柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

どきり

2007-02-10 08:40:40 | Weblog
六カ国協議とやら、結局北朝鮮の懐柔に終始して、またまた向こうから押されるままになりそうです。核を持ってあれだけ強気に出るわけですな、中国韓国ロシアはこっちに付いている、アメリカもまぁ言えば人ごとですわねそれこそ極東の出来事です。安倍さんは拉致問題解決が先だと言いますが、当のアメリカさんもこれには乗りません。核持った者に捨てろなんてできぬ要求する、ならばと向こうさん得意のバーター、ズルズルと押して要求を通しておいて核は捨てない。捨てるわけがないじゃないですか。どうしますか?こっちも核を持てばいいですねぇ。北朝鮮に向けてミサイル構えたらいいですねぇ。そう思います。
 都立校職員が、日の丸・君が代の強制により思想、良心の自由が侵害されたという理由で、都に対して損害賠償訴訟を起こしたそうです。原告のコメントです、国旗掲揚や国歌斉唱に対する都教委からの通達以来、「都立学校は教育の自由が奪われ、たった40秒間の静かな不起立・不伴奏で陰湿ないじめを受けている」んだそうです。理由が「陰湿ないじめ」ですよ。この連中はまったくもって幼稚で執拗でステレオタイプで。ええかげんにせぇよ、です。
 日産が読売朝日に全面広告です(何故か毎日にはありません)「わたしはずっと寂しかった。と、妻が言った。」どっきりします。この広告は、だから定年近くなった夫と今後は楽しく過ごしたいといういい方向(もちろん車の宣伝ですからね)で終わっていますが、昨今「だから別れます」なんて事の方が多いのではないですか。熟年離婚の最大の原因でしょう、子供がいるうちはと思って我慢してきましたけど、子供が巣立った後はあなたといる理由がない、という気持ち。どきっとするでしょう?しませんか?しない方々、この広告通りの羨ましい夫婦であられるか、あなたがまぬけオヤジであるかですよ。知らなかったとか、知ろうとしなかったとか、忙しくてそれどころじゃなかったとか、どうぞいくらでも言い訳されたらいい。積み重なった何十年はびくともしません。こうなんですよね。私は妙にしみじみと反省してしまいます。こういうコピーにどきっとします。いかがですか。
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9 コメント

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熟年離婚 (Unknown)
2007-02-10 10:33:01
この話題がお好きですね。いろんな思うところがおありなのでしょうが。昨日のブログへのコメントに書きましたが、全ては原因あっての結果でしょうね。熟年離婚は、でも決して男性だけが原因ではないと思いますよ。まるで違う歴史を持って育ってきた二人が結婚するんですよ。ずっとしあわせなはずないですよね。
近所の人間関係や会社の人間関係が努力と妥協と相手への思いやり(愛)によってだんだんに築かれていくように結婚にも「努力と妥協と愛」が必要でしょう。
どうせ一緒にいるのなら、一緒にいたいと思うように自分の心も相手の心もコントロールしなきゃね。所詮人はひとりです。めんどくさい努力もしなきゃ、よい人間関係は築けませんよね。書翰子さんはそのあたりの努力をきちんとされる方でしょうね。奥さんは幸せでしょうね。私は努力を放棄しています。主人は愛し合ってるから全て許されると思っているでしょうね。
それはこの20何年かの間に擦り減っているのに。でも何も気づいていない夫より気づいていながら努力を放棄した私のほうが罪は重いような気がします。主人が書翰子さんのような気持ちになるときがもし来るのなら、わたしも努力を続けましょうか・・。男性諸君は書翰子さんの気持ちをどう受け取られているのでしょう
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なんで?? (マ様)
2007-02-10 17:41:06
「わたしはずっと寂しかった。と、妻が言った。」

人のせいにするなよ・・・。はっはっは・・・。
だんな様を「いってらっしゃい・・・」と送り出したのならその後は自分で楽しみなさいよ・・・。あなたの時間でしょう?あなたの人生でしょう??自分がご主人のために家族のために費やした貴重な時間を「寂しかった」という言葉で表さなきゃいいのに・・・。

まあ・・・私みたいな自分勝手に自由奔放な主婦は
世間から反感を買うのでしょうが・・・。

。゜( ゜^∀^゜)゜。アーッハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \

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マ様へ (書翰子)
2007-02-11 12:07:52
御意見頂戴しました。そういう風にパパッと言い放って頂くとスカッとしますが、女の方々はいかがお思いでしょうか。あなたのように十分に楽しんでこられた方々は、今後の余生も(こんな年齢ではまだいらっしゃいませんか)だんな様と一緒にと思われますか、それともまた一段上の自由を求めて飛ばれますか。男が考えるには、寂しいとも何とも言わず表さず、いきなりの三行半なんてのが一番厳しいことですが。ああ、やっぱり弱いわ、男の方が・・・
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追伸・・・。 (マ様)
2007-02-11 14:32:49
我が家は逆です・・・。

主人のほうが「俺はずっと寂しかった。と、夫が言った。」と、なるでしょう。

仕方がありません・・・あなたの人選ミスです。
見る目がなかったとあきらめていただくしか・・・。
(ー`´ー)うーん

そして足腰立たなくなった私が振り返ると誰もいないところに突っ立っているはずですね。きっと「あなたは一人でやっていける人だから・・・」とかなんとか言われてしまうわけですね。これが・・・。

その時、時間の費やし方、そのとき自分の側にいてくれる人たち・・・夢中になる方法を間違えないことなのでしょうが・・・これが中々うまくいかないものですよ・・・。私も含めてですが・・・。


(ー`´ー)うーん
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そうなんでしょうか (mu)
2007-02-11 21:03:36
マ-様 パッパッ-と楽しんでおられるようですね。おそらく軽く投稿されただけでただ1面の部分だけの表現だと私が勝手に理解いたしますが、私はこだわりの美学に目覚めております。最近の色色な事件に驚きその超えた感覚についていけず時代遅れなのかなと思いつつ自由であることがそんなに人生の充足感を満たしてくれるものなのかと思っています。家族とのかかわりは時にわずらわしくそれぞれ家族の人生に遭遇する幸不幸に振り回され心を痛めますがその折々の感情をどのようにさやに収めるか
で、その作業の繰り返しによりこころの充足感はより深く味わい深いものになると思います。夫婦で小さいながらも会社を経営していますので思うに任せないことはたくさんありました。今もご時世で経営も大変です。障害年金を受け取っている子供もいます。フェミニストがこえだかに唱える自由や女性の自立なんて言葉がきつくなりますがとても軽薄に思われます。耐えて忍ことが古く陰湿に思われますでしょうが本来人間なんてそんな存在なのではないでしょうか。もちろん私は暗くもありませんし何年もかけて深めていきたい趣味も持っています。でも私に訪れる憂いの感情や怒りの
の感情は一時的なものとして心のひだに刻み私の周りの人には丁寧に接していきたいと思っています。そのような心情に今『芋たこなんきん』はぴったりです。はまっています。書翰子さんも男は弱いなんていわないでください。女も弱いんです。何の問題のないご夫婦なのでしょうが心配してしまいます。
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Unknown様に (書翰子)
2007-02-12 10:53:49
御意見ありがとうございます。私は、男は女(妻)のそんな気持ちに気づいていない、女はそんな状態に長く身を置いている、そういう前提で話を組み立てています。ですから、私の勝手な前提から外れるご夫婦は数多いらっしゃいましょうし、私のような気持ちには無縁の旦那達も多いものと思います。私はああそういうことなんだろうなと気づくことがあって、今まで妻にそういう思いをさせていたのであろうと思い当たる節がいくつもあり、冷や汗もので反省したと言うことなのです。自分は働いていればいい、働いているのだからそれでいい、妻の日常のあれこれは自分の労働と対を為すもので慮る要のないものと、何の疑いもなく男は思い込んでいるのではないでしょうか。私は特殊な職業に就いていますので特殊な感想に傾いている虞は非常に大きいと思っています。より一般の環境、サラリーマンとか自営業とかの男達は、いわゆる一歩外に出れば七人の敵がいる状態、休みの日も接待の残業のでままならぬ、となれば仕事に、仕事をしている自分にバイアスがかかるは必定、側にいるべき妻を思い遣ると言うよりも相応の対応(世話焼き)を要求するものではないのでしょうか。で、その状態から外れるのが定年近くになってから、あるいは定年してからとなり、ああいう言葉を妻から聞く、まだ心に感じる部分が残っている者はドキリとする、分からぬ者は「よしよし、じゃぁ今からはお前と楽しもうな」なんて間抜けたセリフになる。奥さんに先立たれるなんてのが一番の悲劇ではありますが、後悔先に立たず!と誹られて一巻の終わりであるだけまだバランスがいいかも知れません。ですから別れます、なんて言われてこの歳でやもめになる方が悲惨です。悲劇でない分、自分の気持ちの置き所がないでしょう。そういうことに気づいていない男が多いのだろうと勝手に思っているだけです。すり減ると表現されるのは当初の熱さでしょうか、巷間言うところの愛情でしょうか。いえ、いずれにせよ全てはすり減るものです。というか姿が見た目が変わっていくものでしょう。私も愛情なんて言われると照れますし、勘弁してくれと思う方です。けれど女房とはずっと一緒に楽しんでいきたい、あれもしたいこれもしたいと思っています。今まで悪かったね、なんて思っているわけでもありません。こっちの都合だけで、お前の思いに気づいていない、気づこうとしなかった事々があるんだろうねと気づいたと言うことです。と、色々講釈を垂れても、あの手のコピーにはやはりどきりとします。仕方ないですかね。
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mu様に (書翰子)
2007-02-12 11:48:06
いつも御意見有難うございます。私などよりぐっと深みの感じられるお話で、恥ずかしく思います。とかく現代の世情は個人主義、自由礼賛です。仰言るような耐え忍ぶところから得られる充足感というものは対極に位置するとも言えるでしょうか。改めて思いましたが、忍ぶ、我慢するということが生きていく規範から外れている、なんてどこかの凡百な教育委員が言いそうなとりとめのない抽象事ではなく、そういう日常生活上の調整役を担っているのも女の人であるのです。そのお陰で世の中は回っているのです。書いておられますように、おそらくはマ様もこの役を担っておられる。このことに男ばかりでなく、女の中にも気づいていない人がいるのではないだろうか。とこうやって男の女の役割なんて方向に進むと、男女平等の男女共同参画社会のフェミニズムのの話になりますから、大きくしないように気をつけますが、世の中はどう回ってきたのか、無理に回してきたところはどこか、一方で無理なく自然に回ってきたところはどこか、そこをちゃんと区別つけないからこの論議が迷走しているんだといつも思います(もっとも、フェミニスト達はその混乱を狙い、混乱に乗じての秩序転覆が目的ですから、端から相手になりません)。でも、気づいたからといって急にああせよこうせよでもないのでしょう。早く気づきなさいよ、でもないように思います。が確かなことは、こういう事々こそが何百年も人の世の中を自然に回すために必須のものだったということでしょう。仰言るように古いの陰湿だの暗いのという評価もありましょうが、誰もがいちいち人に言われずともその場その場の身の処し方として選び、営々と続けてきた事でもあるわけですね。その多くを女の人が担ってきた。それを当然と男は思ってきた。顧みることをしなかった。そこに遅ればせながら私は思い至った。で、周りを見ればはたと膝を打つことであったという顛末です。男が弱いのじゃないと言っていただきました。でも、これは確かじゃありませんか、男と女じゃ必ず男が馬鹿です。卑下しているのでは決してありません、ポーズ作っているのでもありません。本当にそう思います。これは周りを見るまでもなく、私で十分に感じ入ることですから。
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mu様 書翰子様へ。 (マ様)
2007-02-12 14:03:38
私の表現方法が間違っていたようですね。
人生の先輩方に誤解を招いていまったようです。

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マ-様へ (mu)
2007-02-12 16:54:47
言葉尻を取って申し訳ありませんが誤解というのはどのようなことなのでしょうか?
表現方法が間違っているのでしたら真意を今一度お伝えいただくと嬉しいです。
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