柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

規則

2010-07-04 10:44:48 | Weblog
サッカー、日本が消えた途端にぐっと面白くなりましたね。ダイジェストを見るばかりなのですが、それだけでも違い歴然。どのチームもモード変えてきたようなレベルの高さです。だからベスト8なんだという結果論的な解説もできるのでしょうが、強いチームが気合い入れるとこれだけ違うという証拠でしょう。私のような素人目にわかります、こんなゲームはJリーグでは絶対見られません(つまりたまには見ているのです私)、ドイツの凄さ、ガーナの負け方のすさまじさ、スペインの辛勝という内容の濃さ。一本一本のシュートの凄さ。GKとはかくあるべきという手本のようなセーブ。中でもウルグアイのハンドの是非ですか。野球での敬遠の四球(これは反則ではないですが)、NBAでよく見られる試合終了間近のファールプレイ、それと同等視する擁護論が多いようです、あそこで点入れられたら負けちゃう、ハンドしてでも防いで相手のPKの失敗を待つ作戦は許されるという論です。でも反則は反則です。どなたもこなたも「勧められることではないが」と一応枕を振っておいて擁護します。ルールは守るべき、フェアプレイ精神は大切だ、と自分は「いい人」でいたいわけです。この偽善者達め!勝つための方策です、そう言い切ればいいですね。事実これでウルグアイは勝ったんですよ。ハンドした者は、この人ポイントゲッターなんでしょうに、次の試合出られません、それでも勝たねばそこで終わりですからね。日本はもう試合できないんですから。そういう本音(とにかく勝て!)と建前(フェアプレイしろ)の同居をどう言い訳するかの問題ですか。そう思うとつまんない話ではあります、どんな手でも勝つ!が強い、勝った方が強いことは明らかなんですから。そこから敷衍されることは、いかにフェアプレイとは精神論であるかということ、ルールを守る破るという懲罰対象ではない、その何重も外側に大きく広がる、卑怯さや狡さを許さぬといういわば社会の掟であるかです。ルール内のことであれば何やってもいいんだという指導者がどれだけ多いことか。もっと端的に言えば審判が笛吹かねばそれはファウルではないという考え方、教え方。そうしないと勝てはしないと嘯く常勝チームの監督が礼賛される風潮。ファウルギリギリという表現です。昔のプロレスの売りでした、レフリー見ていない!!あれです。そこを許さない、狡いことしてまで勝つことはないという矜持。正々堂々という平凡な言葉の、実は強度の自制心の要求されること。フェアプレイであるためにはルールを守るだけでは全く足りないのです。フェアプレイというのが文章にしにくい精神論であるので、指導者に託すしかない教え方として放置されてきた、選手宣誓文言の一定型になり下がってきた、その結果ルール内のことなら何やってもいい、法律に抵触しないことなら何やってもいいという個人主義思想、左翼思想を助長してきたという流れです。事実バスケットボールのルールにはスポーツマンらしくないプレイに対するファウル規定が作られてます。ここまで規定しないとプレイが乱れ荒れてくる現実です、そういう教え方を指導者ができなくなっているんです。刑法や民法等六法で規定された罰則よりも何重も広い社会の掟、破ったからと言って捕まるわけでも罰せられるわけでもないけれど、でも守らねばならぬことですね。こここそが社会の一員として十分に理解しておかねばならぬことです。綺麗事だけでは生きていけない、清濁併せ呑まねば利は上げられない。こういう「真理」が存在すること自体、いかに守るべきことであるのかを示していると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする