向日市自治功労者、大橋 満 の平和ト-ク・・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好交流促進
日本語版新聞紹介

安保ジレンマを避け、南北関係を再び軌道に乗せるためには、少なくとも二段階の対応が必要である。

2019-08-21 | 31独立運動の伝統を受け継いで

[ニュース分析]

南北は「安保ジレンマ」越えて信頼復元の道へ

登録:2019-08-21 05:29 修正:2019-08-21 07:17
 
今月5日、韓米合同軍事演習を控えて京畿道平沢市のキャンプ・ハンフリーズにヘリが待機している//ハンギョレ新聞社

 北朝鮮が「共和国を先制攻撃するための侵略戦争の火遊び」(「労働新聞」20日付6面)と非難してきた韓米合同軍事演習が20日に終わった。先送りにされてきた朝米実務交渉が再開し、停滞している南北関係にも風穴が開くという期待混じりの見通しが示されている。

 しかし、朝米実務交渉の再開はともかく、南北関係が再び軌道に乗るには、越えなければならない山が少なくない。何よりも南北の信頼水準が極めて低くなった。4・27板門店南北首脳会談以降に鳴りを潜めていた北朝鮮式の暴言が戻ってきたのは「危機の兆候」(外交安保分野の高官)だ。

 文在寅(ムン・ジェイン)大統領の8・15記念演説について、「茹でた牛の頭も仰天大笑(呆れて天に向かって大きく笑う)するようなもの」だと皮肉を言った祖国平和統一委員会報道官談話(16日)が代表的な事例だ。同談話は、文大統領を直接指して「珍しいほど厚かましい人」や「大きく笑わせる人」、「北側で狩猟銃の音が聞こえると、不安で漏らすくせに」など暴言を吐いた。北朝鮮側が「敬愛する最高指導者」と称賛する金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の「いつも今のように(文在寅大統領と)両手を固く握り合い、先頭に立って共に進む」(2018年9月19日、平壌首脳会談の記者会見)という約束と、全ての分野で「世界先進的レベル」(4月12日、最高人民会議の施政方針演説)を達成しようという訴えに反する冷戦敵対時期の悪習に戻ったのだ。「金委員長の不満と苛立ちに気づいた周りが先を争って暴言を吐き出している雰囲気」(高位の消息筋)という診断もある。北朝鮮の慢性的な暴言談話は主張の内容への集中を妨げる騒音であり、「皆を敗者にしかねない」(政府高官)という点で、懸念すべき兆候だ。

 朝鮮半島平和プロセスにおける韓国の役割を無視するような主張も問題だ。「外務省米国担当局長クォン・チョングン談話」(6月27日)の「朝米対話の当事者は我々(北朝鮮)と米国であり、南朝鮮当局が口出しするような問題ではない」という主張は、一見すると、北朝鮮側の伝統的な見解を再確認したようだが、実際には「甘ければ飲み込み、苦ければ吐き出す」前言翻しだ。昨年5月26日、板門店(パンムンジョム)統一閣で開かれた首脳会談の際、金委員長が「6月12日に予定されている朝米首脳会談のため、多くの努力を傾けてきた文在寅大統領の労苦に謝意を表した」という「労働新聞」の報道(2018年5月27日分1面)と衝突する内容だ。

 北朝鮮のこうした行動の背景には、進展の見られない朝米交渉と制裁に阻まれた南北協力に対する苛立ちと不満がある。情勢的には、韓米合同軍事演習と韓国の先端兵器の導入に対する発言(最終談話)と行動(ミサイル・放射砲の発射)レベルの反発と、内部反発を鎮静化させるための宣伝戦としての意味がある。何よりも深刻な問題は、韓米合同軍事演習と韓国の先端兵器の導入(F-35A、グローバルホークなど)と北朝鮮の相次ぐミサイル・放射砲発射実験があいまって、安保ジレンマの悪循環の兆しを見せているという点だ。「安保ジレンマ」とは、一方の安保能力の強化が他方の安保不安を刺激し、無限の軍備競争と両方の安保不安に帰結するという意味の国際政治学用語だ。「安保ジレンマの悪循環が本格化すれば、南北関係は破綻が避けられない」という懸念の声も高まっている。

 
北朝鮮が今月16日、再び金正恩国務委員長の指導のもと新しい兵器の試験射撃をしたとし、「朝鮮中央TV」が17日に報道した発射現場の画面で「北朝鮮版ATACMS」と呼ばれる短距離弾道ミサイルが無限軌道型の移動式発射台(TEL)から火炎と共に打ち上げられている//ハンギョレ新聞社

 安保ジレンマを避け、南北関係を再び軌道に乗せるためには、少なくとも二段階の対応が必要である。

 第一に、相互理解と配慮だ。今回の韓米合同指揮所演習は、戦時作戦統制権の早期移管に向けた検証が必要な事情が大きく作用した。戦作権の移管は、韓国の自己決定力を高め、米国の影響力を減らすという点で、朝鮮半島平和体制を構築する前に必ず解決すべき課題だ。南北協力を質的に飛躍させる礎といえる。韓国の先端兵器の導入は、戦作権の移管に備え、「核を持った北朝鮮」に対する安保不安心理を鎮める一方、軍事強国の中国や日本などを視野に入れた多目的対策の性格が強い。北朝鮮の軍備増強が「国の自主権と安全、人民の幸せな未来を堅固に担保していくための神聖な国防建設事業」(金正恩委員長、「労働新聞」17日付1面)なら、韓国だけに違う物差しを突き付ける理由はない。自分は何でも許されるが、相手は駄目という態度は信頼をむしばむ。

 韓国側も「北朝鮮の短距離(飛翔体)発射を問題視しないという宣言が必要だ」(元高官)という提案がある。北朝鮮の短距離弾道ミサイルの発射は、「弾道ミサイル技術を利用した追加発射」を禁じた国連対北朝鮮制裁決議違反だ。ただし、同規定が実際禁止しているのは短距離ミサイルではなく、人工衛星の発射を口実にした長距離弾道ミサイルの技術改良という点で、別の対応が必要だという指摘もある。ドナルド・トランプ大統領が北朝鮮の短距離ミサイル発射を「皆やっていること」だとし、取るに足らないという態度を示しているように、文在寅政府も「戦術兵器の短距離実験発射」がその重要度に反して、朝鮮半島情勢を揺るがす重要な要因となる悪循環の輪を断ち切るべきということだ。

 第二に、究極的には南北首脳が直接会ったり、代理人を通じて疎通することだ。「朝鮮半島の恒久的平和体制の構築」を目標に、「軍事緊張の緩和や戦争の危険の除去、段階的軍縮実現、根本的な敵対関係の解消」などを約束した4・27板門店宣言と9・19平壌共同宣言の精神を実践する道に戻る抜本的解決策を模索しなければならないという声が高まっている。文大統領から「力を通じた平和」(2018年9月14日、島山安昌浩艦の進水式での演説)を越え「平和は(力ではなく)、理解によってのみ達成できる」(6月12日、オスロフォーラムでの演説)という認識の実践に乗り出す必要がある。

イ・ジェフン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/906485.html韓国語原文入力:2019-08-20 22:57
訳H.J

関連記事

コメント

与党関係者だけでなく、ファン・ギョアン自由韓国党代表も「我々皆が一丸となり、金元大統領の大きな志に従うことを心より願っている」と追悼の辞を述べた。

2019-08-19 | 31独立運動の伝統を受け継いで

[社説]

韓日・朝鮮半島の荒波の中で振り返る金大中元大統領の“平和精神”

登録:2019-08-19 07:03 修正:2019-08-19 07:43
 
 
金大中大統領と小淵恵三首相が1998年10月、東京で首脳会談を行っている=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 18日で金大中(キム・デジュン)元大統領10周忌を迎えた。与野党の政治家たちが一様に追悼する場面が新鮮に感じられるほど時局は厳しいが、それだけ金元大統領が残した足跡は大きい。文在寅(ムン・ジェイン)大統領はフェイスブックに「歴史を恐れる真の勇気を改めて胸に刻む」としたうえで、「国民とともに平和と繁栄の朝鮮半島を必ず実現する」と決意する書き込みを残した。同日、ソウル顕忠院で開かれた追悼式では、ムン・ヒサン国会議長をはじめ、イ・ヘチャン共に民主党代表や李洛淵(イ・ナギョン)首相など、与党関係者だけでなく、ファン・ギョアン自由韓国党代表も「我々皆が一丸となり、金元大統領の大きな志に従うことを心より願っている」と追悼の辞を述べた。

 金元大統領は、朝鮮半島の平和と民主主義の進展に大きく貢献した。19年前、史上初の南北首脳会談と6・15南北共同宣言で第一歩を踏み出した朝鮮半島の平和と和解の気流は、紆余曲折はあったものの、それ以降3回の南北首脳会談と朝米首脳会談に続く南北米首脳の板門店(パンムンジョム)会合で、後戻りのできないものになっている。最近、北朝鮮のミサイル発射などで遅れてはいるものの、大枠で朝鮮半島の平和と非核化に向けた歩みは続いている。金剛山(クムガンサン)観光と開城(ケソン)工業団地は再会されていないが、南北は軍事合意で緊張緩和も一段階進展させた。冷戦体制の維持を図る国内外の既得権勢力は、依然として妨害を続けているが、国民ももはやそのような退行に簡単には動揺しない。ただし、平和を制度として定着させるまでは、まだ遠い道のりが残っている。金元大統領が示した根気と知恵を今一度胸に刻むべき時だ。

 韓日関係が“経済戦争”を彷彿とさせる最近の状況は、21年前の「金大中-小渕宣言」を振り返らせる。過去の歴史問題に対する日本首相の公式“謝罪”と日本大衆文化の開放に象徴される当時の「韓日共同宣言:21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」は、韓日関係を一段階前進させた画期的な宣言と評価された。金元大統領秘書室長出身のキム・ハンジョン共に民主党議員がハンギョレとのインタビューで明らかにしたように、「安倍首相に代表される日本の極右政治勢力が、小淵・小泉時代に行われた成果をすべて壊した」ことが今日の“戦争”の根本原因であることは言うまでもない。「日本会議」など日本の極右勢力は、中国の浮上と北朝鮮の核を口実に過去の“謝罪”を覆し、歴史教科書を修正し、「戦争できる国」に向けて改憲まで推し進めている。

 「書生的な問題意識」と「商人的な現実感覚」で半歩ずつ前へ進もうと呼びかけた金元大統領の経験と知恵が切に求められる今日この頃だ。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
コメント

「金大中救命運動」が大々的に行われた。当時の金元大統領の獄中書簡を見ると、日本国内の良心的勢力への愛情がうかがえる。

2019-08-15 | 31独立運動の伝統を受け継いで

金大中元大統領なら“韓日経済戦争”をどう受け止めるだろうか

登録:2019-08-14 08:58 修正:2019-08-14 16:50
 
金大中元大統領//ハンギョレ新聞社

 1998年の「金大中-小渕宣言」(「日韓共同宣言―21世紀に向けた新たなパートナーシップ」)で、韓日関係の発展の転機を作った金大中(キム・デジュン)元大統領なら、今回の日本の輸出規制による“韓日経済戦争”をどう受け止めるだろうか。

 13日、延世大学校・金大中図書館は1948年から1997年の大統領就任以前までの記録2015件を盛り込んだ『金大中全集第2部』を出版した。今回初めて公開された金元大統領の若い時代の記録を見ると、冷徹な批判意識とあたたかい連帯意識を同時に備えた金元大統領の対日認識がうかがえる。

 最近、韓日関係が硬直し再び注目されている「金大中-小渕宣言」は、当時、韓日両国が過去を直視しつつ未来を切り開いていくことで意見の一致を見た画期的な宣言として評価されている。韓日外交史上初めて、歴史に対する日本の反省と謝罪が公式合意文書に明示されただけでなく、未来志向的な韓日協力の方向も示された。これは、金元大統領が生涯をかけて築いてきた対日認識の結果と言える。

■韓日の友好を強調した現実主義者

 青年金大中は、日本を「手を携えるべき隣人」として見ていた現実主義者だった。停戦協定を締結しても北東アジア地域で銃声が止まなかった1953年10月、時事評論家の金大中が発表した「韓日友好の道」という寄稿文に、このような対日認識が明確に表れている。

 金元大統領は寄稿文で「共産侵略から(韓日)両国民族を救うため、一切の難関を克服し、両国民の友好団結が厳粛に求められる」と書いた。韓国の安保と国益のため、「自由陣営の一員」であり、「太平洋反共同盟でともに中枢的役割を果たすべき」日本との関係正常化は欠かせないという認識に基づいている。1964年、野党政治家たちが朴正煕(パク・チョンヒ)政権の韓日国交正常化を“売国”と批判し、激しく反対する時にも、青年政治家金大中はこのような見解を曲げなかった。

 もちろん、金元大統領が望む国交正常化には前提条件があった。ほかならぬ日本の態度の変化だった。金元大統領は寄稿文で「(日本の)傲慢な態度に目をつむり、握手の手を差し出すことは、民族の自尊心が許さないことはもちろん、両国の友好協力のためにも、決して目的を達成することができないだろう」とし、「日本の正しくない態度の是正を得なければ、真に永遠な両国親善の堅固な基礎を築くことはできない」と主張した。

 
      「韓日友好の道―上」(1953年)=延世大学校・金大中図書館提供//ハンギョレ新聞社

■日本政界に対する真心からの助言

 金元大統領は、日本を単純に批判することだけに止まらなかった。彼は1972年に朴正煕元大統領が維新を宣言した後から、1973年8月に朴正煕政権によって東京で拉致される前まで日本に滞在し、様々な方法で日本社会に向けて真心からの助言を惜しまなかった。アジアで日本の占める立地を戦略的に認めながら、日本をより肯定的な方向に導こうという積極的な努力だった。

 金元大統領は1973年1月、日本の「中央公論」に掲載された「祖国韓国の悲痛な現実-独裁政治のドミノ的波及」という題名の寄稿文を通じて、アジアの中心に立った日本の影響力を認めると同時に、日本に責任感を求めた。「アジア各国民は複雑な眼差しで日本を見つめている。日本は自分だけ金持ちになればいいと思うだけで、(アジアの他の国々と)共に生きていこうとはしない立場」だと一喝した。また「日本はアジア各国での民主主義の定着および発展こそアジアの未来を決定する基本要件であることを深刻に認識しなければならない」とし、「アジア民主共同体」の組織を提案した。

■日本の良心的勢力への愛情も

 1980年、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権が金元大統領に死刑を宣告したことで、「金大中」が韓日連帯の輪となったこともあった。当時、日本では金元大統領が1973年8月に東京のあるホテルで朴正煕政権によって拉致され、死の淵をさまよった事実が知られ、「金大中救命運動」が大々的に行われた。当時の金元大統領の獄中書簡を見ると、日本国内の良心的勢力への愛情がうかがえる。

 金元大統領は1983年の獄中書簡で、日本国民に対して感謝の意を表しながら、韓日両国の市民社会レベルの交流を開拓しようと主張した。金元大統領は「日本で私のために数百万の署名運動が行われ、あちこちでデモが起きていることを知り、私がどれほど大きく鼓舞され、感謝をしたか」としたうえで、「何重にも閉ざされた韓日両国国民の間の門を、志高い同志との協力で一日も早く開かなければならない」と書いた。

『金大中 獄中書簡』日本語版序文の直筆の草稿(1983年)=延世大学校・金大中図書館提供//ハンギョレ新聞社
イ・ジヘ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/politics/assembly/905593.html韓国語原文入力:2019-08-13 21:13
訳H.J

関連記事

コメント

韓日協定を絶対的準拠のように掲げ、韓国政府を批判し、日本政府を擁護する人々は、正しい歴史意識も、常識的な法感情も欠如した人々だ。

2019-07-29 | 31独立運動の伝統を受け継いで

[寄稿]韓国と日本、真の和解は可能か

登録:2019-07-29 07:03 修正:2019-07-29 10:28
 
 
27日夕方、596団体が集まった「安倍糾弾市民行動」が準備した「歴史歪曲、経済侵略、平和を脅かす安倍政権糾弾第2回ろうそく文化祭」がソウルの光化門広場で開かれた=キム・ジョンヒョ記者//ハンギョレ新聞社

 2012年にノーベル平和賞が欧州連合に与えられたことを知っている人は多いが、その賞の「影の」受賞者がドイツとフランスだったという事実を知っている人は多くない。2012~2013年は「ドイツ・フランスの年」だった。50年前の1962年にドイツとフランスの和解の試みが本格化し、ついに1963年1月23日、パリのエリゼ宮で独仏協定、すなわち「エリゼ条約」が締結されたことを記念する意味だった。2012年にノーベル平和賞が欧州連合に授与されたのは、実のところ、ドイツとフランスの和解が欧州の平和をもたらした欧州連合を誕生させたことを国際的に認めたものであった。

 周知のようにドイツとフランスは歴史的に「不倶戴天の敵」だった。1870年から1945年の間に3回の大きな戦争を起こした。1870年普仏戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦がそれだ。このような敵対の歴史を持つ両国が「和解」することで、ついに「戦争の大陸」欧州が「平和の大陸」に変貌し、ひいては一つの「国家連合」に統合されるようになったのだ。

 ドイツとフランスはもはや「不倶戴天の敵」(Erbfeind)から「親友」(Erbfreund)になった。ジスカール・デスタンとヘルムート・シュミット、フランソワ・ミッテランとヘルムート・コールなど両国の首脳らは、政治路線と国家利益を超えて固い友情を積み、両国の都市間には2500件を超える姉妹提携が結ばれ、800万人を超えるドイツとフランスの若者たちが相互交流を行ったすえ、ついに歴史教科書まで共同執筆する仲になった。だからドイツ人とフランス人が互いを「最も好きな隣人」に選ぶのも全くおかしくない。

 ドイツとフランスの和解の歴史を振り返り、最近激化している韓日の葛藤を考える。韓国と日本もドイツとフランスのように和解できないのか。1965年「韓日協定」に基づいた現在の条件では、韓国と日本が真の和解を果たすのは難しそうだ。その理由は三つだ。

 第一に、韓日協定の主導者が歴史的正当性を欠いていたためだ。1963年の普仏協定と1965年の韓日協定の決定的な違いは、被害国の首長の歴史的象徴性にある。フランスのドゴールはレジスタンスの指導者であり、韓国の朴正煕(パク・チョンヒ)は日本軍将校だった。ブラントがナチスの過去を清算して周辺国と和解することができたのは、彼がワルシャワのゲットーで跪いたからではなく、誰よりも熾烈にナチスに立ち向かって戦った「反ナチ闘士」だったからだ。

 第二に、韓日協定は「強要された和解」の産物だった。サンフランシスコ条約の後続措置として、韓日条約は冷戦時代の米国の軍事戦略的考慮によって強要されたものであり、韓日間の真の和解が作り出した結果物ではなかった。

 第三に、韓日協定は国民の同意に基づいた条約ではなかった。協定に反対する大規模なデモが繰り返されたのは、韓日協定が国民の意思に逆らう「官制協定」だったからだ。

 その上、韓日協定は反省しない日本の右翼と省察のない韓国の保守の「偽りの和解」の産物だった。このため、韓日協定を絶対的準拠のように掲げ、韓国政府を批判し、日本政府を擁護する人々は、正しい歴史意識も、常識的な法感情も欠如した人々だ。

 現在の韓日の対立は、表面的には日本の輸出規制のために触発されたが、深層的にはこの一世紀の間に累積された敵対的反感が爆発したものだ。事実、解放後の韓日間で真の和解の試みは全くなかった。冷戦時代に「軍事同盟」という名のうわべに隠されていた敵対感が、冷戦に寄生する韓国の保守と日本の極右の結託で水面下に隠されていた対立が、もはや冷戦体制が解体する新たな局面を迎え、ついに水面上に浮び上がったのだ。

 「独立運動はできなかったが、不買運動はする」という国民の正当な怒りが希望だ。これが過去清算と北東アジアの平和の成熟した政治意識に昇華できるよう、民主市民教育が活性化しなければならない。

               
                    キム・ヌリ 中央大学教授・独文学//ハンギョレ新聞社

 これ以上米国に仲裁を乞うてはならない。それは、最良の場合でも冷戦的過去の秩序への回帰を生むだけだ。韓日の対立の究極的解決は過去への回帰ではなく、未来への跳躍を通じてのみ可能だ。「日本が北東アジアの安保協力の根幹を揺るがす」というように冷戦秩序の崩壊を懸念するのではなく、脱冷戦の新たな北東アジアの秩序を模索しなければならない。真の和解が可能になるには、韓日新協定の締結を通じて新たな韓日関係が築かれなければならない。

キム・ヌリ 中央大学教授・独文学 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
コメント

武藤元大使とユ元長官がそれぞれ三菱の顧問を務め、その法律代理人であるキム・アンド・チャンの一員だった

2019-07-22 | 31独立運動の伝統を受け継いで

“戦犯企業”代弁する武藤、ユ・ミョンファン…

韓国紙のインタビューで韓国批判

登録:2019-07-22 06:44 修正:2019-07-22 07:41
 
武藤元駐韓大使、「中央日報」とインタビュー 
2013年から三菱の顧問務める 
 
ユ元外交部長官「韓国経済」とインタビュー 
キム・アンド・チャンの「徴用事件対応チーム」に所属

 
2017年、『韓国人に生まれなくてよかった』という本を書いた武藤正敏元韓国大使=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 「今になってこうした判決が出たこと自体が理解できない。日本ならこのような判決は出ない」

 今月19日、武藤正敏元韓国大使が「中央日報」のインタビューで述べた意見だ。武藤元大使は、日本戦犯企業の強制徴用、賠償責任を認めた昨年韓国最高裁(大法院)の判決を批判しながら、韓日慰安婦の合意と強制徴用問題に対する文在寅(ムン・ジェイン)政府の取り組みについて、「合意を覆したもの」だと主張した。

 ユ・ミョンファン元外交通商部長官は同日、「韓国経済」に掲載されたインタビュー記事で、「外交の失踪」を懸念した。ソン・ミンスンなど歴代外交部長官4人が参加した“匿名”のインタビューで、ユ元長官は韓国政府の現実認識と対処が不十分であるという認識を示した。

 三菱、新日鉄住金(現日本製鉄)など日本戦犯企業側に立って強制徴用賠償問題の解決策を模索した武藤元大使とユ元長官が最近、元韓国大使、元外交部長官の肩書きを掲げ、韓国社会に“指導”を施している。戦犯企業の側に立っていた彼らの経歴が隠され、現在の状況に対する一方的な主張だけが伝えられるのは不適切だという指摘もある。両紙の記事で、武藤元大使とユ元長官がそれぞれ三菱の顧問を務め、その法律代理人であるキム・アンド・チャンの一員だったという内容は明らかになっていない。

 21日、ヤン・スンテ前最高裁長官などの公訴状によると、2010~2012年に駐韓大使を務めた武藤氏は2013年1月から戦犯企業三菱の顧問に就任した。その後、彼は三菱を代理したキム・アンド・チャンを通じて韓国政府関係者と接触しようとした。司法壟断裁判で公開されたキム・アンド・チャン所属のチョ・グィジャン弁護士の電子メールには、キム・アンド・チャン側は武藤元大使の訪韓日程を調整する際、「顧問(武藤元大使)は一介の企業ではなく、両国政府の政治的解決が必要ではないかと考えている」、「(武藤元大使が)ヒョン・ホンジュ、ユン・ビョンセ、ユ・ミョンファン氏と話したがっている」という内容がある。ユ元長官とユン元長官は当時、キム・アンド・チャン顧問を務めていた。

 実際、その年1月28日に武藤氏は、朴槿恵(パク・クネ)政権の初代外交長官が有力視されていたユン前長官に会った。検察はこの場で2人が「政治的解決」を通じて、最高裁の2012年の判決の結論を請求棄却で終わらせる対策を議論したものと見ている。

 2008~2010年に外交部長官を務めたユ元長官は2011年からキム・アンド・チャンの顧問として活動した。彼は2014年11月、ヒョン・ホンジュ元駐米大使などとキム・アンド・チャンに構成された「徴用事件対応チーム」に所属し、ユン・ビョンセ当時長官に数回接触した。韓日フォーラムの韓国側会長を務めたユ元長官は2015年6月、森喜朗元首相やイ・ホング元首相などと共に朴槿恵大統領と面会し、「2012年の判決をこのまま放置してはならない。政治的に解決すべきだ」という意見を伝えた。ユ元長官は最近、ヤン・スンテ前最高裁長官の裁判で証人として召喚されたが、「日本での講演日程のため出席できない」という理由で欠席事由書を提出した。

 チェ・ボンテ弁護士(強制動員被害者損害賠償訴訟代理人団および支援団)は、「戦犯企業を代弁していた人たちが過去を隠し、まるで中立的な立場にあるかのようにマスコミのインタビューに応じるのは『盗人猛々しい』と言わざるを得ない」と指摘した。

コ・ハンソル記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/902703.html韓国語原文入力:2019-07-21 20:24
訳H.J

関連記事

コメント

朝鮮半島の平和に向けた大胆な道のりが、いい結果をもたらすよう、文在寅大統領は最善を尽くしている」と述べた。

2019-07-01 | 31独立運動の伝統を受け継いで

文大統領が“お膳立て”した板門店の「脚本のないドラマ」

登録:2019-07-01 01:29 修正:2019-07-01 08:15

南北米首脳、板門店で会合 
 
文大統領の仲裁が大きな役割 
朝米対話促す“助力者”の役割に徹する  
朝鮮半島平和への大胆な道のりに弾み

 
北朝鮮の金正恩国務委員長が30日、板門店の南側の自由の家でドナルド・トランプ米大統領と会談を終えた後、軍事境界線で文在寅大統領とトランプ大統領の見送りを受けている=大統領府写真記者団//ハンギョレ新聞社

 文在寅(ムン・ジェイン)大統領は今回の南北米板門店(パンムンジョム)会合をお膳立てする役割を果たした。ドナルド・トランプ米大統領が主要20カ国・地域(G20)首脳会議に出席するために日本に来る機会を逃さず、韓国訪問を要請し、トランプ大統領が「会おう」とツイートできる物理的空間を開いた。朝米関係を主導することはできないが、いわゆる“促進者”の役割はできることを、今回の会合で示したわけだ。

 文大統領は30日午前、トランプ大統領との会談でも、「私は(非武装地帯に)同行する予定だが、今日対話の中心は米国と北朝鮮なので、金正恩委員長との対話が大きな進展を果たし、良い結果が得られることを願う」として、一歩下がった。トランプ大統領が来年の大統領選挙を控え、政治的成果が必要な時期であることなどを十分に考慮した対応だ。トランプ大統領も「我々が成し遂げたことについて皆が尊重してくれたわけではないが、我々が行なったことはまぎれもなく素晴らしいことだと思う」と述べ、文大統領の努力があったことをほのめかした。

 文大統領は同日午後、板門店での朝米対話の際も、“脇役”に徹した。文大統領はトランプ大統領と金委員長の軍事境界線での対面に登場せず、南側の「自由の家」に移動する前に初めて両首脳と挨拶を交わした。

 また、文大統領は板門店に向かう前に立ち寄った非武装地帯のオーレット監視警戒所の展望台で、トランプ大統領に南北経済協力の象徴だった開城(ケソン)工業団地について詳しく説明した。文大統領は「開城工団の場合は、韓国資本と技術が入って南北経済にもプラスになり、南北和解の雰囲気づくりにも役立つだけでなく、(北朝鮮が)前方部隊を開城工業団地の北側に移転したため、韓国の安保にも役立つ」と述べた。開城工団の再稼働は北朝鮮の関心事でもある。

 
文在寅大統領と北朝鮮の金正恩国務委員長、ドナルド・トランプ米大統領が6月30日、京畿道坡州の板門店共同警備区域(JSA)の自由の家の前で話し合っている=大統領府写真記者団//ハンギョレ新聞社

 ユン・ドハン大統領府国民疎通首席は同日、朝米首脳会談後の記者会見で、「しばらく停滞していた朝米交渉にも弾みがつくものと期待している。朝鮮半島の平和に向けた大胆な道のりが、いい結果をもたらすよう、文在寅大統領は最善を尽くしている」と述べた。

 文大統領が、板門店3者会合を通じて、朝鮮半島平和プロセスを対話で率いる動力を確実に充電したことは確かだ。

イ・ワン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
コメント

朝鮮半島の平和に向けた李理事長の努力や金正恩委員長との縁などを考えると、北朝鮮側が高官級弔問団を派遣する可能性が高いと見られる。

2019-06-12 | 31独立運動の伝統を受け継いで

李姫鎬理事長、南北の間を取り持つ

“最後の贈り物”残すか?北朝鮮が弔問する可能性も

登録:2019-06-12 05:40 修正:2019-06-12 06:07

 
李姫鎬・金大中平和センター理事長(左)が2011年12月26日、平壌の錦繍山記念宮殿で金正恩副委員長に哀悼の意を表している//ハンギョレ新聞社

 女性の人権伸張や民主化、朝鮮半島の平和のため、生涯を捧げた李姫鎬(イ・ヒホ)金大中平和センター理事長が、南北の間を取り持つ“最後の贈り物”を残すだろうか。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が、高官級の弔問団を派遣する場合、膠着局面を打開する当局間の高官級対話につながる可能性もある。統一部は「李姫鎬女史葬儀委員会」の要請で、11日午前、南北共同連絡事務所を通じて北朝鮮側に故人の訃報を伝えた。

 李姫鎬理事長は、金正恩委員長に直接会った最初の南側の人物であり、北朝鮮とも深い縁がある。李理事長は2011年12月の金正日(キム・ジョンイル)総書記が死去した際、平壌(ピョンヤン)の錦繍山記念宮殿(現錦繍山太陽宮殿)を訪れ、金正恩委員長にお悔やみを述べるなど、直接弔問した。当時、金委員長は「遠くから来て下さり、ありがとうございます」と謝意を表し、李理事長の宿泊先を、2000年に史上初の南北首脳会談が行われた百花園招待所(迎賓館)にするなど、手厚く礼遇した。李理事長は、金委員長の招待で2015年8月にも訪朝したが、悪化した情勢のため、面会は実現しなかった。

 
2009年8月21日、キム・ギナム労働党中央委員会書記とキム・ヤンゴン統一戦線部長ら、北側の弔問使節団が国会に設けられた金大中元前大統領の殯所に献花・焼香している//ハンギョレ新聞社

 朝鮮半島の平和に向けた李理事長の努力や金正恩委員長との縁などを考えると、北朝鮮側が高官級弔問団を派遣する可能性が高いと見られる。ただし、北朝鮮側が最近、「抜本問題の解決」を主張し、韓国に対する圧迫を高めてきたことから、高官級の当局対話を前提にした弔問団派遣カードを出すのに負担を感じるだろうという悲観的な見通しもある。統一部当局者は「予断はできない」と述べた。北朝鮮が高官級の弔問団を送ってきたとしても、文在寅(ムン・ジェイン)大統領を表敬訪問する可能性は低い。李理事長の告別式は14日の朝だが、北欧3カ国を歴訪中の文大統領は16日正午ごろ帰国する予定であるからだ。

 これに先立ち、金大中(キム・デジュン)元大統領の死去(2009年8月18日)の際は、キム・ギナム労働党中央委書記やキム・ヤンゴン統一戦線部長など、高官級の弔問団が訪韓し、李明博(イ・ミョンバク)大統領への表敬訪問も行われた。北朝鮮は、チョン・ジュヨン現代グループ名誉会長が亡くなった際(2001年3月21日)、ソン・ホギョン朝鮮アジア太平洋平和委員会副委員長などによる史上初の弔問団を派遣した。一方、盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領が他界した際(2009年5月23日)は、弔問団を派遣せず、金正日総書記が弔電を送るのにとどまったが、切迫した第2回核実験(2009年5月25日)など、悪化した情勢が影響を与えたという分析が多い。

ノ・ジウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
コメント

第二の長期的な道は、市民社会の組織的基盤を強化するために政治的投資をする必要がある。

2019-05-27 | 31独立運動の伝統を受け継いで

[インタビュー]

「ろうそくデモなど市民社会の揮発性が高まる…

組織的基盤の強化を」

登録:2019-05-27 09:27 修正:2019-05-27 09:54

盧武鉉元大統領逝去後、市民社会の変化を評価 
個人化・情報化でネットワーク型に変化 
爆発力の極大化に発展 
 
「支持行動も瞬く間だが、支持撤回も引き潮のように現れ」 
「長期的政策課題の推進は揺るがないよう市民社会の強化を」

 
              シン・ジヌク中央大学教授//ハンギョレ新聞社

 シン・ジヌク中央大学教授(社会学)が、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領逝去10周忌を迎え、盧元大統領の後、改革政府が成功するためには「市民社会の組織的基盤を強化することに投資し、支持層が引き潮のように流出するのを防がなければならない」と述べた。ハンギョレは盧元大統領逝去後の10年、彼が夢見た「進歩主義」はどれほど私たちにとって現実になったのか調べるため、イ・ジョンウ韓国奨学財団理事長に続き、シン・ジヌク教授を22日インタビューした。シン教授は、盧元大統領以降、「過去10年間、市民社会の政治への参加方式は組織化の程度が強化されたというよりは、ネットワークの行動様式に変わった」、「市民社会の基盤を強化してこそ福祉や労働などの政策課題を揺るがず推進できる」と話した。

 -盧元大統領は遺稿集『進歩の未来』で市民の重要性を強調した。盧元大統領後、韓国の市民社会の変化はあったのか。

 「盧元大統領は“組織された”市民の力を強調したが、市民の力がこの10年間で飛躍的に成功したことは確かだ。ところが、組織された市民が基盤になったというよりは違う様相で展開された。ネットワーク市民というが、オンラインやSNS、または社会的なネットワークを通じての活動が出てきた。組織とは違う。若い世代はますます“組織人間”になることを拒否する。組織のメンバーとして自分の位置が固定され、組織の中で自分に負担が生じる選択の制約が生じることを嫌う傾向がある。この10年間、市民社会の政治への参加方式は、情報化とともにネットワークの行動様式に変わって発展し、政治的な爆発力が大きくなり、制度政治に市民たちが影響を行使できる力は飛躍的に増えた。(しかし)その裏には、組織化を通じて期待できる堅固さ、持続可能性、献身は弱くなった。つまり、イシューが発生した時は爆発的に市民大衆が参加することは増えたが、イシューが消滅した後は日常に戻るという両面性がある」

 
朴槿恵政権退陣非常国民行動記録記念委員会主催のろうそくデモ1周年記念大会が、2017年10月28日午後ソウルの光化門広場で「ろうそくは続く」を主題に開かれている=イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社

 -以前のインタビューで、盧武鉉政府は序盤には支持者らの政治改革への熱望があったが、その後は疲労感が大きかったという。文在寅(ムン・ジェイン)政府はこのようなことを繰り返してはいないか。

 「ある程度参与政府(盧武鉉政府)の過ちを繰り返しているわけではない。繰り返しているのは北朝鮮問題だと思う。北朝鮮政策の面で、今の政府の役割がどれほど重要かは同意する。しかし、国内で支持を受けるためには政府が対北朝鮮政策だけに全てを賭けているという印象を与えてはならない。朝鮮半島の百年後の未来のためにあまりにも重要だが、明日食べていくことができなければ何の意味があるか。生活問題をなおざりにし、北朝鮮問題だけ重要視すれば、自由韓国党の支持率が上がる。いま30%近くまで支持率が回復したのもこのためだ。最近、文在寅政府で数カ月前から雇用の話を続けていることも、国民の政策に対する支持基盤を広げるためだと思う」

-市民社会がネットワーク型に変わったのも文在寅政府が参考にする必要があるようだ。

 「市民社会が厚ければ、政府と政党がどんな行動を取っても、どんな政治的状況が来ても世論が大きな変動なく維持される。組織化されていて立場を容易に変えられない。しかし、韓国は労組組織率がかろうじて10%程度であり、市民団体に対する信頼度も1990年代に比べ大幅に低下しており、平均的に2年に一度ずつ引っ越しをするので地域社会も弱く、組織された層が非常に薄いのが特徴だ。それに対する解決策は、前述のように流動的で開放的なネットワーク型の政治参加を高度に発展させることだった。

 しかし、躍動性の裏には揮発性がある。この政権はダメだと引きずり出すのは爆発的な大衆行動を通じて貫徹するが、『ここでもない』という気がしたとき、政権に対する支持を撤回して支持層が退却することもとても迅速に行われる。組織化された市民社会が厚ければ長い時間をかけて現れるが、韓国のように躍動性の強いところは支持行動も瞬く間だが、撤回も早い」

 -それでは、迅速に離れていく可能性のある支持層を確保するために、彼らが必要なことをすべきだろうか。

 「二つの道がある。短期的かつ即刻に世論の行方をモニタリングしながら(彼らに)応えることは、政権の支持基盤を維持することにとっては決定的だ。これはいま大統領府もわかっているようだ。第二の長期的な道は、市民社会の組織的基盤を強化するために政治的投資をする必要がある。組織基盤が弱いということを与えられた運命のように受け入れては、民主主義が健全に進むことはできない。短期的な対応だけでは長期的な政策を推進することはできない。

 (現政権でも)福祉や労働政策は地方選挙まで待ってほしいと言っていた。地方選挙が終わると、総選挙だけは勝とうと言っている。総選挙で勝てば政権をまた創出し、その時にしっかりやろうと言うだろう。ずっと猶予し続ける。世論の負担を背負っても必ず推進しなければならない政策課題を引き続き猶予すれば、大統領選挙後にも同じ状況を繰り返す可能性が高い。(それで)政権を握っている間、市民社会の組織的土台を自ら強化できるように法的根拠や財政補助などをしなければならない。市民社会の土台を厚くすれば、その分そのときどきに世論に踊らされる程度を下げることができる」

イ・ワン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
コメント

盧武鉉元大統領とブッシュ元大統領は、在任当時10回余り会った。2003~2007年に在任した盧元大統領は、2001~2009年に在任したブッシュ元大統領と在任期間が5年重なる。

2019-05-24 | 31独立運動の伝統を受け継いで

ブッシュ元大統領「盧武鉉は勇気をもって主張した指導者」追悼の辞

登録:2019-05-23 22:30 修正:2019-05-24 07:24

盧元大統領10周忌追悼式に参加し 
「彼の人生を皆さんと共に追慕でき、この上なく光栄」

 
ジョージ・W・ブッシュ元米大統領が23日、慶尚南道金海市の烽下村で開かれた盧武鉉元大統領10周忌追悼式に参加して、故盧武鉉元大統領の墓に参拝している=金海/共同取材写真//ハンギョレ新聞社

 「私は盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領を描く時、人権に献身した盧元大統領を思い浮かべました。親切で暖かく、すべての国民の基本権を尊重された方を思って描きました」

 23日、慶尚南道金海市(キムヘシ)烽下(ボンハ)村の盧武鉉元大統領墓地で開かれた盧元大統領10周忌追悼式に参加したジョージ・W・ブッシュ元米大統領は、追悼の辞で「故・盧武鉉元大統領の生涯を皆さんと共に追慕できてこの上なく光栄」だとし、「最近描いた盧元大統領の肖像画を遺族に差し上げた」として、このように明らかにした。これに先立って盧武鉉財団は昨年12月、盧元大統領の肖像画を製作したいというブッシュ元大統領側の意志に接し、両首脳が一緒に撮影した写真など14枚の写真を渡した。

 
      ジョージ・W・ブッシュ元米大統領が描いた盧武鉉元大統領の肖像画=盧武鉉財団提供//ハンギョレ新聞社

 盧武鉉元大統領とブッシュ元大統領は、在任当時10回余り会った。2003~2007年に在任した盧元大統領は、2001~2009年に在任したブッシュ元大統領と在任期間が5年重なる。ブッシュ元大統領は続けて「今日、私は韓国の人権に対するあの方のビジョンが国境を超えて北にまで伝えられることを心から望む」として「米国は、すべての韓国人が平和に暮らし、人間の尊厳が尊重され、民主主義が広がり、皆のための基本権が尊重される統一韓国を支持する」と明らかにした。

 これに先立ってブッシュ元大統領が「私は(さきほど)大統領府からここに来たが、元秘書室長の歓待を受けた。元秘書室長が皆さんの現在の大統領だ」として追悼の辞を始めると、1万3千人余りが参加した客席からは拍手と歓呼が溢れ、追悼の辞の途中にも拍手の音は続いた。

 
ジョージ・W・ブッシュ元米大統領が23日午後、慶尚南道金海市進永邑の烽下村で開かれた盧武鉉元大統領10周忌追悼式で追悼の辞を終え、クォン・ヤンスク女史を抱擁し慰労している=金海/共同取材写真//ハンギョレ新聞社

 ブッシュ元大統領はまた「私はまた、勇気をもって主張した指導者の姿を描いた」と明らかにした。彼は「(盧元大統領が)声を上げる対象は米国大統領も例外でなかった。通常の指導者と同じように盧元大統領は国益のためにすべてのことに拒まずに声を上げた」として「もちろん意見の差はあったが、そうした差異点は韓米同盟の重要性以上に優先される価値ではない。(互いに)同盟を強固にするために努力した」と説明した。

 ブッシュ元大統領は、2003年に韓国がイラク戦争に派兵したことにも言及した。彼は「盧大統領の任期中、大韓民国はテロとの戦争に参加した重要な同盟国だった。米国はイラク自由守護戦争に対する大韓民国の寄与を忘れないだろう」と話した。

 盧元大統領の在任中である2007年に締結した韓米自由貿易協定(FTA)に対する言及もあった。ブッシュ元大統領は「私たちはまた、記念碑的な自由貿易協定を交渉し締結した。両国は世界最大の貿易交易国としてお互いを頼り、両国の経済に大きく寄与した」として「両国の交流を促進するために、大韓民国をビザ免除プログラムに含ませもした。また、韓国の国際舞台での地位を認めるための決定で、韓国をG20国家に含ませた」と話した。

 彼はさらに「私は盧元大統領を描く時、謙虚な方を描いた」と話した。彼は「あの方の立派な成果と業績にもかかわらず最も重要だったのは、彼の価値、家族、国家、そして共同体であった」と付け加えた。彼は続けて「盧元大統領がこの世を去る時、小さな碑石だけ立てよと書いた。それでも皆さんはもっと大切な敬意の心をもって共にされたことに対し、深い感謝の言葉を伝える」と明らかにした。

キム・ギュナム、ソ・ヨンジ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
コメント

米国は、対北朝鮮圧迫と人道支援を連係させるな、という国際社会と人道支援団体の要求に負担を感じてきたという。。

2019-05-10 | 31独立運動の伝統を受け継いで

対北朝鮮食糧支援で朝米対話の種火を生かす

登録:2019-05-08 21:16 修正:2019-05-09 07:56
 
韓米首脳通話で必要性に共感 
大統領府・政府、具体的方案準備に着手 
「国際社会と緊密に協力し推進」 
北側の交渉復帰を説得する名分確保

 
  文在寅大統領が7日、ドナルド・トランプ米大統領と通話している=大統領府提供//ハンギョレ新聞社

 韓国と米国の首脳が人道的次元の対北朝鮮食糧支援の必要性に共感し、大統領府と韓国政府が8日、具体的方案の準備に着手した。2月に行われたハノイでの2回目の首脳会談の後、膠着状態に陥った朝米対話を食糧支援を媒介に再開しようという韓・米首脳の意志が反映されたものと分析される。

 ドナルド・トランプ大統領は前日夜、文在寅(ムン・ジェイン)大統領との通話で「韓国が人道的次元で北朝鮮に食糧を提供することは、非常にタイミングも適切で肯定的措置になるだろうと評価し支持する」と話した。両首脳は、最近世界食糧計画(WFP)と国連食料農業機関(FAO)が発表した北朝鮮の食糧不足実態報告書に関して意見を交わし、人道支援の必要性に共感したという。両機関は、今年北朝鮮で159万トン程度の食糧が不足すると見通した。米国は、これまで医薬品などきわめて一部の品目を除き、食糧などを支援することには否定的だったが、「対北朝鮮圧迫と人道支援を連係させるな」という国際社会と人道支援団体の要求に負担を感じてきたという。

 両首脳の意思が確認されたことにより、大統領府と政府は人道的な食糧支援を公式化し、実行方案の準備に入った。大統領府の核心関係者は「どんな品目をどんな方法でどれくらい支援するかなど、すべての事案の議論に入らなければならない段階なので、まだ確定したことはない」とし、「二つの国連機関が(北朝鮮の)子どもと家族が現在の厳しい時期を耐えられるよう助けるべきだといっただけに、私たちもそのように把握している」と明らかにした。彼は「国際機関を通じて支援するのか、(韓国が)直接支援するのかなども議論が必要な部分」と付け加えた。

 イ・サンミン統一部報道官も「国際社会と緊密に協力して北朝鮮の住民に対する人道的な食糧支援を推進していく」と話した。政府は、支援の過程で国際社会との協力はもちろん、朝鮮半島周辺関連国との共感形成に努力を傾ける方針だ。

 大統領府と政府は、食糧支援を契機に朝米非核化対話の糸口が見つかることを期待している。特に、4日に韓・米が北朝鮮の短距離飛翔体の発射に節制された反応を出したのに続き、人道的次元の食糧支援まで再開し、北朝鮮に対話のテーブルへの復帰を説得する名分を確保したというのが大統領府側の判断だ。大統領府関係者は「いま最も重要なことは、南北米間の対話の動力を維持すること」とし「北朝鮮の期待には不十分だろうが、現実的なアプローチで今後の対話の糸口を見つけるという意味がある」と話した。

 一方、この日訪韓したスティーブン・ビーガン北朝鮮政策特別代表は、イ・ドフン外交部朝鮮半島平和交渉本部長と大統領府関係者らに会い、対北朝鮮食糧支援問題を議論するものと見られる。

ソン・ヨンチョル、ノ・ジウォン記者、ワシントン/ファン・ジュンボム特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
コメント

市民軍たちの声を借りて、私のような若い世代が5・18を身近に思えるようにしたかった。

2019-05-09 | 31独立運動の伝統を受け継いで

5・18光州抗争市民軍のその後を追う…

ドキュメンタリー映画「キム君」23日に封切

登録:2019-05-08 09:33 修正:2019-05-08 12:13

カン・サンウ監督のドキュメンタリー『キム君』、10日に光州で試写会 
5年前に5・18記録写真の中の銃を持った人物を追跡して記録  
「5・18を知らない若者たちが理解するきっかけになれば」

 
カン・サンウ監督の映画『キム君』(製作・1011フィルム)が23日の封切りを控え、10日に光州で試写会を開く=フィルアンドプラン提供//ハンギョレ新聞社

 「あら、町内に住んでいた青年の写真があるわ!」

 光州(クァンジュ)広域市に住むチュ・オクさん(60)は、2015年5月、5・18民主化運動記録館開館式で意外な写真を見つけ、思わず声を上げた。1980年の5・18民主化運動の頃、隣人たちとおにぎりを作ったアルマイトのたらいを記録館に寄贈した彼女は、記録館の壁にかかった一枚の白黒写真を見て懐かしがった。それで「キム君だわ」と独り言を言った。2014年に光州の記録作業中にチュさんに会い、この日同行したカン・サンウ監督(36)は、5・18武装市民軍の「キム君」に好奇心が芽生えた。

 色あせた写真の中の市民軍は、軍服を着て強い視線で斜めから正面を見つめている。カン監督は、この市民軍の姿が写った写真の日付と場所から探り始めた。カン監督は「写真の中にある亀甲印の台所シンクの代理店などを探す方法で手がかりを追跡した」と話した。そうして、この写真を中央日報のイ・チャンソン記者が80年5月22~23日に撮ったという事実を突き止めた。キム君は、1~2日前の5月21日、戒厳軍が錦南路で市民に向けて集団発砲し数十人が死んだ後、銃を持って武装した市民軍の一人だった。

 
カン・サンウ監督の映画『キム君』(製作・1011フィルム)が23日の封切りに向け作ったポスター=フィルアンドプラン提供//ハンギョレ新聞社

 しかし、キム君は保守論客のチ・マンウォン氏によって、5・18の時に光州にきた北朝鮮特殊軍を指す「光殊(クァンス)1号」と名指しされた。カン監督はキム君の行方を追うために、市民軍の仲間たちを捜しに出た。市民軍が乗っていた軍用トラックに白いペンキで番号を書いた市民軍にも会った。市民軍だけでなく、キム君を覚えていた人々を探し、彼らの声を映像に収めた。彼らは一様にキム君の生死を心配していた。映画は、キム君が光州の鶴洞(ハクドン)の8路地の隣にあるウォンジ橋の下に住んでいた屑屋だったという事実と、生存しているかどうかを確認する。

 カン監督の映画『キム君』(製作・1011フィルム)は、23日に封切られる。この作品は昨年12月、ソウルの独立映画祭で大賞を受賞した。5・18市民軍の行方を追ったドキュメンタリー追跡劇は「殺戮の現場に存在していた多くの『キム君』らを個別にクローズアップし、5・18光州民主化運動を新しい視点と違う方式で提示した」という評価を受けた。映画『キム君』のプレミアム試写会は10日夕方7時30分、CGV光州尚武店で開かれる。公式の試写会は13日、ソウルで行われる。

 
1980年5月、5・18民主化運動当時、市民たちが車に乗ってデモを行っている=チャ・ミョンスク氏提供//ハンギョレ新聞社

 ソウル出身のカン監督は、映画を作る前は光州を全く知らなかった。彼にとって5・18は「はく製にされた民主化運動」であるだけだった。そして「前世代たちの鬱憤に満ちた5・18の叙事をちゃんと理解するのが難しかったのも事実」だ。カン監督は7日、「映画を製作しながら、そのような考えがひっくり返った」と話した。「市民軍だった“先生”たちの中には、苦しい生活をしている人が多く、胸が痛んだ。ところが、光州の外ではいまだに暴徒というレッテルを貼る視線があるのではないか。市民軍たちの声を借りて、私のような若い世代が5・18を身近に思えるようにしたかった」

チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
コメント

メーデーへの贈り物!まだ南北と国連軍司令部が共同勤務守則を完成できておらず、合意の履行が遅れている。にもかかわらず、明らかなのは、・・・

2019-05-02 | 31独立運動の伝統を受け継いで

武器が消えた板門店…徒歩橋を散歩し、

記念植樹された松の木の前で“記念撮影”も

登録:2019-05-02 06:26 修正:2019-05-02 08:14

「板門店JSA」一般再公開初日 
 
南北合意によって非武装化を完了 
軍人らは武器の代わりに「民事警察」 
北側には中国人観光客の姿も 
 
「板門店宣言」記念の松から 
“密談”交わした徒歩橋まで散歩 
まだ南北は往来できないが 
「緊張の消えた“平和”を十分味わえる」

 
2019年5月1日、板門店共同警備区域(JSA)軍事停戦委員会本会議室(T2)と小会議室(T3)の間に軍事境界線が見える。ここは4・27南北首脳会談で、文在寅大統領と金正恩委員長が会った場所でもある=ノ・ジウォン記者//ハンギョレ新聞社

 軍事境界線の上にポツンと立っている中立国監督委員会会議室や軍事停戦委員会本会議室、小会議室の空色のペイントの剥がれ具合は、6カ月前と変わらなかった。しかし、1日に訪れた板門店(パンムンジョム)共同警備区域(JSA)の空気は、これまでとは確かに違っていた。

 昨年「9・19南北軍事合意」によって“非武装化”処置のため6カ月間閉鎖され、同日初めて公開された共同警備区域で、訪問客を案内した軍人たちは“武器”を持っていなかった。防弾ヘルメットもかぶっていなかった。「過去(非武装化措置以前)には35人をはるかに上回る軍人らが(実弾の入った)拳銃を携帯し、警備勤務に当たっていました。しかし、今は35人だけです。拳銃を携帯することもありません」。取材陣を案内した軍関係者はこう述べた。

武器を下ろした南北の軍人たち

 南北と国連軍司令部は、9・19軍事分野合意書第2条2項に基づき、昨年10月に共同警備区域の非武装化処置を行っており、11月には3者共同検証まで完了した。共同警備区域の南北地域のあちこちに埋まっていた地雷を掘り出し、装着していた武器を下ろし、南北の監視警戒所にあった火器も撤収した。同日、板門店では北側の監視警戒所が“封印”された姿を確認することができた。建物はそのままだったが、窓には使われていない印として、白い紙が貼られていた。

 近々、板門店で勤務する南側の軍人たちは、腕に「民事警察」と書かれた腕章をつける予定だ。軍関係者は「すでに腕章のデザインを終え、現在製作中だ」と述べた。北側の軍人たちはすでに腕章を着用している。

 同日、統一部と国家情報院を通じて申請した訪問客約320人が、生まれ変わった板門店を視察した。午前10時ごろには北側の軍人3人が軍事境界線の前まで近づき、南側の取材陣と市民の姿を見て帰った。北側でも観光客約10人が板門閣(パンムンガク)と自由の家を背景に記念写真を撮っており、100人をはるかに上回る中国人などの観光客たちが板門閣2階に姿を現したりもした。

 
2019年5月1日、板門店共同警備区域(JSA)軍事境界線の向こうで、南側の取材陣と訪問客を見ている北側軍人の姿=ノ・ジウォン記者//ハンギョレ新聞社
 
 
2019年5月1日、板門店共同警備区域(JSA)にある4・27南北首脳会談の記念植樹=ノ・ジウォン記者//ハンギョレ新聞社

市民も徒歩橋を散歩できる

 軍事境界線の向こうにある板門閣が見える南側の自由の家の前庭から右の方に10歩歩くと、左側に昨年4月27日、文在寅(ムン・ジェイン)大統領と金正恩(キム・ジョンウン)委員長が植えた松の木が一本立っている。「平和と繁栄を植える」と刻まれた表示石も一緒に見ることができる。一歳の松の木はまだ若い。まだ支柱の力を借りて踏ん張りながら、春の陽気を吸い込んでいる。

 記念植樹の場所からさらに進むとT字型の青い橋が見える。「徒歩橋」だ。生い茂る緑の木と草の上に橋がかけられている。1年前に文大統領と金委員長が、鳥のさえずり声だけが聞こえる中、この橋の片隅に設けられたテーブルに座り、30分以上“'密談”を交わす姿が全世界に生中継された。

 同日、取材陣が訪れた徒歩橋は、訪問者の安全のために補修工事中だった。工事が終わった後は、板門店を訪れる全ての市民が徒歩橋の散歩を楽しむことができる。両首脳が座った席を背景に、記念写真を撮ることもできる。国連軍司令部の関係者は「木造であるため、あまり頑丈ではないかもしれないが、車椅子に乗った訪問客も安全に移動できるよう、工事をしている」と説明した。

 
       2019年5月1日、板門店共同警備区域(JSA)にある徒歩橋の姿=ノ・ジウォン記//ハンギョレ新聞社
 
 
2019年5月1日、板門店共同警備区域(JSA)にある徒歩橋の姿。軍人が立っている後ろが文在寅大統領と金正恩国務委員長が「公開密談」を交わした席だ=ノ・ジウォン記者//ハンギョレ新聞社

紹介の映像には「70年間の敵対」の代わりに、朝米首脳が共に登場

 実際、共同警備区域を訪問する市民たちが、本格的に板門店周辺を観光する前、最初に見る13分間の映像がある。今年9月、軍事合意書を交わした後、国連司令部と共同警備区域の警備大隊が合同制作したという。

 同日、取材陣が直接目にした映像には、朝鮮半島に平和の風が吹いた2018年の出来事が盛り込まれていた。昨年2月、平昌(ピョンチャン)冬季五輪の開会式に参加した北側代表団と文在寅大統領夫妻、そして米国代表団の姿が、一つの画面に収められていた。4・27南北首脳会談当時、文大統領と金委員長が徒歩橋で時間を過ごす場面と、それから2カ月後、シンガポールで金委員長とドナルド・トランプ米大統領が初めて対面する場面が、次々とスクリーンに現れた。

 「一回の会談で、長い敵対関係を解消し、不信を解消することはできないが、『始めが肝心』という韓国のことわざのように、希望を抱いてみる」というナレーションが流れた。9月の平壌首脳会談と文大統領が5・1競技場で15万人の平壌市民の前で「非核化」について語る姿や、南北が軍事合意書に署名する場面が続いた。非武装化された共同警備区域の新しい紹介映像は、軍事合意を「小さいが意味ある合意」だとし、「敵対」の代わりに「平和」を語っていた。

 
2019年5月1日、板門店共同警備区域(JSA)にある北側の監視警戒所。窓は封印され、監視警戒所からは火器と警備兵がすべて撤収された=ノ・ジウォン記者//ハンギョレ新聞社
 
 
2019年5月1日、板門店共同警備区域(JSA)の南側地域にある北側の監視警戒所。まだ南-北と国連司令部の共同勤務規則が完成しておらず、北側の軍人たちが勤務する予定のこの監視警戒所はまだ空いている=ノ・ジウォン記者//ハンギョレ新聞社
 
 
2019年5月1日、板門店共同警備区域(JSA)。軍人の横に見える表示板が軍事境界線を意味する=ノ・ジウォン記者//ハンギョレ新聞社

まだ遠い道のりだが

 もちろん、目に見えない軍事境界線を表示するために地面に打ち込んだ杭は、そのまま残されている。赤くさびついて、「軍事境界線」という文字が見えない表示板も、依然として立っている。当初、9・19南北軍事合意書の通りなら、共同警備区域の非武装化以降は、南北間を自由に行き来できるはずだったが、まだ南北と国連軍司令部が共同勤務守則を完成できておらず、合意の履行が遅れている。にもかかわらず、明らかなのは、武装した軍人が緊張感を高めていた板門店の雰囲気が変わったという点だ。ショーン・モロー国連軍司令部警備大隊長(米陸軍中佐)は同日、取材陣に「過去には緊張ムードだったが、今は平和ムードが感じられる」と述べた。

 
2019年5月1日、板門店共同警備区域(JSA)の軍事停戦委員会本会議室(T2)と小会議室(T3)の間に軍事境界線が見える。その向こう側に板門閣が見える。北側から来た観光客と推定される人たちがいる=ノ・ジウォン記者//ハンギョレ新聞社

 1日から1か月間は、統一部や国家情報院などに申請した団体が1日4チームずつ見学を行い、6月からは旅行会社を通じて申し込んだ外国人観光客も加え、1日8チームが見学することができる。

 
2019年5月1日、板門店共同警備区域(JSA)を訪れた訪問客が記念写真を撮っている=ノ・ジウォン記者//ハンギョレ新聞社
板門店/ノ・ジウォン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
コメント

「遠い道」、「遠いけれど必ず行かねばならない道」というテーマで開かれたこの日の行事は、・・・

2019-04-29 | 31独立運動の伝統を受け継いで

文大統領「板門店宣言1周年」メッセージ

「しばし息を整え、ともに道を探す」

登録:2019-04-29 03:08 修正:2019-04-29 07:40

文大統領、板門店宣言1周年迎え映像メッセージ 
軍事境界線、徒歩橋など6カ所で芸術家たちの公演 
フランシスコ教皇も祝賀映像で「平和の新時代を祈る」 
北朝鮮の祖平統、備忘録で「厳しい情勢」…米国の干渉を批判

 
4・27板門店宣言から1年を迎えた27日午後、京畿道坡州市臨津閣の民統線で開かれた非武装地帯(DMZ)平和の手つなぎ行事で、参加者が北に向かって並んで人間の鎖を作っている=坡州/パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社

 「時には遭遇する難関の前で、しばし息を整え、道を探さなければなりません」

 文在寅(ムン・ジェイン)大統領が4・27板門店宣言から1周年を迎えた27日に伝えたメッセージだ。この日の夕方、統一部・ソウル市・京畿道が板門店(パンムンジョム)の南側で開いた記念行事「平和パフォーマンス」で、映像で上映された。1年前、板門店を熱くした北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長との初めての出会い以来、南北関係の変化像を捕らえながらも、第2次朝米首脳会談を契機に朝鮮半島情勢が前進できていない現実を熟考する姿だった。文大統領は「南と北がともに出発した平和の道」とし、「板門店宣言が月日を重ねるほど、私たちは後戻りできない平和、ともに豊かに暮らす朝鮮半島に出会うだろう」と述べた。

 
27日、板門店で開かれた「4・27板門店宣言1周年記念行事」で、1年前の南北首脳会談当時、文在寅大統領と北朝鮮の金正恩国務委員長が記念植樹をした場所で、日本のフルート奏者の高木綾子とピアニスト上原彩子が演奏している=板門店/写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 「遠い道」、「遠いけれど必ず行かねばならない道」というテーマで開かれたこの日の行事は、4・27南北首脳会談の主要な行事が行われた板門店の6カ所を舞台に、韓国、米国、中国、日本の芸術家たちが平和を祈願する公演で行われた。最初の曲は、南北首脳が手を取り合って越えた軍事境界線の前で米国のチェリストのリン・ハレルが演奏した「バッハの無伴奏チェロ組曲」だった。1989年、ベルリンの壁の前で演奏された曲だが、「ベルリンの壁が崩れたように、板門店でも分断と境界が崩れ落ちることを願う」意味で選曲された。両首脳が一緒に記念植樹をした場所では、作曲家の尹伊桑(ユン・イサン)の「フルートのためのエチュード」が演奏され、「平和の家」の前では歌手のBoAがピアニストのキム・グァンミンの伴奏に合わせジョン・レノンの「イマジン」を歌った。ローマ教皇フランシスコも映像メッセージを送り「板門店宣言1周年が全ての韓国人にとって平和の新しい時代をもたらすことを祈る」と伝えた。

 この日の行事には、キム・ヨンチョル長官とパク・ウォンスン・ソウル市長、イ・ジェミョン京畿道知事、ロバート・エイブラムス韓米連合司令官兼国連軍司令官をはじめ、駐韓外交使節団や市民など400人余りが参加した。北側の「サプライズ登場」はなかった。政府は22日、開城の南北共同連絡事務所を通じて北に行事の計画を通知したが、北側は特に反応を示さなかったという。軍関係者はこの日、北朝鮮軍がたまに出てきて写真を撮って帰っただけで、板門店ではほとんど姿を見せなかったと伝えた。

 
27日、京畿道坡州市板門店の平和の家の前で、フランシスコ教皇の映像メッセージが上映されている。フランシスコ教皇は「板門店宣言1周年が全ての韓国人に平和の新しい時代をもたらすことを祈る」、「忍耐心と粘り強い努力で和合と友好を追求することにより分裂と対立を克服できる」と述べた=板門店/写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 こうした中、北朝鮮の祖国平和統一委員会はこの日、板門店宣言1周年を迎えて発表した「備忘録」で、米国の干渉を批判し「厳しい情勢」が造成されていると主張した。北側は「米国は南朝鮮に『南北関係が朝米関係より先に進んではならない』という速度調節論を露骨に強迫している」とし、「北南関係改善の雰囲気を引き続き維持していくか、もしくは戦争の危険が濃くなる中で破局にまで進んだ過去に戻るかという厳しい情勢が造成されている」と述べた。

 
27일 경기도 파주시 판문점에서 열린 ''4.27 판문점선언 1주년 기념식''에서 남북 정상이 처음 조우한 군사분계선에서 미국의 첼로 거장 린 하렐이 바흐의 무반주 첼로 조곡 1번을 연주하고 있다=판문점/사진공동취재단//한겨레신문사
 
 
27일 경기도 파주시 판문점에서 열린 ‘4.27 판문점선언 1주년 기념식’에서 플루티스트 타카기 아야코가 연주하고 있다. 판문점/사진공동취재단//한겨레신문사
 
 
27일 경기도 파주시 판문점 평화의집 앞에서 열린 판문점 선언 1주년 기념식에서 판문점 회담 관련 영상을 보고 있다. 판문점/사진공동취재단//한겨레신문사
 
 
27일 오후 경기 파주시 판문점에서 첼리스트 지안왕(오른쪽 둘째)이 위로와 안식의 멜로디 ‘지(G) 선상의 아리아’를 연주하고 있다. 이곳은 남북 정상 당시 함께 국군 의장대를 사열했던 장소이다판문점/사진공동취재단//한겨레신문사
 
 
27일 경기도 파주시 판문점에서 열린 ‘4.27 판문점선언 1주년 기념식'에서 한 참석자가 도보다리 위에서 기념사진을 찍고 있다. 판문점/사진공동취재단//한겨레신문사
 
 
27일 경기도 파주시 판문점에서 열린 ‘4.27 판문점선언 1주년 기념식’에서 군인들이 경계근무를 서고 있다. 판문점/사진공동취재단//한겨레신문사
 
キム・ジウン、イ・ワン記者、板門店共同取材団 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
コメント

韓民統の後身である在日韓国民主統一連合(韓統連)は依然として反国家団体のレッテルをはられたままだ。

2019-04-25 | 31独立運動の伝統を受け継いで

「朴正煕の反国家団体」

韓統連の在日同胞21人が韓国に来られない理由とは

登録:2019-04-24 09:47 修正:2019-04-24 12:00

「韓統連の完全な名誉回復と帰国保障のための対策委員会」発足 
「韓統連のパスポート発給制限に関し、人権委・国会・大統領府に陳情」

韓統連の完全な名誉回復と帰国保障のための対策委員会の発足記者会見が23日午前、ソウル中区貞洞のフランシスコ会館で開かれた。日本から来た韓統連メンバーのキム・チャンオ氏(右)が盧武鉉大統領在任時代に入国して報道された内容を見せている=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社

 1955年に日本の大阪で生まれたキム・チャンオ氏(64)は、12歳だった1967年、トイレで自分の「韓国人」のアイデンティティについて恐怖を感じたその瞬間をいまも忘れられない。当時、地下鉄の駅のトイレには「朝鮮人は帰れ」という落書きがあちこちに書かれていた。日本社会の韓国人に対する差別と虐待を全身で感じた瞬間だった。「落書きを見たとき、本当に怖かった。韓国語もできず、韓国人といえば両親しか知らないのに、恐怖を感じました」

 キム氏はその後、韓国人だという事実を隠して暮らしていた。しかし、大学に入学した1974年、東京にパンダを見に行こうと親しい先輩に誘われ、韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)が主催する集会に出席して考えが変わった。韓国の民主化と統一のために尽くす韓民統の在日韓国人の姿に衝撃と感動を受け、団体に加入することになった。キム氏はその後、韓国人だという事実を隠さなかった。韓民統で毎週水曜日に韓国語を学び、毎週金曜日に韓国史を学んだ。初めて残酷な日本の植民地支配について知り、独立運動の歴史を学んだ。特に1960年4・19革命を率いた学生の話を学び、キム氏は韓国の民主化と祖国統一のために一生生きていこうと誓ったという。

 1973年に結成された韓民統に暗雲が立ち込めたのは、朴正煕(パク・チョンヒ)政権の公安統治のためだ。1977年、韓民統が「在日同胞留学生スパイ団事件」当時、スパイ容疑で有罪宣告を受けたキム・ジョンサ氏の背後団体として指摘され、国家保安法上「反国家団体」に指定された。朴正煕政権は150人余りの在日同胞留学生をスパイに仕立て、拷問、死刑、無期懲役刑などを宣告し、刑務所に入れた。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の時も暗黒期は続いた。1980年、金大中(キム・デジュン)元大統領は韓民統議長の経歴を理由に反国家団体首魁罪の適用を受け、死刑を言い渡された。スパイにされたキム・ジョンサ氏は2013年5月になって、最高裁判所(大法院)の再審を通じて無罪を宣告された。しかし、韓民統の後身である在日韓国民主統一連合(韓統連)は依然として反国家団体のレッテルをはられたままだ。

 このため韓国政府は、2003年までキム氏が韓統連に加入したという理由でパスポートを発給しなかった。キム氏は1992年、統一運動のためにドイツ・ベルリンへ出張に行った当時、フランクフルト空港でドイツの警官にパスポートがないという理由で連行され、取り調べを受けなければならなかった。日本で発給された「再入国許可証」では、キム氏の保護するのに限界があった。

 2003年に盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府が発足してから、キム氏は韓国のパスポートを発給され故国の地を踏むことができた。いつになるか分からなかった「ソウルで会おう」という約束が、ついに現実になった瞬間だった。日本から韓国へ出発する日の朝、キム氏は日本で経験した侮辱と差別、これまで故国に行けなかった悲しさが一気にこみ上げ、止めどなく泣いた。そのようにして48年の生涯で初めて仁川国際空港に入国したキム氏の手には、大韓民国の「臨時パスポート」が握られていた。キム氏は翌年の2004年になって正式に大韓民国のパスポートを手にすることができた。

 幸いキム氏は2004年に韓国の正式なパスポートを発給されてから、韓国だけでなく外国の往来に不自由はない。しかし、キム氏は非常に例外的なケースだ。いまだに多くの韓統連メンバーが日本に留められ、韓国に来ることができない状態だ。韓統連メンバーのうち21人は、1~5年の短い有効期間のパスポートしか発給を受けることができず、有効期間が終わるごとに更新しなければならない困難を負っている。

 
韓統連の完全な名誉回復と帰国保障のための対策委員会の発足記者会見が23日午前、ソウル中区貞洞のフランシスコ会館で開かれた。チェ・ビョンモ対策委員長(中央)が挨拶の言葉を述べている=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社

 23日、ソウル中区貞洞(チョンドン)のフランシスコ会館で開かれた「韓統連の完全な名誉回復と帰国保障のための対策委員会」(対策委)の発足式にキム氏だけが参加することができたのはそのような理由からだ。

 この日、6・15(共同宣言実践)南側委員会のイ・チャンボク常任代表と「海外民主人士の名誉回復と帰国保障のための汎国民対策委員会」のチェ・ビョンモ元常任代表など29人は、まだ韓統連が反国家団体と規定されており、同団体のメンバーという理由でパスポートが発給されない在日韓国人の名誉回復と帰国保障に向けて対策委員会を立ち上げたと明らかにした。チェ・ビョンモ対策委代表は「韓統連が現在受けている弾圧は、日本で韓国の独裁政権に反して民主化運動をしたというたった一点のためだ」とし、「韓統連メンバーはすべて自由な韓国人であるため、韓国に出入りすることを妨げる理由はない」と強調した。イム・ジョンイン対策委執行委員長は「パスポートは事実上住民登録証と同じ」と言い、「たとえ険悪な犯罪を犯しても住民登録証は出される」と指摘した。

 発足式の現場で出た説明を総合すると、韓統連のメンバーのキム氏のある先輩は、パスポートを適時に発給してもらえず、母親の臨終に立ちあえなかった。ソン・ヒョングン韓統連議長は、文在寅(ムン・ジェイン)政権に入ってパスポートを申請したが、パスポートの発給が見送られ、いまだに韓国に来ることができない状況だと明らかにした。日本に留められている韓統連メンバーらは、再入国許可証を持って日本から出た後、再入国が可能だが、米国や英国などに長期間国外研修や留学に行くのは不可能だ。キム氏が15年前にようやく克服した苦痛を、韓統連メンバーのうち一部は今も耐えながら暮らしている。対策委はこれに対し、「韓統連のメンバーにパスポートを発給しない政府に対し、近く国家人権委員会と国会、大統領府などに陳情を出す予定」だと明らかにした。

クォン・ジダム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
コメント

文大統領は週末の間、韓米首脳会談に関する国民向けメッセージをまとめるとともに、北朝鮮を説得するカードと対北朝鮮特使の派遣問題を協議する・・・

2019-04-15 | 31独立運動の伝統を受け継いで

“熟考”を終えた文大統領、いかなる対北朝鮮メッセージを送るか

登録:2019-04-15 01:40 修正:2019-04-15 07:16

 
文在寅大統領が今月10日、ソウル空港を通じてドナルド・トランプ米大統領との首脳会談に向けて米国に発つ前に、ノ・ヨンミン秘書室長と話している=大統領府写真記者団//ハンギョレ新聞社

 ドナルド・トランプ米大統領と首脳会談を終え、12日夜に帰国した文在寅(ムン・ジェイン)大統領が15日、ワシントン首脳会談の経過を説明し、南北首脳会談の推進計画を明らかにするものと見られる。文大統領は週末の間、韓米首脳会談に関する国民向けメッセージをまとめるとともに、北朝鮮を説得するカードと対北朝鮮特使の派遣問題を協議するため、参謀陣と数回に渡って会議を開いたという。北朝鮮派遣としては、ソ・フン国家情報院長が有力視されている。

 大統領府関係者は14日、「明日、大統領が韓米首脳会談に対する評価と南北首脳会談に対する期待などを述べる予定だ」と明らかにした。文大統領は15日午後、首席補佐官会議を主宰する際、このようなメッセージを発表するものとみられる。また、別の関係者は「文大統領が特使と関連し、多角的な接触を進めるという程度の言及はしても、誰がいつ訪朝するかなど具体的な事案に対する言及はしない予定だと聞いている。特使そのものに触れない可能性もある」と伝えた。

 朝米対話の“促進者”役割を買って出た文大統領としては、韓米首脳会談の結果に基づき、再びトランプ大統領との交渉に臨むよう、金正恩(キム・ジョンウン)北朝鮮国務委員長を呼び込む“妙手”が必要だ。トランプ大統領は11日の首脳会談の際、南北間接触を通じて韓国政府が把握した北朝鮮の立場を、できるだけ早急に知らせてほしいと要請した。大統領府の悩みは、特使を派遣するにしても、北朝鮮を対話の場に出るよう説得するカードがあまりないということだ。

 北朝鮮の金正恩国務委員長が12日の施政方針演説で、「(南側は)お節介な“仲裁者”や“促進者”として行動するのではなく、民族の利益を擁護する当事者にならなければならない」と述べたのも、大統領府を当惑させている。大統領府は、このメッセージが「対話はしない」という意味ではないと強調している。ある大統領府関係者は「(施政方針演説の)内容を詳しく見てみると、『核並進路線の廃棄および社会主義経済路線の再確認』と『朝米対話の持続』という二つが主な内容」だとし、「大きく懸念するほどの状況ではないと見ている」と話した。

 特使派遣が実現した場合、北朝鮮と“ホットライン”を持っているソ・フン国情院長が有力視されている。大統領府関係者は「チョン・ウィヨン国家安保室長は、16日から始まる文大統領の中央アジア3カ国歴訪には同行しないが、だとしても別の場所に行くわけではない」と述べ、チョン室長の特使派遣説を遠回しに否定した。大統領府高官は「韓米首脳会談後に(朝米対話の)動力を復活させるための特使なので、形式を重視するよりは、北朝鮮をよく知る人が行くことになるだろう」と述べた。

 一方、大統領府は16日から7泊8日の日程で行われる文大統領のトルクメニスタンやウズベキスタン、カザフスタンへの国賓訪問について、「他の地域に比べて交易規模は大きくないものの、新北方政策を本格的に拡張するという意味がある」と説明した。

イ・ワン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
コメント