柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

記憶

2022-07-03 10:13:07 | Weblog

まだ7月に入ってすぐ、オールスター戦もまだの時期に早セリーグヤクルトに優勝のマジックが出ました。マジックナンバーってのは今後一位チームがそれだけ勝てば他のチームがあと全勝しても勝率で上回ることです、他のチームは自力優勝がなくなったと表現します。今ヤクルトは全75試合で51勝24敗です。マジックが出たと言うても53という現実的なモノではありません、通常はレース終盤になって二位チーム相手にマジックが出るものです、この場合は二位チームとの直接対戦の多寡が要素にもなりますが、この時期では全球団が相手のあくまで計算上のものです。年間試合総数は143です、あと68試合、そのうちに53勝といういわば机上の計算値です。でもこの早い時期にそういう計算式が成り立つというわけではあります。二位の巨人が40勝40敗の丁度5割勝率。貯金の全てをヤクルトが持って行ってるのでした。ここは村上の成長が大きいですねぇ。山田との3,4番は強力です。TVも頻りに煽りますがこの人三冠王に一番近いのでしょう。トリプルスリーの山田よりもより破壊力があってチャンスに強いし。日ハムの清宮と同級の筈です、当初は清宮の当て馬的に紹介されてましたが一気に追い抜いて今やヤクルトの大黒柱です。清宮が勝手に落ちて行ってるのですが。新聞は2リーグ制になってから最速のマジック点灯だと教えます。従来の記録はどうだったかとみると1965年の南海、7月6日に62だったそうです。数字はともあれ南海かぁと思い出すことです。野村杉浦広瀬の時代ですね、鶴岡監督。東京五輪の翌年、巨人のV9が始まっています。パリーグは西鉄の時代が終わって南海の強かった頃。小学三年ですからよく覚えてますよ、8時半の男(巨人宮田、リリーフ専門で20勝!)の年です。自分のグローブに24(宮田の背番号)と書いてたのを思い出します。チューインガムかチョコレートのおまけに球団のフラッグがついていて12集めるのを競ったことです。当時にはヤクルトやソフトバンクなんてありません、国鉄スワローズです南海ホークスです。あの頃の町の空気や匂いまでを思い出す気がします。

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