柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

潔癖

2010-07-02 08:05:58 | Weblog
サッカー日本代表帰国会見です、まるで凱旋会見です。連中も悪びれずに恥じ入る様子もなく明るく応えてます。早々に負けてこれだけ歓迎されるチームも珍しいんでしょう。岡田監督が一番晴々してましたかね、重圧から解放された喜びでしょう。嫌味を言うのはもうやめましょう、こういう精神風土です日本は。この「優しさ」に救われることもきっとあるでしょうから、という納め方が得策なのでしょう。一つ、PK外した駒野、みんなに励まされて有難かった旨何度も言ってましたが、励まされたのではなく慰められたんでしょうにね。PK外して励ますもないですわね。慰められたんじゃぁこっちも辛いからというそういう意地や見栄でこういう表現になったのかもしれませんが、きっと言葉の使い間違いですね。そう思いました。
 野球賭博騒動、賭博がいけない、やくざと関わったのがいけない、という大上段の社会正義論に終始してますが、反社会勢力なんてきっちり排除するところ、差別反対格差反対論との整合性やいかにという問題は閑却視されてます。人は皆平等で公平なのだ、支配被支配の構図で持って支配階級の都合で作られた秩序に反抗する権利運動を推進する方々には、こういう差別はどういう位置づけになるのでしょうか。新聞には貴闘力のインタビューが載ります、断髪式に組幹部という見出しが躍ります。断髪式や、本場所にお前たちは来るなという根拠は何なんでしょうね。砂かぶりに座ってTVに写る目的なんてのも何とも子供じみていて大したことないように思いますが(そこら辺のガキどもがTVカメラに向かってピースサイン振ってるのと変わりません)、反社会勢力なんて中途半端な言い方でごまかしていること自体が、権利人権にがんじがらめにされている証拠であり、それでも世論は黙っちゃいないよと示さねばならぬなんていう「正しい人」達の潔癖症が他の意見を制しているのです。こういうのは言論弾圧や人権抑圧ではないのですねきっと。正しい人は反社会勢力の人達より強く優先されて「正しい」のです。反社会勢力は弾圧されるべきなんですね。そこに人権論は持ち込まれないのでしょう。訴訟起こしたらどうでしょうか、どうしてやくざが相撲見に行っちゃぁダメなんだよ?と。最高裁まで争ってみたらいいですね。きっと法律家たちは別の判断しますよ。でもダメなものはダメなんだ。世のコメンテイター達のセリフも聞こえそうですが。
コメント
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