柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

正論の胡乱

2007-02-18 10:21:29 | Weblog
病気腎移植に係る「外部医師らによる専門委員会」が調査結果を出したそうです。「病気腎移植のほとんどについて、腎臓の摘出は医学的に適切ではなく、別の患者への移植もするべきではなかった(日経新聞)」というものです。この専門委員会(これが大体に胡散臭いものが多く、学者の机上の正論に終始するものですが)は腎臓内科、泌尿器科、病理医などの外部の専門家によって構成されているそうです(中国新聞)。つまり、非難されている万波医師が主張している、目の前に透析から逃れたいと熱望する者がいて、その者にとっては移植によって得られると考えられるベネフィットが医学的なリスクを大きく上回っているという現実、情実は無視されているわけです。万波医師が踏み出した動機の大なる部分が無視されているわけです。外部調査というのはそういう情実を排除することが目的だろうと言われましょうが、医者は単に医学的に推測される因果関係だけを基準に日常の業務(診療)に携わっているとお思いですか?科学的に正しい、ちゃんとしたデータとしての正当さのあることだけが診療手段、診療動機と思われますか?これが今の医学のトレンドで、エビデンスなんて横文字で表記表現して素人を欺いているのですが、万波医師が移植しようと思い立ったのは功名心や技術への過信、状況を考慮しない無謀、これを専門委員は「初めに移植ありきの腎臓摘出と言われても仕方がない」と言ったそうですが、これらだけが要因ではないでしょう。いえ、万波医師がどういう人なのか知りませんし、泌尿器科業界での評価も知りません。ですから、外部調査なんて言いますが腎臓専門医やら泌尿器科の医者達にはすでにこの人の評価評判が刷り込まれているわけで、却って逆向きのバイアスがかかっているんじゃないのかと勘ぐりたくもなります。ここは大きく訝しいことで、また人は(マスコミは)指摘もしません。学会が真で正義で神聖でという前提です。大間違いです。硬直して年功序列がびくとも動かない、新しい動きを許さない、というかいくら斬新有効な手段であっても、その世の中への貢献度や有効性よりも何よりも学会内の手続きを優先させようとする、もっと平たく言えば学会のボス達の許しを得ることを第一に措いているかびの生えた権威主義がはびこっている組織です。事実この人は移植学会やらなんちゃら学会には入っていないそうですから、部外者をはじくは組織人の常です、特に医学界なんてのはそういう部分が旧態依然です、こんな委員会に推薦されてくる医者は学会根性(島国根性と言い換えましょうか)に凝り固まった連中です、どうしてフラットな審議ができましょうか。連中が一番嫌う手続き違反を犯したのです。有効性云々の審議以前の問題です彼らにとれば。どうして公平公正な審議が為されましょうか。真に人類のためになる事かどうか?なんて審査が為されるわけがありません。しかも万波医師は学会に属していません。彼らにとれば彼を擁護する理由はこれっぽっちもないわけです。これを刺して(指して)、そして先の「初めに移植ありき」という言を受けて万波医師は「初めから結論ありきだと反論した」そうです(中国新聞)。彼が一番知っていますし全ては予想された反響でしょう、自分の立場の弱さ、学会の態度、世論の向き。こういう流れを考えるに、私は単純に判官贔屓、万波医師の側に立ちたいと思います。
 前にこの欄に書きましたが、広島大学の名誉教授が病気腎からのがんの転移や悪化はなかったという調査結果を新聞に公表しましたね。今回新聞には、B型肝炎陽性の人からの腎臓の移植についての非難が強調されています。これはさすがに私もまずかろうと思います。感染症はまずかりましょう、やはり危険が大きいと専門外ながら思います。でも、それでもいいからと懇願する人がおられるわけです。透析の辛さはそれだけ人生の重荷なのでしょう。こんな「科学」の衣をまとった正論が人を救いますか?不適切なんて言葉にまず腹立たしい思いがします。適切ではない、とごまかしているのですから。禁止すべきとかもっと強い制御があるはずです。これが学会の、世の中世論のずるさです。前も言いましたが、万波医師はパイオニアなんです。潰せばいいのではありません。彼の残したデータこそが今後の発展の基調なのです。日本の腎移植(移植の是非はさておいて)の先行きを左右する重大な出来事と思います。そう思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ステレオタイプ

2007-02-17 08:42:17 | Weblog
産経新聞の一こま漫画です、金属でできた虎に金正日が跨っている絵に「重油が入れば張り子の虎じゃなくなる」とキャプションがついています。なるほど。昨日の韓国の大統領の言です、北朝鮮には欲しいだけ与えよ、それで問題は解決するし、韓国にとっても儲け話なんだ、と。大丈夫かなぁこの男。いかに北よりの人間とは言え、えらく露骨です。例えばこういう事態なのかも知れません、核は持ったけれど重油がないから動かせない。「核を捨てるから重油をくれ」とは「重油があれば核兵器を動かせる」の裏返しで、「重油が手に入ればちゃんと核配備してあなたの国に打ち込めます」ので「核を捨てるかどうかはその後考えますからまず重油を下さい」なんでしょう。重油さえ十分に手に入れば正真正銘の核保有国になれる、日本や韓国を恐喝できるという読みでしょう。ま、そんなことは皆分かっているから、まず核放棄が先だなんて、ギャング映画の取引の場面みたいに' Money,first! 'の世界です。こんな国が隣にあるんですよ。日本もいい加減に優等生の学級委員役を止める時期でしょう、同じ土俵に上がる(品格落とす、野卑に下る)のではなく、静かにミサイルを向けるとか。おまけがアメリカで二つついてます。一つは、今次戦争の朝鮮からの引き上げ女性の自伝小説を米国が教材に使用したところ、韓国系米国人からクレームが付いたそうです。歴史認識が足りぬそうです。朝鮮や満州からの引き上げ者の悲劇は多くの本に書かれていることです。誰が悪いのか、となると百論です。関東軍やら日本の朝鮮統治やら拡げればいくらでも拡げることができる悪者探しになります。実物読んでいませんから憶測ですが、歴史認識がどうのこうのじゃなく、実体験ですからね、正しいも間違いもないですよねぇ。韓国の連中もどこまでもステレオタイプ。記事によると、韓国人記者が会見時に「どうして従軍慰安婦のことを書かないのか」と聞いたそうです。なんじゃそら?関係ないでしょうに。当時少女だった人の体験談ですわね。こいつも日本叩きのステレオタイプ。で、もう一つのステレオタイプ、米下院が従軍慰安婦問題で日本は国家補償せよとの決議案提出し、証人の公聴会開いたそうです。何?なぜにアメリカがいらん事を?全くアメリカにも左翼がいるわけです、それが民主党です、先日の選挙で与党共和党に勝った、あのヒラリーさんの。どの面下げてそんなこと言うんですかね。記事によると、自分たちはレーガン時代に戦争中の在米日本人に対する不法な強制収容には一人2万ドルの補償してきたのだ、それに準ずるべきだという理由らしいです。馬鹿馬鹿しい。自分たちは世界の審判者警察官と思い込んでいる独善者、要らぬ世話焼き連中、どうにもなりませんわ。あんたらが勝手に補償したこと、人に押しつけなさんな。あんた達の軍隊がレイプの略奪の惨殺のをしなかったとでも強弁するつもりか?原爆の罪はどうにも逃げられぬはず。日本が黙っているだけのことなのに、自分たちの悪行は完全に棚に上げておいて、まっさらの正義の味方ぶる。まこと気に入らぬ事ですが、これもこの国のステレオタイプ。さてさて、こちらに対してもそろそろ頭をキッと挙げて、謝ってばかりいないで言うべきを言う時期なんでしょう。いつまでも60年前のことをぐじぐじ言われ続けることもないでしょうに。やはり政治家の責任ですよね。安倍さん、いよいよタカのタカたるところ披露する舞台が整いつつありまするぞ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

格差

2007-02-16 08:42:23 | Weblog
当地今朝は空気が冷たく寒いです。春一番が早々に吹いたり、この暖冬は気持ちの悪いことですが、外に出て手が冷たい日には何だか安心するような妙なこと、温い方が有り難いんですがねぇ。
 TVで口臭チェッカー(機械)を取り上げてました。これでまた心配性の人を煽るわけです。口臭なんてとっても微妙でデリケート、気にし始めたらキリのない事象に手を突っ込む理由は何ですかね。危ない週刊誌の広告もののようなそれこそ危なっかしい商品を売りつける。その片棒をNHKが担ぐ。ハァーと息吹きかけたら数字が出るんです、0だの6だの。一体何を測っている?全く馬鹿馬鹿しいこと。男の美容士、男のセールスマンがにやにや笑いながら口臭消している(薬使っている)図です。いい加減にこういうお手軽な軽薄な材を拒否するような硬派のディレクター出てきませんかね。
 格差社会に対する国会の論議です。自己責任の部分を強調する安倍さんですから、小沢さんやら野党(左翼)連中は低いところから十分に救え(掬え)と来ます。理念ばかりの先走り、頭でっかちの空論。 悉皆を求めて結局悉皆からほど遠いところでお茶を濁している、役所仕事の典型です。社会の端々にはとんでもない連中がいます、いやその連中から言わせれば普通に暮らしている者達が端々なのかも知れません、相対的なことではありますが、そういう者達を全て掬うなんてのは無理な話です。今の福祉制度がせいぜいです、これでも十分に手厚いものです。格差を生じたのは何故か(多くの人が指摘しているように日本の所得差なんてのは格差のうちに入らないものでしょう、都合のいいときにだけグローバルの世界的視野のと言い募る連中がうるさく言い立てているだけなのですが)。そこを考えずに単純に時計の針を元に戻せ!式の無茶を叫んでも何も変わりません。それこそ反対のための反対、「ダメと言ったらダメ」論。世界にはもっと格差のえげつない国が数多あります。能力のあるものが相応に利を得る。これが資本主義、自由主義の根幹でしょう。その利を平均せよ、有象無象で平均せよなんてのはかびの生えた社会主義です、すでに破綻した論理です。そこに足を懸けているのです、元自民党幹事長が。とほほです。昔は能力の足りぬものにもそれなりの仕事があったのです、それなりの仕事を国が自治体が用意できたのです、それが高度成長期だったのです、安い賃金で国中がせっせと働いていたのです。その後は周知の通り、資本主義の成熟に沿って社会構成員の指向が変わる。人件費の高騰、IT化、機械化。人が要らなくなる、仕事がなくなる。派遣社員なんて妙な労働体系に変化していく。給料増えるわけがないですね。高度成長してきて、いま平坦期からおそらく下降していこうという時期なんですこの国は。セーフティーネットなんて言いますが、最後には能力差しか残らないでしょう。今の福祉制度に何を加えるのですか。福祉福祉で国が滅びますよ。昔軍事費、今福祉費。削るべきところはここのはずです。私は安倍さんに与します。いかがですか、諸姉諸兄。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウソ

2007-02-15 08:41:06 | Weblog
八甲田山の事件、やはりこの名前でこの季節とくれば雪中行軍のあの映画思い出します。亡くなられたのは気の毒ですが、好きで行ったスキーの結果とあればやむなしですか。蓼食う虫も好きずきです。興味のないことには気持ちすら動きません。ううむ、敢えて危険を承知でスキーですか、と私は思います。
 くどい話で恐縮です、中村とローズと二人とも丸刈り姿で新聞に載っています。中村は金髪でしたよね(茶髪でしたか)、ローズは編み込みの長髪。ローズは近鉄時代あれだけ日本語喋っていたのに、巨人に入った途端喋れなくなって。どれもこれも威勢の良かった時代の事々。過去の栄光を捨ててのなりふり構わぬ姿に、あるいは好感を持たれる向きもいらっしゃいましょうか、私にはこの二人に染みついている驕り、人生に対する思い上がりしか見えません。
 例の関西TVの捏造事件、詳細が次々と明らかになっています、朝日新聞に載っています。よくある話ですが、この捏造過程で誰かが良心の呵責に耐えられず、事実の発覚を単純に怖れて上司に事実を言った、その上司がもみ消した、ちゃんとした対応しなかったという顛末です。自分が悪いんじゃないと言いたいんでしょうね、人というのはこんなもんです。私も悪うございました、でも私はこうこう言いました、と言い訳するわけです。潔く口を閉ざす、兵を語らないというのはまことに困難なことなのです。というか、その人に備わった資質なのです。この才覚のない者は(敢えて雑魚と言いましょう)自分はそんなに悪くないんですと言い訳するばかりです。こういう露出は聞きたくないですなぁ。その隣に小さなベタ記事です、TBSがくだんの失言大臣関連の報道で「不適切な編集」ものを放映した、それを当の大臣に謝罪したとのことです。おお、TBSよお前もか!。ですけど、TBSは元々の札付きですわ。古くはオーム事件(あの弁護士一家殺害の元を作ったビデオ漏洩事件)、近いところでは石原都知事発言の編集事件。筑紫哲也がTBSは死んだなんて大仰にポーズして、その後ものうのうとキャスター続けているのは周知の通り。ハハハ、です。新聞もTVも信じちゃダメですよ、どこでどんな編集しているかわかりません。となるとやはり生の声を聞かんといけません、生中継を聞くしかないですか。どれもこれもバラエティー番組づくりのノリなんでしょうね。あんなくだらない、低俗猥雑モノを見る気もないですが、阿久悠が新聞のエッセイで書いています「ウソを喜んでいる者が一番ウソに怒っている」と。そうなんです、こっちがもっと賢くならねばならないのです。そう思われませんか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

匕首

2007-02-14 08:41:24 | Weblog
マグロ漁船転覆事件、リンナイの不祥事、殉職警官事件、あれれもう何日も前のことのように思うのに、どうしてどの新聞も今日大きく報じているのか?と訝しく思いましたが、そう言えば昨日は休刊日でした。今朝は当地雨です。妙にもわ~っと温かったのですがすぐに降ってきました。もう季節が移っていくのでしょうか。冬がないままです。
 中村400万で中日二軍ですって。相棒だったローズがオリックスのテストを受けるとのおまけも付いて。驕れる平家久しからず。まさに絵に描いたような手本。よい子の道徳題材になりそうなくらいです。中村、5億だったんですよ。さらに上積みして、あの金本よりも高い評価で阪神に招かれたのも、今は昔(とはいえ5年前です)。荒涼たる野っ原に、朽ち果てた東屋、吹きすさぶ風、そんなイメージです。何がダメなのか、マスコミもちゃんと報道すればいいのに。怪我がそんなに重症なのか、つまりプレーヤーとして価値がないのか、それともこの横着さ問題児さを敬遠されてのことなのかつまり干されているだけのことなのか。どちらもなんでしょうけど、33歳ですよまだ。酒やらギャンブルやら八百長やら刑事事件やらで堕ちていった者も多い業界ですが、こんなに落差の激しい且つみすぼらしい情けない形の落魄も珍しいことでしょう。
 北朝鮮、あれで解決ですって。なんじゃらほい。重油百万トン手にして、核を廃棄する?するわけないじゃないですか。田舎のおやじの私でもそう思います。実務者レベルの会議なんていつも体裁良く枕振られますが、せめて外務大臣あたりが国を背負って丁々発止して貰いたいですよねぇ。というのも、こういう場に麻生さん強面で(外人達がそう思うかどうかは別ですが)適当だと思うからです。どうもこういう場の日本代表は、外務省関係者でそれなりのキャリア、切れ者なんでしょうけれど、tough negotiator という雰囲気じゃないですよね。今回のコメントも、合意はできましたけれどもちゃんと守られなければ何の意味もありませんから、なんて中学生が学活で反省会しているみたいなことです。議会民主主義制の、多数決至上主義の限界でしょうか。なんて大仰に言わなくとも、脅迫と傍若無人さ(傲岸)、自国優先が常に穏健、良識、世界平和指向を抑え込むというわけです。北朝鮮の無体が堂々と通っていくのです。で、こんな文書になってしまうと、正当さまでが付け加わる。ますます向こうさんつけあがるばかり。拉致問題が解決しない限り支援はしない、なんて安倍さん言ってます。ずっと突っぱねれば立派ですがね。ううむ、こんな常識の通用しない連中にはこっちも匕首用意せねばならぬでしょうにね。そうは思いませんか。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

持つべきを持つ

2007-02-13 08:40:54 | Weblog
楽天の田中、さすがにうんざりの表情ですね。あれだけ追いかけられたらそうなりましょうねぇ。でも、この子は賢い選択したんでしょう、この露出の多さが物語っています。ダルビッシュのような横着さがないし(ダルビッシュほどに大成して貰いたいです)。ハンカチ王子に隠れていられた今までと違う、つまり自分目当てに来る報道陣の多さは自慢でありましょうが、ずっと張り付かれるのも辛いことでしょう。ここを我慢できるかどうか、松井や松坂になれるかどうかの境目ですか。
 北朝鮮、結局ゴネ得です。目に見えていたことです。お前らの言う通りに核は作らないからエネルギーよこせ。核作る暇と銭があるならエネルギー確保に回せよ!と考えるのが普通なんでしょうが、連中は普通でないわけです。ここを言ってもダメ。北朝鮮以外の5カ国のうち、北朝鮮の味方が3つ、敵視しているけれども人ごとの米、拉致解決が先だと強調する日本。戦争なんぞ今の日本では誰も望みません、喧嘩する事だけが解決方法じゃないと知っていますから。60年も(形の上では)軍隊も持たず平和を唱えるだけで過ごしてきた処世術の蓄積は半端じゃないはずです。でもこの情勢、欧米人と日本人との違いほどに大きい隔たりあるアジア同胞のはずの中国人やら朝鮮人やらとの関係を考えるに、やはり持つべきもの(核)を持たねばなりませんわ。その上で感性や考え方や大人さの違いを見せていけばいいですね。こっちが何ももっていないから、北朝鮮如きになめられている、という図です。核を二つ三つ持って、ミサイルをピョンヤンに向けて構える。ガタガタ言うなら北京にも向ける。そうやって交渉です。あの協議見ていてそう思いますね。
 安倍さん、そんなに自分から転けなさんなやと思うこと。殉職警官の悔やみに出向いたはいいけれど、本人の名前宮本をミヤケと呼んで、それを報道されてあれれ。パパッと迅速に動いたのは正解、あなたの「美しい国」概念に沿う美談と捉えるのも正解、これが一市井人でありヒラ警官であったのも好都合。一隅を照らす者国の宝なり、と讃え強調するに絶好の機会。なのに、あらあら。支持率が下がった下がったと言われているのに、自分で転けてどうするのよ。こればかりは笑ってごまかせもしないし、さて困ったこと。もう一つ、どのTVもミヤケとカタカナ表記しているのが面白いことと思いました、三宅でなく宮家でもなくみやけでもないところです。日本語の深いところ、面倒くさいところですか、欧米人の如くabc26文字の綴りだけの表記でないところ。ひらがな、カタカナ、漢字。こんな言語ないんでしょう?やはり、こういう場合はかたかなのミヤケがぴったり来ますね。どこどこのみやけさんじゃなくて、こう言ったという事実だけを冷たく伝えるにはかたかなです。この選択の妙。うむ、感じ入ることでした。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

25年

2007-02-12 10:05:01 | Weblog
毎日新聞のコラムに例の関西テレビの捏造事件を取り上げています。私に言わせれば、多くの凡百のコメンテーターも言うように、騙される方が悪い、です。あの手の健康番組は、如何に肩書きの立派な医者が喋っていても、お笑いタレントが居並ぶ番組は言うに及ばず(みのもんたやらたけしの番組のような)、NHKのまことしやかな番組でさえ、話半分どころか話一割くらいの思いで聞かないとこのハメになります。出てくる医者の質は違いますよ、民放バラエティー系の方には金儲けの旨い胡散臭い連中が出てます。話慣れてカメラ慣れて、嫌らしいくらい。どこかから捜してきた爪の先くらいの出来事をとんでもない大発見のように言い募る、まさに針小棒大の世界です。あくまで馬鹿なタレント相手のバラエティ番組です。一方NHKには大学教授連中です。素人っぽい味が本当っぽく見せているのですが、あの連中は自分たち学者の机上の空論しか言いません。数字のこねくりの結果しか言いません。こっちも大嘘です。調子に乗って嘘を垂れ流し続けるTVもTVですが、まぁ騙される方も騙される方です。みなさん、そろそろ懲りてください。いえ、このコラムでああと思ったのはこのことではなく、あの時間帯(日曜9時)枠のことです。花王がスポンサー降りましたね。関西テレビがこの時間枠をフジ(でしたか)TVに返したんでしたね。コラム子は大阪からの情報発信力の低下を嘆いています。そしてこの時間帯、くだんの「あるある・・」の前が花王名人劇場で、あの漫才ブームを巻き起こした番組だったという歴史。
MANZAIと表記して席巻しましたね。私がちょうど大学生時代。大阪にいましたからね、こういう全国放送以外にも朝日、毎日、関テレ、読売とどの局も漫才の落語の吉本新喜劇のと多く放映していました。好きでしたねぇ。前にも書きましたが、吉本新喜劇もこの頃黄金期です、平さんぺいの晩期、原哲男、花紀京、岡八郎、船場太郎、桑原和夫、木村進、間寛平、山田スミ子、谷しげる、伴大吾・・。毎回面白かったですよ、それほどにフリークではなかったんですが、この居並ぶ看板達が自由に組み合わさるのではなく、例えば花紀京は滅多に出ないんですが、その相手は原哲男か岡八郎だけでしたね。岡八郎は先だって亡くなりましたね、芸人の常で身を持ち崩して。弟子が漫才師のオール巨人、この人がいるから何とか晩節を保てましたかね。船場太郎は山田スミ子といつも組んで(どなたかに教えていただいていましたように、せんば・たろうでなく、せん・ばたろうと読んで笑わせていました。この人その後は大阪市議会の議長になっています、おお!)。山田スミ子は大阪製作のNHK番組にちょいちょい出てます、芋たこなんきんで紹介したとおり。今の吉本の看板女優の何とか未知恵(内場なんとかの嫁さん)の、普通の女然としているのが突然に変身して言葉汚く大声でまくしたてる芸風は、もともと山田スミ子がやっていたものです、いわばパクリ。彼女が切れて叫んでいる間、船場太郎らが目をぱちくりして見ているといういつもの笑いのお定まりでした。ここで笑いなさいよ、ハイ笑います、と見ている方も安心するというお決まりでした。当時多くは新進気鋭だった木村進と間寛平の組でした。寛平が面白かったですよ。理屈考える前におかしいんです。とにかく笑ってました。木村進はおやじが博多淡海という地方劇団の座長で、身のこなしがどさ回り一座のそれで、そういう身についた動きや喋り口で笑いをとってました。その後、そっちへ転身したんでしょう?きっと博多淡海を名乗っているんだろうと思います、詳細を知りません。で、漫才ブームが湧き上がるんです。きっと最初の戦略(こんなのがあったとすれば、ですが)が正しかったのでしょうね、やすきよを頂点に決めておいて、その脇にいとしこいし(いとこい師匠と呼ばれているコンビ)を添えて、漫才の王道はしゃべくり漫才だと定める。ですから、この対極にある芸風、どつき漫才とか鳴り物入りとかが外されます。この多くがきっと吉本でなく松竹系の芸人だったのです、敏枝玲二とかかしまし娘以外のギター三味線の音曲トリオ(フラワーショー、ちゃっきりむすめ、宮川左近ショー、横山ホットブラザーズなどなど)。今なんやかやでNHKによく出る上沼美恵子、あの人元漫才師です、姉と海原千里万里というコンビ組んでました、面白かったんですが悲しいかな松竹系だったんでしょう、ブームからすっかり外れていました。それとも、あのブームの頃にはもう姉さん結婚して解散していたんでしょうか。もっとも、この人達(千里万里以外)は年寄りでした、芸風も古かったです、いずれ波には乗りきれなかったでしょう。ちなみに当時は、今もそうなんでしょうが、吉本系、松竹系の番組がはっきり別れていました。やすきよ、B&B、のりおよしお、ザぼんち、紳助竜介、サブローシロー(後でシローが会社と喧嘩別れして、早々に消えましたが、このコンビは好きでした。面白かったですよ)すこし離れて巨人阪神、こちらが吉本。松竹系で珍重されていたのはかしまし娘だけでしたか。天然記念物扱いでした。私が中学高校時代、鄙の当地でも土曜日の午後一時に角座アワーという松竹系の寄席番組がありました。これが好きで、毎週欠かさず見たものです。かしまし娘、上方柳二柳太(字が違うかも知れません)、いとしこいし、ラッパひさ丸とか砂川捨丸・・鼓持ってぼそぼそ喋っていた捨丸(巨人がよく物まねしてました)も実際にTVで見ました。でももうあの頃からかしまし娘は大御所的でしたね、この人達の出番に当たると嬉しかったですから。それと吉本新喜劇。でもこれは不定期だったと思います。平参平の「あ~ほ~」とか足引きずって最後に膝叩いて相手の股間を蹴り上げるあのギャグでしたね。当地では松竹の角座アワーだけがレギュラー番組でした。ですからかしまし娘が重鎮扱いされるのも肯けるわけです。
 おお、調子にのって、興味のない人には全く面白くない話をだらだらと続けました。これ以上続けてもまとめられはしません。すみませんでした、止めます。あの漫才ブームが人生のうち一番へらへらできた大学生時代に重なった幸運でしたか。もともと好きな者にはヘラヘラ笑っていられて幸せでしたよ。あれからもう25年が過ぎます。ううむ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉

2007-02-11 10:39:47 | Weblog
今日の徳光さんの朝番組、キャンプ報告コーナーでも明らかでしたが、週刊誌のキャプション見てびっくりしました。うまく対照させていましたので強調されたのは確かなのですがしかし、ソフトバンクは満員、巨人のスタンドにはまさに閑古鳥の乱舞。おお、昔日の感甚だしく、盛者必衰、会者定離の理なり。最後の切り札(原)をもってきてこれですからね。いまさら王さん呼べません。あるいは星野なら尾っぽ振ってくるかもしれませんし、有名な大リーグの外人監督なんて線もあるのかもしれませんが、生え抜きの原則を切り崩す勇気が(気概が)残っていましょうか。結果論ですが、これだけは評論家の言う通りになりましたね、松井が出たらダメになる。あれからですよね坂道が急傾斜になったのは。
 読売新聞に「がんと私」というコラムがあります。書いているのは女記者で、この人自身闘病の経験者でしたか。現在日本で行なわれているがん治療の嘘やごまかし、進歩のなさ(進歩させない、変化させない権威主義、因循姑息)をざっくり斬るところ愛読しています。最近の掲載分は医療の業界用語をなんとかしろという内容でした。面白く読みました。彼女が例に挙げているのは、標準治療、姑息的治療、医療用麻薬の三つ。標準的治療についてはこう言います、標準という表現が誤解を生んでいる。鰻重の格付けに並、上、特上というのがあるが、標準という語感はこの並を連想させる。少々金がかかってもいいからよりよい(上等な)ものが欲しいというのが特にがん治療という特殊な環境に置かれた人々の考えることだ、ここの誤解は大きい、と。なるほど。そう言われればそうですね。でも医者に言わせればちと怖ろしいことになります。医者は標準という冠に隠れることができるのです。これをしておけばいい、という意味です。誰々という個人差を考えずに(考えることなく、考えようとしないで)決められた標準的治療を右から左に行なうだけ。髪が抜けようが、ゲロゲロ吐こうが、げっそり痩せようが、そんなことは知らないのです。標準的治療の末ですから。つまり、医者はがん治療で(標準的治療で)患者を治そうなんて思っていません、送られてきた(見つかった)がん患者に標準的治療を行うだけのことなのです。それが標準という意味です。これさえやれば患者が死のうがどうなろうがいいわけです。怖ろしいでしょう?ここの差は大きいでしょう?女記者が書いているような並と上といった差を表すのではなく、治療とは何ぞやという本質を突く問いなのです実は。姑息的治療。これは字義的には一時しのぎの治療となりますか。具体的にはがんが原因で食べ物の通路や消化液の通路を塞いでしまっているが、がんの広がりがひどくその閉塞部位を処理できないような場合、そのがんには手をつけられないけれども、本来の通路を迂回したりショートカットしたりする別のルートを造って機能を維持するといった処置を言います。対する治療は根治的治療ですか、例えば胆石症例の胆嚢を摘出するとか腫瘍を全摘出するとかです。法律用語と同じく、これは言葉の意味が分からないというジャンルの「不明」です。医療用麻薬。医療用と冠するのは、ヘロインやマリファナの如き「シャブ」とは違いますよと言うだけのことです。一般的に生ずるであろう「薬止めますか、人間止めますか」と広く禁止啓発される麻薬とどう違うのかという不安のことを記者は言いたいのでしょうが、ここは仮に認識に差があっても大事には至りません。さすがに医者連中も麻薬には簡単に手をつけませんから。もちろん麻薬の種類にもよるのでしょうが、「シャブ中毒」にイメージされるヤクなどは通常の治療の現場にはありません。記者はこういう業界用語が患者との相互の理解、意思疎通を邪魔していると締めています、賛成です。全くその通り。だから業界人が平易に通常の言葉で十分に説明をしなければならないのです。そういう十分な説明をして初めてインフォームドコンセントを得られるわけです。そういう十分な説明が為されて本人が十分に理解して同意して初めて、治療受ける側の自己責任なるものが生ずるのです。医療側と患者との知識量に大差がある状況では、本来それだけのバイアスが医療側にかかるべきなのです。説明義務は非常に大きいのです。業界用語は業界人の間だけで通用するものですから。符丁略語の類ばっかりです。ですから皆さん、横文字やら略語やらでしか説明できない医者はダメな医者です。あなたに分かって貰おうとしない医者は早々に見切るべきです。これだけ沢山医者がいるんです、選んでください。大病院指向も程々に。大病院に良い医者がいるとは限りません。がんになられた方々、どうか一人の医者の言を信じ込まれないように。うむ、少しこの記事とは方向が変わりましたが、私はこう締めます、大事な決定の前には複数の医者の意見を聞いて下さい。ちゃんと説明してくれる医者は必ずあなたの近くにいるはずですから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どきり

2007-02-10 08:40:40 | Weblog
六カ国協議とやら、結局北朝鮮の懐柔に終始して、またまた向こうから押されるままになりそうです。核を持ってあれだけ強気に出るわけですな、中国韓国ロシアはこっちに付いている、アメリカもまぁ言えば人ごとですわねそれこそ極東の出来事です。安倍さんは拉致問題解決が先だと言いますが、当のアメリカさんもこれには乗りません。核持った者に捨てろなんてできぬ要求する、ならばと向こうさん得意のバーター、ズルズルと押して要求を通しておいて核は捨てない。捨てるわけがないじゃないですか。どうしますか?こっちも核を持てばいいですねぇ。北朝鮮に向けてミサイル構えたらいいですねぇ。そう思います。
 都立校職員が、日の丸・君が代の強制により思想、良心の自由が侵害されたという理由で、都に対して損害賠償訴訟を起こしたそうです。原告のコメントです、国旗掲揚や国歌斉唱に対する都教委からの通達以来、「都立学校は教育の自由が奪われ、たった40秒間の静かな不起立・不伴奏で陰湿ないじめを受けている」んだそうです。理由が「陰湿ないじめ」ですよ。この連中はまったくもって幼稚で執拗でステレオタイプで。ええかげんにせぇよ、です。
 日産が読売朝日に全面広告です(何故か毎日にはありません)「わたしはずっと寂しかった。と、妻が言った。」どっきりします。この広告は、だから定年近くなった夫と今後は楽しく過ごしたいといういい方向(もちろん車の宣伝ですからね)で終わっていますが、昨今「だから別れます」なんて事の方が多いのではないですか。熟年離婚の最大の原因でしょう、子供がいるうちはと思って我慢してきましたけど、子供が巣立った後はあなたといる理由がない、という気持ち。どきっとするでしょう?しませんか?しない方々、この広告通りの羨ましい夫婦であられるか、あなたがまぬけオヤジであるかですよ。知らなかったとか、知ろうとしなかったとか、忙しくてそれどころじゃなかったとか、どうぞいくらでも言い訳されたらいい。積み重なった何十年はびくともしません。こうなんですよね。私は妙にしみじみと反省してしまいます。こういうコピーにどきっとします。いかがですか。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正義の味方

2007-02-09 08:42:15 | Weblog
昨日たまたまBS見ていて「奥様は魔女」にぶつかりました。おお!あの覚えのあるイントロのナレーション、奥様は魔女だったのです、もそのままなら、サマンサもそのお母さんも覚えのまま、ダーリンの声が柳澤慎一これもあの時のまま。この人だいぶ前に亡くなったはずです、ということはリメイクでないということ、画像も声もあの時のままということ。そう気づいて改めて驚いたのは綺麗な総天然色であることです。あの番組、カラーのイメージですか?いつ頃放映されていたのか今ここでは分からないのですが、カラーでしたか。でも、白黒の時代ほど古くないようにも思うのですがどうだったですかね。ただやはり内容やら笑いの取り方は古いですね、当たり前ですが。
 中国新聞に「介護放棄死事件」の記事です。被害者の妻、長男、次男が逮捕されて十日が経つのにその動機がまだ分からないという記事です。介護保険制度が整備されているのに「要介護者を社会で支える流れとは裏腹の悲劇」だと嘆いています。介護保険制度が美しい制度と本気で思っているのでしょうね、この記者は。この制度で全ての要介護者が救われると、救われるべきだと正義感に溢れているんでしょう。大間違いです。社会で支える?家族がその気にならねば「社会」は動きません。本人分の負担を払わなければ動きません。そういう決まりになっていますから、介護する側はそういう人には手を出せません、出しません。これは幼児虐待と児童相談所との関係と同じです。で、事が起こった後に謝るばかり、弁解するばかり。これもよくご存知の通り。虐待されて死んでいく子供は、今の制度を維持する限りなくなりません。介護保険制度も同じことです。ちゃんと金を払って、ケアマネージャーの言うことを聞いて、相当に介護する(その人のために時間を割くということです)人達には優しいですよ。でも、その人のために時間を割けない人も多いわけです。もっと平たく言えば、働かなければ介護保険代を払えない人。安くないですよ、施設に入れてご覧なさい、月に20万円です。金を出して自分の自由を得るか、自分の自由を犠牲にして自宅介護するか。後者を選択するしかない所も多いことが一つ。もう一つは、その家庭の事情です。とんでもないオヤジであったなら、誰が介護しますか?とっとと死んでしまえと思うような環境もあるでしょう?女に酒にギャンブルに、迷惑の限りを尽くしてきたオヤジに優しくできますか?自宅にいる限り他人は介入できぬと法律を盾に言い訳するなら、殺しても死んでもあれこれいいなさんなです。全く空念仏を唱えるばかりの正義の味方が多すぎます、特に左寄りの新聞記者には。現実を見ない理想ばかり振り回しています。そう思います。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする