柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

不足

2010-07-18 10:23:11 | Weblog
承前。改正臓器移植法施行にかかる記事です。中国新聞に移植術後の検証が56例目以降32症例行なわれていないというすっぱ抜き記事が載ってます(10年余で移植施行例は87だとわかります)。記事の説明文によればこの検証会議は厚労相の私的諮問機関だそうで、開くことに法的規制はないようなニュアンスです。開催しなくても怒られない、という代物のようです。改正で忙しかったというのが言い訳だそうですが、昨日も書きましたがこんなことだから前に進まないのです。そもそも脳死状態とは癌とか脳卒中とか心筋梗塞とかの病気とは違いますし(これらの病気の結果としてもたらされることはあります)、その分人口に膾炙するには相当の努力と宣伝が必要です、それが為されてないのです。何歳の人から脳死に伴う臓器摘出されました、心臓はどこの病院、肺はどこどこへ移植、肝臓はどこどこへ、腎臓は膵臓は角膜は・・ときっちり公表するべきなんです。どうしてそこを怠るんでしょう。忙しい?とんでもない。そんな怠慢しておいて、法律ばかりを締め上げる。マスコミも専門家たちも改正案に批判を加えるばかり、例えば子供の臓器摘出適応について虐待児対策が不十分だと噛みついたり、どこかの学級会やPTAの会合の如き、現実に起こるか起こらないかわからないほどの極端な事例を持ち出しての掣肘論が並びます。それより優先すべきこと、脳死とはどういうことで、その人から臓器を取り出すことの現実はいかなることか、それを知らしめることでしょう。国民への周知努力が全く足りません、今回の記事もその一例です、移植を推進している学者達の怠慢とあらば何をかいわんや、です。世の中は私のような移植反対者ばかりではもちろんないです、しかし実際に移植しか治療方法がありませんと宣告された当人や親達ほど必要性を痛感している者ばかりでもないのです。つまりあくまで人ごとです。関係者たちにあっち向いてる人に話を聞いてもらおうという態度がないのです、そこを非難しているのです。当事者たちの街頭募金はよくTVに写りますが、こういう個人的な限局的な必要に迫られての行動ばかりで、学者をはじめとした為政者達が法律を制定するだけで国民への説明や説得を全くしないのですから、知識や興味が広がる筈もないのです。外国でやっているから日本でもやらねば恥ずかしい。一番の動機はこれなんです移植医療の。若い医者が今後はこの方向だと年寄り教授に唆されて外国で技術を身につけて日本に帰ってくる、そしてなんて遅れてるんだ!・・と嘆き叫ぶ、新しモノ好きの国会議員達が飛びつく、マスコミがたかる、それだけで終わっています。日本の真の需要は、供給能力はどの程度なのか。探せばあります。これはこの事項だけに限りません、何でも探せば相当の数は出てきます、でもそれを掘り起こして新たに問題化する必要があるか否かは全くの別問題です。関係者たちの努力が全く足りぬ状態下に世間の動かぬを嘆くは全くの筋違いです。そう思います。
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