 「正義が川のように流れ、平和が春の陽のように地球を包む、戦争のない日がくることを願う」。宮古島の日本軍「慰安婦」祈念碑にハングルで書かれた最後の一文が、頭の中で繰り返し響いている。

キム・ソヨン|東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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沖縄新基地建設名護共同センターより:ブックレット¥500

2022-04-05 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

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金正恩総書記が「米国の対朝鮮敵視政策の撤回」こそ「新たな朝米関係樹立の鍵」とし「今後、強対強、善代善の原則で米国に相対する」と明らかにした対米路線を再確認した格好だ。

2021-08-11 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

韓米演習開始日、韓国との通話拒否した北朝鮮

登録:2021-08-11 05:51 修正:2021-08-11 08:45
 
通信線復旧からわずか2週間で連絡途絶える 
断絶が長期化するかは未知数 
キム・ヨジョン副部長「南朝鮮の裏切り行為は遺憾」 
「委任を受けて発表」金正恩の意志を強調
 
韓国と米国の両軍が後半期連合指揮所訓練の事前演習を開始し、キム・ヨジョン朝鮮労働党中央委副部長がこれを非難する談話を発表した10日、京畿道坡州市の境界地域で南北の軍哨所が臨津江を挟んで向かい合っている/聯合ニュース

 韓米軍当局の「後半期連合指揮所訓練」の事前演習が始まった10日、キム・ヨジョン朝鮮労働党中央委副部長は「南朝鮮当局者の裏切り的行為に強い遺憾の意を表する」という談話を発表し、その後、南北直通連絡線の午後の「終了通話」は行われなかった。北朝鮮は談話の内容を一般にも公開したことが確認されているため、場合によっては「決起・糾弾集会」をはじめ「直通連絡線の再断絶」などの強硬な対南対応が行われる可能性もある。

 キム・ヨジョン副部長はこの日午前8時2分、対外用メディア「朝鮮中央通信」で発表した「談話」で、今回の演習は「我が国を力で圧殺しようとする米国の対朝鮮敵視政策の最も集中的な表現であり、我が人民の安全を脅かし朝鮮半島情勢をより危うくする、決して歓迎されない、必ず代価を支払うことになる自滅的な行動」と批判し、「警告を無視して強行する米国と南朝鮮側の危険な戦争演習は、必ずや自らをいっそう厳しい安保の脅威にさらすだろう」と主張した。下半期の朝鮮半島情勢を分ける「分水嶺」とされてきた韓米合同軍事演習は、事前演習である危機管理参謀訓練(CMST)が10~13日に、本演習である「後半期連合指揮所訓練」(21-2 CCPT)が16~26日に行われる。

 この談話の発表後、北朝鮮は午後に行われる軍通信線を含む南北直通連絡線を通じた「終了通話」に応じなかった。直通連絡線開始・終了通話が正常に行われなかったのは、文在寅(ムン・ジェイン)大統領と金正恩(キム・ジョンウン)総書記の親書によるやり取りにもとづき「断絶」から413日ぶりとなる先月27日に通信線が復旧して以降、初めてとなる。統一部の当局者は「北側は午後の終了通話に応じなかった。これに関する北側からの別途の言及はなかった」と述べた。現在のところ、「終了通話」に北側が応じない「技術的不通」の状態であり、これを超えた「直通連絡線断絶の長期化」となるかどうかを判断するのはまだ早い。

 キム副部長の談話は韓米両国に向けたものだが、分量と焦点の双方で批判の矛先は米国に向けられている。演習が延期や取り消しにはならず、規模を大幅に縮小したとはいえ行われることになったことについては、韓国より米国の意志が強く作用したのだろうという判断があるようだ。キム副部長は、ジョー・バイデン政権が「騒ぎ立てている『外交的関与』と『前提条件なき対話』とは、彼らの侵略的本音を隠すための偽善に過ぎない」と批判しつつ「我々はすでに強対強、善代善の原則で米国に相対するとしている」と述べた。1月の労働党第8回大会で金正恩総書記が「米国の対朝鮮敵視政策の撤回」こそ「新たな朝米関係樹立の鍵」とし「今後、強対強、善代善の原則で米国に相対する」と明らかにした対米路線を再確認した格好だ。キム副部長は談話の最後に「私は委任によってこの文章を発表する」と明らかにし、今回の談話が金正恩労働党総書記の意を込めたものであり「北朝鮮当局でまとめられた方針」(統一部当局者)であることを強調した。

 これに対し、対南批判は分量と表現の双方で相対的に「節制」されたものとなっている。「裏切り的行為」の主体を複数形である「南朝鮮の当局者たち」と述べ、金正恩国務委員長との「親書による意思疎通」によって南北直通連絡線の復旧に先日合意した文在寅大統領を直に批判するかたちは避けた。これはキム副部長が3月30日の談話で文大統領のことを「米国産のオウム」と述べ、「厚顔無恥」「鉄面皮」などの感情混じりの表現を使って非難したこととは対照的だ。

 キム副部長の談話は、最初は対外用メディア「朝鮮中央通信」のみで発表され、同日付の「労働新聞」には載らず、発表から1時間後の直通連絡線の「開始通話」も正常に行われた。雰囲気が変わったのは午後に入ってからだ。キム副部長の談話が一般の人民も視聴できる朝鮮中央テレビと朝鮮中央放送(ラジオ)でも報道されたのに続き、軍通信線を含む南北直通連絡線の「終了通話」が行えなかったのだ。北朝鮮の今後の「行動」の有無が懸念される。

 北朝鮮の今後の対応について、談話で最も目を引くのは「我々に反対するいかなる軍事的行動にも迅速に対応できる国家防衛力と強力な先制攻撃能力の強化を加速する」と述べた部分だ。米国が制裁緩和や韓米合同軍事演習の中止などの「敵視政策の撤回」に関する友好的な実行措置を取らなければ、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射実験などの戦略的な軍事行動によって長期こう着局面にある朝鮮半島情勢を揺るがしうるとの「警告」と読める。ただ、今すぐ「行動」に移すという雰囲気は漂わせていない。元高位関係者は「ロケット砲などによる低強度の軍事行動の可能性は排除できない」と指摘した。

 キム副部長はまた「米軍が南朝鮮に駐屯している限り、朝鮮半島情勢を周期的に悪化させる禍根は絶対に除去されないだろう」とし、韓米合同演習の根を在韓米軍に見出し「朝鮮半島に平和を宿らせようと思うなら、米国が南朝鮮に展開している侵略武力と戦争装備をまず撤去すべき」と述べた。1月の党大会で金正恩総書記が列挙した「先端軍事装備の搬入と米国との合同軍事演習」の中止に加えて「在韓米軍」問題に言及した部分に留意する必要がある。

 韓国政府は、北朝鮮の今後の対応などを見守るとの慎重な反応を示した。統一部の当局者は「(今月1日のキム・ヨジョン談話が表明した、演習に反対するという)北側のこの間の立場を繰り返し明らかにしたものと見られる」とし「予断せず、すべての可能性に備えていくつもり」との「政府の立場」を明らかにした。大統領府関係者も「事案が重大であるだけに、ソ・フン安保室長が文大統領に直に報告したと聞いている」とし「北朝鮮の特異な動きについては何も知らない」と述べた。

イ・ジェフン先任記者、キル・ユンヒョン、イ・ワン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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共同記者会見で「北朝鮮にワクチンを支援する意向はあるか」という問いに「北朝鮮が同意すなら、北朝鮮へのワクチン供給協力を積極的に推進する。

2021-06-16 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

文大統領「北朝鮮が同意すればワクチン供給推進」…

南北対話、再開されるか

登録:2021-06-15 03:37 修正:2021-06-15 10:37
 
 
オーストリアを国賓訪問中の文在寅大統領が14日(現地時間)、ウィーンのホーフブルク宮殿でのアレクサンダー・ファン・デア・ベレン大統領との首脳会談を終えた後、共同記者会見に臨み、会談の結果を発表している/聯合ニュース

 国賓としてオーストリアを訪問中の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は14日、北朝鮮が同意すれば北朝鮮にワクチンを供給するとの意思を明らかにした。先月、文大統領は韓米合同軍事演習の規模を調整する余地を残しており、今回の発表は新型コロナウイルス防疫を媒介として対話再開の意志をつないだもので、北朝鮮がどのように反応するかが注目される。

 文大統領はこの日、ウィーンのホーフブルク宮殿でファン・デア・ベレン大統領と首脳会談を行った後、共同記者会見で「北朝鮮にワクチンを支援する意向はあるか」という問いに「北朝鮮が同意すなら、北朝鮮へのワクチン供給協力を積極的に推進する。韓国がグローバル・ワクチン・ハブの役割を担う場合は、北朝鮮も当然協力対象となる」と答えた。「米国も北朝鮮に対する人道主義的協力を積極的に支持している」とも付け加えた。文大統領は「発展途上国や低所得国が公平に接種してはじめて、世界はコロナから解放されうる。韓国は米国とのワクチン・グローバル・パートナーシップ合意に則り、グローバルなワクチン生産ハブとなり、ワクチン供給を増やすことで世界のコロナ撲滅に貢献したい」とワクチン供給の必要性に言及した。

 文大統領が北朝鮮にコロナワクチンを直接供給しうると述べたのは、今回が初めてだ。文大統領は昨年9月、北朝鮮に対し北東アジア防疫・保健協力体への参加を提案しており、12月にはイ・イニョン統一部長官がコロナ治療薬と診断キットの支援の意思を明らかにしている。しかし北朝鮮は何の反応も示していない。韓国国内のワクチン供給が円滑に進んでおり、「グローバル・ハブ」構想まで具体化していることで打ち出したワクチン支援カードは、南北対話の再開の契機となり得る。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長はコロナ防疫に細心の注意を払い、多角的にワクチン供給を推進しているが、ロシアと中国のワクチンは導入しないことを決めたという。こうした中でこの日、文大統領が「米国も人道主義的協力を積極的に支持している」と言及したことは注目に値する。北朝鮮は安全性がひとまず検証済みの既存のワクチンを好んでおり、ワクチン導入のためには欧米の協力が欠かせないためだ。

 この日の共同記者会見を共にしたオーストリアのファン・デア・ベレン大統領も、北朝鮮に対するワクチン支援について「パンデミックは、すべての国がともに取り組まなければ克服は不可能だ。開発途上国、貧しい国など、すべてがワクチンを接種することが重要だ。北朝鮮も同じだ」と同意を示した。ファン・デア・ベレン大統領は「北朝鮮側が(ワクチン支援について)どのような立場なのかはよく分からないが、シグナルがあれば当然支援するつもりだ」と強調した。

イ・ワン記者、ウィーン/共同取材団 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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中国ってこんな国なんだ!と興味を抱き、理解を深めるきっかけにしてみてください。

2020-12-26 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

【イラストで知ろう!イマドキ中国】

年末はカレンダーに手帳をゲット!

第24回

人民網日本語版 2020年12月25日13:36

ここ数年、中国では年末のこの時期になると、故宮博物院を始めとする博物館や美術館、そして出版社などが販売する様々なカレンダーが話題となる。そして日本の「手帳文化」の影響をうけた手帳も若い人々を中心に注目を集めている。今回はそんな中国のカレンダーや手帳事情について紹介していこう!人民網が伝えた。

差別化するため、どんどんてんこ盛りになってきたカレンダー

カレンダー自体は以前から中国でも年末になると、年賀カードや年越しの飾りと一緒に卸売市場でたくさん売られていたものだ。当時は壁掛けタイプが多く、赤や黄色を基調としためでたいイラストや文字、水墨画といったデザインが多かった。そして卓上タイプのカレンダーは大抵企業のロゴ入りで、可愛いとは言い難いイラストか水墨画、文化財などの写真を使ったものなどが主流だった。

ところが2009年から故宮博物院が発売し始めた「故宮日めくりカレンダー(故宮日歴)」や出版社が販売した「紅楼夢」などをテーマにしたカレンダーなどの登場を皮切りに、中国におけるカレンダーブームが「勃発」。これらのカレンダーのほとんどはブックタイプで、日めくりとなっており、手帳の役割も担っている点が特徴的だ。文化クリエイティブグッズに対する人気も後押しとなり、カレンダー人気が過熱する一方で、今や差別化をつけるために、見た目の良さや豆知識など、カレンダー以外の要素がてんこ盛りになってきているというのが現状だ。怠け者の著者は結局数ページ開いただけで、次の年になってしまったので、日めくりを本当に毎日読んでいる人がいるのか、ちょっと疑わしい気持ちを抱いてしまう。

日本の手帳とはちょっと違う中国の「手帳」

年玉手帳やビジネス手帳、システム手帳といったように、日本では手帳を持ち歩く人が少なくない。当初はビジネスマンの時間管理を目的とした手帳が多かったが、1990年代頃からは、学生からビジネスマンまで、それぞれが好みの手帳を購入して使用するというスタイルが根付くようになっていった。

一方で、中国でもいわゆる「手帳文化」が若者を中心に高い人気を誇っている。当初は手帳そのものよりも手帳をデコレーションするためのマスキングテープやシール、各種ペンといった周辺アイテムが注目を集めていたが、次第に手帳そのものの使い勝手の良さなども追求されるようになってきている。しかし、中国における「手帳」は小ぶりのスケッチブックやノートなども全て含まれており、スケジュール帳をベースに、イラストやデコレーションをして、日記代わりに使用する日本と異なり、日記からスケッチ、レシピ、旅行記といったようにその使い方も様々。これらを「ノートに記録する」ことを「手帳文化」と呼んでいる。

このようにカレンダーにしても、手帳にしても、同じような商品にも関わらず、その使い方や求めるものが中国と日本では少し異なっている点は面白い。そして、今やスマホ一つでスケジュールから日記のような記録、果ては写真や動画による記録も手軽になっているにも関わらず、敢えて日めくりカレンダーを購入し、紙とペンを使って記録することを選んでいる中国の若者たちは、スピーディな世の中の流れや新しいものが溢れる中で、自分や自分の暮らしぶりといった身近なものに目を向けようとしているのかもしれない(文・イラスト・玄番登史江、袁蒙)。

イラストで知ろう!イマドキ中国

人民網ではもっと身近なスタイルで今どきの中国を読者の皆さんに知ってもらうため、「つるにはまるまるむし爺さん」と「へのへのもへ郎」、「へめへめくつ美」の3人が流行語やカルチャー、時事問題など幅広いジャンルにおける「イマドキ」を紹介。中国ってこんな国なんだ!と興味を抱き、理解を深めるきっかけにしてみてください。

「人民網日本語版」2020年12月25日

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西湖に行ったことがある!

2020-09-25 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好
杭州西湖女子パトロール隊が
北京頤和園の昆明湖畔をパトロール

人民網日本語版 2020年09月24日15:59


      

杭州西湖女子パトロール隊が北京頤和園の昆明湖畔をパトロール
9月23日、北京頤和園の昆明湖畔をパトロールする杭州西湖女子パトロール隊(撮影・田雨昊)。

      

「詩画浙江文旅ウィーク(杭州デー)・2020年浙江(北京)観光交易会開幕式」が9月23日、北京頤和園で開催された。これら一連のイベントは、「2020年中国大運河文化に関する北京・杭州カンファレンス」主要活動の一環として行われた。西湖湖畔の「人文風景」である杭州西湖女子パトロール隊が、北京頤和園の昆明湖畔に足を運び、詩画浙江文旅ウィーク期間中、頤和園側と共に、観光客にサービスし、杭州の人文的魅力や温もりを伝える。中国新聞網が報じた。(編集KM)

      

      

      

「人民網日本語版」2020年9月24日
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急性白血病にかかった子どもの緊急帰国過程における日本政府の協力に対し、謝意を表した。

2020-05-09 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好
カン外交部長官、日本の茂木外相に感謝書簡
登録:2020-05-09 07:01 修正:2020-05-09 07:06

「急性白血病の子供の帰国協力に謝意」 
茂木外相、会見で「非常に良い案件で日韓協力」

        

カン・ギョンファ外交部長官//ハンギョレ新聞社

 カン・ギョンファ外交部長官は、急性白血病を患った韓国の女児が日本などの協力で無事にインドから帰国したことについて、茂木敏光外相に書簡を送り、謝意を表明した。

 外交部当局者は8日、「カン長官が昨日、茂木外相宛に送った書簡を通じ、急性白血病にかかった子どもの緊急帰国過程における日本政府の協力に対し、謝意を表した」と述べた。カン長官は書簡で「今後もこうした人道的事由を含め、帰国支援と関連して緊密な協力が続くことを期待する」と述べた。さらに同書簡には「地域内の感染病拡大の遮断と克服のため、両国が引き続き協力していこう」という内容も盛り込まれた。

 茂木外相も同日の記者会見で韓長官が送った書簡が前日に届いたとし「(韓国の急性白血病女児の緊急帰国関連の)関係者らの努力に感謝する」とし「非常に良い案件で日韓協力が行われた」と述べた。

 インドで急性白血病を患い、治療を受けられず、困っていた韓国人女児(5)は韓国への帰国を希望していたが、韓国行きの航空便がなく足止めされていたところ、インド駐在の韓国大使館と日本大使館の協力で5日、日本航空の特別機で仁川空港に到着した。
キム・ソヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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韓国と中国から来る人々に対する日本政府の入国制限については、「専門家会議で議論したことはない」と話した。

2020-03-12 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好
[インタビュー]「日本の韓中からの入国制限は、公衆衛生学的には必要な措置ではない
登録:2020-03-11 22:31 修正:2020-03-12 08:21


日本政府の新型コロナ専門家会議メンバー 
押谷仁・東北大学大学院医学系研究科微生物学分野教授 

          
 
「日本政府は入国制限について専門家に意見を求めていない 
韓国と中国から感染者が流入するする可能性は低い 
 
SARSのように完全な封鎖は不可能… 
集団感染の発生遮断が重要 
 
アフリカで大流行が起きれば 
東京五輪の開催は難しいだろう」

押谷仁・東北大学大学院医学系研究科微生物学分野教授が10日、東京で新型コロナ(COVID-19)に関する日本の対策について話している=チョ・ギウォン東京特派員//ハンギョレ新聞社

「新型コロナウイルス感染クラスターの発生をどのように食い止めていくかが主要課題となっている」

 日本政府が設置した新型コロナウイルス(COVID-19)専門家会議のメンバーである押谷仁・東北大学大学院医学系研究科微生物学分野教授は10日、感染拡散防止のための国際協力を強調した。また、韓国と中国から来る人々に対する日本政府の入国制限については、「専門家会議で議論したことはない」と話した。以下は一問一答。

-現在の日本の状況をどう判断するか。

=クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」を除いては、大きな感染の拡大はない。北海道の札幌市が一時危険だったが持ちこたえており、東京、神奈川、大阪でも危険な兆候は見られるが持ちこたえている。

-ウィルスが夏になると弱まる可能性はあるか

=そうではない。短期的には弱まらない。最初は中国だけで感染者が各地で出た。今は中国が感染を效果的にコントロールしていて感染者が外に出ない。しかし、今は感染者が東南アジアや中東にもいる。急速に世界に感染が拡大している。中国以外の地域から感染者が流入する可能性もある。東南アジアと関係が深い韓国や日本は、短期的にはとても難しい状況になると思う。

-東京五輪は予定通り開催できるか

=世界がどうなるかにかかっている。すぐ収拾されることはないと思う。アフリカで今後流行がありうる。アフリカできわめて大きな流行が起きれば、五輪はできないだろう。日本国内の流行を抑制したからといって五輪ができるわけではない。世界的に急速に拡散する状況になり、世界のどこかの地域が五輪に参加できないとなれば、五輪を開催するのは難しいのではないか。

-新型コロナウイルスと普通のインフルエンザを比較すれば

=普通のインフルエンザとは比較にならないほど危険なウイルスだ。普通のインフルエンザは、ウイルスそのものは人を殺さない。高齢者が細菌性肺炎になったり心筋梗塞を起こしたりするインフルエンザ関連死で人が死ぬ。しかし、このウイルスはウイルス自体が人を殺す。高齢者にとって非常に危険なウイルスだ。また、インフルエンザにかかれば、概ね80~90代で死亡者が出る。しかし、新型コロナウイルスは、80代、90代だけではない。50、60、70代でも死亡する場合がある。季節性インフルエンザにはあまりないケースだ。

-韓国と中国に対する入国制限措置についてどう思うか。

=私は専門家会議のメンバーだが、韓国と中国からの入国制限は我々が推奨したことではない。(新型コロナウイルスは)世界に広がった。東南アジアに広がり、米国も危ないと言われている。一体どこまで(入国制限を)するのか。米国に感染が拡大すれば、米国からの入国を制限するのか。そうするには方法は鎖国しかない。これをするというオプションはもちろんあるが、きわめて大きな経済的損失が起きる。非常に厳しい状況にアグレッシブな対応をしなければならない状況もありうるが、今はそのような状況ではない。韓国と中国から感染者が流入する確率は極めて低いため、公衆衛生学では今必要な対策ではないと、個人的に私は考えている。

-菅義偉官房長官は、専門家会議を経ていないと認めた。専門家会議で議論はしたのか。

=議論されたことはない。(政府が専門家会議に)聞いたこともない。

-SARSとは異なり、感染の封じ込めは難しいという見解と理解しているが

=SARSのような封じ込めは現在不可能だ。しかし、新型コロナウイルスにも弱点があり、実は80%以上の人は誰にもウイルスを感染させない。ただし、一人の感染者が多くの人に感染させる事例がある。そうした例が、韓国のある宗教集団や大阪のライブハウスだ。我々はこれを(感染)クラスターと呼ぶ。今、日本は持ちこたえているが、これからどうなるかは微妙だ。

-水際対策だけを強調しない方が良いのか

=水際対策も重要だ。しかし、感染事例が一つ出たからといって騒ぎ立てずに、クラスターを作らないようにすることが重要だ。クラスターは密閉性の高い、ライブハウスや屋形船パーティーなどで起きやすい。

-日本政府が取った小中高校の休校に効果があるか

=新型インフルエンザや季節性インフルエンザでは、子どもたちが感染を拡散させる。子どもたちが感染してから、地域に広がる傾向がある。そのため、新型インフルエンザの場合には早期に一斉休校をすればきわめて效果がある。しかし、今回は違う。今回は子どもが大人から主に感染したケースだ。学校閉鎖での感染阻止は不可能だ。子どもたちの感染を減らす機会にはなるだろう。しかし、子どもたちはほとんどが重症にはならない。こうした点を考えれば、一斉休校にどこまで效果があるのかという疑問がある。感染拡大を阻止する劇的な効果はないと思う。

-国際的な取り組みはどうすれば良いか。

=まだわからないことがとても多い。皆で情報を共有し、このウイルスとどう効果的に戦うかを考えなければならない。先行して経験した中国から学ぶべき点がある。韓国と日本は医療体制が似ている。韓国では一つの宗教集団から広がった事件がある。日本もそうなるかもしれない。こうした場合にどうするか、日本が韓国から学ばなければならない。韓国も日本が持ちこたえている点が参考になるだろう。だから、政治的対立をしている場合ではない。皆で情報を共有し、どのように対処するかを考えるべきだ。

-日本のウイルス検査件数が足りないという批判があるが。

=どこまでどのように検査するかは微妙だ。日本は当初、韓国に比べて検査のキャパシティーが大幅に不足していた。今は拡充されている。とはいえ、風邪気味だからといって皆がウイルス検査を行うことは、どこの国でも不可能だ。戦略的に考えてみる必要がある。
チョ・ギウォン東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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連載 NO.34   2、朝鮮王朝儀軌返還運動と日・朝・韓友好運動  南北も共同で

2020-01-06 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

NO.34

 2、 朝鮮王朝儀軌返還運動と日・朝・韓友好運動  南北も共同で

2011年12月6日、「朝鮮王朝(明星皇后国葬都監)儀軌」が韓国に返還されたというニュースを覚えておられるだろう。しかし、1922年朝鮮総督府によって日本宮内庁に90年間も奪われていたものが返還されたのか、その経緯を知る方は少ない。さらにその変換過程で日朝協会が重要な役割を果たしたことを知っている方はあまりない。

朝鮮王朝儀軌返還運動の中心人物は韓国のお坊さん、慧門氏である。彼は、韓国民間団体による海外文化財返還運動に関する最終報告書として、「儀軌」取り戻した朝鮮の宝物を出版されている。(東国大学校出版部)

慧門氏は、日本語への序文の中で「私は朝鮮王朝儀軌還国を通じて韓日両国と南北関係を改善したいという考えを持っていた。そのために「儀軌、取り戻した朝鮮の宝物」という本を韓日両国において出版し、善意に基づく「日本の自発的決定」だけではなく、南北7千万同胞がこころを合わせ、日本の良心的勢力と連帯してなしえた成果であることを知らせたかった。と述べておられるように、日本の良心的勢力の中に日朝協会が入っている。日朝協会は日本の民間団体としてただ一つ、政府や関係機関に要請書を提出(2007年11月28日・福田首相あて)し、何度も行動をともにした。

朝鮮王朝は、国家の大小の行事を文書または絵で記録して残してきた。明星皇后国葬都監儀軌は、朝鮮王朝最後の明星皇后の葬儀を記録して残したものである。日本は72種の「朝鮮王朝儀軌」を略奪して持ち帰り、宮内庁書陵部(皇室図書館)に置いていた。

明星皇后は、朝鮮王朝最後の王・高宗の妻である。1895年韓国併合、直前日本の侵略者に殺害された。高宗は、1897年10月大韓帝国の成立を宣布した。明星皇后の葬儀手続きも進む。王室最後の葬儀だった。その記録が日本にあったわけである。

返還活動は2004年8月京都での所蔵事実の確認から始まり、2011年12月6日まで、7年4ヶ月にわたるねばり強い努力が重ねられたのである。

日本政府は一貫して「1965年の日韓協定で文化財返還は完全終結している」といい、韓国政府も「請求権が焼喪失している」として消極的な態度であった。

 

この取り組みは①、南北仏教団が参加されたことと、南北国民がそろって力を合わせられる要求だったこと。②、日本の良心的勢力がこぞって参加したこと。③、慧門氏の理論に裏付けられたねばり強い運動があり、マスコミも支持する報道をしたこと。④、政治的には日韓条約の請求権は認めない・決着済みという論拠に風穴があいたこと。など日朝友好運動の新しい分野を切り開くものでした。

                            

 

 

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連載 NO.32 第五章 これからの日朝友好運動発展の展望 2014年に対談した記録です。

2020-01-04 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

NO.32

第五章 これからの日朝友好運動発展の展望

1、2014年、金 鐘現氏(在日朝鮮人総連合会京都中京支部長)に聞く

京都西陣でのとりくみ

 織物の技術そのものは、5~6世紀ごろに大陸から渡来してきた秦氏の一族が、 今の京都の辺りに住みつき、養蚕・絹織物の技術を伝えたことに始まるとされています。
794年(延暦13)平安遷都によって京都が政治・経済・文化の中心地になると、 政府はそこで生活する貴族・公家・官僚たちの生活をまかなうために、いろいろな分野で産業育成を行いました。その一つに、織部司(おりべのつかさ)という役所の下、絹織物の技術を担う工人(たくみ)たちによる、錦・綾・羅・紬(つむぎ)など の高級織物の生産があった。それらは手工業による小規模なものでしたが、 既に高度な技術が用いられていたのです。工人たちは上京区上長者町の近辺に集まり、織部町という町を形成していたといわれる。とかかれています。

しかし、西陣地域で在日朝鮮人の人々がどのようにして「西陣織」をつくり発展させてきたのかはあまりしられていません。1998年から12年間朝鮮総連京都府西陣支部の委員長として活動されてきた、金 鐘現(キン ジョンヒョン)氏に1910年、韓国「併合」以降のことについて話を聞くことができました。 (本人のご了解を得てここに掲載することができました。)

 

大橋

 金ジョンヒョンさんいつも大変お世話になっています。今日もよろしくお願いします。

西陣に朝鮮人の方々が多く住まわれるようになった理由やその時期は何時ごろからだったのでしょうか?

 

金 氏

大橋さんもお元気のようで大変嬉しく思います。お茶でも飲みながら話しましょう。

言うまでもなく朝鮮人が日本に多く住むようになったのは日本帝国主義の朝鮮植民地統治にあります。それまでは特別の技術者が居られただろうと思います。今につながる朝鮮人が、西陣で地域産業、伝統産業の構成員として参入していったのは1910年頃からだと言えます。元々京都は朝鮮文化と深いつながりのある土地柄でもありました。しかし当時は日本がアジア侵略を進める時期でもありましたので、西陣に住み着いた人々も平安な暮らしではなく、その過程での官憲による弾圧、日本人業者からの差別、蔑視は過酷なものがありました。

しかし京都西陣の在日一世、二世たちの苦難に満ちた生き方は西陣織と言う伝統産業に参入し、それを日本人と共にしっかりと守り伝えてきたという共生連帯の歴史であり、それを土台とし京都に於ける民族教育、商工会、民族金融機関を発足させた、まさに、在日朝鮮人運動の先駆者であったと言う誇らしい歴史でもあるのです。

京都では西陣織の他に友禅染という伝統産業煮も参入していきました。

 

大橋

なぜ西陣織伝統産業への参入ができたのでしょうか?

 

金 氏

「京都の顔」と形容される西陣の伝統産業に、朝鮮人が参入していったのは、およそ大正末期ごろだと確認されています。西陣織産業に参入し、一大集団として根付き、地域同胞社会を形成していくことができた、その特色の一つに徒弟制度的な仕組みと同胞愛があったからだと思うのです。

新規参入の新米が一人前の職人になるには、相当の年月がかかりますが、朝鮮人の場合、先に熟練した者が、地縁、血縁を呼び寄せて親身になって仕込み、技術を伝授したので、他の日本人に比べ、比較的短期間で一人前になることができたのです。

しかも賃金は、給料制ではなく「出来高払い」「能率給制」だったので、仕事に対して意欲が持てるのも大きな魅力でした。そして低賃金、長時間労働という不遇な環境の中で、郷里に残した肉親に仕送りをするために早朝から深夜まで、死に物狂いになって働いたのです。

こうした逆行によく耐えて、1935年ごろになると機織の職工や、職工から身を起こして、自己の設備を持って下請けをするようになる人が出てきたのです。そのような製織の委託、下請けを出機屋といいました。

 

大橋

1935・3・20には 京都朝鮮人親睦会上京支部が結成されています。在日の方々の連帯が強められてきた時期ですね。

同胞愛はよくわかりますが、「出来高払い」「能率給制」が発展の根拠の一つだったという分析は生活感があり、ここにこそ本質があるようですね。

戦前・在日の人々は無権利状態を改善するために、民主的朝鮮人士は、先頭に立って活動され、治安維持法での犠牲者もあり、日本の革新的な人びとと連帯して活動されてきたと思っています。もう少し具体的なおはなしを?

 

金 氏

西陣では製造販売する織物業者を織屋と言っていますが、出機屋をしている朝鮮人の中から10数人が独立開業して織屋になろうとしていた矢先に大きな障害に直面しました。

それは、1938年に「ぜいたく禁止令」が交付されたことです。経済のすべてを統制し、西陣織物やぜいたく的品目の生産の禁止、また、織物の原料である絹、人絹糸が「統制品」として原糸配給制となったのです。そして朝鮮人には配給されませんでした。この統制経済の時代になってから、裏でヤミ経済がはびこって言ったのです。

1940年代になると何もかもがヤミ経済になり、日本人業者といえども、ヤミの絹、人絹糸の確保に走らねばなりませんでした。

米・肉・魚・野菜などの食料品に至るまで配給制で、それも遅配、欠配も多く、国民は耐乏生活を強いられました。米は大変な貴重品でした。米と物々交換すれば、欲しいものはどんなものでも手に入れることができました。そこで朝鮮人はヤミ米を手に入れるルートを開拓し、絹、人絹糸を米と交換することによって手に入れることができたのです。

この時局になり、当局は特別高等警察(特高)による思想犯のみならず「経済警察」の体制を整えて、ヤミの本格的な取締りにのり出したのです。

朝鮮人に対しては、皇国臣民にさせるために「協和会」への加入の強制に加え、朝鮮人織物業者に対する取締りは、残酷無比でした。10数人の業者はすべて投獄され拷問されました。差し入れも受け付けず面会を求める家族に対しては、婦女子といえども殴打し、面会をさせなかったのです。

戦争末期になり、朝鮮人に対する徴用を一段と強化しました。このように西陣の朝鮮人は、投獄と拷問によって血を流し、出獄しても徴用が待っているという暗黒時代を迎えねばならなかったのです。

 

大橋

アジア侵略から第二次世界大戦前夜の頃ですね。日本国民も無権利状態におかれ国政批判が死刑につながる暗黒の時期でした。

次号に続く

          

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連載 NO.13  平成22年8月10日菅総理の談話です。

2019-12-16 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好


謝罪と補償問題に関する日本政府公式見解の最新のものは、

    平成22年8月10日菅総理の談話です。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

資料 内閣総理大臣談話

 平成二十二年八月十日

 

 本年は、日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独 立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。

私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたい と思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対 し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。

 このような認識の下、これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築していきます。また、これまで行ってきたいわゆる在サハリン韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を今後とも誠実に実施していきます。さらに、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。

 日本と韓国は、二千年来の活発な文化の交流や人の往来を通じ、世界に誇る素晴らしい文化と伝統を深く共有しています。さらに、今日の両国の交流は極めて 重層的かつ広範多岐にわたり、両国の国民が互いに抱く親近感と友情はかつてないほど強くなっております。また、両国の経済関係や人的交流の規模は国交正常化以来飛躍的に拡大し、互いに切磋琢磨しながら、その結び付きは極めて強固なものとなっています。

日韓両国は、今この二十一世紀において、民主主義や自由、市場経済といった価値を共有する最も重要で緊密な隣国同士となっています。それは、二国間関係にとどまらず、将来の東アジア共同体の構築をも念頭に置いたこの地域の平和と安定、世界経済の成長と発展、そして、核軍縮や気候変動、貧困や平和構築と いった地球規模の課題まで、幅広く地域と世界の平和と繁栄のために協力してリーダーシップを発揮するパートナーの関係です。

私は、この大きな歴史の節目に、日韓両国の絆がより深く、より固いものとなることを強く希求するとともに、両国間の未来をひらくために不断の努力を惜しまない決意を表明いたします。

 

 以上のとおりですが、一定の謝罪は認められますが 歴史の真実に照らしてみれば大変不充分なものでした。

①、文章の主語を「日本政府はとして、このように考え、こうします。というべきところを私は、とすることによって国家責任をあいまいにし、明確な謝罪と賠償責任を曖昧にています。誰がどんな方法で植民地にしたのか、についても曖昧にしています。また今後の課題と解決方法がさらに曖昧になっている事です。

②、1910年の韓国「併合」に至る経過と「併合」そのものについて、1945年8月15日までは国際法上正しかったとは言っていないが、違法だったとも言っていないこと。

③、在日朝鮮人の法的地位の扱いは、本人の意向が無視され、人権を蹂躙してきたにもかかわらず何も触れていないこと。

④、談話発表後、具体的な問題を解決していくための交渉の進展は、朝鮮王朝儀軌返還以外は見られないこと、引き続く交渉の場が作られていないこと。

⑤、国連加盟国北朝鮮は、当時の植民地の一部であり、北朝鮮に対しても謝罪の気持ちをあらわし、現在は別の国家を形成しているので、その政府と誠実に話し合って解決することを述べるべきであること。

などを指摘しなければなりません。

 

 政府の韓国「併合」容認姿勢に勇気付けられ、今でも、侵略戦争を肯定・美化する歴史を書いた教科書の問題や、「坂の上の雲」のような当時の支配者意識を肯定する考えや大東亜共栄圏と言う考えのもとに、アジアの他国を侵略して当然だというような考えがまかり通っています。

 平成23年国会議員165名がそろって靖国神社参拝という行為は、歴史の流れに逆行し、決して新しいアジアを切り開く行為とは言えないでしょう。


 さらに最近では、「在日特権を許さない市民の会」が進める運動など、歴史を歪めて宣伝する人がいますが、国際的に非常に恥ずかしく、「百害あって一利なし」です。国連から政府の対応を求める勧告が出ています。維新の会の橋下氏の「慰安婦は必要だった。」「沖縄米兵には風俗店を利用すればよい」などの非常識な発言までマスコミをにぎわしており、アジアは勿論のこと欧米諸国を始め世界中から非難の声が上がっています。 

 

 日本とアジアの平和を実現し、国民主人公の社会を創っていくためには、どのように考え、どうすればよいのでしょうか。
韓国「併合」に至る歴史的な事実を詳しく見てみましょう。              続く

          

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連載 NO.6 第一章 京都は朝鮮と深いつながりの土地

2019-12-11 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

  第一章 京都は朝鮮と深いつながりの土地

1、向日市寺戸町大牧・桓武天皇皇后陵 

 私が生まれ、住んでいる京都府向日市向日町は桓武天皇が西暦784年奈良の都を長岡京に移した中心地、大極殿のすぐそばです。さらに794年に京都平安京に遷都されました。だから向日市には桓武天皇皇后陵(皇后陵は歴史家の間で論争があるようです)があり、桓武天皇陵はそこからよく見える京都伏見区桃山町にあります。

 桓武天皇は諱(いみな)を「山部(やまのべ)」といいます。母は高野新笠(たかののにいかさ)、といい百済系帰化人の家系出身です。坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北地方を平定した天皇として有名です。平清盛に代表される桓武平氏の祖としても知られています。

 

 京都の都の造営(都市計画)は朝鮮人技術者の指導でつくられた

 長岡京も平安京も秦氏で造営された都です。ですから、現在も京都には朝鮮とつながりが深い場所や施設が多く残っています。

 朝鮮人の母から産まれた桓武天皇が長い間生活していたのが、向日市と京都市なのです。だから今、この土地に住んでいる私たちが、差別意識をなくし、朝鮮・韓国との友好親善のために努力することは大変意義深いことだと思うのです。

2、松尾大社は、秦一族の氏神

 阪急電鉄京都線、桂駅で嵐山線に乗換え二つ目の駅が松尾大社駅です。                 松尾大社駅のすぐ前に「松尾大神」の大鳥居が目にはいります。その西側一帯が「松尾大社」の境内です。松尾大社には次のような説明文が出ています。

 五・六世紀の頃、秦の始皇帝の子孫と称する(近年の歴史研究では朝鮮新羅の豪族とされている)秦(はた)氏の大集団が、朝廷の招きによってこの地方に来住し、新しい文化をもってこの地方の開拓に従事したと伝えられております。松尾大社は、この秦氏がたてた神社です。

 また秦氏は保津峡を開削し、桂川に堤防を築き、今の「渡月橋」のやや上流には大きな堰(せき=大堰→大井と言う起源)を作り、その下流にも所々に水を堰き止めて、そこから水路を走らせ、桂川両岸の荒野を農耕地へと開発して行ったと伝えられております。(中村哲さんのようですね!)酒造については秦一族の特技とされ、室町時代末期以降、当社が「日本第一酒造神」と仰がれるようになりました。織物も普及しました。

 奈良時代の政治が行き詰まると、長岡京へ、次に平安京へ遷都を誘引したのも秦氏の膨大な勢力によるものとされています。だから秦氏は京都を造った功労者だと言えるでしょう。松尾大社のまつりごとは、秦氏の子孫がつとめるようになったといわれています。桂川の橋を渡った北側に京都朝鮮第2初級学校が立っていますが、良い場所を選ばれたものです。

 嵐電の駅は秦氏のゆかりの土地ばかり…

  嵐山の観光名所の一つに天竜寺がありますが、その前の「嵐電・ランデン」嵐山駅から四条大宮と北野白梅町まで京都の観光名所をゆっくり走る情緒あふれるローカル線があります。秦氏にまつわる地域を走っています。丁度中ほどに、「太秦広隆寺」と言う駅があり、国宝第一号「広隆寺の弥勒菩薩像」があるところです。韓国ソウル博物館の弥勒菩薩と非情によくにていて新羅の国から伝わってきたのか、新羅の仏師が創ったものだと言われています。太秦には、秦氏が住んでいたことがよくわかる史跡が多く残っており地域ぐるみ朝鮮文化を引き継いでいるところです。京都にに来られたらぜひ嵐電に乗ってください。

          

 

 

 

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朝鮮を知ることは、日本をまるごと知ることです。いちからわかる朝鮮半島問題 

2019-12-01 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

   八幡市ホームページより

11月30日、学習会の講師に行きました。講演内容に一部加筆しています。

いちからわかる朝鮮半島問題・・八幡市平和委員会、日朝協会全国代表理事 大橋 満と言うレジメで話を進めました。

 はじめに

1、朝鮮を知ることは、日本をまるごと知ることです。 

 京都と朝鮮の関係。長岡京・平安京の造営は渡来人の秦氏一族が指導したこと、桓武天皇の母は百済人=宮内庁HP、伊勢神宮も朝鮮と深い関係・(上田正昭先生)枚方には、百済寺、仁徳天皇の子供のころのお師匠さんで、日本に千文字を伝えた王仁博士のお墓もある。などなど朝鮮は尊敬の対象だった。

ところが最近は、安倍首相が先頭に立って

2、韓国は国際的な約束を守らないと反朝鮮・反韓国ヘイトスピーチの先頭に立っている。

具体的には以下のとおりであるが、私の考えを述べ皆さんとご一緒に理解を深めたいと思います。

慰安婦問題(戦時性奴隷問題) 2015/12/28「日米の慰安婦合意」は時期がサード配置問題で 日韓の足並みを合わせるために アメリカが、朴・安倍に圧力をかけ合意させたが  2019/7/5  日本軍「慰安婦」の癒し財団の解散、文内閣が合意経過を調査、 ①米の介入、②関係者無視、③合意文書なし、国家間の約束と言えない、文政権の考えは、  朴・安倍合意はあったが、内容は実行できない。

徴用工裁判18/10/30新日鉄住金・11/30三菱重工業判決は民・民間裁判、 差し戻し裁判。前回は却下、新しい事実、併合支配強制連行という「不法行為」に対する慰謝料裁判、個人請求権がある。未払い賃金裁判でない。三権分立厳守、個人の人権を救済していくのが、現在の裁判のながれ

  政府は、日韓基本条約で解決済みと言うが、国家の外交保護権を放棄した だけで、これまでも個人請求権はあると国会で関係大臣が答弁している。

韓国大法院の判決は、日韓条約の経過と個人請求権がある事を明確にしたすでに中国被害者補償・2016年には新日鉄が韓国人とも和解している。 

2019/7/1半導体輸出規制・フッ化水素など 「慰安婦」「徴用工」の報復   8/2 輸出優遇国リスト日本が(ホワイト国)から韓国を外す。   8/12 韓国も日本を外す。      

2019/8/22 韓国が日本との軍事情報包括保護協定GSOMIA)の終了  安保問題に発展 韓国を信頼できないのなら仕方ない。   2016~2019/11/23失効? 情報交換は、17年19回、18年2回 朝鮮半島が平和になれば不必要なものである。

アメリカの要求で一時延期、韓国はいつでも破棄できる権利留保

不買運動は、旅行者が半減、国民が何か役に立ちたいと!自主的に参加、  話し合いで解決する以外に道はない! ところが安倍内閣は応じない

チョグク前法相問題韓国の検察は、軍事政権時代の国民弾圧組織・KCIAとグルだった。強制捜査、夜間捜査・人権侵害、警察と!、被疑者を公表  検察改革で国民弾圧組織から国民の人権守る検察に変える。権限・組織

北朝鮮に対して、安倍首相は、金委員長と無条件で話し合いたいと言うが   制裁強化、在日朝鮮人への差別、教育補助打ち切り等、条件がない。   

 

これらの問題の根底には、大日本帝国が大韓帝国を併合支配した事がある。

3、大日本帝国による大韓帝国「併合」は、合法か、非合法か?

明治元年(1868年)以来151年、西洋列強国の仲間入り目指す(加害責任)

1873年ごろから征韓論/74台湾侵略・75/韓国江華島事件、76/日韓修好条約

大韓帝国「併合」は、合法ではなかった。韓国の国内手続き無視!その証拠

 

1894/7~1895/4 日清戦争 詔勅・清国の野望から朝鮮の独立を守るため

1904/2~1905/9日露戦争 詔勅・韓国の安全と東洋永遠の平和のため 

1904/8/22第一次日韓協約 韓国の財政と外交顧問に日本の推薦者をおく

1905/11/17第二次日韓協約 外交権を日本に譲渡、日本の保護国となった。

1907/7/24 第三次日韓協約 高級官吏は日本、軍隊解散、内政も日本の管理

不備な外交文書       反対運動に旧軍人が参加 激しい弾圧続く

1910/8/22大韓帝国を併合:当時の万国公法にも違反、戒厳令下・条例)

日本の勅令・第318号で 国名を「朝鮮」とする。   

1919/3/1日本から独立運動 中国上海で大韓民国臨時政府樹立(資料1)

 

 大日本帝国は、朝鮮人を無権利状態にして戦争に駆り立てた。

4、朝鮮を世界大戦(アジアへの侵略)に総動員した。 皇民・臣民化政策、

神社と宮城遥拝、創氏改名、日本語強制、教育勅語、日の丸、君が代、                              内鮮一体、強制労働、食料、産業、財産、徴兵制、「慰安婦」、最後は命まで 

1923/9/1:関東大震災、直後大量殺害6千人政府資料、反乱を起こすとデマ

1925/2~1945/8/15 75681人が治安維持法での犠牲に! 朝鮮人も日本人

逮捕者を含めると数十万人(吉岡吉典講演より)、政府と軍隊の非人道性。

 

5、戦後南北に分断された経過について、→日本の占領支配にも責任がある。

米軍・国連が弾圧に参加、反共の砦とするため革新的人士を弾圧、                                 朝鮮の自主的建国を弾圧、米軍が不承認                  

1945/9/6  朝鮮民主共和国宣言・朝鮮人の力で南北統一国家を旗揚げした。  

1948/8/15 大韓民国建国、南単独選挙、済州島民ボイコット4/3事件(大弾圧)

1948/9/9  朝鮮民主主義人民共和国建国 単独選挙 金日成首相 

1950.6、   朝鮮戦争北から、憲法首都ソウル・南北どちらにも戦争の動機、                             死者400万人?・離散家族1000万人、全人口南北で当時7000万人

*1951/9/8  日米安保条約調印 *10/2日韓会談予備交渉開始(65年まで)     

1953/7/27  休戦協定:調印北朝鮮・中国義勇軍・国連(米軍)韓国不参加

 1953年10月1日 米韓軍事同盟締結、 米国のアジア支配政策 

 

1964/ トンキン湾事件以後,米国がベトナム戦争に参加

    1965/7/12 朴ベトナム派兵提案、韓国国会8/13派兵批准、9,10月1万5千

1965年から1972年にかけて増派~1975迄45万人 (米、76/1不換紙幣)

米国はその見返りとして、韓国が導入した外資40億ドルの半分である20億ドルを直接負担し、その他の負担分も斡旋し、日本からは11億ドル、西ドイツなどの西欧諸国からは10億3千万ドル調達した。また、戦争に関わった韓国軍人、技術者、建設者、用役軍納などの貿易外特需(7億4千万ドル)や軍事援助(1960年代後半の5年間で17億ドル)により韓国は漢江の奇跡と呼ばれる高度成長を果たした。71/8ニクソン(兌換止め)          

日本政府は、日本の援助で「漢江の奇跡」を実現と言うのは事実に反する。アメリカのベトナム戦争協力金と言うのが真相である。

この間に結ばれた軍事同盟が、日韓条約。

1965年6月22日 日韓基本条約・締結、米国の圧力 朝鮮半島唯一国家 

日韓協力してベトナム戦争に参戦(日本後方)(資料2)   

 

6、朝鮮民主主義人民共和国はどんな国か、人口約2600万人? 核保有国

1991年国連南北同時加盟賛成・162か国と国交、日本・世界で唯一国交なし

軍事費は?年6千億円、戦争続行不可能、予算の15.9% 米は70兆円、                              戦争できる状況にない。なぜミサイル開発するのか? 米と対等に交渉

日本との関係「日朝平壌宣言」国交正常化、にたちもどるべきだ。(資料3)

 

7、2018年の大転換、4/27 南北朝鮮首脳会議から 6/12米朝会談へ  

 なぜ南北のトップは統一を強調するのか?

*韓国憲法第66条3・大統領は祖国の平和的統一のために誠実な義務を負う。

*北朝鮮憲法第9条・・自主、平和統一、民族大団結の原則にもとづいて祖国の統一を実現するためにたたかう

            

平和の激動をつくりだした根本の力は、戦争に反対し、平和を希求する各国民衆の力。                     韓国=文在寅大統領を当選させた、ローソク革命。弾劾・選挙。 2017/5/10 文在寅大統領、二度と失敗しない。国内・南北対話・国際問題

2018/1/1  金正恩年頭の辞→冬季オリンピック参加、合同チームへ

2018/4/27 南北朝鮮首脳会談(文在寅大統領と金正恩委員長)板門店宣言

民族自決権 3・1の精神                             (資料4)    

2018/6/12 米朝首脳会談(トランプ氏と金正恩氏)シンガポール会談声明(料5)

2018/9/19 平壌共同宣言・南北首脳 軍事分野合意書  (資料6)

  韓国も朝鮮も大きく変わった。 戦争しない、国民の暮らし向上、南北

統一は、事業から。国際的な地位 アメリカとの同盟にも変化・ 軍事、

南北間で協調 外交・中国とも積極的 韓国内政・文大統領支持国民の

考え民生重視を!「ローソク」の力、まだ韓国内の反動勢力は根強い(資料7)

2019/2/27・28 第二回米朝首脳会談 ベトナムハノイ 決裂  

2019/6/30   第三回米朝首脳会談 板門店 軍事境界線でセレモニー           

2019/10/5・6  第四回首脳会談準備中・スウエーデン・ストックホルム                                    トランプ氏と金正恩氏の約束、朝鮮戦争終結と規制緩和非核化どこまで 

      継続中、その見通しは明るい。

                

おわりに 

日本・韓国・朝鮮・中国人民は、アジアの平和のためにともに闘う友人

日朝首脳会談、日朝国交正常化、非核・北東アジア平和構築、

38度線を平和ラインに、休戦協定を平和協定に。アメリカの態度?

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以上で私の話を終わります。

 

 

 

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「おお、これは千字文です!国内最古の高麗時代唯一の本です。今まで見たことがない…」

2019-11-29 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

道峰山麓で国内最古の千字文を発見

登録:2018-01-26 00:05 修正:2018-01-26 08:39

古刹 霊国寺址出土品の中から 
歐陽詢體の文字が彫られた石1点を発見 
10世紀、高麗初期の唯一本と判明 
「朝鮮時代以前の千字文は初めて」

国内で最古の千字文の実物と判明したソウル霊国寺址から出土した高麗時代の石刻千字文破片には163・165・167区が刻まれている。2012年に出土した遺物で現在は漢城(ハンソン)百済博物館に所蔵されている=仏教文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社

 「おお、これは千字文です!国内最古の高麗時代唯一の本です。今まで見たことがない…」

 受話器から仏教文化財専門家のコギョン僧侶(松広寺聖宝博物館長)の興奮した声が聞こえてきた。

 昨年11月初め、曹渓宗仏教文化財研究所遺跡研究室のパク・チャンムンチーム長は、僧侶からの電話を受けてびっくり仰天した。数年前から調査してきたソウルの道峰山(トボンサン)麓にあった高麗時代の古刹、霊国寺址からの出土品の中から、精巧な文字が彫られた石片(石刻片)6点の判読を依頼したが、そのうちの一点が1000余年前の韓国最古の千字文実物と判明したという内容だった。

 10世紀頃の高麗初期のものと判明したこの千字文石刻は、2012年にソウル文化遺産研究院の調査で、寺の跡地から出土した遺物だ。研究所側が僧侶の説明を聞いて石刻を調べたところ、5~6世紀の中国の梁の文人、周興嗣が作った千字文 250区のうち163区、165区、167区の前句節の一部が彫られていることが明らかになった。「国の大本(おおもと)農桑(のうそう)にあり」という意味の163区「治本於農」の「治本…」部分と、165区「はじめて田畑耕し起こし」という意味の「俶載南畝」の「俶載」、167区「稲が実れば新穀まつる」という意味の「税熟貢新」の「税熟…」部分が、見事で骨格の整った楷書字体で表記されていた。コギョン僧侶は「石刻文字を何度も見たが、千字文の後半部で見たことのある句ではと思い、持っている千字文の索引と対照してみたら当たっていた」として「国内にある千字文の実物は、朝鮮時代以前の版本がなく、画期的な国家文化財級の発見」と話した。

霊国寺址から出土した石刻千字文の拓本=仏教文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社

 書芸史家のイ・ワンウ韓国学中央研究院教授も「統一新羅から高麗初期まで流行した唐の名筆、歐陽詢の典型的な書体で、共に発見された高麗石経(石に刻んだ仏教経典)と書風、刻む方式、材質も同じで、高麗初期の遺物であることは確実だ」として「句の構成を見る時、1行に8文字ずつ刻んだことが分かっているが、当時は寺で僧侶の漢字学習のために使われたものと見られる」と推定した。

 韓国国内の学界は、周興嗣の千字文が朝鮮半島の三国に直ちに伝えられたと考えてきた。日本史書の日本書紀には、3世紀に百済の博士である王仁が日本に千字文を伝えたという記録があるが、周興嗣の千字文より早く、他の種類の千字文を伝えたものと見る見解が優勢だ。千字文実物の場合、広く知られた名筆である韓ホの「石峯千字文」(1583年初刊)をはじめ、朝鮮時代の版本のみが伝えられてきており、三国・高麗時代のものは皆無だった。15世紀、安平大君(アンピョンデグン)の楷書・草書本と死六臣(サユクシン)の一人である朴彭年が書いたという草書本が最古の文字本と言われてきたが、後代に板刻され続け使われた。最も古い版本は、1575年に作られた「光州版千字文」(日本の東京大所蔵)が挙げられてきたが、今回の石刻本の発見で千字文実物の歴史は500年以上遡ることになった。

 研究所側は、新たに判読された千字文石刻を12日に韓国木幹学会の発表会で学界に公開した。この席で千字文石刻を検討した石経研究者のチョ・ミヨン博士(円光大)は「書体を見ると、千字文石刻を刻んだ時期は統一新羅時期まで遡る可能性がある」と主張して、学界での新たな論議も予想される。

2012年に霊国寺址で千字文石刻本と共に出土した妙法蓮華経を刻んだ石経破片の一部。高麗時代に仏教経典を刻んだ石経遺物としては唯一のものだ。漢城百済博物館所蔵=仏教文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社

 研究所はこれと共に、2012年の発掘当時に千字文石刻と共に出土した他の石刻3点が「妙法蓮華経」を刻んだ高麗時代唯一の石経であることを明らかにし、2017年の出土品の中から、経典と教理の内容を描いて見せた「変相図」と推定される蓮花模様(蓮瓣文)が彫られた石刻1点も追加で確認したと説明した。現在、韓国国内に残っている古代石経は、求礼(クレ)の華厳寺(ファオムサ)の「華厳石経」と慶州(キョンジュ)の昌林寺(チャンニムサ)址から出た「法華石経」、慶州南山(ナムサン)の七仏庵から出た「金剛石経」のみだが、すべて統一新羅時代の遺物だ。

2017年に霊国寺址で出土した蓮花模様(蓮瓣文)を刻んだ石刻破片。石経に刻んだ仏教経典の内容を描くことで解説した「変相図」だったと推定される=仏教文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社
ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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古代人が邪鬼払いのために四方の壁に朱塗りをしたと推定しつつ、玄室の壁に朱塗りの跡が数多く発見される古代日本列島の古墳築造様式とも一定の関連性があるものと解釈している。

2019-11-29 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

1500年ぶりに開かれた伽耶の権力者の墓は朱で覆われていた

登録:2019-11-29 04:15

28日、蓋石開いた昌寧校洞63号墳の発掘現場 
中には土器と土で埋まった玄室 
石壁には泥を塗り朱塗りの跡が印象的 
朱塗りは邪鬼払いか

 
蓋石の下から現れた63号墳の玄室内部。盗掘されておらず、遺物の状態が良好。床には高杯、長頸壺など、様々な種類の「昌寧式土器」や金属製道具の欠片が土と混ざった状態で散らばっている//ハンギョレ新聞社
 
 
28日午前11時頃、慶尚南道昌寧邑校洞古墳群63号墳の発掘現場で、クレーンが3トンを超える蓋石を持ち上げている//ハンギョレ新聞社

 5世紀の伽耶の小国「非火伽耶」の権力者の大規模古墳が埋葬から1500年を経て初めて開かれた

 国立伽耶文化財研究所は28日午前11時頃、慶尚南道昌寧邑校里(チャンニョンウプ・キョリ)の校洞伽耶古墳群で、盗掘されていない状態で最近発見された大型古墳、63号墳の蓋石を開き、長さ6mを超える玄室内部を取材陣や学界の専門家に公開した。

 重さ2.8トン、3.8トンの蓋石2個をクレーンが引き揚げて現れた玄室の中は、長頸壺や蓋付きの高坏など、特有の昌寧式土器が、壁から崩れ落ちた土と混ざった状態で床を埋め尽くしていた。土器の間には、墓の主の身分の高さを象徴する農機具の一種であるサルポや鉄の鏃、馬具などと推定される金属製の遺物の欠片も点々と散らかっている。蓋石の内部には土器のない空間も見えたが、殉死者が安置された所と推定されると研究所は説明した。もうひとつの関心事である墓の主の人骨が残っているかどうかについては、幾重にも積み重なった土器と土を収拾し、洗浄してみなければわからないという回答が返ってきた。

 
63号墳の石室を覆っていた蓋石の一つがクレーンにつるされている。下に整えた小さめの石を積んだ玄室の両壁と土器で埋め尽くされた床が見える//ハンギョレ新聞社
 
 
国立伽耶研究所の学芸員が、蓋石が取り払われた後に現れた玄室の床を見ながら説明している//ハンギョレ新聞社
 
 
受話器のような形をした変わったデザインで視線を釘づけにする非火伽耶地域特有の燈盞形土器。昌寧校洞古墳群以外では見られない遺物//ハンギョレ新聞社
 
 
          受話器のようなデザインの非火伽耶地域特有の燈盞形土器//ハンギョレ新聞社

 小さく角張った石を積み上げて作った玄室の四方の壁にも注目だ。何よりも泥を全面に塗り、そのうえから朱を塗った跡が随所にはっきりと残っており、取材陣と専門家の目を引きつけた。蓋石を開ける前の内視鏡による事前調査でも確認された朱塗り跡は、63号墳の発掘作業で最も際立つ特徴とされる成果だ。他のどの古墳よりも朱塗りの範囲が広く、痕跡も明らかだという。研究所側は、古代人が邪鬼払いのために四方の壁に朱塗りをしたと推定しつつ、玄室の壁に朱塗りの跡が数多く発見される古代日本列島の古墳築造様式とも一定の関連性があるものと解釈している。

 発掘現場の下の臨時陳列台には、63号墳の近くの62号墳から出土した燈盞形象形土器が断然注目の的だった。電話の受話器あるいは天秤に似た胴体に2つの灯蓋の形をバランスよく載せたこの象形土器は、これまで見たことのない非火伽耶(ピファガヤ)の職人の独創的なデザインを誇っている。同研究所のパク・ジョンイク所長は「大型の伽耶古墳が全く盗掘されず、埋葬当時の状況を保ったまま発見されたのはほぼ前例がない。非火伽耶の葬送儀礼や生活史の復元に決定的な手がかりとなると期待している」と語った。玄室の床に厚く積み重なった土器や土の層を取り払えば、人骨や金冠、耳環、馬具のような重要な遺物が多数出現する可能性も相当あるというのが研究所側の見方だ。ヤン・スクチャ学芸室長は、2カ月ほどと予想される墓室の収拾作業に尽力する計画だと語った。

昌寧/文・写真/ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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