![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/1d/08b9b7ecce9afcc51495fbd6df8c9a90.jpg)
映画が終わって、しばらく立てなかった・・・
というか、最後の場面は正視できなかった。あまりに辛くて・・・
「パラダイス・ナウ」
そのまま訳せば、「今が天国」とでも。それとも、「今」現実から抜け出して、「天国」へ旅たつという意味なのか?
パレスチナ難民として生まれ、自由もなく、貧しく、抑圧され、希望のない毎日を送る青年。ごく普通の青年サイード。
しかし、普通でない状況下に置かれたせいで、父が家族の生活を守るために密告者となり、処刑されたという過去を持つせいで、サイードは、いとも簡単に「自爆テロ」の実行役を引き受ける。
あたかも、明日引越しするから手伝ってくれる?と言われて引き受けたかのように、少しもためらうことなく即答するサイードと、親友ハーレド。
テロ実行グループが二人を実行役として仕立てていく過程が丁寧に描かれる。薄汚れ、ひげも髪も伸び放題という感じだった二人が、「英雄」にふさわしい姿に変えられていくのを見るのはなんともいえない複雑な思い。
いざ、実行と言う段になって、手違いが起こりテロは一たん中止となる。ハーレドは英雄の娘スーハの言葉でテロを思いとどまる。
このハーレドとスーハのやりとりが重い。ハーレドは自爆テロをする理由として、
「平等に生きられなくとも、平等に死ぬ事はできる」
「自由は戦って手に入れる。不正がある限り、殉教は続く」
「奴らは空爆する。俺達は自爆しかない」
「俺達は天国に行ける」
という。
それに対してスーハは、するどく反論する。
「平等のために死ぬのなら、平等のために生きる道を探すべきよ」
「殉教じゃない 復讐よ!」
「何をしてもイスラエル軍のほうが常に強いのよ」
「天国は頭の中にしかないわ」
「あなたの行動が私たちを破壊するのよ。そしてイスラエルに殺す理由を与えるの」
そしてスーハは主張する。「モラルの戦いをするのよ」
サイードはこのやり取りには参加していない。彼は、ただ一人自爆テロを実行する。なぜなら、
「尊厳のない人生 来る日も来る日も、侮辱され、無力感を感じながら生きていく。世界はそれを遠巻きに眺めているだけだ。彼らは自分達を被害者だと確信している。占領者が被害者だと?彼らが加害者と被害者の役を同時に演じるのなら、僕等もそうするしかない 被害者であって 殺人者となるしか・・・」
最後は自爆直前のサイードのアップで切れる。
「世界はそれを遠巻きに眺めているだけだ」というサイードの言葉は、見るものに突き刺さる。
(写真は、パンフレット。右上の最後の食事の風景はキリストの最後の晩餐を思わせられた。左上は爆弾を体に巻いているところ。自分では外すことが出来ない仕組みになっている)
川崎アートセンターの「アルテリオ映像館」で見る。12・14・16日上映
というか、最後の場面は正視できなかった。あまりに辛くて・・・
「パラダイス・ナウ」
そのまま訳せば、「今が天国」とでも。それとも、「今」現実から抜け出して、「天国」へ旅たつという意味なのか?
パレスチナ難民として生まれ、自由もなく、貧しく、抑圧され、希望のない毎日を送る青年。ごく普通の青年サイード。
しかし、普通でない状況下に置かれたせいで、父が家族の生活を守るために密告者となり、処刑されたという過去を持つせいで、サイードは、いとも簡単に「自爆テロ」の実行役を引き受ける。
あたかも、明日引越しするから手伝ってくれる?と言われて引き受けたかのように、少しもためらうことなく即答するサイードと、親友ハーレド。
テロ実行グループが二人を実行役として仕立てていく過程が丁寧に描かれる。薄汚れ、ひげも髪も伸び放題という感じだった二人が、「英雄」にふさわしい姿に変えられていくのを見るのはなんともいえない複雑な思い。
いざ、実行と言う段になって、手違いが起こりテロは一たん中止となる。ハーレドは英雄の娘スーハの言葉でテロを思いとどまる。
このハーレドとスーハのやりとりが重い。ハーレドは自爆テロをする理由として、
「平等に生きられなくとも、平等に死ぬ事はできる」
「自由は戦って手に入れる。不正がある限り、殉教は続く」
「奴らは空爆する。俺達は自爆しかない」
「俺達は天国に行ける」
という。
それに対してスーハは、するどく反論する。
「平等のために死ぬのなら、平等のために生きる道を探すべきよ」
「殉教じゃない 復讐よ!」
「何をしてもイスラエル軍のほうが常に強いのよ」
「天国は頭の中にしかないわ」
「あなたの行動が私たちを破壊するのよ。そしてイスラエルに殺す理由を与えるの」
そしてスーハは主張する。「モラルの戦いをするのよ」
サイードはこのやり取りには参加していない。彼は、ただ一人自爆テロを実行する。なぜなら、
「尊厳のない人生 来る日も来る日も、侮辱され、無力感を感じながら生きていく。世界はそれを遠巻きに眺めているだけだ。彼らは自分達を被害者だと確信している。占領者が被害者だと?彼らが加害者と被害者の役を同時に演じるのなら、僕等もそうするしかない 被害者であって 殺人者となるしか・・・」
最後は自爆直前のサイードのアップで切れる。
「世界はそれを遠巻きに眺めているだけだ」というサイードの言葉は、見るものに突き刺さる。
(写真は、パンフレット。右上の最後の食事の風景はキリストの最後の晩餐を思わせられた。左上は爆弾を体に巻いているところ。自分では外すことが出来ない仕組みになっている)
川崎アートセンターの「アルテリオ映像館」で見る。12・14・16日上映
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