モーツァルトのミサ・ブレヴィスK192のクレドに「ドレファミ」(移動ド)が出てくる。しかもフーガで。「ドーレーファーミー、ソーラードーシー」って具合。これ、ジュピター(交響曲第41番)の終楽章とそっくり。何が興味深いかって、このミサはモーツァルトが18歳のときサルツブルクで書いたもの。そのときの音型が最晩年に書いた最後の交響曲に引き継がれてること。ちなみに「ドレファミ(ソラドシ)」は”Lucis Creator optime”という聖歌の最初の四つの音。たら~と歌われるたくさんの音の中の四つだが、その四つに若い頃から目を付けて長く引き延ばして展開させたんだね。既存の曲の中の定旋律を長く引き延ばして(テノール)、それに対旋律(カウンター・テノール)を付けるのは古楽の常套手段だったが、古典派の時代でもその手法が生きていたか。考えてみれば、われわれは250年前に生きたモーツァルトの音楽を聴く。モーツァルトの250年前は、これはバロックを通り越してルネサンスだ。特にモーツァルトの若い頃の上司は大司教だったから、ルネサンスのポリフォニーを日常的に聴いていたのかも。