今日の徳光さんの朝番組、キャンプ報告コーナーでも明らかでしたが、週刊誌のキャプション見てびっくりしました。うまく対照させていましたので強調されたのは確かなのですがしかし、ソフトバンクは満員、巨人のスタンドにはまさに閑古鳥の乱舞。おお、昔日の感甚だしく、盛者必衰、会者定離の理なり。最後の切り札(原)をもってきてこれですからね。いまさら王さん呼べません。あるいは星野なら尾っぽ振ってくるかもしれませんし、有名な大リーグの外人監督なんて線もあるのかもしれませんが、生え抜きの原則を切り崩す勇気が(気概が)残っていましょうか。結果論ですが、これだけは評論家の言う通りになりましたね、松井が出たらダメになる。あれからですよね坂道が急傾斜になったのは。
読売新聞に「がんと私」というコラムがあります。書いているのは女記者で、この人自身闘病の経験者でしたか。現在日本で行なわれているがん治療の嘘やごまかし、進歩のなさ(進歩させない、変化させない権威主義、因循姑息)をざっくり斬るところ愛読しています。最近の掲載分は医療の業界用語をなんとかしろという内容でした。面白く読みました。彼女が例に挙げているのは、標準治療、姑息的治療、医療用麻薬の三つ。標準的治療についてはこう言います、標準という表現が誤解を生んでいる。鰻重の格付けに並、上、特上というのがあるが、標準という語感はこの並を連想させる。少々金がかかってもいいからよりよい(上等な)ものが欲しいというのが特にがん治療という特殊な環境に置かれた人々の考えることだ、ここの誤解は大きい、と。なるほど。そう言われればそうですね。でも医者に言わせればちと怖ろしいことになります。医者は標準という冠に隠れることができるのです。これをしておけばいい、という意味です。誰々という個人差を考えずに(考えることなく、考えようとしないで)決められた標準的治療を右から左に行なうだけ。髪が抜けようが、ゲロゲロ吐こうが、げっそり痩せようが、そんなことは知らないのです。標準的治療の末ですから。つまり、医者はがん治療で(標準的治療で)患者を治そうなんて思っていません、送られてきた(見つかった)がん患者に標準的治療を行うだけのことなのです。それが標準という意味です。これさえやれば患者が死のうがどうなろうがいいわけです。怖ろしいでしょう?ここの差は大きいでしょう?女記者が書いているような並と上といった差を表すのではなく、治療とは何ぞやという本質を突く問いなのです実は。姑息的治療。これは字義的には一時しのぎの治療となりますか。具体的にはがんが原因で食べ物の通路や消化液の通路を塞いでしまっているが、がんの広がりがひどくその閉塞部位を処理できないような場合、そのがんには手をつけられないけれども、本来の通路を迂回したりショートカットしたりする別のルートを造って機能を維持するといった処置を言います。対する治療は根治的治療ですか、例えば胆石症例の胆嚢を摘出するとか腫瘍を全摘出するとかです。法律用語と同じく、これは言葉の意味が分からないというジャンルの「不明」です。医療用麻薬。医療用と冠するのは、ヘロインやマリファナの如き「シャブ」とは違いますよと言うだけのことです。一般的に生ずるであろう「薬止めますか、人間止めますか」と広く禁止啓発される麻薬とどう違うのかという不安のことを記者は言いたいのでしょうが、ここは仮に認識に差があっても大事には至りません。さすがに医者連中も麻薬には簡単に手をつけませんから。もちろん麻薬の種類にもよるのでしょうが、「シャブ中毒」にイメージされるヤクなどは通常の治療の現場にはありません。記者はこういう業界用語が患者との相互の理解、意思疎通を邪魔していると締めています、賛成です。全くその通り。だから業界人が平易に通常の言葉で十分に説明をしなければならないのです。そういう十分な説明をして初めてインフォームドコンセントを得られるわけです。そういう十分な説明が為されて本人が十分に理解して同意して初めて、治療受ける側の自己責任なるものが生ずるのです。医療側と患者との知識量に大差がある状況では、本来それだけのバイアスが医療側にかかるべきなのです。説明義務は非常に大きいのです。業界用語は業界人の間だけで通用するものですから。符丁略語の類ばっかりです。ですから皆さん、横文字やら略語やらでしか説明できない医者はダメな医者です。あなたに分かって貰おうとしない医者は早々に見切るべきです。これだけ沢山医者がいるんです、選んでください。大病院指向も程々に。大病院に良い医者がいるとは限りません。がんになられた方々、どうか一人の医者の言を信じ込まれないように。うむ、少しこの記事とは方向が変わりましたが、私はこう締めます、大事な決定の前には複数の医者の意見を聞いて下さい。ちゃんと説明してくれる医者は必ずあなたの近くにいるはずですから。
読売新聞に「がんと私」というコラムがあります。書いているのは女記者で、この人自身闘病の経験者でしたか。現在日本で行なわれているがん治療の嘘やごまかし、進歩のなさ(進歩させない、変化させない権威主義、因循姑息)をざっくり斬るところ愛読しています。最近の掲載分は医療の業界用語をなんとかしろという内容でした。面白く読みました。彼女が例に挙げているのは、標準治療、姑息的治療、医療用麻薬の三つ。標準的治療についてはこう言います、標準という表現が誤解を生んでいる。鰻重の格付けに並、上、特上というのがあるが、標準という語感はこの並を連想させる。少々金がかかってもいいからよりよい(上等な)ものが欲しいというのが特にがん治療という特殊な環境に置かれた人々の考えることだ、ここの誤解は大きい、と。なるほど。そう言われればそうですね。でも医者に言わせればちと怖ろしいことになります。医者は標準という冠に隠れることができるのです。これをしておけばいい、という意味です。誰々という個人差を考えずに(考えることなく、考えようとしないで)決められた標準的治療を右から左に行なうだけ。髪が抜けようが、ゲロゲロ吐こうが、げっそり痩せようが、そんなことは知らないのです。標準的治療の末ですから。つまり、医者はがん治療で(標準的治療で)患者を治そうなんて思っていません、送られてきた(見つかった)がん患者に標準的治療を行うだけのことなのです。それが標準という意味です。これさえやれば患者が死のうがどうなろうがいいわけです。怖ろしいでしょう?ここの差は大きいでしょう?女記者が書いているような並と上といった差を表すのではなく、治療とは何ぞやという本質を突く問いなのです実は。姑息的治療。これは字義的には一時しのぎの治療となりますか。具体的にはがんが原因で食べ物の通路や消化液の通路を塞いでしまっているが、がんの広がりがひどくその閉塞部位を処理できないような場合、そのがんには手をつけられないけれども、本来の通路を迂回したりショートカットしたりする別のルートを造って機能を維持するといった処置を言います。対する治療は根治的治療ですか、例えば胆石症例の胆嚢を摘出するとか腫瘍を全摘出するとかです。法律用語と同じく、これは言葉の意味が分からないというジャンルの「不明」です。医療用麻薬。医療用と冠するのは、ヘロインやマリファナの如き「シャブ」とは違いますよと言うだけのことです。一般的に生ずるであろう「薬止めますか、人間止めますか」と広く禁止啓発される麻薬とどう違うのかという不安のことを記者は言いたいのでしょうが、ここは仮に認識に差があっても大事には至りません。さすがに医者連中も麻薬には簡単に手をつけませんから。もちろん麻薬の種類にもよるのでしょうが、「シャブ中毒」にイメージされるヤクなどは通常の治療の現場にはありません。記者はこういう業界用語が患者との相互の理解、意思疎通を邪魔していると締めています、賛成です。全くその通り。だから業界人が平易に通常の言葉で十分に説明をしなければならないのです。そういう十分な説明をして初めてインフォームドコンセントを得られるわけです。そういう十分な説明が為されて本人が十分に理解して同意して初めて、治療受ける側の自己責任なるものが生ずるのです。医療側と患者との知識量に大差がある状況では、本来それだけのバイアスが医療側にかかるべきなのです。説明義務は非常に大きいのです。業界用語は業界人の間だけで通用するものですから。符丁略語の類ばっかりです。ですから皆さん、横文字やら略語やらでしか説明できない医者はダメな医者です。あなたに分かって貰おうとしない医者は早々に見切るべきです。これだけ沢山医者がいるんです、選んでください。大病院指向も程々に。大病院に良い医者がいるとは限りません。がんになられた方々、どうか一人の医者の言を信じ込まれないように。うむ、少しこの記事とは方向が変わりましたが、私はこう締めます、大事な決定の前には複数の医者の意見を聞いて下さい。ちゃんと説明してくれる医者は必ずあなたの近くにいるはずですから。